名残 | ナノ

神楽 19歳
神威 24歳

ここでの神楽ちゃんは、殆ど訛っていません。
苦手な方はご注意を。







彼女は、香水を好まなかった。
仕事で付けても、少しだけ。控えめに甘い花の香をその身に纏わせた。
彼女は、煙草も吸わなかった。
むしろ毛嫌いしていたように思う。喫煙者の部下に苦情を言っていたから。


「ねぇ…神楽」

けれども一瞬。
すれ違った瞬間に、微かな煙草の臭いがした。

「最近、拾いモノでもした?」

造り物の臭いを厭う節のある彼女が、平気な顔をして身に纏わせている。しかも、嫌いな煙草の臭いを。
20年近く共にいる俺が、それをおかしいと思うのは、当然のことだった。

「何のこと‥?」

小さく小首を傾げる様が大人びた身体になった今でも似合うのは、まだまだ少女の名残があるからか。
訝しげに答えた彼女の瞳には、なんの偽りも見られなかった。

「金髪の男を拾ったって、部下から報告があったよ」

無垢で素直で、とても残酷な彼女は、誰よりも自由だった。
その細くしなやかな脚でどこへでも飛び立ち、誰にも囚われることなく、気の向くままに枝木へと留まる。そうして、その枝木が彼女の重みや感じる熱を愛おしみ出した頃、何ごともなかったようにあっさりと離れて行ってしまうのだ。

「‥あぁ、金チャンのこと?それなら、拾ったんじゃなくて雇ったのよ」

赤くふっくらとした唇に蠱惑的な笑みを浮かべて、彼女は言った。
悪戯気に細まる目が長い睫毛に覆われている。
すっと筋の通った小さな鼻、白く傷のない絹のような肌。
繊細で愛らしく、それでいてふとした瞬間に見せる含みを持った笑みに、騙される奴は五万といるらしい。
けれども、この子自身には何の打算もなかったりする。
だから単に、それは彼女の生まれ持った性質なのだ。それはもう、仕方がない。

「雇った?」
「護衛としてね」
「神楽に、護衛なんて要らないだろ」
「失礼ね。たまには護られるのも、いいものでショ?」
「‥要らないよ」

そもそも護られるのなんか、好きじゃないくせに。
そう思って眉を寄せると、彼女はおかしそうに笑う。

「ふふ…‥金チャンね、結構おもしろいのヨ?」

ゆったりと広いロビーの黒革のソファで寛ぐ彼女が小さく脚を組みかえる。

「獣みたいなの、」

深いスリットから白絹の脚が覗き、護身用に右太腿に忍ばせた小型ナイフの鞘が蛍光灯の光を受けて悠然と艶めく。

「平穏に溶け込むために、爪も牙もきれいに隠して‥。それでも、同じ獣にはわかってしまうのにネ」

「…‥同族、?」

すぐに思い浮かんだのは己らが種族である"夜兎"だった。
獣の血を引く俺達は、平和的な現代でも、純粋なる戦闘のための武器を生まれながらに持っていた。もし、その男も俺達と同族なのだと言うのなら、それは面白そうだと知らず唇が歪む。
そんな俺の期待に、彼女は小さく笑って否定した。

「いいえ、一般人よ」

濡れた唇を整えられた爪先でなぞりながら、彼女は笑う。
どうやら、その金チャンとやらが随分とお気に入りらしい。
ここまで彼女が何かに執心する姿は初めてで、ひっそりと見ず知らずの男を警戒していく。

