9.浅草
「次ハ東京府浅草ァ!鬼ガ潜ンデイルトノ噂アリ!」
「噂アリ!カァアア!」
「え、もう次に行くのか?」
「というか、まだ合同任務は続いているのね」
「コイツガ鎹鴉トシテ一人前ニナルマデ一緒ダァ!ナンカ文句アンノカカァア!」
「アンノカァアア!」
「いや、ないですすみません…」
反射的に謝ってしまう。任務を始めてから知ったことだが、炭治郎の鎹鴉は中々に、というか大分口が悪い。どうやら口振り的に後輩に当たるらしい私の鴉も、頭の赤いリボンに小ぶりな体型からして雌だと推測できるものの完全に先輩の口調を真似していておしとやかも何もあったもんじゃなかった。 そして鴉曰く、合同任務は新人である私の鴉が一人前になるまで続くらしい。なるほど研修的なものかと自身を納得させて休む間も無く次の目的地である浅草へ向かう。
辿り着いた先は田舎者にはあまりにも刺激が強い別世界だった。建物は首が痛くなる程見上げないと天辺が見えないし、夜なのに路線電車やら街灯やらで明るく浅草を照らしていて人々の喧騒が鳴り止まない。先日の町でも随分都会だななんて思っていたのに、浅草は段違いだった。忙しなく過ぎて行く人々にぐるぐると目が回る。 ついに耐えられなくなった炭治郎が「あっち、あっち行こう…」とゲッソリした様子で裏道を指差すと、休憩がてら屋台のうどん屋さんに寄ることにした。山かけうどんを二つ注文し、深いため息を同時に零す。
「都会って凄いんだね…」
「こんな所初めて来た…。人が多すぎる…」
隣で禰豆子ちゃんが座ったまま眠そうに船を漕いでいる。うどんはまだ出来上がっていないのでお茶を啜りながらその様子を眺めていると、炭治郎が突然何かに反応するように立ち上がった。何事かと見上げる。炭治郎はある一方を睨み付けて荒い呼吸を繰り返すと、どうしたんだとと手を伸ばす私に「ごめん!」と言い放ってそのままどこかへ走り去って行ってしまった。 ポツンと取り残される妹と私。後ろで麺を茹でていた店主が何だ?喧嘩か?と言っているのが聞こえたが、返事をせずに走り去って行った方向を呆然と見つめた。しばらく戻ってこなそうな様子に、諦めてでかい溜め息と共に椅子に座る。
「…お兄ちゃん、もっと頼ってくれたっていいのにね」
「むー…」
慰めてくれているんだろうか、禰豆子ちゃんは私の頭に手を乗せるとよしよしと言った風に撫でてくれる。何だか悲しくなってきて、私はその腕に身を任せると目を瞑った。
北西の町での時もそうだった。炭治郎は一人で何かに気付くと、何も言わずに勝手に走り去ってしまうのだ。仕方ないじゃないか、私は炭治郎や鱗滝さんみたいに鼻が効く訳でもない。ましてや目が良い訳でも、耳が良い訳でも感覚に敏感な訳でもない。あるとすれば勘が鋭いとか、嫌な予感が的中するとかいった今一特技として堂々と公表して良いのか微妙なものばっかりだ。 炭治郎だってそれは分かってる筈なのに、自分で一人でぶつかりに行っては勝手に解決して帰ってくる。勿論、彼の性格上長男というしがらみがそうさせているのは私だって理解している。他の人を巻き込まないように、自分が頑張らないとっていう性格だ。だとして私はそんなに頼りないのだろうか。一緒に狭霧山で鍛錬した日々に、自惚れていたのだろうか。
段々とマイナスになっていく思考に慌てて払うように首を振ると、禰豆子ちゃんが不思議そうに見てきた。やめろ私、よせ私、弱気になってどうする。そんなんじゃ任務は務まらないぞ。理由が気になるなら帰ってきた炭治郎に問い詰めれば良い!そう自分を奮い立たせて私は「おまち!」と用意された山かけうどんを勢いよく啜った。うん、出汁が美味い。
「おい、せっかくのうどんがのびちまうだろ。そこの娘も早く食え」
「あ、これはこの子の兄のうどんなので」
「何ィ!?お前だけ俺のうどんを食わねって言うのか?二人は食っているのに!?お前は味わってみてぇと思わねぇのか!この俺のうどんを!」
「ええぇえ」
