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「やるわよ。伏黒と名無しの尾行作戦」
勇ましく宣言する釘崎に、虎杖は困った顔で「ほんとにやんの?」と何度目かの確認をした。 相手が友人でも一歩間違えればプライバシーの侵害だ。いくらなんでも、というのが虎杖の考えであったが、そんなものはお構いなしに突き進むのが釘崎野薔薇だということもよく分かっているので、「やる!」と予想通りの返事が返ってくると最終的には渋々頷いた。 釘崎が突拍子もないことを言い出したのも、先日の食堂での名無しの問題発言が原因だった。本人は深く考えずに悩みを打ち明けただけのつもりなのだろうが、あれは誰がどう見ても重度の恋煩いだ。それも、鈍めな虎杖でさえ驚愕する程の。 明け透けな伏黒はともかく、名無しは気にする素振りはありつつも本気ではないと思っていたので、これには釘崎も「お前もかい!」と内心で叫び散らかした。想いは同じなら一体伏黒は何を道草食ってんだと憤慨するのも束の間、夜中には名無しから「さっきの話やっぱり何でもなかった」だなどと訳の分からない訂正のメッセージが送られてくるものだから、気の短い釘崎はとうとう我慢ならずに実力行使を決心したのだ。 あの二人のことだ。こうでもしなければ気付いたら永遠に進展しないなんてことも有り得なくはないだろう。しかも名無しに至っては思慕の念を無かったことにしようとしているではないか。食堂で解散した後に何があったのかは不明だが、わざわざ否定するなんて、寧ろその一手間がより嘘臭さを助長していることに恐らく名無しは気付いていない。彼女の性格的に、どうせ変な遠慮でもしているのだろう。釘崎にはそんな確信があった。
「てか伏黒はどう思ってんの?名字を応援したいのはそうだけど、アイツの気持ち無視して突っ走っても仕様がねぇし」 「あんなのもう顔に書いてるようなもんじゃん。名無しの横でいつもそわそわしてるし、明らかに態度違うし、これで好きじゃありませんって方が不気味だわ」
勿論、釘崎とて本人に確認しなかった訳ではない。以前「アンタ、名無しのこと好きなの?」と何気なく尋ねた時、伏黒は努めて真顔を貫きながらも露骨に動揺を示していた。それこそ終始黙りを決め込まれたが、否定しない限り伏黒の無言は肯定であるというのは周知の事実である。 虎杖は過去を思い返すように天井を見上げて考えを巡らせてみる。そして暫し唸った後、「まぁ、確かに」と妙に納得した様子で視線を戻した。アンタにしては物分かりいいじゃない、と釘崎は満足気に頷く。
「尾行って言ってもどうすんの?」 「ふっふっふ…勿論下調べは済んでるわ。あの二人、今日は図書室で一緒に本読んでるそうよ」 「一緒に…本…?」 「一緒に、本」
ゴクリと唾を飲み込む虎杖に釘崎はさながら悪人の顔付きで繰り返した。 この際、色気がないなどというツッコミは野暮だ。高校生ともなればどこかに出掛けて共に楽しい一時を過ごすというのが定番だろうし、虎杖や釘崎的にも断然そっち派なのだが、あの二人に限っては寧ろ街ではしゃいでるよりもそうしてのんびりしてる方がしっくりくる。
「早速行くわよ」 「なんか、緊張すんな。覗き見」 「人聞きの悪い言い方ね。これは偵察よ」 「似たようなもんだろ!?」
高専内にも学生が自由に利用できる図書室が存在する。それ程広くはないものの、呪術に関するものから一般向けのものまで幅広い書籍が用意されており、学習するにはもってこいの空間だ。虎杖と釘崎は物音を立てないように棚裏に隠れ、息を潜めて部屋の様子を伺う。すると、窓際の机でお目当の伏黒と名無しが並んで読書をしているのが見えた。 柔らかな日差しに当てられ、特にこれと言った会話もなく黙々と本を読んでいる二人。まるで縁側で微睡む老夫婦を彷彿とさせる絵面に、釘崎は思わず飛び出してツッコミたい衝動に駆られたが、どうにか堪えた。
「アイツら本当に年頃の高校生かっつの…!」 「しー!釘崎声デカイ!」 「アンタのがデカイわ!」
つい大きくなってしまった声にハッと互いの口を押さえ合い、慌てて二人に目を向ける。どうやら気付いていない様子にほっと胸を撫で下ろし、気を取り直して観察を続けた。 伏黒と名無しにとっては苦ではないのだろうが、相変わらず会話のない二人にもしかしてずっとそうしているつもりなのか?と釘崎が危惧し始めた頃、漸く名無しが動きだしたのが見えて虎杖と釘崎は目を光らせる。しかし二人の期待とは裏腹に、名無しは本を握ったまま机に突っ伏して昼寝をかまし始めた。
「(ね、寝やがったぁあ…!)」
