8.言葉




 任務先は町と呼ばれるだけあって栄えていた。長屋がずっと続いていて、色とりどりの着物を身に付けたたくさんの町人が大通りを通っていく。私は大分田舎の出だったし、あったとしても村くらいだった。初めての場所に心踊りそうになるのをグッと堪え、これは任務なんだと気を入れ替える。

 早速何か手がかりはないかと炭治郎と辺りを見回していると、顔に無数の痣があるやつれた男が覚束ない足取りで横を通り過ぎていった。何となく気がかりでその後ろ姿を目で追っていると、隣の露店で婦人達が噂話を始めたので二人して耳を澄ませる。

「ほら、和巳さんよ。可哀想にやつれて…一緒にいた時に里子ちゃんが攫われたから」

「毎晩毎晩気味が悪い。あぁ嫌だ。夜がくるとまた若い娘が攫われる」

 炭治郎と顔を見合わせる。これだ。慌てて和巳と呼ばれた男を追いかける。彷徨うように歩いていたので、幸いそう遠くには行っていなかった。「和巳さん!」と声をかけると、男は振り返る。

「ちょっとお話を聞きたいのですがいいですか?」

「消える若い娘のことなのですが…」

 そう切り出すと、和巳さんは困惑したかのように私達を交互に見た。突然子供が何だと言いたげに表情を曇らせたが、何か考え直したかのように踵を返すと、私達に付いてくるよう指示した。

 大人しく揺れる背中について行くと、和巳さんはある塀の前で立ち止まった。

「ここで里子さんは消えたんだ。信じてもらえないかもしれないが…」

「信じます!信じますよ!信じる!」

「!?」

 そう言って炭治郎は地面に這いつくばって鼻を動かす。唖然とする和巳さんに「彼、鼻が効くんです」と説明すると、心ここに在らずな返事を残して俯いた。里子さんが攫われた時のことを思い出しているのだろうか。自身を責めるような表情に、私よりも大きい背中がとんでもなく小さく見えて思わず和巳さんの手を握る。驚いた表情が私を見下ろした。
 きっとこの人は今とても辛くて、悲しくて、やり場のない気持ちに困惑しているんだ。鬼の存在を知らずに生きている人は沢山いる。大切な人が、原因不明の事件に遭って正気でいられる訳がない。ただただこの人が祖母を亡くした時のヤケクソだった自分の姿に重なって胸が痛くなった。
 また鬼のせいで、何の罪のない人間が傷付く。それでも、鬼は元々人間で、この犯人の鬼がそうだったかは分からないけど、禰豆子ちゃんみたいに何の罪もなかったかもしれなくて、誰かのせいで鬼に変えられて傷付いているかもしれない。少し炭治郎に影響されたのだろうか。あんなに憎んでいた自分が今では真逆の考えをしている。どっちの味方なんだと心の中で自嘲気味に笑った。とにかくこの人を救いたくて「必ず助けます」と背中を撫でる。

 すると炭治郎が突然何かに気付いたように起き上がると、ある方向に走り出した。

「炭治郎!?どこ行くの!」

「匂いが濃くなった、鬼が現れてる!名無しは和巳さんを頼んだ!」

 そう足早に告げると、高く飛び上がって長屋の上を走って行ってしまった。隣で和巳さんが信じられないものでも見るかのようにそれを呆然と見上げる。炭治郎は向かい側の大通りに飛び降りると、そのままあっという間に見えなくなった。

「一体何がどうなっているんだ…」

「ちょっと驚くと思うけど…私がいますから、安心して。追いかけましょう」

「う、うん」

 和巳さんの手を掴んで走る。男性一人を背負い上げて飛び上がる訳にも行かない、少し遠回りになってしまうが炭治郎ならきっと一人でも少しの間凌いでくれる筈だ。それに彼にはとても頼もしい妹、禰豆子ちゃんがついている。今は二人を信じよう。そう祈りながら炭治郎が走って行った方向へ向かう。
 和巳さんの息が上がってきた頃、何回目かの角を曲がった先に女の人を抱えた炭治郎と、地面から覗く”異能”の鬼の姿が見えた。「攫った女の人達はどこにいる!」叫び声が耳に届く。炭治郎と名を呼ぼうと口を開くが、それよりも先に地面にいる鬼がそれを遮るかのように強烈な歯軋りを辺りに響かせると、黒い沼のようなものに沈んで消えていってしまった。

