17.蜘蛛



 藤の家紋の方々の甲斐甲斐しいお世話により、左腕や肋の骨折含め、心身共に回復した頃だった。
 心地良い気温に縁側で饅頭を頬張っていると、二匹の鎹鴉が部屋に舞い降りてきた。赤いリボンが特徴的な私の鴉が膝に止まる。もう充分休息は貰えたし、そろそろ任務だろうか。

「緊急指令!緊急指令!コノ場ニイル鬼殺隊員ハ至急、那田蜘蛛山へ応援ニ向カエ!カァア!」

「緊急指令?」

 炭治郎の鴉も同じことを言っている。応援ということは、既に現場にいる隊員達は危険な状況なのだろう。どこかしたり顔で見つめてくる自身の鴉に、「もう先輩いなくても平気なんだね、凄いぞ」と撫でてやると、そのまま満足気に飛び去って行ってしまった。その後ろ姿を見送って、すぐに出発の準備を始める。
 那田蜘蛛山と言っていたか。名前からしてなんだか嫌な感じだが、そうも言っていられない。基本的に任務は一人か二人で行うものが今回は四人であり、更にはもう何人もの隊員がその那田蜘蛛山で戦っている。大分大掛かりな任務なのだ。つまりそれは敵の強さを意味している。自然とその場に緊張感が走った。

「では行きます。お世話になりました」

 高速で支度を終わらせ、藤の花の家紋が描かれた門まで出るとお婆さんがお見送りをしてくれた。
 本当に何から何までお世話になってしまった。感謝の気持ちを込めて、「ありがとうございました」と炭治郎の声に合わせて頭を下げる。すると切り火をしてくれるらしく、お礼を言って背中を向けようとすると、火打石を叩くお婆さんに伊之助が突然「何すんだババァ!」と殴りかかろうとした。ギョッと目を向いて咄嗟に善逸がお婆さんを庇い、炭治郎が伊之助を羽交い締めにして抑える。

「馬鹿じゃないの!?切り火だよ、お清めしてくれてんの!危険な仕事行くから!」

 信じられないとばかりに叫ぶ善逸に「お清め?」と今一ピンときていない様子の伊之助。隣から「無事を祈ってくれてるんだよ」と付け足すと「何でババァが俺達の無事を祈るんだよ」とこれまた長くなりそうなので、一旦話を遮ってお婆さんに向き直る。
 三人で頭を下げたが、微笑むばかりで伊之助の態度には全くもって気にしていないようだった。

「…どのような時でも誇り高く生きてくださいませ。ご武運を」

 最後にもう一度お礼をして、藤の家紋に背を向けた。


「誇り高く?ご武運?どういう意味だ?」

 那田蜘蛛山への道を走る中、伊之助は小さな子供のように何で?何で?を繰り返していた。改めて聞かれると難しい質問だ。当たり前のように私達は言葉の意味を理解しているつもりでいたが、その本質的な部分はちゃんと分かっていなかったのかもしれない。いや、それだと語弊があるかもしれないが、人に自信を持って説明できない辺り何も知らない伊之助を馬鹿にはできないだろう。
 善逸は困ったように首だけ向けていたが、代わりに炭治郎が走りながらも適切な単語を探そうと思考を巡らせた。

「自分の立場をきちんと理解して、その立場であることが恥ずかしくないように正しく振る舞うこと…かな。それからお婆さんは俺達の無事を祈ってくれてるんだよ」

「その立場って何だ?恥ずかしくないってどういうことだ?」

「それは人それぞれなんじゃないかな?」

「じゃあお前の立場は何なんだよ」

 ぐるりと猪頭が此方を向く。立場、私の立場。うーんと唸ってみる。確かに私の立場って何なんだろう。私はただの村娘であったし、お祖母様の孫でもあったし、鱗滝さんの弟子でもあって、鬼殺隊の一員でもある。考えれば考える程”私”が浮かんでくる。全部私の筈なのに、見る人によって私の立場というのは変わってくるものだ。一概にこれが私の立場とは言えない気がした。
 結局考えが纏まらなくて、「私は私だよ」と答えになっているのかいないのか微妙な返事をすると、「ふぅん」と黙って聞いていた伊之助が今度は炭治郎に「じゃあ正しい振る舞いは?」と別の質問を投げかけた。

「それは…」

「具体的にどうしたらいいんだ?後何でババァが俺達の無事を祈るんだよ」

「…」

「何も関係ないババァなのに何でだよ。ババァは立場を理解してねぇだろ」

 次々に飛び出してくる哲学的な質問についに炭治郎がぎゅっと口を噤んで押し黙ってしまう。何て返すのか気になってじっと見ていると、突然加速して走って行ってしまった。それを善逸が焦ったように追いかけて行く。あ、逃げた。
 慌てて後ろを追いかけようとすると、逃すまいと伸ばされた伊之助の手にガッチリと手首を捕まえられてしまった。どうやら満足するまで逃す気はないらしい。

