33.猪は理解する




 部屋がぐるぐる廻る訳分かんねぇ屋敷で雌の気配がした時、とにかく頭に浮かんだのは”踏み台にしてやろう”ってことだけだった。
 少し離れた距離にいても敏感に気配を感じ取るこの触覚。研ぎ澄まされた本能が、例え非力な雌であっても只者じゃないことを暗に俺に示していたからだ。


「いきなり何すんのよッ!君その格好は鬼殺隊の剣士だよね?相手、間違えてるから!」

「うるせェ雌が喚くな!」

「め、め…雌!?」
 
 興醒めしてしまいそうな程あっさりと俺に組み敷かれた癖に、全く怯む様子もなく強気に睨めつけてくる”鬼殺隊の女”。その佇まいが、形姿が、俺の想像していたものと遥かに違っていて、意図せず思考が停止してしまう。
 
 満月みたいな丸い目が。どうやって飯掻っ食らうんだって位小さい唇が。簡単に抱き潰せそうな華奢な身体が。そのどれもが俺が育ってきた野山の小動物を連想させるようだった。

 兎か?栗鼠か?それとも野良猫?ついそんなことまで考えてしまっていると、押さえられていた女はあろうことか自由の利く片足を俺の足に引っ掛けると、そのまま関節を捻るようにしてするりと拘束から逃れた。そのまま器用な体勢で横腹目掛けて蹴りを繰り出してくる。
 雌の癖に、おもしれェじゃねぇか。だが柔らかさなら俺の方が凄いぜ!
 すぐさま間合いをとって構える。改めて正面で向き合って見えた女の顔に、どうしてか心臓が掴まれたみたいに痛かった。鼓動が異様に速い。それもこれもこの女が狩りの獲物と似ているからだ。きっと、自身の闘争本能が刺激されているに違いない。

「…アハハハッ!いいねぇいいねぇ、雌のくせにいい動きだ!」

「隊士同士のやり合いはご法度だから!こんなことしてる場合じゃないでしょ!」

「うるせェ!さっさと刀を抜け!」

 そう自分に言い聞かせながら、俺は頑なに刀を抜かない女へ突進した。本の興味本位だったが、意外にもこの女は負けじと抵抗を見せてくる。その余裕そうな表情に、負けず嫌いの精神に火が付いた。
 何よりも強さを求める自分。強い奴を倒せば、必然的に自分は強くなったことになる。殺しはしなくとも、どうにかこの小動物を狩らなければ己の気が済まない。

 そうして最早勢いが頂点に達した時、女は刀を抜いたものの、あろうことか無様に背中を見せて逃亡しやがった。
 敵前逃亡など言語道断。ありえねぇ。怒りに怒鳴ってみたものの意にも介さず走り出した女に、俺はこれまでにない程の屈辱を味わされたのだ。
 
 正しく出会いは奇妙かつ最悪。しかも極め付けには強烈な突きまで顔面に喰らわされ、俺の中でのこの小動物の印象は紛れもなく”クソ女”だった。



 いつから俺はそう思わなくなったのか、正直自分でも分からない。クソ女から馬鹿女に昇格したんだ。親分の俺に感謝しろよと思った。
 散々飯を奪って、散々頭突きしたにも関わらず女は変わらずふにゃふにゃな顔を俺に向けてきたし、平気で触れてくる。普通なら殴ってでも止めさせるだろうに、どうしてか不快でない自分がいた。何なら、柔らかそうなその頬に触ってみたいとすら思う程に。

 それでもやっぱり、この女の言っていることが理解できない時は多い。

「じゃあお前が代わりに答えろ。何でババァは俺達の無事を祈るんだよ」

 慌てて後ろを追いかけようとする馬鹿女を逃すまいと手首を捕まえて、聞いてみる。紋次郎は難しいことをベラベラ喋っていたが、コイツならなんて言うのか純粋に気になったからだった。

「…大事に思ってくれているから?」

「大事大事ってお前はそればっかりだな!」

「だって、そうじゃない?伊之助は気に入っている人が怪我したり、嫌な思いしたりするの嫌じゃない?」

 ”気に入っている人”。そう分かりやすく例えられて、頭の中で今までの記憶がひっくり返った。アイツか?それともアイツ?次々と浮かび上がってくる人の顔に、気付けば馬鹿女の顔が最後に頭の中に浮かんでいた。
 何で、ここで馬鹿女が出てくんだよ。意味分かんねェ。
 内心で愚痴をこぼしながらも試しに馬鹿女が怪我をした瞬間を想像してみた。何となく、本当に何となく嫌な気持ちになった。馬鹿女の話に当ててみると、つまり、気に入ってる奴が俺にとって大事と言うことになる。
 ハァ?アイツの大事な飯だって俺は簡単に奪えんだぞ。そう結論付けて、らしくもない思考の海から抜け出した。

