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開始時刻一分前。スタート位置に着けば、教員待機室にいる五条先生と歌姫先生による放送が流れた。五条先生の一方的な漫才のような挨拶を淡々と聞き流し、遂に試合開始の合図が出される。
「それでは姉妹校交流会、スタァートォッ!!」 「先輩を敬え!!」
二人の喧嘩はいつものことなのだろう。ピーガガと不協和音を流しながら切断された放送に一同は特に気にすることなく一斉に走り出す。
「ボス呪霊どこにいるかな?」 「放たれたのは両校の中間地点だろうけど、まぁじっとはしてないわな」 「例のタイミングで索敵に長けたパンダ班と恵班に別れる。後は頼んだぞ悠仁」 「オッス!」
伏黒君の玉犬・黒が頼もしく吠えながら先陣を切っていく。すると、早速目の前に蜘蛛型の三級呪霊が現れ真希さんが大刀を振り上げた。
「先輩ストップ!」
しかし、伏黒君が叫んだ直後、強烈な力で呪霊ごと木々がなぎ倒され何かがライフル弾の如く突っ込んできた。
「いよぉーし!全員いるな!まとめてかかって来いッ!」
狂気的な笑みを浮かべながら私達の前に立ちはだかる東堂。予想通り単独で襲いかかってくると、バネのように飛び上がった虎杖君が顔面に膝蹴りを入れてその動きを止めた。
「散れ!」
その一瞬の隙に真希さんが合図を飛ばし、パンダ班と恵班に別れた面々が四方八方に散った。恵班には真希さんが。パンダ班には私と野薔薇と狗巻先輩だ。
「分かっちゃいたけど化け物ね」 「そ。だから無視無視」 「虎杖君いなかったら今頃あれと対峙してると思うとちょっとゾッとする」 「ツナ」
脇目も振らず森の中を駆け抜けていく。このまま作戦通りにいけば虎杖君が東堂の足止めをし、その間に私達が呪霊を祓っていく流れだ。 しかし、走れど一向に呪霊が見つかる気配はなく、東堂以外の京都校生と鉢合わせすることもない。唐突に足を止めたパンダに、つられて私達も走るのを止めた。
「変だな」
パンダ先輩がスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。どうやら、京都校が虎杖君と別れた辺りから纏まって移動しているらしい。それも一人や二人ではない。全員だ。 嫌な予感が募っていく。パンダ先輩は考える素振りを見せると、感情の読めない表情で私を見た。
「名無しの予想的中ってとこかな」
***
「これはもしもの話です。もしも…京都校が交流会そっちのけで虎杖君を狙ったらどうしますか?」
その場が重い空気と共に静まり返った。動揺する野薔薇が「アンタ、何言ってんの!?」と詰め寄るが、私だって思い付きでこんな発言をしている訳ではない。
「どういう意味だ。名無し、時間がないから手短に頼むぜ」
真希さんが野薔薇の肩を掴んで引き剥がし、真剣な目付きで私に向き直る。一同の視線を一身に浴びて、緊張のせいかぐっと喉が詰まった。 ちらりと虎杖君の表情を伺えば、彼は驚く訳でも動揺する訳でもなくただ静かに私の発言を待っていた。言ってしまったからには、これは冗談では済まされない。
「特級案件に異例の一年生派遣。これは虎杖君を始末する為に上層部が仕組んだものだと聞きました」 「確かにしたなそんな話」 「京都校の楽巌寺学長も加担していた訳ですよね?そこまでして処刑したい相手が実は生きてましたなんて言われて、大人しくしているでしょうか。私なら、この団体戦は絶好の機会だと捉えます」
我ながらイカれた発想なのは分かっている。けれど、この界隈が"普通"ではないことを私は呪術師として生きた短い時間全てを使って理解してきたつもりだ。 化け物の器なら例え意思を持った人間相手でも容赦なく殺す。そんなことが罷り通る世界なのだ。
「…あり得るな」 「楽巌寺学長の指示なら全然あり得る」 「何それ。京都校は他人の指図で人を殺すような腑抜けの集まりなの?」 「認識が違うんだよ」
私達には虎杖君と過ごした日常があるからこそ、彼の人柄を知っているし人として接することができる。けれど、虎杖君を知らない人間からすれば、宿儺の器は恐怖の対象でしかない。結果的に殺すことになっても、それは呪いを祓うという感覚と変わらない。 私がこの話をするのに躊躇した理由は虎杖君にとっては最悪の想像だからだ。自分の意思で特級呪物を飲み込んだとは言え、こんな扱いは一度だって望んだことはないだろう。それこそ、どんな気持ちでこの二ヶ月を過ごし、交流会を機に戻ってきたのか。察するに余りある。
「…私の妄想で終わるなら全然いいんです。真希さんのこともありますし、何があっても団体戦は勝ちに行きます。私が怖いのは、虎杖君がまたいなくなることなんです。だから…」 「ちょっとちょっとタンマ!ストップ!」
今から言おうとしていることを察したのか、虎杖君は両手を顔の前でクロスさせると大きな声で私の言葉を遮った。そして目の前で仁王立ちすると、少し怒ったように頬を膨らませる。
「名字が俺のことすんごい心配してくれてるのは分かった!でもさ、死ぬ前提なのは流石に酷くない!?」 「あ、」 「俺、この二ヶ月間何もしてこなかった訳じゃないよ。それは名字だってそうだろ?だからさ、俺を守る為に一緒に行動するなんて言わないで、もうちょっと信じてよ」
