4.覚悟




「名無しならもう大丈夫」

 私がここに来てから約半年程経った頃、鍛錬の最後に真菰がそう言った。もう何も教えることはない。私ならできると。
この半年間たくさん特訓をした。鱗滝さんに、真菰に、錆兎に沢山の事を教えてもらった。それは炭治郎も同じだ。二人で打ち合いをする度に一撃が強く、重くなっていくのを日々感じていた。
 前よりも皮が厚くなった両手を見下ろす。決して女らしい手とは言えない。けどそれでいい。厳しい鍛錬を乗り越えて来た証のように感じて、私は誇らしかった。腰の刀に手を添えて歩き出す。何度やっても斬れなかった岩。私達が前に進む日はきっと今日だ。

 岩の元へ行くと、既に錆兎が待っていたと言わんばかりに佇んでいた。最初に出会った頃と同じ、威圧感が私を襲う。

「顔つきが変わったな」

「間抜け面なんてもう言わせない。今日こそ負かす、覚悟して」

「上等だ」

 どちらともなく走り出す。錆兎が一撃を繰り出す前に間合いを詰め、刀を振るう。一瞬怯んだように見えたが、すかさず受け止められ、鈍い金属音が辺りに響いた。
 力に押し負かされないよう空気をいっぱい吸い込んで抵抗する。力と力がぶつかって行き場を失い、腕が震えた。同時に刃を弾いて背後へ飛ぶ。錆兎も私も、どちらも足を止めることはしない。何度も刀を打ち付け合い、流し、間合いを取る。血の巡りが早くなって身体が熱くなってくるのを感じた。鼓動と身体を一体化させて。踊るように駆ける。

 切先が横に向く。くる!反射的に伏せると、風の唸りと共に錆兎の刀が頭上スレスレの空気を引き裂いた。間に合わなかった長い黒髪が切れて、散る。錆兎が動揺した。そのほんの一瞬の隙を見逃さなかった。足に力を込め、地を蹴る。

 ―――― 名無し、いきなさい。

 お祖母様の声が聞こえて、背中を押された気がした。迷いはない。全力の一撃が狐の面に縦に線を描き、割れる。露わになる素顔。初めて見た錆兎の顔は、笑っているような、泣いているような、やっぱり年相応の優しい顔をしていた。

 気付けば目の前には真っ二つに割れた岩と、その反対側でまるで鏡のように、刀を振り下ろしたまま呆然とする炭治郎と目があった。私達は同時に岩を斬っていたのだ。
 周りを見渡すと錆兎の姿はなくて、一瞬見えた真菰は嬉しそうに笑うと瞬きの間にはもう見えなくなっていた。

「炭治郎…私達、岩を斬ったんだよね?」

「うん…斬ったんだ」

 ぐしゃりと顔が歪んで「やったんだ!」と抱き合う。泣くな、泣くなと必死で言い聞かせていたのに、迎えに来た鱗滝さんまで泣きそうになりながら私達を強く抱きしめるものだから、ついに我慢はできなかった。
 鱗滝さんはか細い声で「お前達を最終選別へ行かせる気はなかった…」と呟く。もう自分の子供達を失うのを見たくなかったと、岩を斬れると思っていなかったと。それでも鱗滝さんは「お前達は凄い子だ」と嬉しそうな泣きそうな声で頭を撫でてくれた。錆兎と似ているな、なんて頭の片隅で思った。

 三人で家に帰ると、鱗滝さんは豪華な夕餉を用意してくれた。いつも美味しいご飯を用意してくれるが、今日はいつにも増して美味い。沢山泣いた後でお腹はペコペコだったし、最終戦別に行く前だからと炭治郎と沢山お代わりをした。
 ここに来てから約半年、炭治郎程長くはない期間だ。それでも鱗滝さんは本当の孫のように、同じ分だけ厳しくも、優しさをくれた。炭治郎がいたからこそ励まし合えた。あの日二人に出会えていなかったら、私は今頃どうなっていたか。名も知らぬ場所で一人野垂れ死んでいただろうか。誰にも気付かれず、悲しみを背負ったまま。
 だからこそ、二人に生かしてもらえた分私は前を向いて、生き延びなければならない。これから行われる最終選別、藤襲山ではそれこそ何が起きるか分からないのだ。今だけはこの時間を大切にしたい。

