19
「名無しって彼氏いんの?」
ピンクのカーペットでゴロゴロしていた私に、せっせとペディキュアを塗っていた野薔薇が唐突に言った。 黙々と作業に集中していたかと思えばいきなりなんだと顔を上げれば、野薔薇は私ではなく爪先を真剣な表情で見下ろしている。
「いや、いないけど?」 「まぁいる訳ないわよね」 「ちょっとどういうことですかそれ聞き捨てならないんですけど」 「いたら転校してまでこんなとこ来ないだろ」 「うーん。そしたら野薔薇もいないってことね」 「私はこれからイケメン捕まえんのよ」
なんとも彼女らしい答えだ。野薔薇は美人で性格も凄く勇ましいから、きっと付き合う相手も強くてカッコいい人なんだろうなぁなんて勝手に想像を巡らせていると、またしても野薔薇が横から時限爆弾を寄越してきた。
「例えば付き合うとしたら虎杖と伏黒どっちがいい?」 「……えーーー」 「例えばよ例えば」
そんなこと言ったって大分答え辛い質問なのに変わりない。大の字に転がったまま全力で考え込むと、「そんな悩むか?」と呆れられた。 え、そんな悩まないの?私だけ?誰しもが一度はしたことがあるだろう男女の話題だけど、例えばとはいえあの二人をそんな風に考えたこともなかったから、私は本気で首を捻って思案してしまった。
「…虎杖君?」 「うっそでしょ。ありえない」 「そうかなぁ。明るいし、一緒にいたらずっと楽しそうじゃない?」
頑張って捻り出した答えを「ないないない」と頑なに否定されたのでなんだか二人に申し訳なくなってしまった。というかちょっと、いや大分失礼だ。因みに一応言い訳するけど伏黒君がダメとかではない。
「じゃあ逆に聞くけど野薔薇はどうなの」 「私?どっちもなし」 「そんなのアリ!?馬鹿正直に答えたの私だけじゃん!」 「絶対選べって言ってないもんね〜」
理不尽極まりない。口を尖らせて野薔薇を見上げれば、ペディキュアを塗り終わったのか満足そうに爪先を眺めている。してやられたって感じだ。
「でもちょっと意外だったかも。伏黒って言うのかと思ってた」 「?なんで」 「名無しああいうクールぶってんの好きそうだし?」 「なんじゃそりゃ。そりゃカッコいいなとかは思ったりもするけど、伏黒君って綺麗系の子がタイプそうだし私じゃ釣り合わなくない?」
意を決して本音を言えば、そこで漸く野薔薇がは?みたいな顔をして私を見た。なんだか話が噛み合ってない気がする。一体どういう表情なのそれ。 変なものでも見るかのように目を細めて見下ろしてくる野薔薇に「なにその顔」と言えば、特大の溜息が返ってきた。
「…アンタって変なとこ自信ないわよね。都会っ子ってそういうもん?」 「そんなことないと思うけど」 「それなら益々心配だわ」
また溜息を一つ零す。最早褒められているのか貶されているのか不明だ。私が何か言い返そうとムッとしていると、野薔薇が「それと」と言葉を続けたので大人しく口を噤む。
「伏黒の奴、揺るがない人間性?を持ってる人がいいらしいよ」 「へぇ」
男子といえば可愛い子が好きとか身長が高い子が好きとか割と見た目に拘るイメージだったけど、どうやら中身を重視するらしい。どちらが悪いとかではないけど、なんとも伏黒君らしい回答だと思う。
「…うーんそれってどういう人だろう。真希さんとか?でも野薔薇もそんな感じだし」 「どうだか」
野薔薇は何か知っている様子だが、肯定も否定もせず意味深な眼差しを向けられて私は小首を傾げるしかない。そしてハッとある考えが浮かぶと、私は野薔薇に詰め寄った。
