41.血の味は
身体が重い。耳鳴りが酷い。
「あッ起きた!雛鶴さん、起きました!」
「ええ…見れば、分かるわ」
ここはどこだろう。目の前には綺麗な女性が二人、心配そうに私を見下ろしている。そういえば、さっきはもっと苦しくて呼吸なんてできなかった気がするのに、何だか今は少しだけ楽だ。 それによく見れば、片方の女性は凄く苦しそうだ。私の心配じゃなくて自分の心配をしてほしいなぁ。
「……はッ!?」
「あぁ、そんな勢いよく起き上がったらダメですよォ!」
辺りを見渡せば、深夜だというのに悲鳴や轟音が響き渡っていた。遠くではくノ一の女性が必死に住人を避難させようとしている。 思わず滑らせた右手にことんと固い木の感触。その見慣れた禰豆子ちゃんの箱が目に入った瞬間、今までの出来事がまるで走馬灯のように脳内を巡った。
気絶してしまったんだ。何秒?何分?何時間?分からない。まだ皆戦っているっていうのに、炭治郎を置いて、私は…ッ!
「私、行かなきゃ!手当してもらったみたいでありがとうございます!」
「ちょっと、待ってッ!貴女、天元様と任務に同行した子でしょ!?手当っていっても気持ち程度の応急処置なの、そんな傷で加勢なんて無理だわ!」
「それに、貴女達には感謝しているの!だけど、それ以上に悪いことをしたと思ってる…だから…」そう目を伏せた女性はやはり苦しそうに肩を上下させ、隣の女性が涙目になりながらそれを支えた。 聞き覚えのある台詞に、私は漸くこのくノ一達が宇髄さんの奥さんなのだと理解する。無事だったのかと安堵すると同時に、私の決意もより強くなっていった。
藤の家で予め教えられていた奥さん達の特徴とよく当てはまる女性に向き直り、片膝をつく。
「雛鶴さん。合ってますか?」
「え?ええ、そうだけど…」
「私も雛鶴さんと同じ気持ちなんです。今にも倒れそうなくらい苦しそうなのに、引き返せと言われても引き返さなかったのは宇髄さんが大事な人だからですよね?だから私も、今は引けないんですよ」
「心配してくれてありがとうございます」そう頭を下げれば、やがて雛鶴さんが困ったように笑った。
「…分かったわ。そういうことなら、助太刀して欲しいのだけど協力してくれるかしら」
首を傾げる私に、雛鶴さんはあるものを取り出した。
***
血鬼術らしき血の斬撃と帯が入り乱れる花街。屋根から様子を伺えば、気絶している間に鬼はもう一体増えたらしく、堕鬼と二人で鬼殺隊を追い詰めていた。
よく見れば善逸と伊之助も、決して無事とは言えないが加勢しており、ほっと胸を撫で下ろす。とはいえ、余裕そうな鬼に対し鬼殺隊が息もきれぎれなのは火を見るよりも明らかだ。 三人がかりでも、柱の宇髄さんがいても、どうってことないとでも言うように鬼は飄々と手の鎌を振っていた。 あの鬼は一体どこから出てきたのだろう。気配が、圧倒的に堕鬼を上回っている。息を吸う度に喉が痺れるように痛い。 日輪刀を握る手に汗が滲む。隣で身を潜める雛鶴さんと目配せをした次の瞬間、屋根の上に躍り出た。
雛鶴さんの持つ武器から大量のクナイが鎌鬼目掛けて降り注いだ。突然の攻撃に斬撃で天蓋を作る鎌鬼の懐に宇髄さんが一気に突っ込んでいく。
「こんな大量の毒クナイを打ったら、鬼だけじゃなくて他の皆も刺さっちゃうんじゃ…」 「天元様が近くにいる瞬間を狙って打つの」 「それもそれで大丈夫なんですか!?」 「私達は忍だからね…」
そう自嘲した雛鶴さんの言葉は強ち間違いではなかった。大量に放ったクナイは鬼だけでなく、幾つも宇髄さんに刺さってしまっている。それでも、御構い無しに彼は鬼の元へ突っ込んでいった。 クナイには鬼用の毒が塗りたくられている。下弦の鬼ならば今頃身動きすら取れていないだろう。 鎌鬼の両足が斬られ、毒の効能で再生が遅れる。その瞬間を狙って炭治郎と宇髄さんが一斉に斬り込むが、毒が分解されたのか、すぐに両足を再生させると広範囲の血の斬撃で二人を弾き飛ばしてしまった。
「音の呼吸。肆ノ型――― ”響斬無間”!」
宇髄さんの二刀流が次々に爆発を生み、黒煙と砂塵が巻き上がって視界を遮られる。
「くそッ見えない、雛鶴さん!そこにいますか!」
返事の代わりに、纏わりつくような不快感に襲われた。込み上がる吐き気、臭い。そのどれもが、強力な鬼の接近を知らせるのに充分すぎる合図だった。 考えるよりも反射的に身体が飛び跳ねる。抜刀した刃は黒煙を裂き、現れた鬼の禍々しい鎌にぶつかった。
「……俺の妹を虐めた奴ってのはお前かああ。いいなあ綺麗な色の刀だなああ、お前ごと粉々に砕いて二度と人前を歩けなくなるようにしてやりてえなああ」
「ぐッ…」
「名字!」
「人の嫁庇って格好つけてなああいいなああッ!」
一撃が重い。日輪刀がガタガタ揺れる。このままじゃ、潰される!
