3.鍛錬




 次の日の早朝、半ば叩き起こされるようにして連れて行かれたのは狭霧山と呼ばれる山だった。太陽はまだ顔を見せていない時間帯で辺りはまだほんのり薄暗い。それなのに炭治郎の姿は既になく、鱗滝さん曰くもう鍛錬を初めているそうだ。まだこの前のお礼言えていないのにな…なんて考えながら朝ご飯として渡されたおにぎりを頬張る。
 それにしても霧が濃い山だ。狭霧山なんて名前がつくのにも納得できる。視界が悪い中必死で鱗滝さんの背中を追って行くと、木々に囲まれた空間に辿り着いた。そこには私の背丈よりも大きい岩が一つ。
一体ここで何をするのかと思いきや、鱗滝さんは巨大な岩を指差し「これを斬ってみせろ」とだけ言った。

  岩って斬るものだったかしら…。お祖母様はいつも基礎的な事しか教えてくれなかったけど、岩って斬るものだったのね、私初めて知った…。ということは、炭治郎もこれを斬ろうとしているってこと?

 呆然と岩を見上げていると、鱗滝さんは私に刀を抜くよう指示する。どうやらさっさと斬れという訳でもないらしく、型というものを手始めに教えてくれた。ただ全集中の呼吸を行うだけでなく、そこに型というものを合わせることによって初めて力が発揮されるという。
 それから鱗滝さんは改めて呼吸法や水の呼吸と呼ばれる型を熱心に教えてくれた。初めて知ることが多かったけど、強くなる為になんでも吸収した。

「お前は基礎は既に出来上がっている。今教えた事を頭に入れ、この岩を斬ってみせろ」

 それだけ告げると鱗滝さんは下山した。半日かけて教えてもらった技術、私はまだそれを知識としてしか取り込めていない。そんな状態で私にこの岩は斬れるのか。
 岩と向き合い構える。踏み込んだ勢いで刀を振り下ろすと、そのまま鈍い音を立てて刃が弾かれた。当然のように傷一つ付いていない。
やっぱりなと肩を落とすと、後ろから土を踏む音が聞こえて振り返る。あの時の男の子だった。

「君は、炭治郎?」

「名無しと鱗滝さんの匂いがしたから来てみたんだけど、どうしてこんなところにいるんだ?」

「それは、色々ありまして…。まずはお礼が遅れてごめんさい。あの時は本当にありがとう」

「気にしないでくれ、君が元気になったならいいんだ」

 そう言うと炭治郎は太陽のような笑顔で微笑んだ。

 最初はただなんとなく見ず知らずの人を助けてくれる優しい人なんだと思っていた。けど、炭治郎の妹が鬼になってしまったこと、鬼殺隊に入る為にここで一年ほど修行をしていることを鱗滝さんから聞いて、それだけじゃないんだと知った。そんな過酷な境遇で、毎日ボロボロになるまで鍛えて、それでも挫けずに屈託のない笑顔を人に向けられるのはきっと彼自身の強さだ。

 …私も見習わないといけないな。

 自嘲気味に笑う。近くにこんなに頑張っている人がいるのに、私は今まで落ち込むばっかりで何もしなかった。私は弱いのだからしっかり鍛え直さないと。
 俯いたままの私に炭治郎が心配したように顔を覗き込んでくる。大丈夫だと言うように笑顔を見せると、私は炭治郎に今までの出来事を、どうしてここにいるのかを一から説明した。今度は涙は流さずに。
 炭治郎は時折驚愕の表情を見せながらも静かに聞いてくれた。私がここで鱗滝さんの稽古を受けることに対しても、笑って「一緒に頑張ろう!」と受け入れてくれた。

 それからというもの毎日二人で狭霧山に出向いては鍛錬をした。呼吸法、柔軟、素振り、走り込み。時には何度も鱗滝さんに教えを請うて、飢えで弱くなった筋肉を取り戻しながら基礎訓練を続ける。鱗滝さんはああ言っていたけど、基礎はいくらやったって足りることはない。何より、肝心の岩が斬れていないのだから私はまだまだだと言う事だ。