「炭治郎、お代わりはまだあるぞ」

「お願いします!」

 止まらないお椀のやりとりをする二人が何だか微笑ましいのと同時に、心に影がかかる。すると鼻が利くという二人は目敏くそれを察知すると、勢いよく同時にこちらを見る。…匂いで感情が分かるというのも考えものだ。

「どうしたんだ名無し!どこか痛むのか!?あッ、髪の毛か!?長くて綺麗だったもんな!」

「何、すぐ伸びてくるさ。気にするな」

 どうやら二人共私が悲しんでいるのを髪の毛が切れてしまったからだと思っているらしい。確かに長かった髪は肩くらいまで短くなってしまっていたけど、対して気にしてはいなかった。それよりも、焦った様子で的外れなことを言う二人が可笑しくて、つい滲んだ涙を拭きながら思わず吹き出す。

「違うの、もしおじいちゃんとお兄ちゃんがいたらこんな感じだったのかなって思ったらちょっと悲しくなっちゃって…私家族がいないから」

「そうか…」

 シュンとする炭治郎を横目に、鱗滝さんがポンと私の頭に手を置く。大きくて硬い、けれど優しい手だ。

「お前には儂も思い入れがある。手紙でお前の祖母から話を聞いていたからな」

「え、そうだったんですか?」

「勿論、あの日に初めて会ったがな」

 「それでもお前を孫のように思っている」と鱗滝さんは言ってくれた。嬉しくて少しこそばゆい、初めての感情に胸が埋まる。炭治郎も隣でうんうんと大きく頷いて背中を撫でてくれた。
 自分だって家族を鬼に殺されて辛い筈なのに。本当に優しい人だ。憎むことしかできず、前に進めなかった私にはあまりにも眩しい。どうか彼が、これから先どんな壁に立ちはだかっても、守られますように。そう願わずにはいられなかった。

「名無し、髪を切り揃えるからこっちに来てくれ」

 夕餉を終えて満足した後、炭治郎がポンポンと目の前の座布団を叩いて来るよう指示した。
出会った頃から思っていたけど、炭治郎は発言といい行動といい大分お兄ちゃんみが強い。勿論いたことがないから兄というのがどう言う感じかは完全に想像だが、この世話焼きなとこだったりさっきの慰め方はまるで歳下をあやすお兄ちゃんそのものだ。
 一応私同い年なんだけど…なんて思いながらも大人しく目の前に座る。髪を切ってもらうのなんて初めてでちょっと緊張する。炭治郎は手先が中々器用なもので、ちょきちょきと迷いなく毛先を整えていくと、あっという間に髪は綺麗に肩につくくらいに切り揃えられた。手鏡に映る新鮮な姿につい感嘆の声が漏れる。
 感動でくるくると向きを変えて見ている間、炭治郎はさっさと自身の伸びた髪も切っていた。赤みがかった黒色の髪が床に増えていく。すると、さっきまで黙々と作業をしていた鱗滝さんがこちらに歩み寄ると、ニュッと何かを差し出して来た。

「二人にこれを渡す」

「これは、狐?」

「厄除の面という。儂が彫ったものだ」

 鱗滝さんが私達にくれたのは、錆兎と真菰がしていたような狐の面だった。悪いことから身を守ってくれる。お守り的な存在らしい。炭治郎のには太陽の絵が描かれていて、如何にも彼ぴったりな面。私のには月が描かれていて、炭治郎の面と対になっているように見えた。
 何やら毎晩作業をしているとは思っていたが、まさかこれを用意してくれていたなんて。どんな気持ちで彫ったんだろうと考えると、何としてでも最終選別を生きて帰らなければという気持ちになった。

「明日も早い。そろそろ寝ろ」

「はい…あの、鱗滝さん。本当にありがとう」

 頭を下げる。鱗滝さんはしばらく無言でこちらを見下ろしていたが、すぐに顔を背けると「…構わん」と背中を向ける。炭治郎と顔を見合わせて笑った。




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