2.食




 お祖母様の形見である白の日輪刀を持って私は当てもなく旅に出た。お祖母様をあんな風にした鬼が絶対にいる筈だと、根拠のない勘でただひたすら歩いた。これからどうすればいいのかなんて、半ば放心した頭じゃまともな考えが思い付かなったのだ。
 そうしてあの日から一ヶ月程たったらしい。というのも、自分自身がどうやって過ごしてきて今に至るのか、あまり覚えていない。記憶から一部だけ抜き取られたかのように綺麗に失っているのだ。それとももしかしたら何もしていなかったのかも知れない。ただ右手で刀を振った感触だけが離れず、毎日トラウマが私を蝕んでいった。

「こんな時でもお腹は空くんだから困るよねぇ…」

 ぐぅと鳴く腹を撫で項垂れる。どれだけ心が辛くても、身体というのは正直なものだ。そういえば最後に食事をしたのはいつだったか。暫くは何を口にしても戻してしまうし、食欲すら湧かなかった。そりゃこれだけ放ったらかしにしていればお腹も空く筈だ。しかしそんな都合よく食べ物を持っている筈もなく、何なら手に入れる元気すらない。

  あれ…これ私もしかして思ったよりやばい状態?

 よく見たら前より手足は細いし、手鏡で覗き込んだ顔は酷くやつれている。意識した途端、目眩がして段々と世界が遠くなっていく。やばい、倒れる。
 そう思って受け身を取ろうとしたが、それよりも早く背中が何かに当たって支えられた。

「よかった間に合って…あの、大丈夫?」

「へ…」

 暫く喋っていなかったせいか口が上手く回らず間抜けな声が漏れる。振り返れば、赤みがかった髪と目を持ったボロボロの男の子が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「お腹空いてるのか?こんなにやつれて…立てるか?」

「どちらかというと君の方が中々の怪我で心配なんだけど…」

「あ、俺は鍛錬の途中なだけだから」

 そう言うと男の子は何の躊躇もなく私を背負いあげるとすたすたと歩き始めた。突然のことに慌てふためく私のことなどガン無視で、男の子は「俺は竈門炭治郎だ!」と名乗った。

「私は名字名無し…じゃなくて!あの、私なら平気だから、」

「今にも倒れそうだったじゃないか。足も怪我しているみたいだし、それにそんな悲しい匂いをしている人をほっとけない」

 悲しい匂い?言葉に詰まる私などお構いなく、竈門炭治郎と名乗った男の子は「近くに俺がお世話になっている人の家があるから」と歩みを止めない。
 きっと根っこから優しい人なのだろう。見知らぬ人に迷いなく手を差し伸べられる人は中々いないものだ。しかも貴重な鍛錬の時間を切り上げてまでこの人は私を助けようとしている。
 もはや抵抗する気も起きなくて、私はされるがままに運ばれていった。よっぽど疲弊していたらしく、心地良い揺れは眠気を誘った。


***



「目が覚めたか」

 視界に天狗が移る。僅かに覗く人間の耳と声から、それがお面をつけた老人だと理解するまでそう時間はかからなかった。
重い上半身をのそりと持ち上げ辺りを見渡してみると、炭治郎の姿は見当たらない。すると天狗の老人は「腹が減っているのだろう、食え」と湯気の立つお粥を差し出してきた。その美味しそうな香りに堪らず一口。久方ぶりの米はじわりと胃に沁みる。

「儂は鱗滝左近次だ。道端で倒れそうになっていたお前を炭治郎が拾ってきた」

「私は名字名無しと言います。助けていただいた上に、食べるものまで…本当にありがとうございます」

「構わん。それより…女子一人がそんな状態になるまで出歩いて、一体何をしている」

 顔は見えなくても、威厳のある雰囲気に後ろめたくなってつい口籠る。一度に色んなことが起きすぎて何て説明すればいいのか。すると老人は何かを察したかのように押し黙ったかと思いきや、私の腰の日輪刀を見た途端「お前、その刀はッ…」と驚きの色を見せた。
 何か変だっただろうか。確かにこの日輪刀は珍しい見た目をしているけど、それで私の何倍も生きているこの老人が驚くとは思えない。

「これは私の祖母の形見ですが…どうかしましたか?」

「祖母…そうか、お前、名字の孫か。どうりで同じ匂いがする」

「ど、どうしてお祖母様のことを」

「…古い付き合いだ。ずっと昔のな」

 「奴は元気にしているか」そうお祖母様の容態を気遣う言葉に、変わり果てた姿のお祖母様の姿がフラッシュバックした。まるで昨日のことのように鮮明と、揺れる真っ赤な瞳が焼き付いて離れない。
 
