4. | ナノ
ふと、目がさめると、そこは薄暗い部屋だった。心地好い暖かさの布団の中で身体を伸ばす。うん、だいぶ調子がいい。
枕に頭を埋めながら見慣れた部屋を見渡すと、ドアの隙間から僅かな明かりが零れている。
いつ、帰ってきたっけ?ああきっと、せんせーが送ってくれたのか。じゃあ、居間にいるのはせんせーかなぁ。でもせんせー、絶対すぐ帰ったと思う。消し忘れたのかな。
そういえば、今は何時だろ?
お腹が空いた。喉も渇いた。
少しだけぼんやりとする頭のまま、のろのろとドアへと近付く。ドアが開くのに比例して入り込む光の量がが増えて行くのを無意識に眺める。
「あぁ、起きた?」
どうして、コイツがいる?
「帰って、来てたのかョ‥…」
兄と会うのは、いつぶりだっけ?ずいぶんと、久しい気がする。
「てか、なに私のカップ麺食べてんだヨ、返すヨロシ」
「もう食べちゃったよ」
なにが食べちゃった、だ。私の空腹はどうしてくれる!
「お腹減ったアル…‥」
なんだか今日はひどく疲れた。久しぶりの兄に怒る気も起きない。
せめて水は飲もう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、口付ける。冷たい水が喉を潤した。
「何か作ろうか?」
珍しい、兄がそんな事を言うなんて。ようやく罪悪感でも感じられるようになったのか。よかった、よかった。
「いらない、‥…寝るアル」
もう嫌だ。
もう、たくさん。
これ以上は、しんどい、苦しい。何も考えたくない。
「お前さ、担任の家で何してたの?」
「兄ちゃんには関係ないネ」
ドアを開けて部屋へと戻る。
このままベッドにダイブしたい。何も、答えたくない。
「ぃ、た‥…ッ!」
腕を引っ張られ、ベッドへと押し付けられる。下は柔らかな布だけれども、衝撃は強かった。
「な‥に、するアルかッ!?」
「何って、お仕置き?」
無邪気な声音が癇に障って、奥歯を噛み締めた。
何なのだ、コイツは。理解できない。
「担任なんかの家で、なんで、泣いてたの?」
わざとらしく区切りながら話す声が耳裏を刺激する。
「っ、離すアル!」
布団に押し付けられる顔が痛い。後ろ手に拘束された手首も、ぴりぴりとする。
「ぃ、たぁ‥…もっ、離してヨ、兄ちゃぁん!」
僅かに緩んだ拘束に、ほっと息をつく。少し身体をずらして兄の様子を伺い見れば、そこには似非た笑みではなく、真剣な眼差しの兄がいた。
「目の下、赤くなってる」
長い指がそっと目尻を撫でる。
そんな動作が妙に優しくて、どうしていいのか分からなかった。
「お前は、昔から何でも黙って我慢するけど、‥泣き虫だからね」
目を細める兄の顔は端正な人形のようだった。薄暗闇の中、生気のない肌が青白く見える。
「何があったの、?」
兄の瞳は、深海みたいなダークブルー。光なんて届かない。それでも生きていける者のみが、存在できる世界の色。
私のとは違う。全然、違う。けれども、うつくしいと思う。
「そょ‥ちゃんが、」
憧れる、世界の色。
兄の、世界の色。
「そよちゃんが、いなくなっちゃった、ヨぉ‥…!」
(どうしてみんな、いなくなっちゃうアルか?)
父も母も、兄さえも。みんなみんな、いなくなってしまう。どうしていつも、独りなの?どうしてこんなに、さみしいの?
我慢しても、さみしいまま。ずぅっと、さみしいまま。
せんせーに会いたい。
あの人は、揺るがない。私がもたれかかっても、ぶれないから。
だから、安心できる。縋りつける。
「神楽、…神楽泣かないで、」
やんわりと包み込む温かさに驚いて、呼吸をするのを忘れてしまいそうだった。
「お前に泣かれるのは、昔から駄目なんだ、」
こんなに兄と触れ合った事は、今まであっただろうか。
温かい。
温かくて、余計に泣けてくる。
目から溢れる熱い涙が頬を伝って、兄の肩を濡らしていった。
ああ、ああ、どうしよう。
きっともう、我慢できなくなる。この温かさを知ってしまったら、もう。
もう、一人は嫌だよ。
「お前に泣かれると、怖い」
見上げると、儚く歪む兄の顔容がある。
「何もできなくて、弱くなる」
うつくしいダークブルーが初めて見る兄の苦悩を写し出していた。
「それが怖い‥、」
薄い唇が言葉を繋ぐ。噛み締められた下唇が血の色を失って、淡く白ばんでいる。
「怖いんだ、神楽…‥」
だったら、
だったらもう、泣かないよ。
だから、そんな顔しないで。
一緒にいてよ、兄ちゃん。
怖くても、さみしくても、二人なら、きっと強くなれるから。
*****
「せんせー、」
ソプラノが呼ぶ。
この声が呼ぶのを、何度耳にしてきただろうか。
「タカスギせんせー、」
大きな瞳は不純物のない深い青色をしている。
この瞳も、何度目にしてきただろう。
「どうした、」
茜色の秋空が頭上高くで広がっている。
夕暮れ前の屋上は悪くない、むしろ好ましい。
「学校、辞めちゃうアルか?」
明日からは、先生ではない。
ここ最近、床に伏せていた父親の容態が悪化したため、家業を継ぐことになった。
「もう、会えないアルか?」
変わることのない端正な顔容のまま、澄んだ声と瞳を持つ少女が問い掛ける。
「さァな、」
未来など、誰にもわからない。そういうものだ。
「じゃあ、会いに行くアル。せんせーに会いに、絶対行くアル」
しかし、望むことはできる。
きっとそれを、人は希望と言うのだろう。それは愚かで、滑稽で、けれども確かに、美しいものだ。
この少女のように、希望はやはり、美しい。
そしてそれが存在できる世界は、ひどく美しく、ひどく愛おしいのだろう。そんな世界を、己はいつから持てるようになったのか。
「せんせぇ、愛してる」
茜色の陽を纏う少女の瞳は、いつだって強く真っ直ぐだ。
その瞳に、魅せられる。
愛しきカノジョの愛しきセカイ。
気付かせた目の前の少女に、触れてみたいと、手を伸ばした。
後書き、
「愛しきカノジョの愛しきセカイ。」、ようやく完です。
高×神というよりも、高(→)←神みたいなお話を目指しました。
なかなか楽しかったです^^
あの後、神威くんはどうしたのでしょうか。
たぶん、少しだけあの家に帰るようになったと思います。
まぁ、神楽ちゃんが幸せならそれで良いんですけどw
ちなみに高杉の家業は花道か茶道の家元で。もしくは神主…?
ではでは、
ここまで読んでいただきありがとうございました。
2011.09.21 古川 仙、
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