「まだ初めて会った頃からそんなに経ってないけど、私は伊之助に無事でいて欲しいよ。同じ鬼殺隊として、伊之助の友達としてね」

「難しい」

 けど、悪い気はしなかった。


***




「伊之助!」

 朦朧としていた意識の先で、懐かしい女の声が聞こえてきた。さっきから縛られている俺の周りをうろちょろしていた隠が「うわ、何だ君!?」「鬼殺隊員か?って…何なんだ君のその姿は!?重症じゃないか!」と焦り出して、ハッキリとしない頭が何の話だ?と霧を払っていく。
 
「毒にやられたのか!?」

「伊之助」

 地面を映したままの視界にふと、血塗れの両足が覗いた。顔を見たいのに、クソデカ鬼に首をやられた所為で思い通りにいかないのがもどかしかった。
毛皮越しに弱々しい手が頬に触れる。自分のものとは明らかに違う血の匂いに、堪らず痛む首を持ち上げた。

「…お前、馬鹿女か?」

 喉が痛ェ。それでも、確認せずにはいられない程目の前の女の風貌は酷い有様だった。「こんな時までそう呼ぶ?」なんて言いながら、人間の色じゃねぇだろって顔色で、何で立ってんだよって位血を流しながら、笑っていた。
 その表情にふつふつと胃の腑から怒りが込み上げてくるのが分かった。何奴にやられたんだ。何でそんなボロボロにされてんだ。今すぐ怒鳴りつけてやりたいのに、縛られたまま何の力にもなってやれない自分に、守ってやれなかった自分にとんでもなく腹が立った。

「何でッ…お前、そんな顔で笑うんじゃねぇッ!」

 苦し紛れの叫びに思わず噎せると、馬鹿女が慌てて近付いてきた。そのまま、ぐらりと地面に手を付く。口を押さえていた手の端から真っ赤な鮮血が溢れて地面を汚して、喉が潰れようとも叫んだ。

「君!毒の症状が悪化している、このままだと死ぬぞ!」

「我々が蝶屋敷へ連れ帰る!とにかく、救護班を呼んでくるからここにいてくれ!」

 非力な俺はコイツを助けてやることもできない。無様に縄で縛られて、手すら伸ばせない。もう、誰に怒っているのかすら分からなかった。馬鹿女?自分自身?どっちもだろう。
 苦しそうに咳き込む女の頭上で、ふと、俺は山に入る前の会話を思い出した。

―――― だって、そうじゃない?伊之助は気に入っている人が怪我したり、嫌な思いしたりするの嫌じゃない?

 ああ、そうかよ。そう言うことかよ。確かにテメェの言う通りだ。今にも死にそうなお前を見て、俺はとんでもなく憤慨してる。
  ―――― こうなったら、もう認めるしかねぇだろ。

「伝令、伝令!カァア!炭治郎・禰豆子・名無し、三人ヲ拘束、本部ヘ連レ帰レ!」

「何の話だ?」

「炭治郎、額ニ傷アリ!竹ヲ噛ンダ鬼、禰豆子!黒髪ニ金ノ目ノ名無し!」

「金の目…君のことじゃないか!?」

「丁度いい、治療がてら拘束しておこう」

 させるかとばかりに一歩踏み出した馬鹿女に、まさかと嫌な予感が膨らむ。どうやら的確らしいその予感に俺は解ける筈もない縄を引き千切ろうと藻掻いた。半々羽織の野郎、キツく縛りやがって! 

「ごめん、伊之助」

「テメェふざけんじゃねぇ!そんな身体で、助けに行こうってのか!?そんな簡単に死のうとしてんじゃねぇよ!」

「おい、どこへ行こうとしている!?」

「ごめんなさい。大丈夫、私死なないから」

 「戻ってきやがれクソ女!」最後に喉を振り絞って出した叫びに、馬鹿女は一度も振り返ることなく去って行った。

 ふざけんなよ。お前は、俺が嫌な思いするのは嫌だって、そう言ってきたんじゃねぇのかよ。もう動けねぇだろそんな足で。もう刀なんざ振れねぇだろその腕で。何で、分かってる癖に簡単に死のうとしてやがる。
 腹が立つ。お前にも、俺自身にも。やっと気付いたんだ。お前が傷付いてんのは見たくねぇって、それなのに。偉そうに俺に説いてきたお前が真逆のことしてどうすんだよ。

 悔しかった。鬼に勝てなかった自分にも、自分よりも小せぇ女が目の前で苦しそうにしているのにも。

 だから次会った時には、アイツが何と言おうと俺の好きにさせてもらう。餅みたいな顔も伸ばしまくってやるからな。覚悟しやがれ。

―――― 俺は一度狙った獲物は絶対に、逃しはしねぇ。




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