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 五条先生が出張で出払っている間にその任務はやってきた。

 伏黒君や、未だ会えていない先輩達と違ってドのつく初心者である私には通常任務は与えられないのだが、何故かその日は私を含めた一年生四人での緊急任務だった。
 いくら人手不足でも私が行ったところで足を引っ張るだけのような気もするが、学校の命令とあらば逆らう訳にもいかない。同じく不安そうにしている伊地知さんの指示で車に乗り込み、私達は現場である西東京市の少年院に向かった。

「我々窓が呪胎を確認したのが三時間程前。避難誘導九割の時点で現場の判断により施設を閉鎖」

 そして現在も五名の在院者が第二宿舎に呪胎と共に取り残されているとのことだった。
 伊地知さんの情報によると、呪胎が変態を遂げるタイプの場合、最高クラスの特級に相当する呪霊に成ると予想されている。そして、本来ならば同等級の術師が任務に当たる。
 特級というと五条先生が当て嵌まるのだろう。私も日頃から書庫で本を借りて呪術師について勉強を始めたからこそ尚、そのレベルからかけ離れた一年生の私達が派遣される理由が分からない。
 そんな私の表情から汲み取ったのか、伊地知さんが眼鏡を押し上げながら説明を付け足した。

「この業界は人手不足が常。手に余る任務を請け負うことも多々あります。ただ今回は緊急事態で異常事態です。
"絶対に戦わないこと"。特級と会敵した時の選択肢は逃げるか死ぬかです」

 私達の任務はあくまで生存者の確認と救出。それでも、ただならぬ予感にごくりと唾を飲み込んだ。

「あの、あの!正は…息子は大丈夫なんでしょうか」

 振り返ると、そこには今にも泣きそうな女性が立っていた。取り残された五名の中に身内がいるのだろう。高専関係者に掴まれた腕を払いながら、雨の中傘もささずに息子の身を案じている。
 伊地知さんは女性の気迫に怯む私と虎杖君を背にやると、慣れた様子で彼女に残酷な程曖昧な現状説明をした。
 仕方がないことだった。呪霊云々の話をしたところで、普通の人には視ることすらできないのだから。

「伏黒、釘崎、名字。助けるぞ」
「当然」
「…」

 私は、その力強い言葉に何も返すことが出来なかった。伏黒君も無言だったが、彼は彼で私とは真逆の理由で思考を巡らせているのだろう。
 勿論助けられるなら私だって助けたい。けれど、自信を持って口にできる程、私は自分に対して余裕を持てていなかった。

 雨はしとどと降り続けていて止む気配はない。

「帳を下ろします。お気を付けて」

 伊地知さんが左手を翳す。

「闇より出でて闇より黒く。その穢れを禊ぎ祓え」

 言い終わると同時に曇天の空に真っ黒の絵の具を溢したような闇が広がり、少年院周辺を覆っていく。
 突如夜になったかのような錯覚に陥る帳という結界は、外から私達を隠す為のものだ。初めて見るそれに虎杖君と空を見渡していると、野薔薇が呆れたように肩をすくめた。

「"玉犬"」

 伏黒君が両手で犬のような形の印を組むと、足元の影から白い大型犬が現れる。
 これが伏黒君の術式なのだろう。恐る恐る頭を撫でてみると、思いの外ふわりとした手触りで恐怖は感じられない。虎杖君は見慣れているのか、実家の飼い犬に触れるようにヨシヨシと撫で上げている。

「呪いが近付いたらコイツが教えてくれる。行くぞ」
「ちょっと待って。名無し」

 突然呼び止められ、私を含めた三人が野薔薇を振り返った。
 眉根を寄せた表情に戸惑っていると、掴まれた片手に力が篭る。

「アンタさ、やっぱり車で待ってた方がいいんじゃない?」
「え?」
「いくら緊急事態って言ったってわざわざ超絶初心者の名無しが行くことないと思うの」

 厳しい口調だったが、その裏には私への気遣いが見え隠れしていた。きっと、先日の実地試験のことを密かに気にしているのだろう。
 野薔薇の言うことは一理ある。けれど、そうやって問題を先延ばしにしていては私は何も変われない。

「ありがとう心配してくれて。でも大丈夫だよ!今回の任務は救助なんでしょ?大人の男性運ぶなら私にだってできる」

 それに、自分の身を守ることだけならできるから。
 私の返事に野薔薇は「…分かったわ」と短く答えると、掴んでいた腕を離す。不満気のままだったけど、それ以上何も言ってこなかった。
 推し量るように見守っていた二人も顔を見合わせると、今度こそ少年院の入り口を開け放った。



「…何、これ」

 少年院の中は、正に異質という言葉がぴったりだった。
 本体は二階建てだというのに、目の前に広がるのはマンションの外観のような建物と、幾重にも繋がったパイプ。黄昏を閉じ込めたような空間に虎杖君は困惑気味に叫んだ。

「どうなってんだ!?二階建ての寮の中だよなここ!」
「おおお落ち着け!メゾネットよ!」
「…ちげぇよ」
「これって珍しいものなの?」
「呪力による生得領域の展開だ。だが、こんな大きなものは初めて見た…」

 私達の中で一番現場に慣れている伏黒君でさえ呆然と見上げてしまうこの空間は余程稀なものらしい。
 改めて呪術というものの異常さを噛み締めていると、ふと背後の景色が歪んだような気がして振り返る。

「(あれ?確かここから入ったよね)」

 たった今私達が入ってきた扉が嘘のように消え失せ、最初からそこには何もなかったかのように太いパイプが折り重なって壁となっていた。

「ドアがなくなってる」
「なッ!?」

 小さな呟きを拾い上げた伏黒君が勢いよく振り返る。野薔薇と虎杖君も慌てたように身を翻すと、訳が分からんとばかりに頭を抱えた。

「ドアがなくなってるってなんで!?今ここから入ってきたわよね!?」

 「どうしようあそれ」と二人が謎の踊りで現実逃避しているのを横目に、伏黒君は玉犬に寄り添い語りかけている。その様子を見守っていると、伏黒君から頼もしい言葉が聞こえてきた。
 どうやら彼の玉犬が出入り口の匂いを覚えているらしく、難なく私達を案内できるのだと言う。

「わぁ、凄いお利口さんだね」
「わしゃしゃしゃしゃ」
「ジャーキーよ!ありったけのジャーキーを持ってきて!」
「緊張感!!」

 叱責が飛んでくるも、虎杖君は気にした様子もなく立ち上がって伏黒君にはにかんで見せた。

「やっぱ頼りになるな伏黒は」
「?」
「お前のおかげで人が助かるし、俺も助けられる」

 虎杖君の無垢な笑顔を向けられた伏黒君は言葉もなく俯く。彼の中で何か思うことがあるのか、話を逸らすかのように「進もう」とだけ答えると、そのまま私達に背を向けて突き進んで行くのだった。




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