21.愛故に




 目が覚めた時には真っ白な部屋の寝台の上だった。胡蝶さんの屋敷である、蝶屋敷の病室だ。
 頭がぼーっとして瞼が重い。微かに視線をずらすと、左右の手首で別々の管が取り付けられていて、どうやら抗生剤と輸血のようだった。何でだろう、さっきまであんなに元気だった気がするのに。あぁ、それもこれも胡蝶さんの鎮痛剤のおかげなんだったか。あまりの効能につい元気になっていたと錯覚してしまっていた。

「ねぇこの薬すんごい苦いし辛いんだけど!これ三ヶ月も飲み続けるの?飲み忘れたらどうなるの!?ねぇ誰か教えてぇえええ!」

「静かになさってください!説明は何度もしましたでしょう!これ以上騒ぐようなら隣の方のお身体に障りますので病室を移動してもらいますよ!」

「それも嫌ダァああ!名無しはここに置いてくれよぉ頼むよぉお!」

 聞き慣れた汚い高音がして右を見る。やはり善逸だった。青い蝶の髪飾りで髪を二つに結んだ、アオイちゃんだったか。その子に叱られて震えながら布団にくるまっている。するとアオイちゃんの後ろから隠に背負われた炭治郎が「善逸!名無し!大丈夫か、怪我したのか!?山に入って来てくれたんだな」と泣きそうになりながら叫んだ。
 その声に蹲っていた善逸が叫び声をあげると、私と炭治郎を交互に見た途端ぶわっと滝のような涙を噴き出させて間に立っていた隠に抱きつく。鼻水がべっとりとついて、とんでもなく迷惑そうだ。

「うわぁああ聞いてくれよぉ臭い蜘蛛に刺されるし、毒ですっごい痛かったんだよぉお!さっきからあの女の子にガミガミ怒られるし、名無しは隣で顔面蒼白で死にかけてるし、本当に怖かったんだぁあ」

 うわぁああと泣き叫ぶ善逸に遠くでアオイちゃんがギロリと此方を睨みつけた。どうやら善逸はあの後山に入って来てくれたらしい。散々な目にあったみたいで、同じく毒にやられた後遺症として一時的に手足が短くなっていた。進行すると蜘蛛になってしまう毒らしく、同じ毒でもこうも症状が違うのかと内心驚く。どっちも嫌だけど、蜘蛛になるのは、何となくもっと嫌だ…。

「名無し!良かった、起きたんだな!柱合会議の時は、本当にごめん!俺、なんて言ったらいいか…」

「…た、…じ…」

「え…?」

 声が出なかった。炭治郎と呼びたいのに、謝られる権利なんて私にはないのに、どんなに喉を動かしても空気しか出てこない。困惑する私と炭治郎を見て、テキパキ作業していたアオイちゃんが「出ませんよ。喉が炎症を起こしていますから、無理に話そうとしないでください」とはっきりと言った。
 そういえば胃の中のものやら血やら何度も外に出していた。それに顔にまで毒が回っていたから、それのせいもあるのだろう。大人しく話すのをやめて、代わりに笑って見せた。きっと凄く不器用な、困った顔をしているんだろうけど、碌に動かせないので仕方なかった。炭治郎がぐしゃりと顔を歪める。
 きっと彼が問題なくここにいるということは禰豆子ちゃんとの件は不問になったのだと思う。お館様自体が炭治郎達の味方をしていたし、禰豆子ちゃんが人を喰わないことも証明された。だからどうか、もう泣かないで欲しい。そんな意を込めて彼を見据えた。

「そうだ、伊之助!伊之助はどこにいるんだ!?」

「え?伊之助なら隣にいるよ?」

 おい、離せよと暴れる隠を無視して善逸が答える。隣?そう思って視線だけで今度は左を向くと、どうして気付かなかったのか、しっかりと病人服を身に纏った猪頭がありえないくらいに物静かに寝台に横たわっていた。「本当だ!?思いっきりいたのに気付かなかった!」と炭治郎がショックを受けている。
 伊之助とは最後に会った時があれだっただけに少し気まずかった。まさかこんなに近くにいるとは思わなかったけど、何だか酷く意気銷沈しているようだった。特に目立った外傷はなかったけど、伊之助のおかしい所はその喉だった。

「ごめんな伊之助ッ…助けに行けなくて…無事でよかった!」

「イイヨ、気ニシナイデ」

 なんてことだと炭治郎と固まる。あの伊之助の声に覇気が全くと言って良い程感じられない。おまけに少し丸くなったような言葉遣いですらある。一体どんなショックなことがあったのか、わなわなと炭治郎が震えていると、横から善逸が「なんか喉潰れてるらしいよ」とやけに伸びる鼻水をそのままに言った。

