32.5 猪は翻弄される




 多くの人で賑わう町に降りるのが億劫だと言うので、特に予定もなかった炭治郎は伊之助と目的地まで同行することになった(正しくは強制連行)。
 伊之助が仲間の名無しに口紅を贈りたいと言い出した時には流石の炭治郎もこれには唖然としたものの、友の願いを聞かない筈もなく、快く彼を町の露店まで案内したのである。

 心なしかビクついている伊之助を背に、炭治郎は発展した町中の雑踏を練り歩く。その往来に面した一箇所に、輝く小物を売る露店を見付けることができた。「いつまで歩かせんだ紋次郎!」と怒りそうになる伊之助を引っ張り、炭治郎は朗らかな笑顔を浮かべる年配の店主に声を掛けた。

「すみません。女性への贈り物を探しているのですが…」

「こりゃ、可愛らしいお客さんだ。うちは何でも揃ってるよ!ゆっくり見ていっておくれ」

「何だこれ。石か?」

「コラッッ!」

 上品な布の上に並べられた、所謂ブローチと呼ばれる西洋の飾り物を拾い上げる伊之助に炭治郎が目を吊り上げて怒る。誰彼かまわず失礼なことを言う性格は相変わらずである。そしてそれを制するのもいつしか炭治郎の仕事となっていた。
 長男という性質上扱いには慣れているものだが相手はそうもいかない。気を悪くしていないだろうかと店主に向き直ったが、特に気にした様子もない店主はニコニコと人の良い笑みを浮かべていて、炭治郎はほっと胸を撫で下ろした。

「贈るのは君かね?」

「ああ、いえ」

「俺だ!」

 バーンと効果音が付きそうな程勇しく名乗り上げた伊之助。腰に手を当て、何故か偉そうである。そんな大胆な客にも店主は相変わらず楽しそうに笑っている。
 買う物は既に決まっているものの、台の上には色とりどりの簪から女性の好みそうな手鏡まで様々なものが飾られていて目移りしてしまう。一つ、妹の禰豆子にも何か贈ってやろうかと考えていると、隣で伊之助が覚えたての口紅を目敏く見付けていた。朱色から橙、桃色まで広がる色味に混乱してしまっている。

「何だこれ…何が違ェんだ…」

「やっぱり、桃色じゃないか?可憐な感じで可愛らしいし、名無しも気に入ってくれるよ」

「アイツがそんなんつけたら余計桃みたいになんだろ」

「何の話だ??」

 伊之助にしか知り得ない話に今度は炭治郎がはてなを浮かべまくる。そうやって二人であーだこーだやっていると、店主が「恋人に?」と選ぶ手助けをしてくれた。当然、そんな関係ではないことを知っている炭治郎が説明しようと口を開こうとすると、それよりも先に伊之助が鼻息荒く叫んだ。

「なンっなんだテメェーらはァアア!!皆しておんなじこと言いやがって違ェっていってんだろーがぁあッ!ウガァアア!」

「うわぁあ!?やめろ伊之助いきなりどうしたんだ!」

「ほっほっほ」

 今にも殴りかかりそうな勢いの友を羽交い締めして必死に抑える。ここに来る数刻前、伊之助は善逸からしのぶにまで同じことを言われていたのを実はひっそりと気にしていたのである。
 故に、そんなこと知る由も無い炭治郎は突然怒り狂う友とどういう訳か楽しそうな店主に悉く困り果てた。

「まぁまぁ、とにかく。自分が贈りたい色を一つ選んでみたまえよ」

 そう告げられて、宥められた伊之助は気を取り直して視線を小物の上に落とす。炭治郎は桃色を推しているようだが、当の本人はそれとは真逆の色を手に取ってみた。
 艶々と美しい真紅の口紅だった。選んだ理由は単純。赤のが強そうだから。浪漫もへったくれもないが、理由はどうあれ本人に似合えば結果良しである。

「それにするのか?」

「こっちのが強そうだろ!」

 炭治郎はどこか不服そうだったが、伊之助が満足そうにしているのでまぁいいかと手元の口紅を見下ろした。ではこれでと勘定をお願いすると、「まいどあり!」と店主が答える。そしてどこかニヤニヤした表情で伊之助を手招いた。
 不服そうにしながらも素直に耳を寄せる伊之助。ゴニョゴニョとまるで内緒話でもするかのような姿勢に、その様子を間で見つめる炭治郎ははて、と首を傾げた。

「………」

「……ッ!!??」

「伊之助?」

 一体何を言われたのか、突如ガチンゴチンに固まった友。被り物で顔は見えなかったが、指先までほんのり赤く染まっている姿に炭治郎は酷く困惑した。
 店主は大層笑った後、「初々しいねぇ」とまるで孫でも見るかのような微笑みを零す。益々訳が分からない炭治郎は遂に疑問を口にした。

「あの、何を言ったんですか?」

「君も知りたいかね?ほら、耳を貸してみなさい」

 そそくさと耳を寄せる炭治郎。伊之助は相変わらず心ここに在らずと言った様子でボーッと空を眺めていた。それが余計に怖い。

「男性が女性に紅を贈る意味は――――


 ”貴方の唇に口付けたい”




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