十三 | ナノ




真選組副長である土方は、極秘の任務の関係でとある喫茶店にいた。喫茶店とは言っても普通の店ではない。表向きは一般客も入れるようになっているが、店の奥のスペースは特殊で一部の人間が極秘任務の打ち合わせや情報交換を行うためだけに設けられている。この店は元々ある組織の幹部だった者が、老後の楽しみにと始めたものだった。
ドアの前には「close」のプレートが掛けられている。普通ならば来店はない筈だ。しかし、夕闇も深まり始めた時刻、不意のノックがあった。
今回の任務は、土方と組長の近藤のみで行っており、店の奥には約半年ぶりに来日した要人がいる。その男に危害を加えられる人間などこの世にいるのか分からないが、用心に越した事はない。土方は慎重にドアへ近付いた。

「悪いが今日は臨時休業だ」

木製のドアを僅かに開けてそう伝えれば、相手の気配が一瞬鋭いものに変わった気がした。

「誰だ?‥‥答えないのなら閉める」

それを不審に思い、更に声を落として脅しても相手は答えない。ドアから距離を取っているためか相手の様子が探りにくく、土方には現状では比較的若い男が1人のみ、という事しか分からなかった。

(過激派か?)

自身の呼吸を落ち着かせ、頭を冷静に、思考を整えていく。急な攻撃にも反応できるよう、片手は武器に。

(高杉の鬼兵隊に目立った動きはなかったはずだ‥。桂のところの可能性も低い)

脳はフル回転で情報を再生し、可能性を探し出す。
そもそも、奥に控えている要人に単独で会いに来るなど、そんなキチガイがいるのだろうか?そんな疑問が土方の脳裏に過った。

「来客か?」

不意に、重みのある男の声が背後からした。反射的に背筋が伸びるが、反対に心臓は圧迫感に悲鳴を上げる、そんな凄みのある声だった。

(相変わらず恐ろしい男だ)

そう、内心で舌を打つ。じんわりと出る冷や汗にはとりあえず無視をして、土方はドアの付近まで来た男に場所を譲った。本来の任務はこの男の護衛だが、それは形式上の事。護衛など、この男に付けたところで、ただの足手纏いにしかならない。

「俺に用か?」

流暢な日本語でドアの向こうに問う男には、微塵の隙も無い。さすがは、覇王。まさに歴代でも群を抜く実力だと聞くが、その話にも頷ける。

「ああ」

男の問に来訪者が答える。その声がやけに耳に残り、土方の眉間は思わず皺を寄せた。

「そうか、」

男が愉快そうに喉を鳴らし、徐に持っていた巨大な番傘の先をドアに押し付ける。木の持ち手に付いたトリガーに骨ばった指をかけて不敵に笑う男は、どうやらキチガイな野郎の来訪を楽しんでいるらしい。

「とろで貴殿は知ってるか?、あの"始まりの場所"を‥」

戯れに尋ねるのは、とある合言葉。土方も知らない、男の極親しい者にのみ伝えられるもの。その言葉は、いわばチケットだ。この覇者へと取り次ぐための、条件。それに答えられれば、傘の切先から鉛玉が飛ぶ事も、店頭が血に汚れる事もない。
‥いずれにせよ面倒だ。土方は男の気紛れな戯れの後始末を思って、重い溜め息を吐いた。






陽が落ちた夕刻、銀時は細い路地を通った先にある喫茶店の前に立っていた。蔦に覆われ、薄暗い夕闇の中では一層、その外観は鬱蒼としている。下手をしたら、喫茶店だと分からないだろう。
いつもこの時間帯ならば店先に小さなメニュー表が置かれている筈だが、今は何もない。代わりに木製のドアには「close」のプレートが掛けられている。それに構わずドアノブを捻れば、予想していた通りドアには鍵がかかっていた。仕方ないので、強めに3回、ドアをノックする。こうすれば、誰かしらは出てくるだろう。
暫くすると、ドアの向こうから微かな人の気配がした。向こうも相当警戒しているはずだ。ドアからある程度の距離を取りながら、右手の指先で懐にある短刀を撫でる。これは緊張しているときのクセだ。昔、それを指摘したあの人の微笑みが一瞬、脳裏に浮かぶ。

「悪いが今日は臨時休業だ」

低い男の声だった。ドアの隙間から僅かに煙草の臭いもする。
どこか覚えのある声と臭いで、嫌な予感を覚えた。

「誰だ?‥‥答えないのなら閉める」

男が言う。その警戒心を潜めた声に、目的を達成する前に随分と面倒事が起きそうだなと銀時は思わず眉を寄せた。どう返答すべきか迷っているとドア越しに新たな気配が現れる。