そもそも、炭治郎ですら受け止めきれなかった鬼の攻撃を、更に力が劣る女の私が受けられるわけがないのだ。だから私は、戦い方を見付ける為に女性で柱まで登り詰めた甘露寺さんに教えを請うた。 彼女は生まれつき筋力が常人の八倍であるから、一般的な女性の筋力とは当てはまらない。本来ならそれを考慮して胡蝶さんにお願いするのが正しかったのかもしれないが、胡蝶さんはそもそもの戦闘スタイルが毒を使用するといった特殊なものだ。 自身の上背や戦い方を考察しても、甘露寺さんと近いものがあるような気がして私は彼女に頭を下げた。
”力をぶつけるんじゃなくて、柔軟に受け流す。押せないなら、引く”
女だからできないんじゃない。女だからこそ、炭治郎達とは違う戦い方をする。 刀ごと流れを下に引く!
行き止まりだった鎌鬼の全体重が前にずれると同時に、降ろした刀で切り上げた。
「よく生きてた名字ッ!お前に感謝する!」
鎌鬼が私の斬撃を避け一歩下がると、すかさず宇髄さんが背後から頸目掛けて二刀流を振り下ろした。頭部を挟むように炭治郎も日輪刀を伸ばすが、態勢を整えた鎌鬼に容易に受け止められてしまう。 ならばと私の刀で頸を突こうとすれば、ぐるんと一回転した頭部があらぬ方向から切っ先を噛んで止めてしまった。
「お前らが俺の頸を斬るなんて無理な話なんだよなぁあ」
本当に、鬼ってのは常軌を逸してる! 次第に衝撃波を纏い出す鎌。
「踏ん張れ!」
宇髄さんが叫んだ瞬間、屋根が蹴り壊された。咄嗟に身を引いて落下を防いだものの、血鬼術の衝撃波に巻き込まれたまま宇髄さんは鬼を連れて屋根から身を投げ出してしまった。
「宇髄さんッ!」
「危ねぇぞおおおお!」
「!?」
手を伸ばすのも虚しく、無数の帯の攻撃を避けながら突っ込んできた伊之助と善逸。炭治郎が雛鶴さんを抱え、間一髪の所で避けたが、堕鬼との戦いが目の前で繰り広げられてしまった。
「作戦変更を余儀なくされてるぜ!蚯蚓女に全然近付けねぇ!こっちを複数で蟷螂鬼はおっさんに頑張ってもらうしかねぇ!」
「鎌の男よりもまだこちらの方が弱い!まずこっちの頸を斬ろう、二人共まだ動けるか!」
伊之助と善逸で五分五分の戦闘。そこに私達が加わればあっという間に堕鬼一人の頸なら斬れるのかもしれない。だけど、宇髄さんは?一人で堕鬼を上回る鬼と対峙するの?
