5.5


 虎杖とはまた違った事情で急遽高専に転入が決まった生徒の話を聞かされた時、俺の中には驚きと、ほんの少しの哀れみの感情が混在していた。
 呪いが視えるというだけでもマイノリティな存在。かと言って、件の生徒は俺のように生まれながらに呪術師への既定路線があった訳でも、特別な家柄だった訳でもない。紛うことなきただの女子高生だ。
 更に聞けば、その女はほぼ五条先生に丸め込まれる形で転入が決まったと言う。呪術の呪の字すら知らないような初心者を指導する程五条先生は暇じゃない筈だが、本人の言う「人手が足りない」という口実以外に、もっと本質的な理由が水面下で思案されているのを俺は薄々と感じていた。

 同じ性質を持ちながらも真逆の境遇。だからこそ、柄にもなく他人に同情なんてしたのかもしれない。

「名字名無しです。急な転入でまだ何も分からないけど、これからよろしくね」

 いざ例の女を目前にした時、俺は正に雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
 これまで呪術師に縁のなかった奴がたった一度の出来事で自ら命のやりとりをする場所に赴くなど、一体どんなイかれた女がやってくるのかと思いきや、現れたのは普通の女子高生だった。
 虎杖は気付いていないだろうが、名字から滲み出る雰囲気は恐怖、不安といったマイナスのオンパレードだし、原宿に向かう道中では手だって間断なく震えていた。明日には荷物を纏めて逃げ出すんじゃないかってくらい頼りない。同じ一年生である釘崎の太々しさを目の当たりにした後は尚のこと弱々しく見えたものだ。
 「お前は何でここに来た?」思い切ってそう問おうとした時、タイミング悪く五条先生によって言葉が被さり、その質問がその後成されることはなかった。

「三人で呪いを祓ってきて!」

 悪びれずに言ってのけた五条先生に、名字の表情はみるみる内に絶望の色に染まった。その理由を知ってか知らずか、虎杖と釘崎は不思議そうに二人のやり取りを見ている。

「私が呪いの祓い方すら知らないの知ってるでしょう!?」
「知ってるさ。だから行ってこいって言ってるの」
「呪術を使ったことがあるって言ってもあんなのまぐれでしかないのに、わざわざ死にに行けって言うんですか?」
「呪力の流し方なら粗方教えてあげたし大丈夫大丈夫。理解できてるならこういうのは実践が一番だから」

 取り付く島もないとはこのことだろう。まるで親に見捨てられた子供のような表情で佇む名字に、五条先生は容赦なく彼女の背中をさっさと廃ビルへ押し出してしまった。しかも、手助け禁止というトドメまで刺して。
 流石にそれはあまりにも酷なんじゃないかと口を挟みそうになったが、善人とも取れる虎杖がいるし、最悪の事態は避けられるだろうと自身を納得させて、俺は三人を見送った。


「五条先生のバカァアアッ!ちょっとイケメンンンンッ!」

 暫く外で待機していると、廃ビルから聞き覚えのある大音声が響き渡った。

「…何だか悪口なのか微妙な叫び声が聞こえた気がするんですけど」
「名無しは思ったより元気そうだね!」

 頬杖を突いて楽しそうにビルを見上げる横顔を呆れたように見つめるが、相変わらず気にした素振りはない。あの中で一体何が起きているのかは皆目見当も付かないが、絶叫の内容からするに絶好調という訳ではないのだろう。
 やっぱり俺も同行した方がいい気がする。ただでさえ虎杖だって要監視の身の上なのだ。そう思って腰をあげると、五条先生が「無理しないの。病み上がりなんだから」と片手でそれを制した。