「じゃあお前が代わりに答えろ。何でババァは俺達の無事を祈るんだよ」

「…大事に思ってくれているから?」

「大事大事ってお前はそればっかりだな!」

「だって、そうじゃない?伊之助は気に入っている人が怪我したり、嫌な思いしたりするの嫌じゃない?」

 伊之助が「気に入っている人…」と考え込む。誰を思い浮かべているのかは不明だが、心当たりがあるようで良かった。それすらいないと例を伝えるのがうんと難しくなってしまう。
 私達は直接関わったのは今回が初めてだったけど、きっとあのお婆さんは鬼狩りに思い入れがあるのだろう。だからこうしてお世話してくれたり、切り火をしてくれる。無事でいて欲しい大事な人達だからだ。そこに気持ちがあれば、例え関係のない人であっても、人間は祈り、願う生き物なのだ。

「まだ初めて会った頃からそんなに経ってないけど、私は伊之助に無事でいて欲しいよ。同じ鬼殺隊として、伊之助の友達としてね」

 そう伝えれば、伊之助は「難しい」と静かになった。漠然とした話だったけれど、それでもちゃんと聞いてくれるのだから伊之助は真面目だと思う。山育ちで常識外れなところはあるが、本質を見極められている点ではきっと聡明な人なのだろう。

 前を向くと、いつの間にか遥か先に二人がいて焦りが芽生える。今だに手首を掴んだままの伊之助に「競争ね」というと、勝負魂に火がついたようで、「よーい」を言い始めた頃には飛んでいってしまっていた。



***



 目の前に見えてきた山。――― 那田蜘蛛山。屋敷を発ってから随分と時間が経ち、空はどんより鼠色をしている。それが相まって、聳え立つ山がよりおどろおどろしい雰囲気を漂わせていた。きっとそれだけじゃない。
 …多分だけど、この山で何人もの人が死んでいる。張りつめるような淀んだ空気が痛い。近付く度に芯から冷えるような悪寒と、気持ち悪さが襲ってくる。すると、前を歩いていた善逸が「ちょっと待ってくれないか!」と座り込んだ。

「怖いんだ!目的地が近付いてきてとても怖い!」

「何座ってんだこいつ、気持ち悪い奴だな」

「お前に言われたくねーよ猪頭!俺は気持ち悪くなんてない!俺が普通で、お前らが異常だ!」

 ビシッと効果音が付きそうな感じで指差し、泣き出す善逸に二人がどうしたもんかと見下ろす。そういえば善逸は最終選別の時もこんな感じだったなぁと思いながら震える背中をよしよしと撫でてやる。あの時は参加が自由で、辞めたって誰も咎めやしないが、鬼殺隊に入った今そういう訳にもいかない。これは任務で、それを全うするのが私達の使命。
 だけど、善逸の気持ちも痛い程分かるから、その間に挟まれてしまって身動きが取れなくなる。―――怖い、逃げ出したい、でも行かなければならない。その為に私はここにいるのだから。素直に感情を吐露する善逸が少し羨ましかった。

「たす、助けて…」

「!?」

 誰かが倒れる音と、声が聞こえて山の麓に顔を向けた。よく見ると隊服を着ていて、一目で鬼殺隊員だと判断できる。「ヒャア!待って!」と叫ぶ善逸を置いて、伊之助と炭治郎が男の人に駆け寄寄る。

「大丈夫か!どうした!」

 炭治郎が手を伸ばす。しかし、男の人は何かに引っ張られるように持ち上げられ、宙を舞った。「繋がっていたッ…俺にも!」そう叫んだ。行き場を失った手が止まって、唖然と男の人を見上げる。そのまま「助けてくれぇ」と悲痛な音色を残して暗い山の中へ吸い込まれていってしまった。
 さながら怪奇現象のような出来事に、隣で善逸が口を抑えて息を止めた。何が起きたのか理解ができず、呆然と男の人が消えた山を見上げる。まるで、糸のようなものに引っ張り上げられているみたいだった。

「俺は…行く」

 冷や汗混じりに炭治郎が言った。すると、伊之助が山を見据える炭治郎を押し退けると、「俺が先に行く!」と堂々と山へ突き進んで行く。

「お前はガクガク震えながら俺の後をついてきな!腹が減るぜ!」

「腕が鳴るだろ…」

 辛うじて善逸が突っ込むが、それに反応することなく二人は山へ入って行ってしまった。遠くで炭治郎が心配そうに此方を振り返る。大丈夫の意を込めて微笑むと、そのまま決心したように前へ向き直っていた。隣で蹲ったままの善逸が涙目で私を見上げる。行かなくていいの?と言いたげだ。

