15.夢




  ―――― 夢を見た。ずっとずっと昔の、何も知らなかった頃の夢。
 
 雪が大好きだった。白くて甘そうで、触れてしまえば儚く溶けてしまう雪が私は大好きだった。幼い頃は時期になると一目散に外に駆け出していたような気がする。白銀に染まる世界はまるで魔法のようで、非日常を感じさせたのだ。

 あれはいつの日だったか。冬眠に失敗した羆がいるから外に出るなと祖母にきつく言われたのを振り切って、山へ遊びに行った時のことだった。
 両親がいなかったこともあって、町で親子を見かけると羨ましくて仕方がなかった。だから、ちょっとした悪戯心だったのだ。持病ですぐに動けないのを子供ながらに分かっていたからこそ、ちゃんと心配して自分を迎えに来てくれるのか確かめたかった。そんな軽い気持ちだった。

「おばあちゃん!おばあちゃん!助けてぇッ…」

 冬の羆は危険だ。冬眠に失敗するのは大抵体が大き過ぎて、丁度いい巣が見付けられなかったのが原因。しかも、餌となる果実や木の実が冬には育たないから、常に腹が減って気が荒い。だから山に住む人間は恰好の餌食となるのだ。
 そんなことを祖母は口が酸っぱくなるまで言っていたような気がする。まさか、聞いている時に実際に自分が腹を空かせた獣の餌になるだなんて微塵も思っていなかったが。
 
 自身の何倍もある羆の爪が背中を抉った時は真っ先に死の一文字が頭を過ぎった。大好きな白の雪が赤く染まって溶けていくのを今でも覚えている。死にかけの狭間で、自分の血液はこんなにも鮮やかだったのかなんて思った。
 身体丸ごと飲み込めてしまいそうな程大きく羆が口を開けた。この羆に食べられたら少しは腹が満たされるのだろうか。それともこんなちっぽけな子供一人じゃ、やっぱり足りないのかな。

「氷の呼吸 伍ノ型 ―――― ”氷華”」  

 たった今自身を殺そうとした羆が、まるで蓮の花に包まれるかのように氷で固められた。一つに芸術作品のように、張り詰めた瓶覗が羆の自由を奪う。それすら美しいと見えてしまう自分はおかしいのかなと思った。
 純白の刀身が、羆に止めを刺す。その瞬間氷だと思っていたものが嘘のように消えていた。

「熊…死んじゃったの?」
「…いずれ人里に降りて人を襲う筈だった。偶々死ぬのが早まっただけさ」
「でも、私に会わなければ少しでも長く生きられた」
「馬鹿みたいな大怪我しながら自分を殺そうとした相手の心配するのかい。本当に可笑しな子だね」

 ――― やっぱりあんたは剣士に向いてない。そう言われたのに私の頭の中は別のことでいっぱいだった。
 やっぱり雪は美しいけれど、儚く溶けていく姿が命にも見えてなんだか少し怖くなった。



***




 勢いよく上半身が起き上がった。呼吸が乱れて、心臓の音がうるさい。心なしか、背中の古傷が熱を持つように痛かった。
 落ち着かせるように胸に手を当てて辺りを見回す。なんてことはない、藤の花の屋敷の寝室だ。綺麗な姿勢で眠る炭治郎と禰豆子、それに反して鼾をかきながら布団からはみ出ている善逸が横にいる。しかし、伊之助の姿だけがなかった。抜け殻となった布団を見付けて、ふと障子を開けて縁側に出てみる。
 丑三つ時くらいだろうか。外はまだどっぷりと暗い。月光の黄色い光がより目立って見えて、今夜はやけに綺麗だなとすっかり冴えてしまった頭で思う。

 伊之助はどこに行ったのだろうか。探しに行こうかとも思ったが、もしかしたら厠ということもあるし余計なことはやめておこうと思い直した。とはいえ、また眠る気にもなれず、やけに落ち着かない心に少しだけ夜風に当たろうとその場に腰を下ろした。

「…何の夢だったっけ」

 あれだけ酷い寝覚めをしたのに、夢の内容などすっかり忘れてしまっていた。けれど懐かしくて、凄く大事だったような気がする。

「あ、そうだ」

―――― 瓶覗の色。雪の上で咲いた華は瓶覗の色をしていた。
 あの色は”白殺し”とも言うんだったか。純白の刀からうまれる癖に、何とも皮肉だと失笑した。しかし同時にはて、と疑問符が浮かんで固まる。何故今私は日輪刀を思い浮かべたのだろう。
 懐から金平糖の袋を取り出し、一つ口に放り込む。うん、甘い。こんな時間に砂糖菓子なんて虫歯のもとでしかないが、気持ちが乱れた時には甘いものが一番効くのだから今日だけ特別だ。何て、私は一体誰に言い訳しているのか。もう一粒口に放り込む。ふと思い立って、私は自身の日輪刀を抜くと目前に掲げてマジマジと眺めてみた。

 水の呼吸を使う度に感じる感覚に、私は最近になって疑問を抱くようになっていた。”違和感”という言葉が一番しっくりくるだろうか。その呼吸は私のもので、私から生まれているのに、決して私のものじゃない。けれども他の人のものでもない。
 どうしてなのだろう。最初に浮かんだ要因は日輪刀の色だ。鋼鐡塚さんは持ち主によって刀身の色が変わると言っていた。鱗滝さんの日輪刀は流麗な水色だ。正しく水の呼吸に相応しい色だと思う。しかし、やはり個人差は出るもので、鱗滝さんの弟子であり同じ水の呼吸の使い手だと言っていた”冨岡義勇”という人は深い水色だと聞いた。
 もしも、と思う。青が共通点ならば、――― その色が自身の適性を表しているのだとしたら?
 いや、それならば炭治郎との説明がつかない。彼の日輪刀は漆黒の色をしていて、水の呼吸を使っている。単純に教わったから自然とそうなっているのかもしれないけれど、そもそも彼自身も水の呼吸が適正でなかったとしたら?そこまで考えて、思考の海から意識を手繰り寄せた。

「…やめよう。不毛すぎる」

 静かに息を吐いて刀を鞘に納める。いくら考えたって答えはでやしない。それに、ただ単に私の努力不足だったならば、これは言い訳の羅列にしかならなくなる。そんな情けないことはしたくない。
 
 もっと頑張らなきゃ。そう言い聞かせていると、私は漸く背中に感じた小さな衝撃に気が付いた。考え込んだら周りが見えなくなる癖、またやってしまった。全力で落ち込むが、とにかく原因を探ねば。周りを見渡していると、私は足元に転がる不自然な種を見付けて首を傾げた。これは。

「……桃の、種?」

 衝撃は背中からだった、ならばと私は後ろを振り返って、上を見上げた。やはり今夜は満月が美しい。




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