39.約束と使命




「遅いぜ!!」

 再び荻本屋に戻り、炭治郎からの連絡を待つこと数刻。遂に我慢の限界を超えた伊之助が絶叫した。

「もう日が暮れるのに来やしねぇぜ!惣一郎の馬鹿野郎が!」

「炭治郎ね。でも確かにちょっと遅いかもしれない。善逸のこともあったし、そろそろ動こう」

「行くぜ!猪突猛進をこの胸に!」

 ぐっと体勢を低くした伊之助。あろうことか、そのまま飛び上がった彼は勢いよく頭から天井を突き破ってしまった。
 目を丸くするのも束の間、上から「鼠共!刀だ!」と叫ぶのが聞こえて、慌てて私も宇髄さんの使いである忍獣、通称ムキムキねずみを呼び出した。
 
「どうもありがとう」

 掌程の大きさのねずみ二匹は、私の日輪刀と隊服を床に置くなり自身の見事な筋肉を見せ付けるようにして颯爽と去って行ってしまった。
 今では見慣れてしまったが、初めてこの奇妙な生物を目にした時は二度見ではすまなかったものだ。それもその筈、筋骨隆々で二足歩行のねずみなどそこらへんにいてはたまったもんじゃない。
 
 すぐに窮屈な着物を脱ぎ捨て、普段通りの格好に着替える。一瞬髪も解いてしまおうかと思ったが、これはこれで楽なのでそのままにしておくことにした。

「鬼の通路、感じるぜ!猪突猛進ッ!」

「うわわわ、楼主様申し訳ないです!」

 速攻着替えるなりそこら中の壁や床を破壊し始めた伊之助。仕方ないとはいえ、通りすがりの女性達が化け物でも見たかのように悲鳴をあげるので、若干心が痛い。

 鋭い触覚を利用して屋内を破壊していくと、床板の下に子供一人入れそうな穴があるのを発見した。あまりにも小さすぎるそれに、鬼は子供なのかという考えが過ぎったが、血鬼術でどうとでもできる生体だったのを思い出す。

「グワハハハ!見つけたぞ鬼の巣に通じる穴を!ビリビリ感じるぜ鬼の気配!覚悟しやがれ!」

「ちょっと、何を…」

 引き止めようとするも間に合わず、またしても頭から突っ込んでいった伊之助。当然に頭しか入らないのだが、起き上がった彼は何でもないとでも言うように高らかに笑った。楽しんでいる所悪いが、何がそんなに面白いのか全く謎だ。

「私達がこの穴に入るのは無理があるよ。入れたとしても、土竜の穴みたいにずっと地下に続いてるんでしょ?別の方法を考えよう」

「甘いんだよ…この伊之助様には通用しねぇ。そこで指咥えて見てな!」

 そう言って伊之助は両腕を上げると、不自然に揺らし始めた。身体が柔らかいのは知っているけれど、それでどうするつもりなんだろう。
 不思議に見ていれば、次第にゴキゴキと鳴り始める関節。そこで私は、この男が人間であっても”普通の”人間ではなかったことを思い出したのである。

 身体中の関節を外し、力を失った四肢がだらりと垂れると、伊之助は今度は足から穴に入った。唖然とそれを見下ろしていると、気付けばあっという間に肩まで潜ってしまっていたので慌てて猪頭を掴んで止める。

「何だよ、早く行こうぜ」

「皆が伊之助みたいに超人技できると思わないでくださいッ!」

「もしかしてお前、関節外せねぇのか?」

「逆に何で外せると思ったの!?じゃなくて……ご覧の通り私は穴に入ることができないの。つまりは、これから別行動よ」

「……」

 私の言葉で漸く意味を理解したのか、あれだけ高慢だった態度が途端に静かになった伊之助。感情の読み取れない猪頭で見つめられて居た堪れない気持ちになるが、こればかりは物理的に無理なので仕方がない。
 騒ぎを聞いた女性達の悲鳴が募る。これ以上この場にいたら彼女達にトラウマでも与えてしまいそうだ。だから別れる前に一言だけ。
 土竜のように飛び出た頭を両手で挟んで、しっかり目を合わせる。宇髄さんの様子を見る限り、きっとこの任務は無傷では終わらないだろう。いつ何が起きるか分からない戦場だ。煉獄さんのように、当たり前にいた人が明日にはいないかもしれない。だから、

