27.怒り




 目が覚めた拍子に、伏せた睫毛の先から残っていた涙が頬を伝って落ちていった。
 視線を辺りに巡らせてみると、眠りにつく前の無限列車の車内に私はいた。床やら椅子の上やらに、無害な少年少女達が気絶している。その中にいた一人の女の子に何故か引っ掛かったが、こんな所に知り合いなんて入る訳ないかと頭を振った。
 車内では壁の至る所に肉片が脈打ちながら人間を取り込もうとしていた。それを一つ残らず斬って捨てていく。

 ―――― 私は今、非常に機嫌が悪い。糞のような夢を見せられ、知るべきではなかった感情に気付かされてしまったからだ。己で作り出した夢物語とはいえ、アレが私の求めていたものだというなら、甚だ笑える。腸が煮え繰り返るような気持ちで、吐き気すら感じた。

 汽車全体から禍々しい鬼の気配がする。それに、炭治郎達の姿も見えない。どうにか状況を判断しようと立ち上がったその時、前の車両から落雷のような音がした。
 一体何が、車両同士を繋ぐ扉に手をかけようとすると、私が動くよりも先にガラと扉が開き、中から凛々しい表情の煉獄さんが飛び出してきた。

「煉獄さん!?」

「目が覚めたか名字隊員!余裕はないので手短に話す!この汽車は八両編成だ、俺は後方五両を守る!残りの三両は黄色い少年と竈門妹が守る。君は更にその三両に注意を向けつつ、猪頭少年と竈門少年の後に続いて鬼の頸を探せ!」

「…分かりました!」

 一気に情報が溢れてこんがらがりそうになった。その一言一句を聞き逃さず、すかさず頭に叩き込んでいく。煉獄さんの話だとここは四両目くらいだろう。ならばこの先に進めば善逸と禰豆子ちゃんがいる筈。
 煉獄さんが背中を向けて、次の車両に飛ぼうとしたのですぐに私も移動しようと腰の刀を握る。一歩踏み出そうとした時、唐突に「名字隊員!」と呼び止められた。

「初めて君を見た時、俺は君から心の迷いを感じた」

「……」

「心の迷いは、いずれ剣の迷いとなる。だが!君は聡い子だ!臆するな、躊躇するな。己の両脚でしっかり立て!」

「煉獄さ、」

「また後で会おう!その時は、俺の継子になると良い!しっかり面倒を見てやる!」

 そう言い残して、煉獄さんは一度も振り返ることなく地を蹴って飛んだ。たった一度踏み込んだだけなのに、車両全体が重みでガクンと揺れる。思わず転びそうになったのを踏ん張って堪え、私は心の中で彼に感謝した。
 煉獄さんの言葉は力強くて、重くて、あたたかい。柱からしてみれば、私なんてそこら辺の一隊員な訳で、ちっぽけな存在だ。それなのに、あの人は一人一人と向き合っている。”私”を見てくれていた。今はそれが、堪らなく嬉しかった。

 柱の期待を裏切りたくない。固く心に誓いながら、前の車両へ移動する。既にそこでは善逸と禰豆子ちゃんが連携を取りながら車内の肉片を散らしていた。私に気付いた禰豆子ちゃんが駆け寄ってくる。

「ムーッ!」

「ごめんね、起きるのが遅くなっちゃった。禰豆子ちゃんが守ってくれたんだよね?ありがとう」

 嬉しそうに肯く頭を撫でてやり、ぐるりと見回す。善逸が一二三四五六、と壁を蹴って稲妻の如く肉片を一刀両断した。よくよく見てみると鼻提灯を出していて、寝ている。寝ながら、型を繰り出して…いる。唖然とその様子を見るが、すぐに頭を振って我に返る。

「私、先頭車両に向かう!ここは二人に任せても良いかな!」

「フガフガ…んがッ」

 聞こえているのか否や、寝息を漏らす善逸に禰豆子ちゃんが目を点にさせている。しかし、すぐに力強く頷いてくれたのが見えて、「お願いね」と言い残すと大きく息を吸って地を蹴った。
 前へ進むごとに鬼の気配が強くなってきている。どんな姿になっても鬼には絶対急所が存在する。恐らくだが、眠り鬼の急所は先頭車両だろう。突き進む侵入者を拒むように、そこら中に張り付いた肉片が人型の手を象って飛んできた。

「氷の呼吸。肆ノ型―――― ”氷麗の舞”」

 四肢を旋回させて、踊るように一刀両断していく。ボトボトと生々しい音を立てて崩れていく肉片。進めば進むほど、四方から伸びてくる醜怪な塊を片っ端から切り捨てていった。