 今日は別々で鍛錬をすることになって、私は空気が薄い狭霧山の頂上へ行くことにした。ここなら肺を更に鍛えられるだろう。そう考えて素振りを始める。

「おい」

「うーんやっぱり今のはもっとこうして…ああして…」

「…おい!」

「いや、これも違うな…」

「おいッ!俺を無視するなッ!」

「ヒッ!?」

 突然の耳元の怒鳴り声に情けない声をあげて尻餅を付く。び、びっくりした…耳がキーンとするし、一体誰だと見上げると、口元に傷のある狐の面に宍色の髪の男が私を見下ろしていた。その独特な風貌に一瞬見とれるが、ハッと我に帰る。

「ちょっと!いきなり耳元で怒鳴らなくてもいいじゃない!」

「お前が何度呼びかけても反応しないからだ!」

 そんな、いつの間に…。本当にこの癖をどうにかしないとと思ったのは二度目である。

「剣士たるもの常に周りに注意を寄せろ!一瞬たりとも隙を見せるな!俺が鬼だったならば、お前は間違いなく死んでいた!」

「うッ…すみません」

「お前に謝っている暇なんてあるのか?経験があるからと油断しているようだが、俺から見ればお前など大したことはない。二人揃って弱くて未熟だ」

 二人って、もしかして炭治郎のことを言っているのだろうか。では鱗滝さんが遣わした誰かなのか?だけど私達以外に人がいるなんて聞いていない。色々な疑問が駆け巡っていると、目の前の男は「立て!」と木刀を構えた。
 これだけボロクソに言われて黙っている私ではない。すぐに立ち上がって、同じように刀を構える。

「かかってこい」

 掛け声と共に力強く足を踏み込んで斬りかかる。受け止められるのは予想範囲内だ。相手の刀身に触れた部分を軸に自身の刀と身体を捻り、背後へ移動。再び一撃を振り下ろすも、軽々しく受け止められてしまう。

「甘い!」

「まだまだァ!」

 体勢を低くして足払いをかけるが、あっさりと避けられる。跳び上がったのを見計らって突きを繰り出すも、ひらりと反転されて更に強力な一撃を叩き込んでくる。
 男は速くて、そして力も強かった。男女の差と言ってしまえばそれで終わりだがそうもいかない。私はこれから鬼を相手に戦うのだ。男だろうが女だろうが関係ない、それ以上の力を奮ってくる。こんなところで負けていられないのだ。

 押し合いになったところを振り払い、同時に刀を振りかぶる。来るであろう衝撃に柄を握り込むが、努力虚しく刀は高い金属音を立てて弾かれた。刀が背後で地面に突き刺さる音が聞こえてから、男は構えを解く。

「君の、名前は?」

―― 錆兎だ」

 男はそう名乗ると、一度もこちらを振り返ることなく霧の中へ消えていった。最早彼がどこから来たのかなんてどうでも良くて、ただただ悔しさに唇を噛み締める。
 錆兎の姿が完全に見えなくなったところで地面に突き刺さった刀を抜いていると、今度は後ろから小さく拍手が聞こえてきた。

「すごいね名無し。炭治郎はもっと痛そうだったよ」

「へ?」

「私、真菰って言うの」

 花柄の着物を着たかわいらしい女の子。錆兎と似た狐のお面をしていて、けど彼とは違ってどこかふわふわとしていて、いつの間にか側に現れている。
 どうして私の名前を。今日は本当に不思議な日だなんて思いながら、真菰と名乗った女の子の側に寄る。

「やっぱり二人は炭治郎を知っているの?」

「名無しが来るずっと前からここで頑張っているからね」

 薄くて形の良い唇から楽しそうな笑い声が溢れる。それもそうか、炭治郎は私より一年も前から鱗滝さんの元にいる。それに比べて私はまだ数ヶ月しか立っていない。知らないのも当然の事のように思えた。すると女の子は「錆兎はね、女の子が突然山に来たから心配してたんだよ。いきなり驚かせてごめんね」と言って私の着物についた土汚れを払ってくれる。
 ということは、私を思っての厳しい物言いだったのか。とは言え彼の言っている事は正しかったし、まだまだ鍛錬が足りないのも事実だ。けど、これ以上どうすれば良いのかも分からない。

