38.花の街




 禿は精々十歳前後。疑うことを知らない少女達だ。最初からこうしていれば事はもっと早く進んでいたかもしれないが、過ぎたことを後悔したって仕方がない。
 早速二人に教えられた通りに廊下を進み、まきをさんが閉じこもっているという部屋の近くに辿り着いた。角を曲がってすぐという所で伊之助に制止の合図をかけられる。

 私は同期達のように優れた潜在能力なんて持っていないが、鬼狩りとしての経験のおかげか、まきをさんの部屋からは不吉な雰囲気が滲み出ているのを感じた。
 果たしてその原因が鬼なのか、そうでないかは定かではないが、触覚が優れている伊之助が隣で敏感に気配を感じ取っている辺り、中で何かが起きているのは間違いないだろう。

 阿吽の呼吸で襖を勢いよく開ければ、切るような風が髪を攫っていった。しかし、どの窓も開いていない。それ所か部屋中が鋭い刃で切り裂かれたように荒れており、もぬけの殻だ。
 確かに感じる。この纏わりつくような気持ち悪さは、間違いなく遊郭の鬼だ。

「天井裏だ!」

「おいコラバレてんぞ!」

 伊之助がまきをのご飯となる予定だったうどんをひっ掴み、天井目掛けて投げつける。鈍い音を立てて呆気なく床に散らばれば、途端に静かだった天井裏が激しく軋み、鬼が脱兎の如く逃げ出す音が響いた。

「逃がさねぇぞ!」

 兎すら観念してしまいそうな逃げ足に、女らしくだとか声を出すなとかいう約束は無残にも破り捨てられた。遠慮なく廊下を激走する私達に、すれ違う女性達は目玉がまろび出てしまっていたがこの機会を逃す訳にはいかない。

「出てきたら引き摺り出せ!」

「分かった!」

 逃げるのは上か下か。どちらにせよ移動するには壁を伝う瞬間がある。その隙を狙って壁を破れば嫌でも姿を表す筈だ。そして鬼の移動を察知できるのは伊之助しかいない。
 作戦を瞬時に頭で理解し、拳を振り上げた伊之助の背後に続く。しかし、良からぬ邪魔が入ることとなってしまった。

「おおっ可愛いのがいるじゃないか!」

 止まることを知らない拳は見事に角から姿を現した男の顔面に吸い込まれていった。そのまま勢いで壁に男を叩き付ければ、左右で遊女が「殴っちゃった!?」と悲鳴をあげた。

「どいつもこいつも部屋から出て徘徊してんじゃないわよ!?」

 なんて邪魔をしてくれたんだ。おかげでどこに行ったのか全く分からない。

「クソッ!こっちだ!」

 こっち、いやこっちかも。そんなやりとりをしながら気付けば鬼ごっこは不毛な争いとなっていた。気が逸れた一瞬で気配を消してしまった鬼は最早捜索不可能。

「見失ったぁああクソッタレェェ!」

 悔しさで悪態を吐く伊之助の気持ちは私も同じだ。あの時捕まえていれば状況は一変していただろう。またしても、過ぎてしまった事はどうしようもないのだけれど。



***



 実体を確認する事はできなかったが、少なくとも荻本屋に鬼が潜んでいたという情報を得ることができた。一先ずそれだけでも宇髄さんに報告しようと私達は約束の場所で待ち合わせた。

「だーかーらー俺達んとこに鬼がいんだよ!こういう奴がいるんだってこういうのが!」

「いや…うん。それはあの、ちょっと待ってくれ」

「これか!?これなら分かるか!?お前には伝わってるよな!?」

「うーーん。そんな感じかも…?」

 集合場所である楼の屋根の上で、伊之助は全身を使って炭次郎に先程の鬼の見た目を説明していた。正直一緒にいた私ですらそのワキワキさせた両手はピンときていないけど、伊之助がそうだと言うならそうだったのかもしれない。
 「そろそろ宇髄さんと善逸が定期連絡にくるから…」と必死な伊之助を止めようとするものの、その勢いは止まらない。尚も駄駄を捏ねる様子を真摯に受け止める姿勢は流石長男といった感じだ。

