五 | ナノ



雇い主とは、ある程度の距離を保ってやってきた。
実際、それで良かったし、無暗に近付き過ぎることは、要らぬ問題を生んだ。
けれども、ここ最近の想いは何なのだろう。
自分の中に燻ぶり続けるソレは、確実に巨大化し自分を呑み込みつつあった。




神楽が近藤への用を済ませる間、俺は客間へと通された。
客間は小さな和室である。庭に面した壁は障子窓となっており、今は開け放たれていた。涼しい風が室内へと入る。
飾り気のない縁側は綺麗に掃除が行き届いている。その先の、適度に整えられた庭は秋色に染まり始め、知らぬ間にも永々と季節は巡り続けるのだと思った。

「要は、俺の新しい雇い主があのお嬢さん、ってわけさ、副長さん」

客間に通され、暫くもせずに訪れたのはこの男だった。
先程鉢合わせた黒髪の男は、部屋に入るなり何故俺があの少女と関わりがあるのかを容赦なく問い詰めた。まるで尋問のようだと不満には思ったが、余りにも男の様子には焦燥と警戒が滲んでいたため、とりあえずは気にしないことにした。

「…‥簡単に言ってんじゃねェよ」

重々しく、男は呻く。
客間には、俺とコイツの二人だけだ。この部屋に案内したあの地味な男は緑茶とお茶受けを出した後、簡単な挨拶を済ませ本来の仕事へと戻っていた。
室内は物が少なくがらんどうしているが、その空気だけはやけに重苦しく張り詰めている。

「お前‥、アイツがどんな立場の人間か、分かってんのか、」

目の前で煙草を燻らす男は、強く眉間に皺を寄せながら、そう言った。

「此れまで通りに生きてぇのなら、絶対に関わりあっちゃならねぇ」

珍しく饒舌に話す男は、忘れているのか、先程から煙草を口にしていない。ただただ燃えて灰になっていく煙草にすら、きっと気付いていないのだろう。

「アイツは、俺らがいる世界の、裏の裏にいるような人間だ」

瞳孔の開いた黒い瞳が、真っ直ぐに、その危険さを示すように向けられている。

「‥まァ、そーだろうな」

けれども、自分は男の言葉に何の危機感も躊躇も感じなかった。
彼女が、酷く暗く、そして暗澹とした世界の住人であることは、何となく予想が付いていた。でなければ、あの歳で、あの振舞いを、あの表情を、持つことはなかっただろう。

「覚悟してんのか、」

土方は、そう尋ねた。俺の本心を見極めるように、目付きの悪い目を更に細めながら。

「覚悟、ねぇ…‥」

どことなく呟いた言葉は、静かに秋の空気に混ざって散っていく。
吸い込んだ空気は、微かにもう冷たかった。まだまだ、太陽の昇る日中なのに、秋の気配は確実に深まっている。

「覚悟してなかったら、とっくに逃げてるっつーの、」

ぽろりと出た言葉は、きっと俺の本心だろう。
いつの間にかできていた決意は、案外、俺の意思に根付いているようだ。でなければ、こんな当たり前のように、答えが出ることはなかった筈だ。
土方は静かに、小さく頷いた。
ようやく落ち着いたのか、灰になり過ぎた煙草を灰皿で潰している。

「馬鹿だな、お前も」

微かに呟かれた言葉に引っ掛かりを覚えた。
その引っ掛かりを生んだ男は、普段の仏頂面のまま僅かに色付きだした庭の紅葉を眺めている。
この腐れ縁の男は、薄情そうに見えて意外と情が深い。じゃなければ、こんな組織のNO.2は務まらないだろう。男の声音は、酷く淡白だが何かを案じているようでもあった。

「"も"‥?他にも誰かいるってことか、?」

こんな風に、彼女が纏う底知れない暗闇に気が付きながら、それでも身を引かない馬鹿な男など、自分の他にいるのだろうか。

「ああ、いるぜ。真選組(ここ)になァ」

そう言った男は、視線を落としながら重い息を吐いた。

「大馬鹿なクソガキが、諦められずに這いつくばってやがる」







*****

近藤への用は30分程度で片がついた。もともとそれ程、問題のある内容ではなかったが、どうにも私と近藤が動く必要のある案件だったためこうして態々出向くことになった。


―――ふぅ、

局長室から出て、襖を閉めると思わず肩の力が僅かに抜けた。早めに対処できたことに、内心息を吐く。この案件は、先に延ばすほど厄介なのだ。
そんな安堵を振り払うように下がっていた視線を引き上げた瞬間、

「神楽、」

不意に背後から呼び掛けられた。
無条件で背筋が伸びる。気を抜いていたのか、相手の気配が隠されていたのか。おそらくその両者だろう。自分の未熟さに微かに苛立つ。

「ちょっと、いいですかィ‥…?」

敢えてゆっくりと振り返った。
偶然会う可能性は予測していたが、彼自ら接触しようとすることは考えていなかった。
目の前の青年は、以前会った時よりも更に大人びた様子をしている。その琥珀色の瞳が、昔と変わることなく真っ直ぐに此方を見詰めていた。

(相変わらずネ、貴方は)

その瞳が懐かしくもあり、そして哀しくもある。

("不可侵協定"は、今も継続中なのに)

忘れているなんてことは、有り得ないだろう。なのに、馬鹿みたいにこの男は自分自身を誤魔化さない。

(あの人から隠すのが、どれだけ大変か。まったく、少しは自身の安全ぐらい、考えろヨ)

