16.奇襲




 おかしい。昨日から伊之助の様子が変だ。何がと言われるとこれまた説明が難しいが、簡単に言うと、いつも炭治郎と私に同じくらい仕掛けていた奇襲攻撃が圧倒的に私に集中するようになっているのだ。
 
 またしても慣れた殺気を感じてするりと身体を捻らせてみれば案の定、猪の如く突進してきた伊之助が壁に激突した。そして憎たらしく此方を見たかと思えば、そのまま縁側を走って行ってしまう。 
 一体いつになったら諦めてくれるのやら、風のように去って行った伊之助に一人静かにため息をつく。
 昨夜、直接許しをもらった訳ではないけど私の方から殴ったことを詫びた。本人は特に気にしている素振りもなかった。そう言えばあの後いつの間にか寝てしまったんだっけ。伊之助が布団に戻してくれたらしいけど、大変申し訳ないことをしたと思っている。まさか屋根で寝るなんてどうかしているが、急に睡魔に襲われたので仕方ない。
 もしかしてそのことが原因…?そう思ったが、何だか違うような気がしてきて再び顎に手を当てて唸る。何故なんだ?悶々と歩きながら部屋に戻ると、善逸がくねくねしながら禰豆子ちゃんを追いかけ回していた。炭治郎が心底嫌そうにそれを止めている。

「禰豆子ちゃぁ〜〜ん!」

「こら、善逸。嫌がる女の子を追いかけ回さないの」

「ゲッ、名無し!禰豆子ちゃんこっちへおいでぇ〜」

「むー」

「こっちが良いって」

 ぎゅっと抱きついてきた禰豆子ちゃんに善逸が「ガーーン!!」と顎が地に着きそうな勢いでショックを受けていた。その様子に炭治郎がほっと胸を撫で下している。可愛い妹を持つと兄も大変だ。
 すると炭治郎が「あれ、伊之助と一緒じゃなかったのか?」と不思議そうに此方を見てきた。確かに私は頻繁に狙われてはいるが、一緒にいるとはまた違う気がする。何故そんなことを聞くんだろうと首を傾げると、炭治郎が自身の鼻を指差し無垢な笑顔で爆弾を投下した。

「伊之助からは名無しの匂いが凄くするし、少しだけど名無しからも伊之助の匂いがするからずっと一緒だったと思ったんだけど…」

「に、匂い?そんなする?」

「あれ?違うのか?」

「え?ちょっと待ってそれ何それどういうこと?何その不純な感じ!?」

「ちょッ、変な風に言わないでよ!?全くもってそんなんじゃないから!」

 疑いの眼差しを向ける善逸を「何でそんな変な顔してるんだ?」と炭治郎が不思議そうに見ている。え、そんな匂いするの?全くもって心当たりがないのでそんな事実を突き付けられると何だか居心地が悪い。「いやぁああ名無しが猪にぃい!」と尚も絶叫する善逸に、抱きついていた禰豆子ちゃんが困ったように炭治郎の元へ逃げる。
 
 それが何と都合が良かったことか。障子を開けっ放しで入り口に突っ立ったままだった私は、突然背後から現れた伊之助の突進に気付かず、そのまま前へ吹っ飛んだ。当然、善逸を避けられる筈もなくて絶叫する黄色と仲良く畳の上を転がった。

「ガハハハハ!一本取ったぜ桃女!」

「何てことするんだ伊之助!名無しは腕を怪我してるんだぞ!」

「んなもん知らねぇ。避けられなかったテメェが悪い」

 派手にぶつかってしまったのに何故か善逸は幸せそうな顔をしているのでとりあえず放置しておくとして。背中を抑えながら「謝るんだ!」、「嫌だ」と押し問答する二人を振り返った。

「炭治郎、私なら平気だからさ!ごめんね伊之助特訓に付き合ってあげられなくて」

「…は」

「がっかりしたでしょ?私が避けられなかったから。伊之助はとっても速いんだね!凄いなぁ」

「〜〜〜ッッ!!?」

 静かだったかと思いきや、突然地団駄を踏んでどこかへ走っていってしまった。いつの間にか隣に立っていた善逸と炭治郎が何故か遠い目をしている。ポンと肩に手を置いてきて、哀れむような視線を向けてきた。

