17


「行けるかマイフレンド」
「応!」

 いつの間にか親友のような雰囲気を醸し出している二人は謎だが、ベストなタイミングだ。私も真希さんも伏黒君もこれ以上特級の相手をするのは厳しい。
 ふいに虎杖君と視線がかち合った。暗殺計画があったから心配していたけど、無事そうでよかった。その気持ちを込めて笑みを返せば、虎杖君はグーサインを出して頷く。

「やめろ虎杖!そいつは俺達でどうこうッ…ゲホッ」
「パンダ」
「あいよ」
「三人を連れて帳を出ろ。西宮曰くこの帳は対五条悟用で俺達は問題なく出入りできる」

 パンダ先輩が東堂の呼び掛けにどこからともなく現れる。そして血反吐を吐く伏黒君を抱き上げようと手を伸ばすが、彼はそれを拒否した。

「待て!いくらアンタでも…」
「伏黒」
「!」
「大丈夫」

 伏黒君が目を見開いた。目の前にいる虎杖君は、嘗ての彼とは違っている。余裕のない台詞じゃなくて、そこには揺るぎない確信が滲んでいた。

「気付いたようだな。羽化を始めた者に何人も触れることは許されない」

 伏黒君の隣で、東堂が意味もなく両手を宙に彷徨わせながら呟く。
 私達はこの二ヶ月間に虎杖君が何をしていたか一切知らない。交流会の間も、あの東堂と肩を並べられるに至った経緯を知らない。だからこそこの場に残すことが不安だった。けれど何も知らない私達にとっては東堂の言葉だけが事実で、全てだ。
 伏黒君が赤く染まった唇を強く噛む。虎杖君に対して何も言えなくなるのは、彼も同じだった。

「次死んだら殺す!」
「はーい行きますよー」

 パンダ先輩が今度こそ問答無用で伏黒君を右肩に担ぎ上げる。そして次に私の番、とパンダ先輩が私を見下ろした時、漸くある事に気付いたのか雷に打たれたかのような衝撃を受けていた。
 そう。既にその左肩にはぐったりした真希さんが乗っているので私の席はない。

「…名無しさ、キツいだろうけどこの前みたいに抱き付ける?」
「うん。先輩さえよければ」
「いや、俺と場所代われ!お前腹に穴空いてんだろ!」
「え、マジ?ピンピンしすぎて気付かなかったわ。大丈夫なのか?」
「うーん。さっきまで本当に痛かったんだけど…」

 貫かれた部分を見下ろす。ずっと手で押さえていたのを恐る恐る動かして見て、私は唖然とした。

「…」
「ど、どうした?」
「怪我が…ない」
「…は?」

 おかしい。絶対にそんな筈はない。確かに私はあの時根に貫かれたし、伏黒君もそれを見ている。流れるように付着した血痕だってあるのだ。それなのに腹の傷口だけはどこを探しても綺麗になくなっていた。
 理解が追い付かなくて放心状態になる。見兼ねたパンダ先輩が「とりあえず、硝子さんのとこ行こう?」と宥めるように優しく言うので、私はもう何も考えずに大きなお腹に抱き付き、強く顔を埋めた。



***



 団体戦は中止。大人の事情とやらで詳細は生徒には伝えられなかったけど、あの場は五条先生によって収められたとだけ家入先生から聞いた。
 凄いなぁ五条先生は。変人だけどやっぱり桁違いだなぁ。なんて頭の中で考えていたら、デスクで何か作業をしていた家入先生がふいに椅子ごと此方を向いた。

「そろそろ戻れ名字。タメの奴等が心配してるぞ?」
「んー?うーん」

 適当な返事を返せば、家入先生が頬杖を付いたのが何となく音で分かった。だってまだ戻りたくないもん。

「煙草でも吸う?禁煙してるからあげるけど」
「高校生に何勧めてんですか」
「難しい歳頃なんだな。私が同じ位の時は煙草吸うと気が紛れたけど」

 さらりと問題発言したなこの人。聞かなかったフリをして寝返りを打てば、医務室のベッドが静かに軋んだ。今度は先生の顔がよく見える。

「…」

 何となく、包帯でぐるぐる巻きの片手を顔の前に翳してまじまじと眺めてみる。手はいつも自己処理で絆創膏だらけだったから医務室に運ばれた時はかなり呆れられた。今じゃ綺麗に治療し直されているけど、これも、非術師だった頃には縁のなかった傷だ。
 腕だけじゃない。ここ数ヶ月で随分沢山の生傷が全身にできた。それに、家入先生のおかげで消えた傷も数知れない。