「…何だったの、今の」

「説明は後だ!すまないが、この人を抱えて守ってくれ。和巳さんは俺の間合いにいてください!」

 鬼はまだ近くにいる。そう言って眠ったままの女の人を私に預けると、炭治郎は刀を構えて匂いに集中し始めた。どうやら鬼は地面の中を移動できる能力があるらしく、その数は三体。鬼は群れることはないので恐らく一体から分裂したのだろう。場所さえあればどこからでも出てこれるというのだから油断ならない。その分、炭治郎は鼻が効くので鬼の居場所を当てられるのはとても心強かった。
 和巳さんとその後ろを歩いていく。すると、目の前で炭治郎の足元に黒い沼が浮き出てくるのが見えて、咄嗟に「下だ!」と声を張り上げだ。炭治郎はすぐに刀を真上に振り上げると、捌ノ型 滝壺を足元に伸びた三体の鬼に叩きつけた。大量の水が滝のように流れて鬼が散りじりになっていく。駄目だ、急所を外している。

 次はどこに現れるか分からない。少しでも刀を振れるように抱えていた女の人を背中に乗せる。集中して気を張り巡らせていると、背後から鬼の気配を感じて身を翻す。和巳さんの着物の袖を鬼が掴んだ。
すぐに刀を抜いてそのまま腕を切り落とすも、型を使っていないので気休めにしかならない。鬼が再び沼の中に身を隠し、ズルズルと跡を残しながら後方に逃げていく。と思いきや、姿を現し、憤然と怒鳴り声をあげた。

「貴様らァアア!邪魔をするなァッ!女の鮮度が落ちるだろうが!」

「…は?」

「もう今その女は十六になっているんだよ、早く喰わないと刻一刻で味が落ちるんだ!」

 あまりの発言に自然と眉間に皺が寄っていくのを感じる。和巳さんが青ざめた。すると更に私達の背後からもう一体分裂した鬼が「冷静になれ俺よ」と沼から姿を現わす。

「まぁいいさ、こんな夜があっても。この町では随分十六の娘を喰ったからな。どれも肉付きがよく美味だった、俺は満足だよ」

「俺は満足じゃないんだ俺よ!まだ喰いたいのだ!」

 何を言っているんだこの鬼達は。元々は一体の鬼だったくせに、性格と言っていることがてんでバラバラだ。すっかり青ざめてしまった和巳さんが隣から、震える声で「一昨晩攫った里子さんを返せ」と張り上げる。長屋の屋根から三体目が現れてギリギリと耳障りな歯軋りを響かせた。

「里子?誰のことかねぇ。この蒐集品の中にその娘の簪があれば喰ってるよ」

 鬼が片方の着物を捲ると、ズラリと並んだ無数の簪が覗いた。まさか、そんな筈は。和巳さんが目を凝らす。お願い、見つけないで!そう必死で祈った。しばらくの無言の後、和巳さんが目を見開いた。ある一つの簪を見つめたまま、こぼれんばかりに開かれた両目から次々と涙が溢れては頬を伝っていく。――間に合わなかった。

 炭治郎の足元から鬼が勢いよく飛び出す。間一髪で避けられて行き場を失った右腕が横の壁に刺さって粉々に砕けた。動きが速くなっている。

「炭治郎、壁!」

 どこからともなく鬼が姿を現しては攻撃を避け、さらにその隙を狙って次の鬼が攻撃を仕掛けてくる。一体三の状況だ。刀さえ握れれば…悔しさに唇を噛みしめる。声を上げることしかできないなんて。それでも眠ったままの女の人を放っておく訳にもいかない。この鬼は女が好物だ。いつどこで攫われるか分かったもんじゃない。
 炭治郎の背後から鬼がにじり寄っていく。ここからの距離じゃ間に合わない!どうしようもなくて腕を伸ばした。次の瞬間、炭治郎の背中の箱から勢いよく足が飛び出ると、そのまま鬼の首を蹴り飛ばしてしまった。あまりの勢いに鬼の首が二、三回回転する。鬼は口から血を吐くと、その場に崩れ落ちた。和巳さんがまたもや顔を青ざめさせる。

「…何故人間の分際で、鬼を連れている」

「禰豆子ちゃん…」

 ほっと胸を撫で下す。足の正体は禰豆子ちゃんだ。騒ぎを聞き付けて起きたのか、少し不機嫌そうに地面に降りると私と和巳さんの元へ歩いてきて頬に触れた。
 虚な桃色の瞳には何が見えているのだろうか。愛おしそうに頬を撫でていたかと思うと、踵を返して突然走り出した。その表情は怒りに染まっている。禰豆子ちゃんはまっすぐに鬼に向かうと、足を振り上げ地面から覗く鬼の顔に踵を落とす。けどすぐに逃げられて、蹴った地面から土埃が舞った。

「禰豆子!深追いするな!こっちへ戻れ!」

「!」

 炭治郎に呼ばれると我に返って大人しく戻ろうとする。鬼がステップを踏む禰豆子ちゃんを捕まえようと手を伸ばすが、軽々と飛んで避けられていた。何事もなかったかのように目の前に戻ってきた禰豆子ちゃんを、炭治郎が困惑した表情で見る。
 
