19.大事な




 どんなに呼吸で速さを緩めても存在自体が消える訳じゃない。毒は確実に私の身体を蝕んで、追い詰めていく。木々の間を縫うように走っていく間も、噛まれた膝付近から徐々に青紫色に変色していた。血管がやたら黒く浮いて見た目が非常に醜怪である。全身の痺れも増してきて、呼吸が上手くできなくなってくる。今にも血反吐を吐きそうだったが、止まっている暇なんてなかった。
 戦っている間、皆の行方が更に分からなくなっていた。変化があったこととすれば那田蜘蛛山に”隠”の存在が見え始めたことだ。鬼殺隊の事後処理班であり、任務の事後処理や隊員の救護などを行う組織。彼らの存在があるということは応援がきていることを意味する。あの男の子は他にも同じ蜘蛛の鬼がいると言っていた。ならば多くの人が毒の症状に蝕まれている筈だし、重症の人は後を絶たないかもしれない。三人のことがただただ心配だった。

「コイツ何?」

「さぁ」

 人の話し声が聞こえた。気配からして近い。足を緩めることなく身体の向きをぐるりと変えて、横を見る。すると、見慣れた猪頭が縄で木から吊るされ、それを囲むように隠の人達が見上げていた。――― 伊之助だ。

「伊之助!」

「うわ、何だ君!?」

「鬼殺隊員か?って…何なんだ君のその姿は!?重症じゃないか!」

 隠が慌てて駆け寄ってきて、「毒にやられたのか!?」と困惑した表情で顔を指差してきた。もうそんなところまで侵食しているのか。どうりで首らへんが痛いと思った。
 肩を上下させながら、隠が伸ばした手をすり抜け、後ろでぐったりする伊之助を見る。晒された上半身が傷だらけで赤黒い血がこびり付いていた。心なしか猪の毛皮も荒らされたように汚れていて、酷い戦いだったことが伺える。もう一度「伊之助」と名前を読んで、猪の顔に触れた。そこでやっと私の存在に気が付いたのか、伊之助とは思えないか弱い動きで猪頭が顔を上げた。青い瞳と目が合う。

「…お前、馬鹿女か?」

「こんな時までそう呼ぶ?」

 喉を潰されたのだろうか。酷く掠れた声だった。ただでさえ苦しそうなのに「何でッ…お前、そんな血塗れで笑うんじゃねぇ!」と叫ぶものだから余計に苦しそうに噎せていた。慌てて縄を解いてやろう爪先立ちをする。その時、ぐらりと視界が揺れた。
 立っていられなくなって思わず地面に手をつくと、口を押さえていた手の端から真っ赤な鮮血が溢れて地面を汚した。伊之助が頭上から悲痛な叫び声をあげる。でも、何て言ってるのか聞き取れない。痛い、苦しい、気持ちが悪い、でも立たなきゃ。いろいろな感情が頭をぐるぐる回って、世界がひっくり返りそうになる。慌てて隠の人に背中を押さえられた。

「君!毒の症状が悪化している、このままだと死ぬぞ!」

「我々が蝶屋敷へ連れ帰る!とにかく、救護班を呼んでくるからここにいてくれ!」

 違う、ダメなんだ。どうしても嫌な予感が湧いてきて、止まらない。助けなきゃいけない。誰を?分からないけど、私は行かなければならない。私の嫌な予感はいつだって、期待を裏切らない。

「伝令、伝令!カァア!炭治郎・禰豆子・名無し、三人ヲ拘束、本部ヘ連レ帰レ!」

「何の話だ?」

「炭治郎、額ニ傷アリ!竹ヲ噛ンダ鬼、禰豆子!黒髪ニ金ノ目ノ名無し!」

「金の目…君のことじゃないか!?」

「丁度いい、治療がてら拘束しておこう」

 私の嫌な予感はいつだって裏切らない。羽織で口元を拭って、震える膝を無理やり叱咤した。どこかへ行こうとするのを察したのか、伊之助が縄を千切ろうと奮闘し始める。

「ごめん、伊之助」

「テメェふざけんじゃねぇ!そんな身体で、助けに行こうってのか!?そんな簡単に死のうとしてんじゃねぇよ!」

「おい、どこへ行こうとしている!?」

「ごめんなさい。大丈夫、私死なないから」

 「戻ってきやがれクソ女!」と怒鳴る伊之助を無視して、取り押さえようとしてくる隠の腕をすり抜けて走った。今ので伊之助の声帯が更に悪化したかもしれない。もう一度ごめんなさいと呟いて、踵を返した。