「伊之助!伊之助どこだ!」

「うるせぇぶち殺すぞ!!」

 徐々に聞こえてきた怒鳴り声は炭治郎と伊之助のものだ。近くにいる。足元で蠢く塊の山を蹴り飛ばして車両を移動すると、私に気付いた炭治郎が前の方から振り返っているのが見えた。慌てて駆け寄ってくる姿が妹と同じで、頬が緩む。

「名無し!?良かった、無事だったんだな」

「ちょっと眠り過ぎちゃった。遅くなってごめん」

「酷い、夢を見たんだな…」

「え?」

「名無しの匂い、嵐みたいだ。凄く怒った匂いがする」

「……そんなこと言ったら、炭治郎だって酷い顔してるよ」

 隈が縁取られた双眼が苦しげに歪められた。炭治郎だって辛いでしょう。土足で入り込まれて、最低な方法で心を嬲って、踏み躙って、悲しいでしょう。どうしてこんな時にまで人の心配ができるの。炭治郎は、優しすぎるよ。
 薄っすらと涙の乾いた後をなぞって、市松模様をそっと抱きしめる。よしよしとあやすように背中を撫でれば、あまり慣れてないのか、照れ臭そうに、困ったように炭治郎が微笑んだ。

「鬼の急所は前方。石炭が積まれた辺りだ」

「うん」

「伊之助が先に向かってる。俺達も続こう!」

 私が前の、炭治郎が後ろから伸びた肉片を斬り伏せる。何方からともなく目配せをして、走り出した。
 同じ師の元で育ち、共に戦った私達は息がピッタリだった。鱗滝さんが、感心したように頷いていたのが懐かしい。
 同時にねじれ渦を繰り出す。二つの渦が、互いの僅かな螺旋の間を潜り抜けて車内の肉片を粉々にしていった。勢いが増していく肉片を背中合わせで斬り伏せ、駆けていく。先頭車両に辿り着いた時、大量の腕が伊之助を左右から押さえつけていたのが目に入った。

「水の呼吸。弐ノ型――― 水車!」

 炭治郎と声が重なる。身体を垂直に捻らせ、伊之助を押さえつけていた腕を左右から同時に斬り落とした。汽車の火夫らしき男が突然現れた私達に焦ったように「何なんだ君達は!?で、出て行け!」と叫んだ。
 普通の人間だ。では急所はどこだと視線を彷徨わせていると、下を向いていた炭治郎が「下から匂いがする」と困惑しながら顔を上げた。

「この真下が鬼の頸だ!伊之助、斬れるか!」

「命令すんじゃねぇ!親分は俺だ!」

「分かった!」

「よし。邪魔だ、下がってろ!」

 火夫の男を引っ張り、炭治郎となるべく隅へ下がる。伊之助は高く飛び上がると、鋸のような二刀流を交差させて分厚い床を切り裂いた。割れた地面から露わになった光景に、思わず目を瞠った。
 ―――― 頸の骨だ。切り裂かれた肉の間から覗く真っ白な骨は奇怪に脈打ち、蠢いている。汽車と一体化した巨大な鬼の頸の骨がそこに埋まっていた。「名無し!」その呼びかけに瞬時に意味を理解し、刀を振り上げた。

「水の呼吸。捌ノ型――― 滝壺!」

 炭治郎の漆黒の刃と、私の純白の刃が同時に頸目掛けて叩き付けられる。衝撃音と滝の音が鼓膜を揺らした。だけど、手応えがない。土埃が晴れると、そこには、急所を守るようにして山になった肉片が一刀両断されているだけだった。
 裂け目が再生し、塞がってしまう。いつの間にか増えていた肉片が先頭車両に広がり、四方から腕を伸ばしてきた。思わず舌打ちを零し、三人でそれを斬り伏せていく。肉の塊が邪魔をして骨を露出させることすら困難だ。

「呼吸を合わせて連撃するんだ!二人で肉を斬り、すかさず一人が骨を断とう!」

「分かった!」

「いい考えだ、褒めてやる!」

 「いくぞ!」という炭治郎の掛け声に合わせて刀を握り直した時だった。振り向きざまに、肉片から生えた無数の目玉と視線が重なる。
 ―――― 強制昏倒睡眠・眼。頭の中で囁くような声がした。

「夢の中で自分の首を斬れ!覚醒する!」

 遠くから炭治郎の声が聞こえて、ぐらりと身体が傾いた。




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