何か、つい最近こんな怒られ方したような記憶が…。ふとひょっとこ面が頭に浮かんだが、気のせいだなと現実に戻る。当然の如く反応がないことについに堪忍袋の緒が切れたうどん屋の店主は、すっかり困り果てた禰豆子ちゃんに「箸を持て箸を!何だその竹!」と目前で怒鳴り込んできた。 どうやらこの店主は全員しっかりとうどんを堪能しないと満足しないらしい。諦めてもう一つうどんを頼むと、店主は輝く笑顔で麺を茹でたした。何だか周りに変な拘りを持つ人が多いな…と疲れ果てていると、秒速で出来上がったうどんを突き出してきた。さぁ食えと満面の笑顔が言っている。 さてどうしたものか。禰豆子ちゃんは口枷で普通の食事は食べられないし、私が食べてもこの人は満足しないだろう。するといつからそこにいたのか、息を切らした炭治郎が店主の腕をガッと掴むと、すっかりのびきった自身のうどんと禰豆子ちゃんのうどんを目に見えぬ速さで掻き込んでは「ご馳走さまです!美味しかったです!」と言って、私達の手を掴んで逃亡した。後ろから「分かりゃいいんだよ分かりゃ!」と嬉しそうに店主が叫ぶ。
「二人共ごめんな、置き去りにして…」
「いや、うん…もういいんだけどうどん吐きそッ…」
「わーわー!急に走ったからか!?本当にごめん頼むから吐かないでくれ!」
何故この男はあれだけのうどんを一気食いして激走しておいてケロッとしているのか。すると、気持ち悪くなった胃を抑える私の背中を炭治郎が撫でながら、もう一度置き去りにしたことを謝ると、鬼舞辻無惨を見つけたとポツリと呟いた。私は目を見開く。
「今なんて…」
「俺の家に残ってた匂いがしたから、早く追いかけなきゃと思ったんだ。でもアイツは、人間の奥さんに、人間の子供に、そうやって溶け込んで生きていた」
そのまま逃げられてしまったと炭治郎は悔しそうに唇を噛んだ。あまりの話に思考が追いつかない。私達の仇が、世の中の鬼の元凶が人間のフリをして暮らしている。周りは何の違和感もなく、残忍な諸悪の根元と接触しているというのか。考えただけでも背筋が凍った。 炭治郎によると、無惨は何の関係もない男を鬼に変貌させると騒ぎに紛れて姿を消したという。その鬼にされた男も、突如現れた二人の鬼によって保護された。どうやら今からその二人の鬼の隠れ家へ向かうとのことだった。 すると禰豆子ちゃんが何かに反応するように炭治郎の袖を引っ張ると、ある一点を睨み付けた。釣られて視線を辿ると、鋭い目付きの男の子が此方をじっと見ていた。鬼の気配だ。
「炭治郎の知り合い?」
「さっき助けてくれた人達なんだ。待っててくれたんですか?俺は匂いを辿れるのに」
「目くらましの術をかけている場所にいるんだ、辿れるものか。それより…鬼じゃないかその女は。しかも醜女だ」
醜女?一体誰が?一瞬理解ができなくて固まる。見間違いではない、指先が向いているのは完全に禰豆子ちゃんの方だった。突然現れてなんて言い草だ。自分だって鬼なのに。 妹を醜女扱いされて当然お兄ちゃんは黙っている筈もなく、「醜女の筈ないだろう!」と珍しく声を荒げる。
「よく見てみろこの顔立ちを!町でも評判の美人だったんだぞ禰豆子は!」
「女の子にそんなこと言っちゃ駄目でしょ?」
「そうだ!」
「行くぞ」
「いや行くけれども!醜女は違うだろ絶対ッ…もう少し明るい所で見てくれ!ちょっとあっちの方で、」
ギャースカ暴れる炭治郎に男の子は顔色一つ変えずに踵を返した。どちらも宥めようと試みたが一向に叶うことはなく、今にも掴みかかりそうな勢いの炭治郎をどうどうと抑えて大人しく男の子の後をついて行く。
無言で歩いている間も炭治郎だけはしばらくの間暴れていた。それは目的の隠れ家に辿り着いても静まることはなく、男の子が「戻りました」と玄関を進んで行く間にもずっと隣で「この口枷のせいかもしれない!これ外した禰豆子を一度見てもらいたい!」と暴れていた。しかし奥の部屋で座る綺麗な女性の姿が見えた途端、落ち着きを取り戻した。どうやらこの方がもう一人の鬼らしい。女性が「お帰りなさい」と此方を向いた。