 森の中を走り抜けていく。肩に止まった私の鴉に、「二人はどこにいる?」と尋ねてみた。無視されるかもと思ったが、数秒黙ったのち、「コッチダ」と翼を一方方向に向けた。やっぱりどこかしたり顔で見てくる鴉に「ありがとう、君は賢いね」と撫でてやる。満足そうに鳴いた後、指し示した方向へ飛び去っていった。不思議な鎹鴉だ。
 二人の居場所はそう遠くなかった。段々と炭治郎の慣れた気配が近付いてくる。木々を抜け、広い空間に出た。その真ん中で地に伏せる炭治郎を取り囲むように、隠と険悪な雰囲気の二人の鬼殺の剣士が立っていた。青と紫の、特徴的な四つの瞳が同時に私を捉える。
―――炭治郎と禰豆子ちゃんが連れ去られてしまう。きっと鬼だとバレてしまった。鬼を滅殺する筈の組織の一員が、鬼を連れて今まで任務をしていたと知れたら大問題になるのは頭では分かっていた。だけれど、禰豆子ちゃんを治すために剣士になったのだから、必然と連れ回すことになってしまう。強い絆で結ばれている二人を引き裂くことなんてできない。
 捕まったら二人に一体どんな処罰が下されるのか。それを黙って見ているだけなんてできない。私はもう彼らと同じ罪に片足突っ込んでしまっている。いや、もしかしたらそれじゃすまないか。私も拘束の対象だったし。

 気付いたらそんなことを考えていて、視界が霞んでいくのにも気付かなかった。二人を連れて行かないで。必死に手を伸ばしてみるが、もう何も見えない。何も聞こえない。せっかくここまで頑張ったのに。
 
 最後に見えたのは蝶だったか、人間だったか、血の減った頭では判断がつかなくなってしまっていた。



***




 「俺は禰豆子を治す為に剣士になったんです!禰豆子が鬼になったのは二年以上前のことで、その間禰豆子は人を食ったりしていないッ!」

 鼓膜を揺らすような大きな声にパチリと目が開く。何やら頬が擦れて痛い。顔を動かしてみると、そこは白い砂利が広がる庭園のような場所で、私は腕を後ろに縛られて地面に転がされていた。痛む全身に芋虫のように上半身を動かそうとしていると、押さえつけていた隠が小声で「やっと起きたか」と体を起こしてくれた。
 ずらりと横一列に並ぶ強者が視界に広がる。鬼殺隊の最高位に立つ剣士、”柱”がそこにいた。只者ならぬ佇まいに呆然としていると、地面に押さえつけられていた炭治郎が「名無し!」と泣きそうな声で叫んだ。ぼーっとする頭に、一同の視線を一身に受けて何だかまた気持ちが悪くなってしまいそうだった。

 すると横で綺麗な顔立ちをした女性が「暴れてはいけませんよ、最も貴方は重症患者ですからね」と言ってニコリと私に微笑んだ。何だか倒れる寸前に抱きとめてくれた人と同じ花の香りがする。

「貴方は今にも死にそうな状態でしたが、裁判の対象になっていたので仕方なく応急手当てと、毒の抗生剤だけの状態でここにいます。失血していた状態だったので、絶対にその輸血の袋を外さないように」

 指差した先を辿ると、肌けた私の手首から何やら長い管が繋がっていて、赤い血液の入った袋がいつの間にか隊服のポケットに仕舞われていた。大きさ的に見て簡易的なものなのだろう。そういえばとんでもない量の血が出ていたなと思い出してゾッとする。
 それにしてもあれだけ強力な蜘蛛の毒を短時間でどうにかしてしまうなんて。困惑気味にその綺麗な微笑みを見つめていると、”胡蝶”さんと名乗ったその人は「鎮痛剤でどうにか動いているだけですからね。良かったですね私が凄い人で」とキラキラの笑顔を向けてきた。何だか頭が上がらない感じだ。
 すると桃と草色の特徴的な髪色をした女性が困ったように此方を見て口を開いた。