「悠仁のことは勿論だけど、今回試されているのは野薔薇と名無しの方だ」

 試すも何も、釘崎は経験者で名字は初心者だ。その二人を引き合いに出すのは些か強引な気がした。
 そんな俺の心情を見透かしたように、五条先生は言葉を続ける。

「悠仁はさ、イかれてんだよね。生き物の形をしたモノを、自分を殺そうとしてくるモノを、一切の躊躇なく殺りに行く。普通の高校生活を送っていた男の子がだ。才能があっても嫌悪と恐怖に打ち勝てず挫折した呪術師を恵も見たことがあるでしょ」
「…」
「だから、今日は二人のイカれっぷりを確かめたいのさ。でも実際、一番知りたいのは野薔薇の方なんだよね。知ってた?名無しってさ、めちゃくちゃ逃げ足速いの」
「は?」

 どこをどうしたらそこに繋がるのか。会話の意図が全く掴めない。こういうところは今に始まったことじゃないが、意味不明な解説をされる名字がほんの少し不便に思えた。

「小学生男児を難なく抱えて呪霊相手に長距離階段を全力疾走。しかも追い付かれる様子もない。運動能力はさ、抜群に高いんだよ」
「はぁ。虎杖みたいですね」

 実際の光景を思い浮かべているのか、五条先生の喉から小さく笑い声が漏れている。

「それを本人が自覚しているかはともかく、何かあってもこのビルから一人逃げ出すくらい訳ない筈だ。ただ、どれだけ呪い相手に立ち回れるかで彼女の今後が決まると言ってもいい。そこは野薔薇も同じだ」
「だからって、術式すらまともに扱えない奴を精神的に虐めるのはどうかと思います」
「あれ。やけに庇うね?」
「別に。変にトラウマ植え付けて中途半端に辞められるのは寝覚めが悪いので」

 確認しなくても五条先生が楽しそうに俺を見ているのが分かる。その視線に気付かないふりをしながら再度廃ビルを見上げていると、隣から「まぁ見てなって」と諭すような呟きが静かに空気に溶けていった。

 その後、外に逃げ出した呪いにしっかり止めを刺したことで釘崎のイカれっぷりとやらを確認したらしい五条先生は、満足そうに片手を上げて帰還した二人を出迎えた。

「オッツー!」
「あれ、名字は?まだ帰って来てないの?」
「一緒じゃなかったのか?」
「私達は偶然合流したけど、最初に別行動した時から一回も見てないわよね…?」

 その言葉を最後に微妙な静寂が流れる。耐えられなくなった虎杖が真っ先に「俺探してくるよ!」と踵を返すが、すかさずその襟首を五条先生が掴んで引き止めた。

「まぁまぁ待ちなって」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?もしかしたら…」

 その最悪の想像をしたのだろう。釘崎が罰が悪そうに俯く。そんな生徒を目前にしても、五条先生は相変わらず余裕そうに廃ビルの入り口を眺めている。そして目的のものを見つけたように、ニヤリと笑った。

「た、ただいま戻りました…」
「名字!?」

 全員の視線が一箇所に向けられる。そこには、乱れまくった髪とやたら傷だらけの名字が、さながら戦帰りの武将のような出で立ちで立っていた。何やら背後に私怨を揺らめかせている。
 それを知ってか知らずか「お疲れサマンサー!」と全力の笑顔を向ける五条先生に、名字は睨みを効かせながら此方に向かって来た。

「随分と派手に追いかけ回されたみたいだね」
「先生…嵌めましたね?」
「人聞きが悪いなぁ。生徒に合った適切な指導をしただけだよ」
「先生の中の私って一体!!」
「ちょっとアンタ!生きてんなら早く出てきなさいよ心配したじゃない!」
「てかなんでそんなボロボロなの?」

 ギャースカ騒ぐ四人を呆然と眺める。あいつ、本当に今朝会った奴と同一人物か?
 ビクビク震えていたのが嘘のような奮然とした態度に思わず面食らっていると、不意に五条先生が此方を見て「ほらね」と口パクした。名字名無しという女は俺が思っていた以上に図太く、根性のある質らしい。

 杞憂だったことに何となく釈然としないまま、俺は咄嗟に名字から目を反らすことしかできなかった。




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