「まだ気にしてるのか?反転術式のこと」

 今まで黙って私の様子を眺めていた家入さんが唐突にそんなことを言ったので、私は腕を翳したまま顔だけを先生の方に向けた。

「いいじゃないか。使える術師はそうそういないんだ。もうちょっと喜べばいいだろう」
「別に、あれはただのまぐれですから。やろうとしてももう全然出来ないし」
「なら何をそんなに気にしている?」

 そう問われて、私は初めて自分の気持ちを認めた。
 私は怖いのだ。"普通"からどんどんかけ離れていく自分が。訓練を行えば行う程、己が術師として順応していく程、不安で仕方がない。私は一体いつから、怪我をしても先生に治してもらえるから平気だなどと慢心するようになったのだろう。そんな便利なもの、少し前までの生活にはなかった癖に。
 例えばこの世から呪術師というものが無くなったとして、私はこれまでと同じただの女子高生として何事も無かったフリをして生活できるだろうか。答えは否だ。どんな呪いを見ても、もうあまり驚かなくなった。自ら危険に飛び込むことに、躊躇しなくなった。それどころか、私は今以上の自分を求めていた。
 私は既に根っこから侵されている。しっかりイカれている。跡形もなく消えた傷跡を見て、心からそう思った。―――― 今度こそ本当に、戻れないのが分かったから。

「…たまに、五条先生に会ってなかったら、術式なんて持ってなかったら、今頃どんな生活を送ってたのかなって考えるんです。私にはもう、普通の生活というものが上手く想像できないから」
「まぁ、先に死んでたかもしれないけどね。五条に会わなかったら」
「…確かに」
「何をもって普通かは、案外誰にも答えられないんじゃないかな」

 家入先生はそう言って天井を仰ぐと、くるりと背を向けて「さっさと行った」と出て行けの仕草をした。
 もう充分構って貰ったしそろそろ戻ろうかな。先生忙しそうだし。ベッドから起き上がって、出口に向かう。

「お邪魔しました。治療ありがとうございます」
「酒が飲める年齢になってから出直しな」
「頑張って成長します」

 それきり家入先生がすっかり作業に集中したのを見て、私はゆっくりとドアを閉めた。


 寮への道を歩いていた時、ポケットの中のスマホが小刻みに震えた。通話ボタンを押して耳に当てる。すると、いつもの野薔薇の大声が鼓膜を揺らした。

『アンタ今どこにいんの?早く戻って来なさいよ。ピザ食べちゃうからね』
「いいよ食べちゃって。今食欲ないし」
『エッッ!?…だ、ダメダメちゃんと四人で割り勘すんだから!』
「えー分かったー」

 「早くね!」と矢鱈念押しする野薔薇に適当に相槌をして通話を切る。そういえば伏黒君のお見舞いがてらピザのデリバリーをするって話だったけど、医務室でサボってたからすっかり忘れていた。ていうか病人にピザって本当に二人らしい。

「(急ぐ用事でもないしゆっくりでいっか)」

 そうしてだらだら歩き出した私が寮の伏黒君の部屋に辿り着くまでおよそ十五分かかった。扉を開ければ、枕元に座っていた野薔薇が目を吊り上げて「遅い!」と立ち上がる。

「十五分も何してたの!?」
「いや、なんか途中東堂と虎杖君が鬼ごっこしてるのに遭遇してさ。楽しそうだから混ざろうとしたんだよね。断られたけど」
「……良かったわね断ってくれて。それ絶対鬼ごっこじゃないわよ…」
「?」

 野薔薇曰く、虎杖君は交流会からすっかり東堂に気に入られてどこを行くにも付き纏われているらしい。さっきもさりげなく部屋にいたのだとか。
 そうだったのか。何だか青春の雰囲気を感じたのだけれど、どうやら私の勘違いだったらしい。虎杖君は暫く戻って来なそうだから野薔薇の反対側の椅子に腰掛ければ、呼び出した張本人はそのまま帰り支度を始めた。