「へぇ‥…」

警戒しつつ何でもない顔をしながら彼女の傍らに腰掛けると、重みを受けたソファが沈んだ。
神楽と視線を合わせたまま、静かに顔を近付ける。

「神威?、」

不思議そうに神楽が見上げる。
その青い瞳に視線を合わせたまま、そっと近づいて互いの額と額を触れ合わせた。

「んー?」

不安を感じながらも逸らされることのない視線が、彼女の性質を表している。

築き上げられた自信と偽りのない素直さ。

繊細に見えて、豪傑。
妖艶に見えて、純真。

その逆も、また然り。


「どうしたの、かむ、ぃ‥…ん、」

彼女の首筋に鼻を埋めると、やっぱり煙草の臭いが残っている。
込み上げる激情を一端止めようと、小さく奥歯を噛んでゆっくりと息を吐いた。

「触らせたでしょ、」

彼女の身体を押して、ソファの肘掛に凭れさせる。乗り上げるように組み敷きながらも、追及の問いは止まらない。

「その男に、触らせたでしょ」

逃がさないように細い手首を掴んで、愛撫するように白い指を己のと絡めさせる。

「煙草の臭いがする」

チャイナドレスの襟元に隠れていた首筋に軽い接吻を施しながら、一つづつ空いた片手で丸い釦を外していった。
現れた透き通るような胸元に赤く濡れた舌を這わせながら、丹念に調べ上げていくと、

(‥あった、)

鎖骨の上に、小さな鬱血痕がある。

「触らせた、んっ‥わけじゃ、‥…ッ」

執着を表す鬱血痕の上に、新たな痕を残すために容赦なく強く吸う。
吸って、僅かに大きく濃くなった鬱血痕を宥めるようにやさしく舌を這わせた。

「神威‥、痛くしないで」

神楽は美しい眉を寄せて言うが、抵抗するつもりはないようだ。低空気味だった気分が高揚し、言葉を重ねる彼女の首筋に甘く、それでも強く歯を立てる。

「仕方なかったの。戦闘があっ、て‥んっ、金チャンが、不安定になっちゃって‥、っ」
「クビにしなよ。自分を保てない奴なんて、護衛にもならない」

護衛にならないなら、その男がお前の傍にいる必要はないだろう?

「‥手厳しいのね」
「当然さ」

そう笑いかけると、すっと神楽は視線を逸らした。
それが面白くなくて、彼女の膝裏に手をかけてソファから抱き上げる。予期していなかった浮遊感に驚いた彼女は、反射的に俺の胸元の衣服を掴んだ。

「どこ、行くの?」
「シャワー室。その臭い、嫌いだから落として」
「‥煙草のこと?そんなに嫌いだったかしら」

深い青の瞳で見上げながら、神楽は問う。
完璧な設計図のように小さな顔に配置された目鼻は、どれもがうつくしく、愛らしい。
まるでこの世の穢れなど、何も知らないように。

「お前が身に纏うのは、嫌いだ」

久しぶりに、感情的な声が出たと自分でも思う。だけど、これは仕方がないのだ。だって俺は、どこぞの神サマのような、博愛の心など知らないのだから。

(お前に誰かの名残を見るのは、嫌い)

鬱血痕に、煙草の臭い。
マーキングのつもりだろうか。
そんなもの、意味はないのに。だってもう、ずっと前からこの子は俺のだから。
そう声を出さずに見知らぬ男を笑いながら、得も知れない優越感と、ふつふつと満たされ始めた独占欲に気分が少し高揚した。 

「あら、奇遇ね」

鈴を転がすような笑い声を忍ばせながら、彼女は妖しく目を細める。
見詰める彼女の瞳は宝石よりも美しい。
そんな陳腐な考えが脳裏を過る。

「私も、貴方から女物の香水の匂いがするの、」

神楽は何でもない、戯れのように笑って言った。

「ものすごく、嫌いなの」


ねぇ、知ってたかしら?

そう言って、頬に触れるだけの接吻が贈られた。

彼女は笑う。
胸を燻ぶらせる、あの笑みで。

うつくしい笑みの中、きらり、あの青の瞳が煌めいた。












後書き

はい。この後、神威くんは堪らず神楽ちゃんを襲います(笑)


4周年記念
兄神、金魂パロ、嫉妬、両想い(?)、その他:互いの仕事上の異性関係に嫉妬する兄神


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