「善逸は来ない」

「!?」

 いつの間にそこにいたのか。音も気配も風の揺らぎすら感じさせず現れた宇髄さんはいつもの様子から一変し、真剣な顔つきで花街を俯瞰していた。

「善逸が来ないってどういうことですか?」

「まさか、何かあったんですか!」

「お前達には悪いことをしたと思っている」

 どの質問にも答えることなく、宇髄さんは続ける。その横顔は”柱”そのものだ。

「俺は嫁を助けたいが為にいくつもの判断を間違えた。善逸は今行方知れずだ。昨夜から連絡が途絶えている。お前らはもうここから出ろ」

 私達の階級が低すぎること。ここの鬼が上弦だった場合対処できないこと。後は一人で任務を行うことを告げ、宇髄さんは立ち上がった。とっさに炭治郎が反論しようとしたが、賺さず悟すように受け流されてしまった。

「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」

 それだけ言い残すと、宇髄さんは音もなく姿を消してしまった。
 その場に重い空気が流れる。確かに下級の隊員は足手まといになってしまうかもしれないが、一人よりはマシだと思いたい。その考えでは、甘すぎるのだろうか。

「俺達が一番下の階級だから信用してもらえなかったのかな…」

 炭治郎が誰よりも努力家で、その実力が実際の階級以上である事はよく知っている。それだけに、相手にすらされなかったのは悔しかったに違いない。柱の言葉にも一理ある為、今何が最善の行動なのか分からなくなってしまう。

「ちなみに俺達の階級”庚”だぞ。もう上がってる。下から四番目」

「え?」

 あっさりと言ってのけた伊之助に私と炭治郎が同時に声をあげた。

「階級を示せ」

 そう言って伊之助が拳を握り締めれば、手の甲に庚の文字が浮かび上がってきた。この不思議な技術は鬼殺隊の印らしいが、初見である私と炭治郎は目が点だ。
 「藤の山で手ェこちょこちょされただろ?」と呆れたように言う伊之助。確かに炭治郎と帰り際にされた記憶はあるが、そういう為のものだって全く理解していなかった。二人して落ち込めば、伊之助が背中をペムペム叩いて慰めてくれる。

 つくづく伊之助の意外な一面に驚かされる日々が続いて、案外私は彼のこと何も知らなかったんだなと実感すると、余計に気持ちが沈んだ。こんな状態で良く好意を抱いたものだと自分自身に呆れてしまう。
 そんなことを露知らず、すっかり立ち直った炭治郎と伊之助は不思議そうに私を見下ろしている。どうやら余程ショックだったと思われているらしい。

 とにかく今は切り替えないと。任務に私情を挟むなんて以ての外だ。

「夜になったらすぐに二人のいる荻本屋へ行く。それまで待っててくれ、迂闊に動くのは危ない。今日で俺のいる店も調べ終わるから」

「何でだよ!?俺のとこに鬼がいるって言ってんだから今から来いっつーの!頭悪ィなテメーはほんとに!」

「叩かないの伊之助。炭次郎も何か考えがあるんでしょ?」

「あーん!?」

「イタタちょっ…建物の中に通路があるんじゃないかと思うんだよ」

 炭治郎の発言に伊之助が漸く叩くのをやめる。炭治郎の考察はこうだ。夜は宇髄さんが外を見張っているのにも関わらず姿は見えなかった。それに加えて建物内にいた善逸が姿を消している。ならば、鬼は中で働いている者の可能性が高い。
 鬼が巧妙に人間のふりをしていればしている程、バレないように殺人には慎重になる。夜は仕事をしていないと不審に思われるし、これだけ人間関係がはっきりしている社会だと行動も徹底している筈だ。

「俺は、善逸も宇髄さんの奥さん達も皆生きてると思う。そのつもりで行動する。必ず助け出す。二人にもそのつもりで行動して欲しいし、絶対に死なないで欲しい」

 「それでいいか?」と念を押す炭治郎に、三人の視線が交じり合う。その一瞬で互いの意識が同調するような、一体感に陥ったような感覚は、二つ返事で頷くのに充分すぎる理由だ。




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