気になる異性を横にしてどうして寝られようか。勿論、二人の空気感故に成せることなのだろうし、信頼しているからと言えば聞こえはいいが、それにしたってマイペースすぎるというか名無しらしいというか。
「なぁ、釘崎…あれ…」
釘崎が慄いていると、隣で虎杖が震える指先で何かを指し示した。自分以上に打ち震えている虎杖に、一体何だとその視線の先を辿ってみる。そうして目にした光景に、釘崎は雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。 あの伏黒が、運の良い者しか見られないと噂の仏スマイルを浮かべて名無しの寝顔を見つめているのだ。釘崎達は勿論、名無しや先輩達にも滅多に見せない伏黒の微笑み。レア度が高いだけに、覗き見をしているという罪の意識がチクチクと二人を突き刺す。 伏黒、そんな顔もできたのね…と釘崎が親のような気持ちで涙しそうになっていることなど露知らず、伏黒は陽の光を受けて淡く透ける名無しの黒髪を耳にかけてやると、そのまま毛先を掬って指先で弄り始めた。その様子を眺めていた虎杖と釘崎が勢いよく天井を仰ぐ。
「青春の残穢が見えるわ…」 「俺ら、絶対見ちゃいけないもん見てる気がするよ…」
このままではあの二人がくっつくよりも先に自分達のHPが枯れてしまう。てか最早尾行する必要あんのかな。と釘崎が迷走し始めていると、突っ伏して寝ていた名無しがのそりと起き上がり、伏黒が慌てて手を引っ込めた。
「あ、私寝ちゃってた?てかお腹すいたね」 「…そうだな」 「……」
漫才でも見せられているかのような気分だが、ここまできたら最後までやり通さなければ気が済まない。どうやら二人は学食に移動するらしく、虎杖と釘崎には気付かぬまま席を立って反対側の出口から出て行った。釘崎は未だに天を仰いで放心している虎杖を引き摺ると、チャンスだとばかりに二人の後を付けていく。
「あれー?恵と名無しじゃん。二人一緒とかもしかしてデート?」
伏黒と名無しが図書室を後にして校内を歩いていると、目敏く二人を見付けた五条がニヤニヤしながら近付いた。
「ただでさえ生徒少ないのにそんなこと言ったら高専内は皆デート中ですよ」 「またまたそんなこと言っちゃって!って、あれ」 「(ゲッ!)」
不意に、五条が建物の裏に隠れる虎杖と釘崎に目を向けた。流石五条悟と言うべきか、速攻で見つかってしまったことに二人は思い切り顔を顰め、両手を顔の前で交差して首をぶんぶんと横に振る。そんな二人の奇行に五条は首を傾げるが、生徒それぞれの顔を交互に見遣ると瞬時に状況を察した。どうやら見て見ぬ振りをしてくれるらしい様子に虎杖と釘崎は一先ず安堵する。
「どうしたんですか」 「なんでもないよ!それより名無しさ、僕食べたいパフェがあるんだけど、今度付き合ってよ」 「ちょっと、五条先生」 「えー?なんで私?甘いもの苦手って言ったじゃないですか」 「いいじゃん。美味しいの食べたら好きになるかもだし、名無しなら前に一緒に出掛けてるしさ」 「え?あの人何やってんの?」
わざとらしい芝居を始めた五条に釘崎が絶句する。五条は流れるように名無しの肩に腕を回すと、「恵も別に名無し借りてっても平気だよね?」と挑発するように言った。伏黒の表情がみるみる内に険しくなり、大の大人と火花でも散らしそうな勢いに虎杖が「俺もう怖い…」と物陰でビクビクする。
「五条先生もいい歳なんですから、そういう相手と行ってきてください。俺ら今から飯食うんでそれじゃ」 「恵のケチ」 「何とでもどうぞ。行くぞ名字」 「あ、うん。先生バイバイ」
伏黒に引っ張られながら手を振る名無しに、五条は唇を尖らせながら手を振った。そして学食に入って行く二人の背中を見送ると、ぽかんとしている虎杖と釘崎を振り返って勢いよくグーサインを出した。
「いや何やってやったみたいな顔してんだ!焦るわ!」
尾行の標的もいなくなったことで漸く隠れる必要のなくなった釘崎は遠慮なく叫ぶ。遠くで五条は渾身のドヤ顔を見せると、役目は果たしたとばかりに上機嫌に鼻唄を歌いながら去って行った。 思わぬ助太刀であったが、伏黒の新たな一面を見れたのである意味ナイスプレーだ。少々荒いやり方ではあったが。 虎杖と釘崎は嵐のように去って行った担任のおかげでげっそりとその場に座り込む。最早、伏黒と名無しを追い掛ける気力など残っていなかった。
「…反省会をしましょ」 「…そうだな」
どこかやつれた顔の虎杖が遠い目をする。暫しの沈黙が流れるものの、二人共、言いたいことは既に決まっていた。
「何でアイツら付き合ってないの?」
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