「詳しいことよく分かんないけど、首をこうガッとやられたらしくて、そんで最後大声出したのが止めだったみたいで喉がえらいことに」

「うッ…ゲホゲホ!」

「えぇえ!?大丈夫か名無し、どうした!」

 最後に大声って、え、私のせいじゃ…そう思って声を出そうとしたら、唾液が変なとこに入って噎せた。多分、ていうか絶対私のせいな気がする。なんてことだとチラリと伊之助を盗み見て見るが、ピクリとも動かない。猪頭で表情も一切伺えなくて、それがより不気味さを際立たせた。

 
 結果的に炭治郎も重症により蝶屋敷で預かられることになり、四人で仲良く治療に専念することになった。基本的にアオイちゃんとなほちゃんすみちゃんきよちゃんの四人が看病してくれて、時折胡蝶さんが様子を見に来てくれた。
 善逸はというと一人「薬飲んだっけ!?」と騒ぎまくり、炭治郎は全身筋肉痛により悶える毎日。伊之助はというと相変わらず意気銷沈していて、炭治郎と善逸に励まされていた。
 私の症状はというと、那田蜘蛛山で長時間治療を受けずに走り回ったせいで毒が隅々に行き渡り、更には大量の血液を失ったことから思ったより深刻な状態らしかった。しばらくの間は輸血をし、抗生剤を身体に入れて毒を排出していくことが重要らしい。
 つまり、寝たきりだ。自業自得とはいえ、今だけは血の色を失った青白い手足が憎らしかった。

 そんなある日のことだった。

「発熱ですね」

「う、はぃ…」

 「しかも高熱です」と胡蝶さんが輝かしいまでの笑顔で言い放った。その日は何やら朝から体調がおかしかった。頭が鈍器で殴られたみたいに痛むし、お日様の光は沢山浴びているのにまるで雪山にいるように寒い。胡蝶さんを呼んで見て貰えばこのザマである。
 胡蝶さんの診察によると、どうやらまだ体内に残っている毒の成分に身体が対抗しようとして発熱しているとのことだった。朝昼晩飲むようにと解熱剤の粉薬を渡されて、忙しい身の彼女は去っていく。ポヤポヤする頭でぼーっとその薬を見ていると、炭治郎が心配そうに顔を覗き込んできた。

「大丈夫か?何かしてほしいこととか欲しいものがあったら言ってくれ」

「うん、大丈夫だよ…ありがとう」

「その薬、めーっちゃくちゃ苦いからな!本当に死にそうなくらいまずいんだぜ!」

「飲む気なくなるようなこと言わないで…」

「俺、そろそろ身体動かせるようになってきたし散歩でもしてこようと思うんだ」

「え!俺も行く!この屋敷の中探検しよ探検!」

 鼻の下が伸びているので大方蝶屋敷の女の子に絡みに行くつもりなのだろうが、怒られるのは彼なので何も言わないでおくことにする。皆がいてくれたら安心だけど、鈍った身体を動かしたいっていうのは本音だと思うし、きっと炭治郎のことだから身体に障るからって気を使ってくれたのかもしれない。

 半分申し訳なさを感じながらも、うまく力が入らない手を振って二人を見送る。姿が見えなくなり、病室が静まり返ったところで、隣の寝台の上で終始無言の猪頭に顔を向けた。
 シンと静まり返る空間。やっぱり伊之助は何も喋ろうとしない。喉をやられてはいるけど、それでも声を出すことはできるのに。勿論、無理やり出して欲しい訳ではないけど、励ます二人には反応していたのだから、少しくらい私にも反応を見せてもいいんじゃないかと思う。まるで私なんて見えていませんとばかりの態度に少し、胸が痛くなる。
 こうして二人きりになった今でも、伊之助は喋る気配を見せることはない。だけどそこで「何か言ってください!」なんて私が言える立場ではないことも痛いくらい理解していた。無視をされる理由に、私も心当たりがあったから。何となくだけれど伊之助が今何を考えているのか察することができた。多分彼は私に対して怒っている。とても怒っている。

「伊之助」

「…」

「ねぇ、伊之助」

 意地でも聞こえないふりをするらしい。聞こえないように小さく息を吐いて、また布団に潜る。伊之助が怒っている理由は私の中では一つしかない。蜘蛛の鬼を倒した後、伊之助の忠告に耳を貸さず走り去ったことだ。私自身の身体だけど、事の重大さを伊之助は私以上に理解していた。もう動けないことも、無理やり走っていることも、全部お見通しだったんだと思う。だから彼は言った、そう簡単に死のうとするんじゃないと。
 勿論、死ぬつもりなんて更々ない。それでも理想と現実は全く異なるもので、私の行動は側から見れば自殺行為と同じだった。伊之助は正しい。だけど、後悔はしていない。私は私がやりたかったことをしたまでで、それをごめんねと謝るのは何だか違う気がした。どんなに伊之助が怒ったって、私は自身の最善を尽くそうとしただけなのだから。
 何だか途端に喉が乾いて、水を求めた手が備え付けの机の上を彷徨った。顔を布団から出してそういえば水もうないんだったと思い出す。アオイちゃんをわざわざ呼ぶのは流石に申し訳ない。せめて自分で取りに行こうと寝台から足を下ろした時だった。