「ま、まさか好きな人いるの?」 「……」 「そうなんだね!?うわぁ全然知らなかった。やっぱり真希さんかなぁ。美人だしカッコいいし素敵だもんね。それか全然知らない人とかなのかな」
それなら野薔薇の言い辛そうな反応も納得だ。うんうんと勝手に納得していると、野薔薇は呆れ顔でゴソゴソと化粧品を漁り始めた。
「名無し、虎杖とか言いながらめっちゃ伏黒のこと気にしてんじゃん」 「そりゃ気になるよ!伏黒君って恋より呪術!って感じじゃない?」 「言いたいことは分かるけどあいつも一応歳頃の男子よ…。まぁ今のは忘れて。それより名無し、ちょっと面貸しなさい」
言うなり私の頭を固定し、返事を聞く気はまるでない。野薔薇の両手にはファンデーションとパフが握られていて何となくこれからされることを察した私は念の為「いいけど何すんの?」と聞いてみる。野薔薇は得意気に笑うと、掌を化粧品に翳して見覚えのあるポーズをして見せた。
「実は私ヨウチューバーの真似事みたいなのやってみたかったのよねー」 「自分の顔でやればいいんじゃ…」 「何言ってんの!こういうのは私の手によって美しくなっていく行程を見るのが醍醐味なんだから!腕が鳴るわ」
私の前髪をピンで止めてから早速化粧品を塗りたくっていく。鏡がないのでどうなってるか謎だが、野薔薇が楽しそうなので全て任せっきりにすることにした。
そうしてスポンジの心地良い感触に危うく眠りかけた頃、最後に髪にブラシを通した野薔薇が「できた!」と満足そうに鏡を突き出した。ウトウトする目を擦ろうとしたらコラ!と手を叩かれてしまったので、数回瞬きしてから鏡を覗き込んでみる。
「…うわぁこれ私?」 「我ながら可愛くできたわ。これなら男共はイチコロね」 「イチコロかはともかく、私じゃないみたい。野薔薇はお化粧上手なんだね」 「私の手にかかればこんなもんよ!」
野薔薇は「それじゃあショッピング行くわよ!」と満面の笑みで言うと、自分にも手早くもしっかりと化粧を施してから私の手を引いた。 急な予定だけどせっかく可愛くしてもらったし、私も久々に出掛けられるのは嬉しいので二人で「レッツゴーー!」なんて舞い上がりながら寮の階段を駆け降りて行く。ルンルンで正門まで歩いていると、偶然出会した伏黒君と虎杖君が「よぉ!」と声をかけてきた。
「なんか今日二人共違くない?どっか行くの?」 「私達はこれからショッピングよ!それより、もっと他に言うことあるんじゃないの?」 「うん?」
虎杖君が小首を傾げて私達を交互に見る。野薔薇がぐいっと私の肩を抱いて写真を撮る時のように顔を寄せて見せると、一拍おいてから「あぁ!」と拳で手を打った。
「釘崎も名字も化粧してるじゃん!いいじゃん、可愛い」 「!?」
屈託のない笑顔でストレートに言ってのけた虎杖君に、全く予想のしていなかった私達はあからさまに動揺した。
「思いの外はっきり言うのね…」 「え、もしかして違った?思ったこと言っただけなんだけど。てか名字顔赤いけどどしたの?」 「赤い!?」 「うそ、ほんとだ!意外と可愛いとこあるじゃない」 「か、揶揄わないでよすぐ治るから」
褒められるとは思っていなかったのでなんだかくすぐったいし気恥ずかしい。こんな時素直にありがとうって返せる余裕があったらなと思う。 野薔薇も珍しく照れ臭そうにあたふたしていて、それを見て疑問符を浮かべていた虎杖君は隣で沈黙を貫いていた伏黒君に「伏黒もそう思うよな?」と無邪気に問いかけた。
「……」 「……」
無性に答えが気になって思わずその真顔を見つめ返してみる。彼がストレートに褒めるところは想像できないけど、少しでも可愛いって思ってもらえたらなぁなんて密かに思った自分に驚いた。