「名無し、強く生きてくれ」

「え?」

 意味が分からなかったが、この後、私は嫌でもそれを理解することとなったのだ。

 伊之助は朝から晩まで隙を突いては色んな所から奇襲をかけてくるようになった。朝はぐっすり寝ているところを叩き起こされて誰よりも早く目が冷める。この時は伊之助早起きだなぁ何て呑気に思っていた。
 その後、昼間は庭に連れ出されて嫌という程追いかけ回された。稽古に付き合って欲しいのかなぁなんて思っていたけど、目が本気(マジ)だったので何か違う気がした。厠にまで付いてこられた時は流石に善逸と炭治郎に取り押さえられていた。
 夜は禰豆子ちゃんといつものあやとりをして遊んでいたら当たり前のように邪魔をされた。夕餉の時は相変わらず天ぷらを狙う。

 もう勘弁してくれと最終的に私が逃げ込んだ先は風呂場だった。湯浴みをしている時は流石の伊之助でも邪魔はしてこないだろう。それにきっと二人が見張っててくれる。
 そう思ってゆっくりと湯を身体にかけていく。心地よい温度で心が落ち着いていく。そう、これこそが極楽である。

「まだ終わんねぇのか馬鹿女ァ!もう一回勝負だ!」

「……」

 バァンと風呂場の戸を勢いよく開けて入ってきた猪の姿に、先程までの穏やかな時間が消え去った。遠くから炭治郎の「い、伊之助ー!!そこにだけは入っちゃダメだッー!」と焦る声が聞こえてくる。
 何故なんだ。何故これ程までに邪魔をしてくる。自然と震える腕で迷わず桶を引っ掴んだ。「おい!聞いてんのか?」と近付いてくる伊之助。私はもう我慢の限界だった。

「伊之助の馬鹿!良い加減にしろぉおおッ!!」

「ごふッッッ!」

 ぶん投げた桶が小気味良い音を立てて猪頭の顎に激突した。そのままぐらりと伊之助の身体が傾いて、黒子のように現れた炭治郎が引き摺っていった。

 どうしてこんなことをするのかずっと分からなかった。ただ修行に付き合わされているんだと思っていたけど、ここまでくると嫌われているんじゃないかとすら思えてくる。心当たりがないのでそれこそしっくりしなかったけど、そうでなければこんな嫌がらせをしないだろう。
 
「仲良くなれたかなって、思ったのに…」

 誰もいなくなった風呂場はより一層静かに感じて、逆上せそうになった。



 湯浴みを終えて部屋に戻ると、善逸が相変わらず頬を染めて禰豆子ちゃんに詰め寄っている横で、萎れた大根のような伊之助を鬼の形相で叱る炭治郎がいた。炭治郎は私が戻ってきたことに気付くと、目を吊り上げて隣の伊之助を見る。
 よっぽど怒られたのか、猪の頭がゲッソリしてしまっていた。あの伊之助がこんな風になるなんて、一体何を言ったんだろう?そう思っていると、よろよろと伊之助が近付いてきたのが見えて思わず一歩後ずさった。

「………菓子、やる」

 ずいっと腕を突き出されたので掌を出してみると、ポトリと桃色の粒が乗せられた。昨日私が渡した金平糖だった。

「くれるの?」

「……やる」

 そう言い残してさっさと布団の中に入ってしまった。背中を向けられているので顔は見えなかったけど、どうやら反省しているらしい。それにしてもなんで金平糖なんだろうと考えて、ふと昨夜のことを思い出す。
 ――― これあげるから仲直りね。
 つまりそういうことだ。きっと私がそう言っていたから、伊之助なりの精一杯の反省なんだろう。何だかどっと肩の力が抜けて笑ってしまう。結局原因は分からなかったけど、こうして反省しているなら、まぁ許してやらないこともない。
 
 隣で「偉いぞ伊之助!」とまるで保護者のような炭治郎に感謝しながら、私は桃色の金平糖を口に放り込んだ。うん、美味い。




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