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 その日は時間外演習も行って、朝から夕方まで真希さんにこてんぱんにやられた。何回も転んだから全身擦り傷だらけだしジャージも泥だらけだ。それに未だにおでこの傷は結構痛む。

「高菜!」

 帰り支度をしていると、すっかり慣れたおにぎりの具が聞こえてきて振り返る。案の定、狗巻先輩が立っていた。

「あれ、どうしたんですか?何か忘れ物ですか?」
「こんぶこんぶ」

 先輩達や同期組は少し前に片付けをして帰ったからそうなのかと思ったが、どうやら違うらしい。狗巻先輩は何やらレジ袋を目の前に突き出してくると、更に空いた方の手でそれを指差した。
 私は指示された通りに袋の中を覗き込んでみる。中には消毒液とガーゼ。そしてゴリゴリ君が入っていた。

「わぁ!もしかして差し入れですか!」
「しゃけしゃけ」
「やった、先輩ありがとうございます!」
「明太子!」
「え、手当てしてくれるんですか?流石に悪いですよ」
「こんぶ」
「うーん。そこまで言うならお言葉に甘えちゃおっかな。お願いしてもいいですか?」
「しゃけ!」

 狗巻先輩は任せろと言わんばかりに腕捲りをすると、私に階段に座るよう指示したので大人しく従う。そうして先輩が袋をゴソゴソ漁っている間に消毒しやすいように袖や裾をたくし上げていると、先に剥き出しになったゴリゴリ君をずいっと差し出されたので思わず反射的に咥えた。
 そっか、暑いし早く食べないと溶けちゃうもんね。くぐもった声でお礼を述べれば、狗巻先輩は満足そうに笑って早速一番目立つ額の怪我を消毒し始めた。絶対染みるやつだ。

「ひぃッ」
「おかか?」
「…大丈夫です。真希さんの足払いに比べれば余裕です余裕」

 とは言ったものの染みるものは染みるので極力真顔を貫きながら我慢する。狗巻先輩は手早く済ませると、仕上げにペタリとガーゼを貼り付けた。中々に間抜けな格好だ。
 というか、今更ながら私は呑気にアイスなんて食べておまけに先輩に手当てさせていていいのだろうか。やっぱり申し訳なくなって二段程下にいる狗巻先輩の様子を伺っていると、視線に気付いた先輩が首を傾げた。

「いやなんか、先輩にこんなことしてもらっていいのかなって思いまして」
「ツナマヨ!明太子!」
「先輩だからこそ、ですか?しかもこれ真希さんとパンダ先輩も一緒に買いに行ったって?」
「しゃけ」
「そっかぁ。優しいんですね。あ、先輩も一口食べます?」
「しゃけしゃけ!」

 頷いた先輩が口元のジッパーをジィと下げていく。そこで初めて目にした彼の口元の蛇の目の紋に、私は少し驚いてしまった。
 アイスを差し出せば、先輩はぱくりと噛み付いて冷たそうに口を動かしている。その様子を眺めながら、私は何の気無しにある質問をしていた。

「先輩は、どうして呪術師になったんですか?」
「ツナマヨ…」

 正直、こればっかりは何て言っているのか全く分からなかった。けれど、先輩の諦めたような、困ったような顔が何よりも物語っている気がして、私は今更己の失言を悔いた。
 私が知っている限り、伏黒君や狗巻先輩は呪術師にならざるを得なかった側の人間だ。けれど私は違う。沢山の選択肢があって、自由に選ぶことができた。そんな贅沢な環境にいた人間が、どうしてなんて唐突に聞くのは筋違いにも程があった。
 「すみません」と謝る私に狗巻先輩は気にするなとでも言うように笑った。こんな時でも変わらずおにぎりの具しか語らないこの人は、とても心の優しい人なのだろう。呪言師故に、迂闊に言葉を話せば相手を呪ってしまう。だから、語彙をおにぎりの具に絞っている。例え伝えるという手段が限定されても、第一に相手のことを考えるような人なのだ。

「高菜?」
「先輩がとても丁寧にしてくれたので全然痛くなかったですよ!ありがとうございました」
「しゃけしゃけ」
「そうですね。戻りましょうか」

 医療品を袋に戻し、狗巻先輩が手渡してくれた。今度から使えということなのだろう。
 ありがとうございますと再度お礼を伝えると、彼はやんわりと微笑んで寮までの道のりを一緒に歩いた。


***



 そういえば、五条先生から課題を出されていたのをすっかり忘れていた。暫く付きっきりで指導ができないからと、代わりにこなすように大量の課題を用意してくれたのだ。
 寮の玄関先で狗巻先輩と別れ、少し早足で自室に戻る。部屋に足を踏み入れると同時に鼻先を掠める香りは入居したての頃の真新しい香りとは違って、今じゃすっかりホワイトムスクに染まっていた。
 泥だらけのジャージを籠に突っ込んでからシャワーを浴びて、そして手早く夜のケアを済ませると早速デスクに向かう。