「待て待て待て。なんで帰ろうとしてる?」
「よ、用事を思い出して」
「嘘つけ!」

 明らかに不自然な笑顔だ。何か企んでいるような、危険な香りが漂ってくる。野薔薇は慌てて鞄を掴むと、伏黒君に助けを求めるように「そうよね!?」と凄んだ。最早それは脅しに近い。

「…?この後何もねぇって言ってたろ」
「と、仰っておりますが」
「〜〜ッッ!」

 野薔薇は言語不明の叫びを上げると、「とにかく名無しはピザ食べ終わるまで出ちゃダメ!」と訳の分からないことを言って部屋を飛び出していってしまった。
 バタンと扉が閉まる音が静まり返った部屋に響く。突拍子もない行動に呆気に取られるも、まぁいつものことかと諦めてベッドサイドの椅子に座り直した。

「…」
「…」

 野薔薇とのやりとりを我関せずと聞いていた伏黒君は上半身だけ起こして黙々と手元のピザを頬張っている。てっきり虎杖君も野薔薇もいると思っていたからこの沈黙は想定外だ。

「調子どう?」
「今は平気」
「今度は私がお見舞いする番だね」
「そうだな」

 返事がどれも素っ気ない。何だこの空気。会話が続かないんですけど。途端に手持ち無沙汰になって指先を弄っていると、伏黒君が「食べねぇの?」とピザの箱に視線を向けた。
 正直あまり食欲はなかったけど、せっかく皆が頼んでくれたし頂こう。一切れ取って齧り付けば、それはもうすっかり冷めてしまっていた。
 もくもくと咀嚼する音が部屋に響く。冷えてても美味しいな、なんて考えていたら、無言だった伏黒君が何かを言い掛けて辞めた。それを目敏く見逃さなかった私は片眉を顰めて彼を見る。

「お前、虎杖のこと好きなのか?」
「……ん?」

 今何て言われたのか今一理解が追い付かない。好き?私が?虎杖君を?
 思いっきり顔を顰めて伏黒君を見るも、彼は手元に視線を落としたまま一向に此方を向こうとしない。野薔薇も野薔薇だがこの人も大概だ。

「どうしてそうなるのか分からないんだけど」
「いつもあいつのこと心配してるだろ」
「伏黒君のことだっていつも心配してるよ?」

 そこで漸く伏黒君が勢いよく顔を上げて私を見た。なんでそんな驚いた顔?

「野薔薇のことも心配してるし、五条先生は…うん。あれだけど。皆のこと大事だから、いつも同じくらい心配してるよ」

 伏黒君の顔がパッと明るくなったかと思えば今度はどよんとしたり、どれも真顔気味ではあるけど珍しく一人で百面相している。誰かに興味を持つとか、色恋沙汰とかどうでも良さそうだったから少し意外だ。まさか虎杖君のことを疑われるとは思っていなかったけど。
 けれど、振り返ってみれば確かに極端に虎杖君を気に掛ける場面が多かったように思う。でもそれは勿論好きだからとか、そういう気持ちからくるものでは決してない。

「虎杖君はさ、一番私と境遇が似てるっていうか。元々はどっちもただの高校生だったから」
「……」
「まぁ、私が勝手に親近感抱いてお節介してただけなんだけどね」

 呪いの器なんかにされて、蔑まれて、勝手に可哀想な人だと私が思っていただけだ。少なくとも虎杖君は弱音一つ吐かなかったし、自分の境遇を卑下したこともない。全て事実として受け止めて生きていた。

「だから、全然好きとかじゃないんだよ。あ、勿論友達としては好きだよ」
「…そうか」
「安心した?」
「ッは!?そういうんじゃ、」
「ごめんごめん冗談。分かってるよ」

 生徒数少ないしそういうことは嫌でも気になっちゃうよね。分かる分かる。
 うんうんと頷く私に、伏黒君は不服そうに口をへの字に曲げている。何か言いたげな視線を感じながら私がスマホ画面を打っていると、気になるのか「…何してんの」と聞いてきた。

「ウーバーイーツ」
「?今、食べてたよな」
「食べたからお腹空いてきたの。あ、ポテト食べる?」
「いらない」




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