「俺、俺さ…二人に説得されたらさ、行くからね?俺だって」

「そうだね」

「置き去りにすることないじゃんね。確かに俺はこんなんで頼る気にもならないのかもしれないけどさ」

「そんなことないよ。善逸はちゃんと正一くん守ってくれたの知ってるし、それに怖いのを素直に言えるのって凄いと思うよ」

「何が凄いんだよぉ!変な慰めはよせよぉ!」

 まだぐずり始めた背中をもう一度撫でてやる。善逸の雀が飛んできて、心配そうに足元で飛び跳ねた。

「善逸のそれは皆が内心隠してる感情なんだよ。人って怖いとか死にたくないって言うと、すぐ誰かが弱虫って決め付けるんだ。自分だって思ってるのに、素直に言えないから羨ましいんだよ。怖いものは怖いんだから、仕方ないのにね」

「名無し…」

「あの二人は立ち向かって行く強さがあるけど、それって誰にもできることじゃないと思うんだ。だから善逸は善逸らしくいていいんだよ」

 ぐすっと善逸が鼻を啜って、膝に顔を埋めた。足元の雀が善逸の肩に飛び乗って、可愛らしい声で鳴いた。何て言っているか分からないけど、慰めているのだろうか。

「…ッ!」

 その一瞬、背中から嫌な気配を感じて振り返る。しかし変わらず那田蜘蛛山が聳え立っているだけだ。でも、確実に中で何かが起こっている。私の勘がそう言っている。早く皆に合流しなければ。

「ごめんね、善逸。私行くね」

 顔を埋めたままの善逸にそう告げて、私は山の中へ走った。大丈夫、善逸ならきっと大丈夫だ。そう心の中で祈りながら、鬱陶しい草木をかき分けて進んで行く。何だか遠くで禰豆子ちゃんの名前を善逸が叫んだ気がするけど、気のせいだろうか。

 険しい山道を歩いていく。今更になって私はとんでもないことに気付いてしまった。炭治郎と伊之助がどこに行ったのか全く分からないのである。こんな道があるわけでもない暗い森をどうやって探すというのか、いつもは鼻が効く炭治郎がいたから安心していたものの、今は肝心の本人がいないのでとんだ失態だ。せめて他の隊員を探さなきゃ。
 そう思い直して一歩踏み込んだ時、何かを踏んで片足からバキリと音がした。恐る恐る足元を見る。――― 白い、骨。サーっと血の気が引いて慌てて退くと、今度は踵に硬いものが当たって転がった。

「人間の、骨…?」

 ころころと転がっていく人間の頭蓋骨。まさかと辺りを見回すと、一つ二つ三つと数え切れないくらいの白骨化した人間の死体が転がっていた。手足が切れているものから人間の形を止めているものまで。抜け殻のように落ちている滅の一文字が入った隊服から生えていた。―――鬼殺の剣士の死体だ。
 人を骨にしてしまうなんて、一体どうやって。無残に転がる頭の骨が泣いているような気がして、酷く胸が痛んだ。きっと皆で戦ったんだ。そして、そのまま全滅してしまった。こんな惨い殺し方で。

「踏んでしまってごめんなさい」

 少し罅が入ってしまった太い骨を撫でて頭を下げる。突然のこととはいえ、酷いことをした。こんな不気味な所で安らかになんて眠れないかもしれないけれど、必ず無念を晴らします。そう心で呟いて手を合わせる。
 
 踏まないように、慎重に山を駆けていく。息を吸う度に冷たい空気が喉を痛めていく。走っている時に気が付いたが、この山は何故か蜘蛛の糸がそこら中に張り巡らされていた。まるで進むのを邪魔するように、空気に溶けて紛れている。少しでも掠ったら簡単に皮膚が切れる程鋭くて硬い。奥へ奥へと進んでいく毎に、転がる死体の数が増えていった。
 もしかしたら人が多い方を辿っていったら炭治郎達がいるかもしれない。そう思い付いて糸を斬り伏せながら走っていた時、目立つ猪頭が遠くに見えた。日輪刀の刀身が反射していて、どうやら戦闘状態のようだった。

「炭治郎!伊之助!」

 二人が振り返って、目があった。足を早めるのに何故か進まない。手を伸ばしてみても前へ行けない。背中に違和感を感じた頃にはもう遅くて、驚く二人が遠ざかっていくと同時に物凄い力が身体を引っ張り上げると、暗い茂みの中へ私を引き摺り込んだ。




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