「…そうだな」
けれど、暫く目が合った後、伏黒君はふいっと外方を向いて不機嫌そうにまた黙り込んでしまった。 肯定も否定もしない微妙な反応に虎杖君が「…あり?」と後ろ髪を掻く。ふと隣で野薔薇が顔を引き攣らせているのが見えて、嫌な空気を察した私は慌てて「ほら!早く駅行こーよ!」と無理矢理背中を押していくと、今にも文句を言いそうな気迫に虎杖君も背中を押し始めた。
「俺らも丁度飯食いに行くとこだったから一緒に行こーぜ!」 「ちょっと押さないでよ!まだアイツに話が…」 「あー!!私もお腹空いちゃったなー!ラーメン食べに行こうよラーメン」
お洒落なカフェに行こうって約束だったけど焦りすぎて全く別の食べ物をあげてしまった。案の定「何言ってんの!?」と勢いよく首だけ振り向いた野薔薇に最早虎杖君が率先して駅まで引っ張っていこうとする。ギャーギャーと騒いでいる前二人に対して、伏黒君は相変わらずあらぬ方向を向いたまま後ろをついて来ていた。
「(よく考えたら伏黒君の反応が普通だよね…)」 そう内心で言い聞かせるものの、正直期待している自分がいたのは事実だっただけに少し残念な気持ちだった。…と、そこまで考えて私ははてと思考を止める。 何で私、伏黒君にそんなに可愛いって思われたがってるんだ? 勿論私も人並みに容姿を気にしたりはするけど、誰かの評価をそこまで気にするのは初めてのことだった。虎杖君が高校生らしからぬ褒め方をしてくれたから調子に乗ってしまったのだろうか。なんだか勝手に期待して落ち込んでるのが途端に申し訳なくなって後ろを歩いている伏黒君に謝ろうと振り返ろうとした時、突然後ろから引き止めるかのように腕を掴まれた。
「えっ…と…?」 「…悪い」
野薔薇と虎杖君の騒がしい声が遠ざかっていく。伏黒君は私の腕を掴んだまま立ち止まるとどこか気まずそうに、恥ずかしそうに俯いて口をもごもごさせた。
「さっきは、」 「ごめん!」 「え」 「興味ないだろうに無理矢理言わせようとしちゃってごめんね!全然気にしてないから安心して!」
きっと不自然だろう笑みを浮かべて早口で捲し立てる。伏黒君は、一瞬困ったように目を泳がせた。 台詞を間違えたかな。そんな表情させたかった訳じゃないのに。どうしてか彼の前だと上手く言葉にすることができなくてつい黙り込んでしまうと、伏黒君は狼狽しながら私の腕にぎゅっと力を込めた。
「そうじゃなくて、だから…。俺も虎杖と同じこと思った、から」 「へ」
学ランの襟で口元を隠すも、その両耳が真っ赤に染まっているのが見えた瞬間思考が停止した。 虎杖君と同じことを思った。それはつまり自惚れでなければ可愛いと思ったって意味だ。頭の中で出来上がった結論に、顔から火が出るんじゃないかってくらい熱くなるのが分かる。あ、とかう、とか意味のない言葉ばかり零す私に伏黒君が俯いていた顔を上げると、きっと真っ赤であろう私の顔面を捉えるなり目を白黒させた。
「…すげぇ真っ赤っかだけど」 「み、見ないで!元に戻るまで絶対顔見たらダメだから!」 「隠してももう遅いだろ」 「いいから後ろに立ってて!良いって言うまで隣きちゃだめだから!」
あろうことか私はそんな捨て台詞を吐くと急いで二人の元に走った。全くどうして素直になれない。 ちらりと後ろを盗み見ると、伏黒君は律儀にもゆっくり歩きながら此方に向かっていた。それに少しだけ感謝しながら、私はすっかり火照った頬を暫くパタパタと扇いでいた。当然、彼が小さく笑んでいたことなど知る由もない。
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