「う、わぁッ!」

 上手く力が入らず、寝台から滑り落ちた身体が地面を転がった。点滴がもう外されていて本当に良かったと心底思う。あんな状態で転んでいたら床が大変なことになっていた。アオイちゃんの鬼の形相がポンと脳裏に浮かんで、消える。
 こんなに身体が弱ってしまうなんて。恥ずかしさにペタンと地面に座り込んでいると、突然強い力でぐんと引っ張り上げられた。訳も分からずされるがままに寝台に座らされる。ふさふさの毛が顔に当たって、初めて伊之助が助けてくれたのだと理解した。「何やってんだよ」とガサガサの声が言う。やっぱり喉、悪化してる。

「ありがとう…あの、水を取りに行こうとして…」

 言い終わる前に、伊之助が高速でどこかへ走り去る。一体何だと固まれば、今度は水が入った碗を持ってきて怒り気味に突き出してきた。「飲め」と凄むので、困惑しながらもお礼を言って口をつける。ごく、ごくと味わうように飲むと、火照った身体に冷たい水が心地良く喉を通り抜けた。
 今まであんなに黙ってたのに、いきなりどうしたんだろう。しかもビュンビュン走り回っていたし、思ったより身体は完治しているらしい。じゃあ本当に別の理由でずっと横たわっていたんだなと分かって、いざ話しかけられるとどう反応したらいいか分からなかった。

「伊之助、私…」

「お前はッ!」

 怒気を含んだ少し大きな声に言葉が詰まる。やっぱり、怒ってるんじゃないか。猪頭の大きな青い目を見ていられなくて、咄嗟に目を逸らす。そんな私に伊之助は気にせず続けた。

「お前は、俺が何でババァが俺達の無事を祈るんだって聞いた時に、大事な人が傷付くのが嫌だからって、俺が嫌な思いするのも嫌だからって言った」

「…うん」

「なのにテメェはッ!平気な顔して、ひでぇ顔で笑って、今にも死にそうな癖にどっか行きやがった!俺はそれを止めることもできなかった!それが心底ムカつくんだよ!」

「うん」

 伊之助は、私を心配してくれていた。止めようともしてくれていた。そんな身体で行ったって無駄だと、ちゃんと教えてくれていた。なのにそれを振り切ったのは私だ。大事な人が傷付くのは嫌だなんて偉そうなこと言っておいて、彼を一番傷付けていたのは私だった。
 伊之助はきっと私が忠告を無視して無茶をしたのが嫌だったんだと思う。確かに、身動き取れない時に目の前に瀕死の人間が現れて、忠告も聞かずに死なれたらたまったもんじゃないと思う。大事な人なら尚更。それは自惚れかもしれないけど、確かに私に怒りをぶつけるその姿勢が物語っていた。

「顔、見せて欲しいな」

 伊之助が押し黙る。何も言わないのをいいことに、すぽんと頭から猪頭を取ってみた。怒ってるような、泣きそうな、不思議な表情が私を見下ろしていた。やっぱり、彼の瞳の色はどんな宝石より美しいと思う。そっと頬に触れてみると、綺麗な翡翠の瞳が薄い膜の裏でぐらりと揺れた。

「心配させてごめんね。勝手に、伊之助がそこまで思ってくれる訳ないって思ってたのかもしれない」

「何、で…そうなるんだよ」

「だって、藤の家紋の屋敷でも伊之助ってば嫌がらせばっかりじゃない?嫌われてるんじゃないかなって思ってた」

「あれは…そう言うんじゃねぇし!」

「?どういう…」

 言葉が喉元まで出かかったところで身体が押されて、視界に白い天井が広がった。頬に藍色がかった髪に触れた時、伊之助に押し倒されたんだと気付く。
 何で、どうして。熱のせいなのか、頭の奥が痛い。女の子よりも大きい瞳に吸い込まれそうな感覚に陥る。

「俺は、お前のこと嫌いじゃねぇ」

 翡翠の瞳が近付いて、薄くて、熱い何かが口端に触れた。何が起きたのか分からない。今、この男は私に何をした?
 理解しようとした時にはもう身体を起こされていて、伊之助はさっさと猪頭をかぶり直すと、呆然とする私を布団の中に押し込んだ。何か言わなきゃって思うのに、何も思い付かない。視線だけで訴えると、何を考えているか分からない猪頭が「しのぶ呼んでくる」と何処かへ去って行ってしまった。

「何だったの、今の…」

 ただ呆然と陽に当たる私に、しばらくの間アオイちゃんが目の前で手を振っていたと後々知った。




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