「絶対、無事でいて。死なないって約束して」

「…」

「じゃないと伊之助のものになってやんない」

「…ふん!俺の台詞を勝手に奪ってんじゃねぇ。そっくりそのまま返してやる!」

「当然」

 最後に一度視線を見交わして、伊之助は穴の奥に潜っていってしまった。

「さて、炭治郎を探しに行きますか」

 立ち上がり、青ざめた女性達にお辞儀をしてから走り出した。任務の為とはいえ、お世話になったのは事実だ。余計に怖がらせているのを見る限り伝わっているかは謎だけど。

 廊下を駆け抜け、往来に面した部屋の窓から屋根の上へ飛び上がる。目指すは向かって北側。炭治郎がいるときと屋だ。

 高い所にいれば必ず異変に気付ける。その考えは間違っていなかったようで、瓦屋根を走り抜けていれば次第に通りに二つの人影を見付けることができた。
 あれは…炭治郎と、鬼だ。
 人気の無い通りのど真ん中では、既に熾烈な戦いが繰り広げられていた。炭治郎と一回り大きな鬼の影。しかし、それは腰から無数に伸びた帯であり、本体は私達人間と大差ない女の鬼なのが見える。
 至る所では建物がまるで砲丸でも撃ち込まれたかのように潰れ、破壊されてしまっていた。目を凝らせば鋭い切り傷まで刻まれていて、この鬼が如何に広範囲に攻撃を仕掛けていることが分かる。

 強力な鬼の一撃。たったの一振りで、受け止め切れなかった炭治郎が長屋一つ分吹き飛ばされた。迅速な動きで距離を詰める女鬼。
 ――――駆け抜けながら、鯉口を切る。金属の冷たい音がやけに大きく聞こえた。
 
「氷の呼吸。伍ノ型――――”枝垂れ氷華”」

 崩れた炭治郎に届く前に、鬼の背中目掛けて屋根を蹴った。禍々しい空気ごと叩き割るように、呼吸で強化した脚力が一気に距離を縮める。
 刃が頸に届くその瞬間、目の前に生き物のように現れた帯が代りに縦に切り裂かれていった。
 私の存在が気付かれている。そう判断して、くるりと後ろに身を翻す。

「…少なくともアンタ達塵虫は三人以上いるってわけね…しかも何これ。斬撃受けたとこ、熱いの?冷たいの?」

 振り返った鬼が妖艶に笑う。まるで花魁のように美しい鬼だった。いや、そもそもその花魁の正体が鬼だったのだ。位が高ければ、例え店主だろうが客だろうがどうとだって誤魔化せる。この花街は、彼女にとって絶好の餌場だったに違いない。
 鬼の背後で炭治郎が尚も荒い呼吸を繰り返している。立ち直れる瞬間は本人にしか分からない。ならばその瞬間まで時間を稼ぐのは私の仕事だ。

「氷の呼吸。弐ノ型―――”細雪”!」

 四方八方から目に見えぬ斬撃の嵐。”堕鬼”は一瞬驚いた素振りを見せたが、すぐに涼しげに笑うと帯を振り回して弾き返してきた。
 帯はまるで強靭な刃だ。日輪刀が弾かれる度に、金属にでも打ち付けたような痺れが両手を襲う。堕鬼に間合いを詰められ、形のいい両眼が私の視線を捉えた。
 あぁ、それもそうだ。くっきりと浮かぶ”上弦”の文字に、妙に頭の中は冷静だった。
 
 頭部を貫かんと飛んできた帯を陸の型、”氷霧極光”で回避する。陸の型は炭治郎の日の呼吸から閃きを得た型だ。日の呼吸は全ての呼吸の根幹でもあるから、言い方を変えれば物真似に過ぎない。
 速度と回避により生まれる残像は視覚の優れた者にこそ有効だ。この鬼はどんなに速い斬撃も読み取ってしまうから、些細な残像も捉えてしまう。

「ちょこまかと面倒臭い芸ばっかりね!さっさと殺してあげるわ」

「!」

 対峙した堕鬼が間合いを詰めた瞬間、燃え盛る紅が視界に広がった。黒曜石の刃が空気を切り裂いていく。

「炭治郎!」

「時間を稼いでくれたおかげで助かった!ありがとう!」

「思ったよりしぶといのね。ふふッ、二人がかりだろうが関係ないわ。不細工は頑張っても不細工なのよ」

 その言葉を皮切りに、急速に何かが近付いてくる気配。遠くから同じ柄の帯が高速で飛んでくると、元の居場所に帰るように堕鬼の身体に吸い込まれていった。
 この気配は伊之助と遭遇した鬼のものだ。鬼は複数なんじゃなくて、堕鬼が分裂したものだったのか。
 吸収を阻止しようと炭治郎が斬撃を繰り出すが、先程までとは比にならない速さで避けられた。姿が消えたと錯覚してしまう程に、明らかに身体能力が上がっている。

「やっぱり柱ね…柱が来てたのね、良かった。あの方に喜んで戴けるわ…」

 堕鬼の黒く、艶やかな髪が滲むように白く染まっていく。離れているのに、肌に触れる空気は痛い。
 ――― 倒せる?違う、倒せるか倒せないかじゃない。倒すしかないんだ。全力で。




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