「………なるほど分からん」

 ものの十分で私は根を上げた。出された課題は多種多様だけど、ほぼ呪術に関する記述問題だ。今までの知識と参考書の力で埋まるものもあったが、大半がちんぷんかんだった。

「そうだ!」

 私の頭上にピコンと電球が浮かんだ。そうだ、私の周りにはとても優秀な呪術師達がいるのだから、質問した方が効率的だ。
 早速スマホを取り出して、一番頼れる野薔薇に問題の写真と質問内容を送ってみる。すると思いの外早く既読がついたので画面を開いたまま待ってみれば、超絶短い返事が返ってきた。

 めんどい。

 お願いします。

 説明すると長い。

 ぴえん。

 伏黒に聞け。

 りょ。

 正直そんな気はしていたのでダメージは少ない。問題は伏黒君だ。
 りょ。とは言ってみたものの、果たして優等生の彼が私の課題に時間を割いてくれるだろうか。けれどここで課題を提出できなければ五条先生から何をされるか分からない。私は、あの人が見た目に反してヤバい人だと言うことをそれなりに知っている。
 ええいままよ!遅刻した日に既読無視したまんまのトーク画面を開き、もう一度野薔薇と同じ内容を送ってみた。

「…」

 流石に野薔薇のように即返事はこない。寧ろ答えてもらえるだけありがたいのだから返事は今じゃなくていいのだけど。
 私はそのままスマホを放り投げると、自力で解けるところだけ地道に進めていくことにした。そうしている内にまた集中していて、大分時間が経った頃に唐突に部屋の扉がノックされたことによって私は現実に戻った。
 誰だろう。不思議に扉を開ければ、目の前にはダル着と真顔のハッピーセットを身に付けた伏黒君が立っていた。

「え、」
「文字じゃ説明しづらいから来た」

 突然の来訪に慄いている私をそっちのけで伏黒君は「まずは」と質問の解説を始めようとしたので慌ててそれを遮る。何故か不思議そうにしている伏黒君に突っ立ったままじゃ悪いからと中に入るよう促せば、彼は一瞬躊躇った後それじゃあ、と歩みを進めた。

「…お邪魔します」
「わざわざありがとう。クッション置いてるから適当に座って」

 小さめのローテーブルの上に課題をどんと置くと、伏黒君がそれを見て目を丸くした。

「それ、もしかして全部課題か?」
「そー。流石に分からないから野薔薇と伏黒君に助けてもらえたらって」
「流石に多いな。何なら今やっちまうか」
「いいの!?伏黒様〜ありがとうございます」
「伏黒様はやめろ」

 律儀に解説しに来たり、手伝おうとしてくれたり、意外と伏黒君は面倒見がいいタイプなのかもしれない。予想だにしていなかった親切心に私はすっかりやる気を起こすと、伏黒君の丁寧な解説で次々と問題を解いていく。
 天与呪縛とか階級制度とか領域展開とか聞いたこともないような単語の羅列を攻略していき、ついに課題も後半戦。しかしどういう訳か、そこからの問題は全く以って理解できないものが並んでいた。

「…五条悟の好きな食べ物?」
「…」
「五条悟のサングラスのブランド…。なんだろう、これは」

 下の方の紙を捲れば捲る程五条悟に関する問題が増えていく。何なら最後の方は全問五条悟だ。
 ピクリと目元が引き攣るのを感じていると、向かい側に座っている伏黒君が慣れた様子で「気を付けろ。五条先生こういうとこあるぞ」と呟いた。

 地味な難問に途端にやる気を失った私は、回答の代わりにらくがきでもして提出してやろうと思い立ちガリガリと描き込んでいく。

「何だそれ。呪いか何かか?」
「えぇ?どっからどう見ても五条先生でしょ」
「いや、人間にすら見えないんだが」
「そんなバカな。じゃあ伏黒君五条先生描いてみてよ」

 私の似顔絵を化け物でも見るかのような目で見下ろしている伏黒君にペンを手渡せば、少し考えるような素振りを見せた後、ペンを動かしていく。

「何それ。ニ級呪霊?」
「せめてそこは特級呪霊にしろよ」
「だってこれ中ボス感半端ないじゃん。私が描いた五条先生に負けそう」
「どっちも五条先生だろーが」

 似顔絵バトルに火がついていき、気付けば回答用紙は五条先生らしからぬ顔で埋まってしまっていた。
 まぁ、問題も問題だしいっかということで、無事課題を終えた私は満面の笑みでそれを提出したのだった。




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