「あのぉ、この子はどうして連行されてきたんですか?あの二人の血縁者という訳でもないのでしょう?」

「うむ!どうやら竈門兄妹と最終選別以降、何度か合同で任務に同行していた履歴があり、鬼を連れていることを黙認していた疑いがあがっている!」

 炎を連想させる髪色に、猫のような目の男”炎柱”が答えた。なるほどそういうことなら連行されて当然だ。私はずっとずっと前から二人と一緒にいたのだから、黙認も何もないけど、本部の人達からしてみれば充分危険人物だ。
 すると話を聞いた大きな身体の男の人が、目から涙を滝のように流しながら手を合わせて「また子供が鬼に取り憑かれている…早く殺して解き放ってあげなければ」などと物騒なことを言い出した。寝ている間に随分話が進んでいるようだが、流れ的には三人とも処刑ということなのだろう。

「ま、待ってください。証言なら私にもできます。私はこの二人と鬼殺隊に入る前からの付き合いですが、禰豆子ちゃんが人を喰ったことがないのを知っています」

「やれやれ、身内だけかと思いきや赤の他人までもが鬼を庇うとはね。三人纏めて処分してしまえばいい」

「ったく話がズレてんぞ。おい。人を喰ってないこと、これからも喰わないこと、口先だけじゃなくド派手に証明してみせろ」

「でも疑問があるんですけど…”お館様”がこのことを把握していないとは思えないです。勝手に処分しちゃっていいんでしょうか、いらっしゃるまで待ったほうが…」

 桃色の髪の女性の言葉に柱達が押し黙る。どうやらお館様と呼ばれる人が鬼殺隊の最高管理者であり、その方の判断がないと勝手な行動はできないらしい。どんどんと進んでいく話に頭が痛くなってくる。毒のか薬の後遺症か、気持ち悪ささえ感じてきた。
 唸る一同に、炭治郎がすかさず「妹は俺と一緒に戦えます!鬼殺隊として人を守る為に戦えるんです!」と叫んだ。隣にいた胡蝶さんの顔から笑みが消える。何を考えているのか分からない、曇った表情が炭治郎を見据えた。

「おいおい何だか面白いことになってるなぁ」

「こ、困ります不死川様!どうか箱を手放してくださいませ!」

 砂利を踏みしめる音がして、一同が横をみる。傷だらけの身体に、白髪の男が片手に禰豆子ちゃんが入っている箱を玩具のように掲げていた。困った様子の隠が一緒に後ろを追いかけている。
 ズンズンと突き進んでくる強面。どうやら箱は胡蝶さんが管理していたらしく、申し訳なさそうにする隠達を横目に「不死川さん勝手なことしないでください」を語気を強めて言った。

「鬼が何だって坊主ぅ…鬼殺隊として人を守る為に戦えるぅ?そんなことはなぁ、ありえねぇんだよ馬鹿がぁ!」

 そう怒鳴って、不死川と呼ばれた男が自身の日輪刀を箱に突き刺した。ぼたぼたと地面を汚していく血が見えて、心臓が強く波打った。怒りに周りが見えなくなって、痺れる手足を無視して走った。無抵抗の相手を、酷い、許せない。両腕が縛られていたから何もできないのは分かっていたのに、どうしても殴ってやりたくて足が動く。
 そんな私の肩を派手な化粧の男が掴んで止めた。離せともがく身体に、より一層腕に力が篭る。フゥ、フゥと荒い呼吸を繰り返す私に、後ろから胡蝶さんが「宇髄さん、重症患者ですよ」と強めの言葉が飛んだ。腕の力が弱まる。白髪の男、不死川を睨み付けていると、私よりも早く飛んだ炭治郎が懐に飛び込むのが見えた。

「やめろ!もうすぐお館様がいらっしゃるぞ!」

「!」

 端の方で離れて立っていた男の人が叫ぶと、不死川はピクリと反応して隙ができる。繰り出した横一閃をすんでの所で避け、飛び上がったままその鋼鉄の頭を不死川の顔面に叩きつけた。鼻血を出して倒れる不死川に、桃色の女性がブフッと吹き出した。直後、「すみません」と謝る。
 炭治郎が後ろ手に禰豆子ちゃんの箱をぎゅっと掴む。「柱なんてやめてしまえ!」と叫ぶ炭治郎の姿は改めて見ると全身切傷だらけで、顎も骨が折れているのか青痣だらけだった。皆、皆ボロボロじゃないか。伊之助は?善逸は?ここにはいない姿に、気持ちだけが先走ってしまう。