「名無しは全集中の呼吸ができるよね。誰かに教わったの?」

「昔剣術を教えてくれた人がいたの。鱗滝さんにも言われたけど、でも自分でもどうやってやってるのか分かってなくて…」

「とにかく肺を大きくするんだよ。血の中にいっぱいいっぱい空気を取り込むんだ。名無しならできるよ」

 真菰は色々なことを教えてくれた。錆兎とは兄妹じゃないことや鱗滝さんが大好きなこと、私の戦い方の悪いところや良いところまでなんでも指摘してくれた。錆兎はあの日以来、時折木の上から私と真菰のやり取りを眺めていたが、関わって来ることはなかった。もしかしたら炭治郎と一緒に鍛錬しているのかもと、深くは考えなかった。

 それから私は朝から晩まで、真菰と鬼ごっこをするのが習慣となっていた。もちろんただの遊びではない。真菰に鍛錬を見てもらう中で、真菰はとてもすばしっこく、腕力の弱さを速さで補うような戦い方をするのに気付いた。では自身の速さも鍛えられるのでは?と、私から全力の鬼ごっこをしようと提案したのだ。真菰はいつもみたいに楽しそうに笑いながら頷いてくれた。

 もう何日目かの鬼ごっこを終えた頃、真菰は手を振りながら帰って行った。いつものことながらどこに帰っているのかは謎である。近くの村にでも住んでいるのだろうか。そんな事を考えながらその小さな背中を見送って、最後の柔軟を始める。
 見慣れてしまっていたから分からなかったけど、足腰は最初の頃に比べると随分としっかりしたと思う。今ではありがたいことに鱗滝さんが毎日朝餉と夕餉を用意してくれているから、やつれていたのが遠い昔のようだ。
 心の中で鱗滝さんに感謝しながら、私は相変わらず感じる背後からの視線に、ついに耐えられず声を投げかけた。

「錆兎、そんなに見られるとやりづらいよ」

「…随分と気が効くようになったんだな。あの間抜け面はどこへ行ったのやら」

「常に周りに注意を向けろって言ったのは錆兎でしょ?毎日覗き見してるの知ってるんだからね」

「なッ…誰が覗き見だ!お前が真菰を困らせていないか見張っていただけだ!」

「それが覗き見って言うんですぅ」

 珍しく慌てているのが面白くて、つい声に出して笑ってしまう。顔が面で隠れているから分からないが、こうした反応を見ると年相応だなぁと思う。
 あれほどの実力になるまで、きっと何年も鍛えてきたんだと思う。それに相まって無愛想な立ち振る舞いや、真菰と違って勇ましい狐の面が、より彼を大人びさせて見せていた。けれど本当は思っているよりもずっと若くて、私と同じくらいの年齢の男の子のような気がした。これもまた、根拠のない感覚なんだけど。

「…お前は剣士になることが、鱗滝さんに教えを請うことが、どういうことか分かっているのか」

「分かってるよ」

 お祖母様も、鱗滝さんも、育手として弟子が鬼殺の剣士になることを良く思っていなかった。本物の鬼を見て、大切な人を失った今、私にもそれが何故なのか理解できる。
 常に死と隣り合わせの世界。自分が最終選別に行くのを許したせいで、剣を取る術を教えてしまったせいで教え子が死んでしまったら?残された者は悲しみに暮れる筈だ。誰もが大切な人を失いたくないに決まっている。

 分かっている。だから私は、死なない為に強くならなくてはならない。これ以上悲しい思いをする人が増えないように。

「私は絶対に死んでやらないし、絶対に錆兎にも勝ってみせる」

 錆兎はそれ以上何も言ってこなかった。「…どうだかな」それだけ溢して、横を通り過ぎて行く。その姿はあっという間に見えなくなった。

「名無し!そろそろ暗くなる、帰ろう」

「もうそんな時間か、ちょっと待ってて!」

 止まっていた手足を動かして手早く柔軟を終わらせ、いつものように炭治郎と一緒に鱗滝さんの待つ家へ向かう。
今日の夕餉はなんだろうか。密かにできた楽しみに心を躍らせながら見慣れた山道を降った。




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