私の考えなんて疾うにお見通しだったらしい。ニッと明るい笑みを向けられたら、もう何も言えなかった。 「分かった」と力無く笑う。虎杖君は満足そうに頷くと、今まで黙って聞いていた伏黒君が口を開いた。
「でもこれで最悪の事態を想定した作戦も練ることができる。まぁ、当たらない事に越したことはないが」 「京都校が可笑しな動きを見せたらすぐに引き返すぞ。仲間が死んだら勝ち負けもねーからな」 「でも、」 「待て待て、ならこうしよう。パンダ班の棘はそのまま呪霊狩りを続けて名無しはそのサポート。その他四人で京都校を阻止する。悠仁は殺させないし団体戦も勝つぞ」
パンダ先輩の案に真希さんを除いた全員が頷いた。真希さんはなんてことない風に言うけど、交流会の勝利は昇級に大きな影響を与える。それは禪院家を見返したい真希さんにとってもまたとない機会だ。当然、負ける訳にはいかない。 熱烈な視線が真希さんに集まる。すると、彼女は観念したように苦笑を零した。
「異論ない」
***
「まさかの最悪な方の展開になっちゃうとはね…。あーーワンコールで出ろや伏黒ォ」 「二人共頼んだぞ。悠仁が心配なのは分かるけど、お前らがどれだけ動けるかで団体戦の勝敗が決まる」 「分かってます。狗巻先輩の喉は任せてください!」 「いくら!」
こうなってしまった以上意地でも勝つ。お互いに手を振って散り散りになると、私と狗巻先輩は一緒に走り出した。 目的地はない。ただひたすら区画内を散策し、三級呪霊を祓っていく。運良く二級呪霊に当たれば儲けもんだ。 祓う際、狗巻先輩の言霊は強力だから私の力は不要かもしれないけど、圧倒的な力の代わりに反動も大きい。だからここぞという時に使用するのがベストだと考えて三級程度の呪いは私の結界で祓うことになった。
「中々いませんね」 「しゃけ」 「…あっち、結構荒れてますね」
空を見上げれば遠くで黒煙が上がっているのが見える。何か機械的な物が燃えているのか、自然物らしからぬ放射音と破壊音が度重なっては消えていた。 今頃皆は京都校と交戦しているのだろう。隣で狗巻先輩が所在なげに空を見上げているのが見えて、私は自分自身に鼓舞するかのように「私達も頑張りましょ!」と拳を作って見せた。
「すじこ。明太子」 「虎杖君の所に行きたかったかって?うーんそんな事ないって言ったら嘘ですけど、あんな風に言われちゃったらね」 「こんぶ。ツナマヨ。いくら」 「やだ。先輩置いて行く訳ないじゃないですかー!一人は寂しいですからね!」
そんなに気にしているように見えたのだろうか。一人でも平気だからと狗巻先輩は眉を八の字にしているけど、既に実力者が揃っている時点で私が向かってプラスになることはないだろう。 ならば今私にできることは狗巻先輩と裏方に回ることだ。
「ワフ!」 「あれ?伏黒君の玉犬」
聞き慣れた鳴き声に振り返れば、何やら異物を咥えた玉犬・黒がお座りをしながら此方を見ていた。 よしよしと頭を撫でてから口の中の物を受け取る。それはロボットからもぎ取ったような片腕とスマホだった。ロボットといえぼ京都校のメカ丸が頭に浮かぶが、もしかしてこれはメカ丸のスマホなのだろうか。
「しゃけ」
何かを察したらしい狗巻先輩が手を差し出してきたのでどうぞ、とスマホを渡す。すると、先輩はスマホを操作して誰かに電話を掛けると口元のジッパーを下ろした。
「"眠れ"」
通話を切り、スマホをポケットにしまう。一連の行動に呆気に取られていると、先輩は私の手から片腕を奪い取ってポイッとその辺に投げ捨ててしまった。 いいのか捨てちゃって。メカ丸の腕なら若干申し訳ないが、まぁ先輩が捨てるなら何も言うまい。
「通話相手は京都校ですか」 「しゃけ」 「ならこれで一人棄権ですね」
きっと電話の向こうでは今頃気持ちよく眠りについているのだろう。あまりに呆気ないがこれも勝負の内である。 狗巻先輩は玉犬の頭を撫でた後に戻るよう指示を出すと、玉犬は途端に黒い液体と化して影に消えていった。ジッパーを上げ、進もうという仕草に慌てて背中を追い掛ける。
「せんぱッ…!?」
――――― 一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わったのを肌で感じた。
二人同時に勢いよく振り返る。そこには何もない。けれど、木々の奥から溢れ出す禍々しい気配にぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。 木の影から覗いた呪いの姿に先輩が瞬時に口元に触れる。
「(違う。あれじゃない。何か、もっと大きなものが…後ろにいる)」
呪いは独りでに白目を剥き、ごとんと鈍い音を立てて地面に転がると塵となって消えた。しかし、頭から押さえ付けるような圧力は消えるどころか徐々に増している。 何者かが木々を押し退けて這い出てきた。一目見ただけで分かる異質さ。確立された独自の言語。ここにいる筈のない、特級呪霊がそこに立っていた。
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