 すると、開け放たれた畳の部屋から最終選別の時にみた白髪の双子が「お館様のお成りです!」と叫んだ。

「よく来たね、私の可愛い剣士達」

 お館様、一体誰が…視線を向けた瞬間、鼓膜を揺らす声色に頭がふわふわする。

「おはよう皆。今日はとてもいい天気だね、空は青いのかな?顔ぶれが変わらずに半年に一度の柱合会議を迎えられたこと、嬉しく思うよ」

 お館様と呼ばれた人は独特な雰囲気をしていた。遠くて、どこか近寄り難い雰囲気がする。目元が傷で覆われていて、何かの病気なのか目が見えていないようだった。両端に白髪の双子が手を取って支えている。
 その様子をぼーっと眺める。お館様が話す度に、頭が高揚する感じがして、何故か心が穏やかになる。不思議な人だとポヤポヤしていると、突然頭を鷲掴んで地面に付くほど抑えられた。位置的に宇髄さんと呼ばれた人だろう、いきなり何すんだとばかりに睨もうとすれば、横一列に、いつの間にか綺麗に並んでいた柱達が一斉に頭を下げていたのが視界の端に映って動きを止める。
 不死川が殴るように炭治郎の頭を地面に叩きつけると、そのまま見た目と反して知的な言葉で挨拶を始めた。見た目からしてまるで知性と理性がなさそうなのに、それ程までにお館様が彼等に取って大事な存在なのだろう。すると不死川が語気を強めに、「柱合会議の前に、この三名についてご説明いただきたく存じますがよろしいでしょうか」と続けた。お館様が「そうだね、驚かせてしまってすまない」と柔らかく微笑む。

「炭二郎と禰豆子については私が容認していた。勿論、名無しのこともね。そして皆にも認めて欲しいと思っている」

「!!」

 柱の間に緊張感が走る。いくらお館様の言葉とはいえ全て受け入れる訳でもないらしく、口々に反対の意を示している。鬼は嫌い、信用しない、そんな鬼殺隊員は認められない、それぞれの全力の反対がお館様に飛ぶ。処罰を強く求める声に胸がギシギシと嫌な音を立てる。
 お館様は静かに言葉を聞いていく。皆が黙った頃、「では手紙を」と隣の女の子に文を読むよう伝えた。手紙は”元柱”であるという鱗滝さんから送られたものだった。

「一部抜粋して読み上げます。―――炭二郎が鬼の妹と共にあることをどうか御許しください。禰豆子は強靭な精神力で人としての理性を保っています。飢餓状態であっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。俄には信じがたい状況ですが紛れもない事実です。もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は、
 竈門炭治郎及び…鱗滝左近次、冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します」

 涙が、零れた。知らぬ間に、知らぬ所で、二人に命をかけてくれている人がいる。”冨岡義勇”。私はその名を沢山鱗滝さんから聞いていた。列の一番端で、何を考えているか分からない青い目が地面を見つめている。一番初めに炭治郎と禰豆子を助けた恩人であり、希望をかけた人。
 彼がいなければ二人はここにいなかっただろう。彼がいなければ私が二人に会うこともなかった。そうして時が経った今も、師と希望を託してくれている。炭治郎の目から溢れた涙が砂利の上を濡らしていった。

「切腹するから何だと言うのか。死にたいなら勝手に死に腐れよ、何の保証にもなりはしません」

「不死川の言う通りです!人を喰い殺せば取り返しがつかない。殺された人は戻らない!」

「でもッ!あなた達が禰豆子ちゃんが人を襲うって証明することだってできない筈です!!」

 突然叫んだ私に「…アァ?」と開ききった瞳孔が私を捉える。咄嗟のことだった。自分でも抑えられなかった。でも言わなきゃと思った。二人の言うことも最もだと思う。殺された人は戻ってこない、どんな手を尽くしたって失ったままなのだ。鬼殺隊に立つ最高位として、世の中の人間の安全を保証するのは当たり前だと思う。
 でも、禰豆子ちゃんだって苦しんでいる人間の一人だ。彼女は人間としての理性を保っている、鬼の自分と戦っている。それを見捨てて処分だなんて、許されていい筈がない。

「確かにその通りだね。人を襲わないという証明ができない、保証ができない。ただ、―――人を襲うということもまた、証明ができない」

 禰豆子が二年以上もの間人を喰わずにいるという事実があり、彼女の為に三人もの命がかけられている。これを否定するならば、それ相応のものを差し出さなければならない。
 そう告げるお館様に、不死川と炎柱が口を噤んだ。ふと、視線を感じてお館様を見る。何も映さない筈の彼の瞳が真っ直ぐと私に向けられていた。

「君が、名字の孫だね」




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