ふと、煉獄さんの最後の笑顔が脳裏に浮かんだ。無限列車の時だって、今と同じ展開だった。柱だからと、きっと大丈夫だと頼りきっていたら、煉獄さんは全てを守って亡くなってしまった。 自分が弱かったからだって分かってる。怖気付いて上弦に刀一つ振れなかったのも事実だ。でも今は違う。泣きたくなるような修行も耐えて、考えて、今やっと上弦と戦えている。もう悲しみに部屋に閉じこもるなんて、正しい人を失うなんてごめんだ。
「炭治郎は帯鬼に行って!私はまだ傷がマシだから宇髄さんに加勢するッ!」
「!…分かった、二手に別れよう!」
「私のことは気にしないで!身を隠すから、勝つことだけ考えて!」
雛鶴さんが軽々と屋根を飛び越えていくのを見送り、同時に一歩を踏み出す。炭治郎は伊之助と善逸の元へ。私は宇髄さんの元へそれぞれ走り出した。
瓦礫の山と成り果てた建物の向かい側では、鎌鬼と宇髄さんが攻防戦を繰り広げていた。 二刀流を降る度に切っ先が爆ぜて視界が悪い。よく見れば、宇髄さんの露出した肌は所々変色しており、以前同じ症状で死にかけた身としては一目でそれが毒だと分かった。 いくら忍に耐性があるとはいえ人間なのだから限度がある。
「氷の呼吸。弐ノ型―――”氷麗の舞”!」
鎌鬼を挟むように背後に飛び、連続の突きを繰り出す。
「いいとこなんだから邪魔すんなよなぁあ!」
私の存在にとっくに気付いていたのだろう。軽々と鎌で突きを弾かれる。 しかし、私の突きは威力こそはないがその分速さと数で凌ぐことができる。数が多ければ凌ぐのにも神経を張り巡らせなければならない。故に宇髄さんが反撃する猶予は幾らでもうまれる。
「いいか名字!こいつらを倒すには二人同時に頸を斬らなきゃならねぇ!」
「!…帯鬼が消滅しないのはそういうことですか!」
「だからなぁ斬れるわけねぇんだってなぁああ」
「俺の優秀な継子四人はてめーらなんかに負けたりしねぇんだよ!そうだろ!」
「充分な働きをするって、話でしたからねッ!」
二対一で互角の戦い。宇髄さんの波長を読んで動きを合わせ、呼吸を途絶えることなく何度も何度も型をぶつけていく。 止まない反撃に鎌鬼が気怠そうに舌打ちした。表情が変わった、効いている!
「音の呼吸―――― ッ!?」
その時、宇髄さんの動きが不自然に止まった。
「ひひっやっぱり効いてるんじゃねぇか俺の毒」
肉の斬れる音と目の前で飛散する赤黒い液体。視界の端で、鈍い音を立てて地に落ちた何かが私の足元まで転がってくるのが映った。
「――――ッ」
それが片腕だと理解するのと、宇髄さんが地に伏すのは何方が先だったろうか。 頭の奥が急速に冷えていく。片腕を失った剣士がどうなるかなんて考えるまでもないことだった。人間が腕を失えば、愛する人だって抱きしめられないというのに。 歯が忙しなく鳴って、不思議と胃の腑は煮え繰り返るように熱くなった。ニヒルに笑う目の前の鬼。身体中が沸騰してめちゃくちゃな感情がごった返す。
「なんだあ?お前のそれ。顔に…」
「それ以上喋るなッ!」
一歩踏み出した歩幅は思った以上に大きかった。何でだろう、足取りがこんなに軽かったのは初めてだ。刀をこんなに軽いと思ったのは、生まれて初めてだ。 鎌鬼に喋る暇すら与えない剣戟。彼方が鎌を降るより先に身体をしならせ、受けた力は流す。もっともっと心臓に酸素を送って、素早さを武器に斬り込んでいく。
「助けて、お兄ちゃぁあんんッ!!」
刹那、鼓膜を揺らすような堕鬼の喚き声が響き渡る。その瞬間、目の前にいた鎌鬼が此方を一瞥することもなく屋根の上を走り抜けていた。
「な、待てッ!逃げるな!」
「逃げてんじゃないんだよなぁああ!」
鬼の脚力にはどう足掻いたって人間には勝てない要素がある。それでも走る。追い掛けながら鎌鬼の目線の先を追えば、そこには激走する伊之助に頭部を抱えられた堕鬼がいた。鎌を振り上げる鬼。 だめだ、間に合わないッ、刀じゃ届かない!
「避けて、伊之助ぇえッ!!」
「ッ!?」
伊之助の胸部を貫いた鎌。炭治郎の叫び声がやけに遠く聞こえた気がした。
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