「あっ大丈夫でしたか、お任せしてしまいすみません」
「この方は大丈夫ですよ。ご主人は気の毒ですが、拘束して地下牢に」
「…人の怪我の手当てをして辛くないですか?」
炭治郎の言う人の治療とはつまり人間の治療ということだろう。二人は鬼だ。何故人間の治療をするのかは私にも疑問だった。発言を聞いた男の子が隣から物凄い剣幕で炭治郎に肘鉄を入れ、自分達が血肉に飢えながら人間の治療をしているのかとそう怒鳴った。 思わず呻き声を漏らす炭治郎に、綺麗な女性が「よしなさい」と立ち上がる。何を言っても聞く耳を持たなかった男の子が女性に注意された時だけは秒速で行為を辞めていた。しかしながら敵意は隠すつもりもないようで、大人しくなったかと思いきや隣で不吉な雰囲気を漂わせている。
「名乗っていませんでしたね。私は珠世と申します。その子は愈史郎。あなたは初めて見ますね?」
綺麗な紅藤の瞳が私に向けられる。誰もが振り向くようなその美貌に思わずどきりと胸がなると、自然と背筋がのびた。何だか隣から殺気を感じるが気のせいだと思いたい。
「私、名字名無しと言います。炭治郎とは鬼殺隊の同期で、同じく鬼舞辻の行方を追っています」
「…そうですか。二人共愈史郎とは仲良くしてやってくださいね」
ちらりと隣を見る。両目を釣り上げて邪気を放つ愈史郎さんの姿に、炭治郎と心の中で難しすぎる…と思ったのは珠世さんには内緒である。どうやら彼は珠世さんがとても好きらしい。一種の独占欲のようなものすら伺えた。 それから珠世さんは炭治郎の質問に対して丁寧に答えてくれた。自身の身体を弄っている為、普通の鬼と違って楽なことや鬼舞辻の呪いにもかかっていないこと。つまり人間を喰らわず、少量の血だけで生きて行くことができる。 「血…?」と反応する私達に、珠世さんは金銭に余裕のない人から輸血と称して買っていると教えてくれた。情報量が多くて困惑していると、更に珠世さんは自分が愈史郎さんを鬼にしたと言う。
「でも、人間を鬼に変えられるのは鬼舞辻だけでは…」
「そうですね、それは概ね正しいです。二百年以上かかって鬼にできたのは愈史郎ただ一人ですから」
二百年。途方も無い期間だ。当然人間の私達はそれ程長く生きることができない、可能性があっても精々百年が限界だと思う。隣で炭治郎がだらだらと汗を掻きながら「珠世さんは何歳なんですか!?」と叫んだ。当然愈史郎さんの拳が鳩尾に入る。女性に歳を聞くのは無礼の類に入るが、炭治郎のことだし多分純粋に気になったんだろうな…。憐れみの視線で崩れ落ちる炭治郎を見下ろした。
「愈史郎!次にその子を殴ったら許しませんよ」
「はい!(怒った顔も美しい)」
胸を高鳴らせ素直に返事する愈史郎さんの変貌っぷりが恐ろしい。まるで心の声が聞こえてくるようだ。すると珠世さんが「一つ誤解しないで欲しいのですが」と話を切り出す。炭治郎もさっと体勢を立て直した。
「私は鬼を増やそうとはしていません。不治の病や怪我等を負って余命幾許も無い、そんな人にしかその処置はしません。その時には必ず本人に鬼となっても生き永らえたいか訪ねてからします」
炭治郎が鼻を動かす。きっと匂いで信用できる人かどうか確かめているんだ。けど、そんな便利な特技を持たない私ですら珠世さんからは清らかな空気を感じる。壮大な話で整理するのに大変だが、きっとこの人は嘘などつかない人だ。なんとなくだがそんな気がした。 炭治郎もそう判断したのか、一瞬考え込む素振りを見せてから意を決したように口を開いた。
「珠世さん…鬼になってしまった人を、人に戻す方法はありますか?」
「鬼を人に戻す方法は…」
ゴクリと唾を飲み込む。食い入る様に珠世さんを見つめた。珠世さんは俯いていた顔をゆっくりあげると、「あります」と確かに力強く言った。
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