  この人の友人を、自身の家族を、私が斬った。私が殺した。

 心臓が一際大きく鳴る。目の前が真っ暗になって呼吸が荒くなるけど、止める術が分からない。焦った様子の鱗滝さんが側へ駆け寄って「深呼吸しろ!」と背中を大きく撫でてくれる。
 その優しい手に今まで押し込めていた感情が溢れて、涙と言葉が勝手に溢れてくる。突然鬼に襲われた事。留守にしている間に何者かによって祖母が鬼になっていた事。そのまま祖母の頸を斬った事。鱗滝さんは、そんな私の懺悔のような言葉を何も言わずにただ黙って聞いていた。

「ごめんなさい…私が、私があの時側にいれば、強ければこんなことにはならなかったのに。ごめんなさい」

「謝るな。お前はできることをやった、きっと奴もお前を誇りに思っている」

「でもッ」

「人を鬼に変えられる者はこの世にただ一人のみだ。今から千年以上前、一番初めに鬼になった者、”鬼舞辻 無惨”」

 「それがお前の仇の名だ」と言った。私が復讐すべき鬼の名。初めて聞く名前だったけど、怒りと憎悪が湧き上がるのが分かる。迷いなんてなかった。私はその男を探して、必ず復讐を果たすと誓ったのだ。握りしめる拳に鱗滝さんは深いため息をつくと、ある方へ目をやった。釣られると、そこで私は初めて自分達二人以外にもう一人誰かがいる事に気付いた。布団の中で眠る、口枷をしていても分かる程端正な顔立ちをした少女。何も根拠はなかったけど、彼女は鬼だと分かった。
 湖で襲われて以来、やたらと鬼に敏感になった気がする。もちろんどれも根拠のない本能と持ち前の勘による感覚だが、私はそれを信じて疑わなかった。

 鱗滝さん曰く、彼女は炭治郎の妹だと言う。鬼舞辻無惨によって鬼にされた一人。しかし、人間は襲わず、他と違う特殊な鬼だと判断した為、こうして保護していると教えてくれた。炭治郎という男の子も私と同じ被害にあっている。けどどうしてか、真逆にも見えた。もしかしたら何か方法があったかもしれない、殺すこともなかったかもしれない。そう突きつけられているようで、より一層悔しい。

「儂は名字と同じく育手だ。今は炭治郎だけを育てていたが、お前さえ良ければここにいてもいい。放っておくとそのまま餓死しそうだからな」

「私、強くなりたいんです、私にも稽古をつけてください。お願いします」

「お前がやってきたであろう鍛錬と儂のとは流派が違ってくる。儂は生半可な覚悟で教えはしない。それに、何も知らずに普通の女子として生きたって誰もお前を責めん」

「それでも!私は…鬼殺隊の剣士になりたい。お願いします!」

「…本気で言っているのか」

 怒ったような低い声。
 分かっている、それが簡単なことじゃないくらい。あの時生き延びられたのは偶然かもしれない、もっと強くて恐ろしい鬼だっていくらでもいるに違いない。そんな相手と戦う世界はきっといつ死んだっておかしくはない。それでもやらなきゃいけない気がした。
 そういえばお祖母様も私が鬼を狩る存在になるのは嫌がっていたなぁ何てふと思い出す。またじわりと涙が滲みそうになったけど、今度はグッと堪えた。すると鱗滝さんは二度目の深いため息を溢した。

「お前は時折、無意識に”全集中の呼吸”を行っている」

「全集中の呼吸、ですか?」

「人間が鬼と対等に戦う為に必要な技術だ。地道な訓練で会得するものだが、お前はそれを既にやって見せている。剣士になる素質がないとは言えない程にな」

 生まれた時からお祖母様に鍛えられてきた。一体何をさせられているのか理解していなかったけど、ちゃんと意味のある鍛錬だったのだと今初めて分かる。そういえば湖の時のあの感覚も、全集中の呼吸のおかげだと考えれば鬼を倒せたのも納得ができた。

「鬼殺隊に入る為には最終選別という試験を突破せねばならない。その資格があるかどうか、まずは炭治郎と共にある試練をこなせたらそれを許す」

「…分かりました」

 それ以上何も教えてくれそうにないのでおとなしく頷いた。炭治郎を初めて見た時、泥だらけでボロボロだった。それだけでどれだけ過酷な鍛錬をこなしているのか容易に想像できる。

  きっと私ならできる筈だ。お祖母様は見守ってくれている筈だから。

 鱗滝さんは「明日早朝に出かけるぞ」と言って寝る支度を始める。その背中を眺めながら、私は二杯目のお粥をゆっくりと飲み込んだ。




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