なんだ、コレ‥。
反射的にひゅぅうっ、と喉が締まった。急速に酸素が奪われていくようだ。見えない何かが気管支を締め上げていく感覚に、ひやり、冷や汗が出る。何もしていないのに、呼吸のリズムが僅かに加速し、耳奥で心音が聴こえた。

「俺に用か?」

流暢な日本語だ。目的の相手は中国出身だと聞いているが、独特の訛りは感じない。本当にこの男だろうか―――否、コイツ以外に有り得ない。そう、直感が告げている。
ドア越しの男はまさに覇王と呼ぶのに相応しい、生まれながらの支配者だ。その一声で、相手に明確な警告を与える事が出来る。"下手を打てば、待つのは死だ"と。

「ああ」

いつの間にか喉はカラカラだ。心なしか、声が掠れる。

「そうか、」

頷く男の声はどこか愉しそうで、こちらの出方を面白がっている。クツクツと喉奥で笑う声がドア越しに聞こえ、そういえば、と何気ない声で尋ねてくる。

「とろで貴殿は知ってるか?、あの"始まりの場所"を‥」

ざわり、肌の上を何かが駆け上がる。更に加速しそうになる心臓を宥めて、一定のリズムで呼吸を繰り返す。
ごくり、乾いた喉を潤すために生唾を呑み込んだ。やけに、その音が響く。

「"Skyfall"」

こんな緊張感は、久しぶりだ。

「―――‥そして正義を為し遂げよ」

こめかみから冷や汗が流れ落ちた。
ドアの向こうの動きはない。ただただドアを凝視して反応を窺うだけだ。

「宜しい」

満足気な男の声がした。
錆びついた貴金属が磨れる音。重いドアが今、開かれる。

「話を聞こうか、来訪者よ」

愉快そうに嗤う男が、そう言った。
その獰猛さに反して冷静に見下ろす男の暗い双眸を見詰めながら、銀時は神楽の、あの暗い夜空のような瞳を、思い出す。自らを捉えて離さない、苛烈で冷淡で勇ましく慈悲深い魂を反映する、あの美しい青の瞳を。

「‥神楽と、似てんな」

ポロリと零れた言葉を男は鼻で笑い飛ばした。

「アイツは母親似だ」
「‥いや、似てるわ」
「ほォ、どこがだ?」
「色も形も違ェけど、アンタら目がそっくりだ」
「"目"?」
「目の中にあるもんが、‥なんつーか、"意志"?みたいな。すっげェ、似てる…‥」

それを聞いた男は僅かに両目を見開いて、そして豪快に破顔した。

「俺は海星坊主。名を教えてくれ、若造よ」





*****


「おい、団長」

1人の男が青年を呼び止めた。

「奴さんがボスと接触したらしい」

そう言った男はたらり、と冷や汗を流す。青年は今、間違いなく機嫌が悪い。その威圧感は歴戦を生き抜いた屈強な男さえ無条件に震わせる。

「ふぅん、よくアイツと会えたね」

無感情な声音がやけに恐ろしい。心臓を掴まれているような恐怖に男は眉間を寄せながら、その恐怖を誤魔化すように痛んだ金髪の髪を掻き上げ、報告を続けた。

「あと、姫さんが戻ってきましたぜ‥。今は執務室にいる」
「‥そう、」
「あ、おいっ、どこ行くんだ」
「可愛い妹に会いにだけど?」
「前も勝手に接触したでしょうが!お陰で老中どもが煩ェんだ」
「面倒くさいなぁ。あの老いぼれども、いっそ殺しちゃおうか」

青年の言葉に男は頬を引き攣らせた。

「おいおい‥。春雨の頭が、夜兎の幹部殺しちまうのはさすがに不味いでしょうが」
「あはは‥、そう?そもそも俺たち兄妹の事にアイツらが口出すなんて何様のつもり?って感じだけど」
「老中どもは姫さん命ですからね。アンタが姫さんに手を出さないか、気が気じゃないんでしょうよォ」

男の言葉に、青年は薄っすらと笑みを浮かべ、その赤い舌で唇を舐めた。

「馬鹿だな。俺があの子を殺す訳ないのに‥」

その逆は、有り得るけど。

そう嗤った青年は、夜兎の愛し子であり、次を担う女帝との逢瀬のために去っていった。1人残された部下の男は重い重い息を吐く。

「姫さんはアンタを殺したくねェんだ‥その願いぐれェ、叶えてやってくださいよ、このすっとこどっこいが」

苦虫を噛み潰したように眉間を寄せ、項垂れる男は先程よりも少し老け込んだようだった。


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