 炭治郎は鱗滝に言われた言葉を思い返していた。鬼となった禰豆子は自身が守ってやらねばならぬ程弱くはない。頭では分かっているけど、妹を危険な目に合わせたくなかった。例え回復すると分かっていても、傷一つつけさせたくはない。しかし禰豆子に任せれば自分は攻撃に専念できる。果たしてそれでいいのか?と。
 
 足元に沼が広がる。炭治郎が何を考えているのか、私には何となく分かった。引き摺り込まれるのを躊躇する姿に、少しでも安心させたくて声を荒げる。

「禰豆子ちゃんなら私が責任を持って見てる、約束する!だから安心して行って!和巳さんや、攫われた人達の為に」

「!…あぁ。ありがとう、行ってくる!」

 「三人を頼んだ!」そう言い残して炭治郎は鬼と共に下へ引き摺り下ろされていった。その姿を見届けて、私は振り返る。敵の数が減った今、心置き無く刀が振れる。

「和巳さん、この人をお願いします」

「あ、あぁ…分かった!」

「さて、鬼よ。覚悟はできてるね?」

 丁度禰豆子ちゃんに蹴り飛ばされて潜るタイミングを失った鬼に、腰の刀を抜いて躙り寄る。白の刀身が月の光に照らされて輝いている。鬼は焦ったように鋭い爪を伸ばしてくるが、自身に届く前にその両腕を切り飛ばした。平衡感覚を失って崩れた鬼がずるずると後ずさる。これではどちらが悪人か分からない。

「どうして人を攫ったりしたの」

「お、女共はな!あれ以上生きてると醜く不味くなるんだよ、だから喰ってやったんだ!俺達に感謝しろ!」

「そんな理由で…」

 それ以上聞いていられなくて、醜い言葉に目を背けたくて刀を振り上げる。そのまま鬼の頸を切ろうとした。けど、ふと思い出して手を止める。

 「鬼舞筋無惨のことを知っているか」

 そう尋ねたとき、鬼の様子が一変した。とんでもない恐怖に支配されて、全身が酷く震えている。何が起きているのか分からなくて、もう一度強く問うと、鬼は「言えない!言えない!」と逃げるように身体を後方にずらしていった。

 一体何がこの鬼をそこまで怯えさせている?困惑していると、鬼が「言えないんだよぉ!」と素早く両腕を再生させて襲い掛かってきた。何も情報を得られなかったのに。悔しさを感じながらその両腕を躱すと、どこからともなく現れた炭治郎が鬼の首を横薙ぎに斬り落とした。ストンと頸が転がって、身体が粉々になっていく。

「すまない、遅くなった…」

「大丈夫だけど…それより、どうして」

「二体を倒した後、こっちに戻ってくるときに話が聞こえたんだ」

「そっか…何も聞き出せなかった。…ごめん」

「名無しが謝ることじゃないだろう?きっと誰がやってもああなっていた」

 仕方ないことだった。口ではそう言っているけど、落胆は目に見えて感じられた。炭治郎は突っ立って眠りかけている禰豆子ちゃんに駆け寄ると、安心したように額を合わせている。その姿に余計に胸が痛んだ。

 和巳さんの姿を探す。すぐ近くに女性を壁に座らせ、呆然と座り込む和巳さんの姿が目に入った。里子さんのことを考えているのだろう。両目から溢れる涙がいくつもの跡となって砂に吸い込まれていく。手巾を差し出したが、和巳さんがそれに気付くことはなかった。
炭治郎が「大丈夫ですか?」と目線の高さに跪く。やっとのことで持ち上げた顔は絶望に打ち拉がれていた。震える唇が言葉を紡ぐ。

「婚約者を失って、大丈夫だと思うか」

「和巳さん…失っても、失っても、生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようとも」

「お前に何がわかるんだッ!お前達みたいな、子供に!」

 和巳さんが炭治郎の羽織を掴み上げて叫んだ。どんな言葉を浴びせても、炭治郎はただただ優しく、困った顔で見つめ返した。力を込めすぎて白くなった拳をゆっくりと離してやる。その代わりに、鬼の着物の端きれを握らせた。無数の簪が光る、鬼の蒐集品だった。

「俺達もう行きます。この中に、里子さんの持ち物があるといいのですが」

 ハッと我に帰ったかのように炭治郎を見つめ返す。お辞儀をして和巳さんに背中を向けると、しばらく歩いたところで後ろから泣きそうな声が聞こえてきた。

「すまない!酷いことを言った、どうか許してくれ!すまなかった…君も、助けると言ってくれて本当にありがとう!あの時の俺には何よりも心強かったんだ!」

 立ち止まって振り返る。涙でぐしゃぐしゃになった和巳さんと目があった。

 どうか強く生きて、どんなに辛いことがあっても、挫けないでほしい。もう泣かないでと心の中で祈って、微笑んだ。和巳さんが頭を下げるのが見えて再び歩き出す。

 私が止まっていた間も炭治郎は歩みを止めなかった。その姿は、もうずっとずっと先にあった。




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