誤魔化さず、そうやっていつも真っ直ぐでいるから。
だから、拒めずにいる自分自身も大概大馬鹿だと。思わず自嘲してしまいそうだった。

「場所を変えましょう、‥総悟」







明かりを点していない室内は薄っすらとした暗さに包まれている。
殺風景で物が少ないこの部屋は青年の自室だ。特殊な場合でもない限り、この部屋に他者が訪れることはない。逢瀬には、一番適した部屋だった。

「護衛よ、」

発した言葉は、先程青年から問われたことに対する的確でシンプルな回答だ。これ以外に彼の立場を表現する言葉はない。

「いりやせんでしょう、アンタには」

怒ったように目を細める青年の瞳は、薄暗い室内でも鋭く光っているように見える。普段は無感情で硝子玉のような瞳だが、時より彼は獰猛で血生臭い目をした。

「気紛れだわ、単なるネ。綺麗な緋色の瞳をしていたから、気に入ったの」

この室内に足を踏み入れ、開口一番に言われたのは、金髪の彼のことだった。
あの人とどういう関係なのか。この青年がそう問いただした時、一瞬、初めて金チャンを見たときのことが脳裏に蘇った。

出会いは偶然、もしくは必然。
どちらにするかは、本人の意思が決めるもの。

「いい護衛よ、彼は」

彼と、初めて会ったとき。
夜の町を彷徨う彼の瞳から、鋼のような魂を垣間見た気がした。あれは、決して平穏の中では得られない。幾戦もの地獄の中で作られた、夜叉の輝きだ。
だから、気に入った。例え自分の傍に置いても、この男なら死ぬことはないと思ったから。

「なんで、よりによって、あの人なんでィ‥」
「金チャンが、どうかしたの?」

苦しげに言った青年の呟きに思わず眉間が寄る。

「‥あの人は、真選組(ここ)での要注意人物でさァ」

総悟の言葉に、僅かに瞠目する。真選組の要注意人物ということは、"私たち"にとってもまた同様だということだ。

「何故、?」

彼の素性については調べていない。彼が何であれ、私個人に与える影響は微々たるものである。そう考えていたし、"私たち"を脅かす程のものは、この世にそうそうありはしないこともまた事実であった。

「過激派との繋がりが疑われてる、」
「‥…へぇ、」

総悟は真面目くさった顔でそう言った。だがその疑いに、疑問を持っているようでもあった。

「あまり信じていないようネ」
「まァねィ。俺だって、伊達にこの仕事をしてるわけじゃありやせん。あの疑いに、違和感ぐらい感じまさァ」

だから、あの人を探ってみたんでィ。
そう言葉を区切る彼は、苦々しげに眉間を寄せる。

「でも、よく分からねぇ。隠されているわけじゃないのに、どうにも素性が曖昧なんでさァ」

生まれは何処で、どういう経緯で今の仕事をしているのか。
彼の生い立ちも、それに関する人間も、どれもが曖昧で真実が見えてこない。
そう、総悟は続けた。

「噂じゃ、かぶき町の女帝が手を貸してるって話でィ」
「‥ああ、お登勢さん。それじゃあ、調べるのも一苦労ね」

女帝と呼ばれる彼女は、あの町でも強く影響力のある人間だ。そんな彼女が手を貸しているのなら、真選組でも彼の素性を調べるのは難しいだろう。

「でも、お登勢さんが懐に入れている人間なら、危険性は少ないでしょう?」

彼女の人を診る目の確かさは、此方側の人間なら周知の事実の筈。

「貴方‥、何が言いたいの?」

総悟の琥珀の瞳を見詰めながら、敢えて強く言葉を発する。
私の様子に、これ以上説得するのは無理だと諦めたのか、青年はポーカーフェイスのまま肩を上げた。

「知ってるくせに」

呟かれた言葉には、意図的に感情が込められていなかった。

「ええ、そうネ」

彼の言葉に同意する。お互いが感情的にならないよう、意識していた。それが暗黙の了解だ。
静かに息を吐きつつ、ちらり、部屋の時計に視線を向ける。
もうすぐ、此処を出て行った方がいいだろう。長居することは、望ましくない。

「そろそろ戻るわ」

動き出したのは、私から。
それが常のこと。別れを告げるのは、いつも"私たち"からだ。
そんな感傷を振り切るように、躊躇なく踵を返す。

「‥…なんで、あの人なんでさァ、」

彼の言葉に進もうとしていた脚が止められた。ゆっくりと青年を振り返る。

「護衛なら、真選組(俺ら)でもよかった、」

真っ直ぐな琥珀の瞳が向けられる。
その瞳からは、怒りも悲愴も感じない。

「ええ、そうネ‥」

怒っても悲しんでも、それは意味がないことを、彼はよく理解していた。

「でも、貴方は駄目よ」

私と彼の距離は1メートル。それを、彼から詰めることは許されない。それが、貴方とあの人の間にある"不可侵協定"だ。

「貴方は、真選組を守る」

けれども、私からならば。それを阻める者は、私以外に誰もいない。

「それでいいのヨ、」

温かい彼の頬をやさしく撫でる。
この胸に巣食う哀しさも愛おしさも、全てを包み込んで。
ただ、この青年に無用な争いの火の粉が飛ばないように、それだけを祈っている。

「我愛‥、」

何を、は言わない。
その代わりに、口付けを。
彼の唇に、この熱が伝わればいい。そう思った。


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