寂しきトロイメライ | ナノ
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▼ 五年後の再会

 ――顔を合わせるのは、実に五年振りだった。

 黒い軍馬に跨がった橙色の髪の男は、死体の転がる地面にぺたりと座り込むリュンヌを見て、口の端をつり上げ笑う。五年前には見たことのない、暗い笑みだった。この人は、こんな風に笑う人だっただろうか? 自分が覚えている、知っている彼は、ときおり寂しい笑みを浮かべることはあったけれど、今のように笑うことは一度もなかったように思う。

「……イングリットが似た姿を見た、とは言ってたが……本人だったとはね……。久しぶりだな、リュンヌ。俺のこと、覚えているか?」
「……えぇ、覚えているわ。……シルヴァン」

 リュンヌは男――シルヴァンに、答えた。リュンヌの答えにシルヴァンが笑みを深くする。シルヴァンの笑みから滲み落ちるのは、怒りや憎しみといった負の感情。……当たり前だ。自分は家も祖国たるファーガス神聖王国も捨て、敵対するアドラステア帝国の軍門に下っている。もう再会を喜び合える間柄ではない。
かつての級友たちと戦場で再会するであろうことは『彼』の手をとった瞬間から定められていた。分かりきっていたことだ。顔を合わせれば殺し合いになり、どちらかが必ず死ぬことになることも。
 ガルグ=マク大修道院の士官学校で机を並べて学んだ級友は他にもたくさんいるのに、戦場で出会ってしまった相手がよりにもよってシルヴァンだなんて。リュンヌは小さく笑うと、死した兵士の手から落ちた槍を借り受けてよろよろと立ち上がった。

「俺とやりあおうってのか?」
「――わたしは、選んだの。先生を。先生の示す道をわたしは歩む。たとえそれが血塗られた道でも」

 リュンヌは槍を構えた。シルヴァンの顔から笑みが消え、すぅっと目が細まる。獲物を狙う狩人のような瞳だった。凍てつくような冬の眼差しで、シルヴァンもまた槍を構える。シルヴァンの槍が一閃すれば、自分の命は終わるだろうことをリュンヌは正しく理解していた。シルヴァンは馬上で、自分は徒歩。間合いの有利はシルヴァンにあり、武芸の腕だって向こうが上だ。勝てる要素も逃げきれる見込みもない。状況は最悪だった。

「――覚悟はいいな」

 低い声が響く。リュンヌは答えず、真っ直ぐにシルヴァンを睨めつける。それだけがリュンヌに出来る最後にして最大限の抵抗だった。
(――、くる)

 馬蹄が地面を蹴る音と、槍を構えた手と身体に衝撃がはしるのは同時。気づけば槍は手から弾き飛ばされ、リュンヌもまた地面を転がっていた。暴風に舞う木の葉のように呆気なく、シルヴァンの一撃で弾き飛ばされてしまったのだろう。したたかに大地に打ちつけられた痛みに顔を顰めてよろよろと上半身を起こせば、喉元に槍の穂先が突きつけられた。それが誰の手にした槍かは、もう分かりきっている。リュンヌは静かに目を閉じた。

(先生、わたし……帰れません)

 閉じた瞼に浮かぶのは、いとしい人の顔だった。涼しげな顔をほんの少しだけ綻ばせて微笑んでくれた、優しい笑み。もう二度と目にすることはできなくなる。言葉をかわすことだって。

(あなたに逢えて、しあわせでした)

 体に槍が突き立てられたのだろう。痛みが全身を支配して、血とともに急速に体から熱が失われていく。最後にごめんなさいと小さく呟いて、リュンヌの意識は深く深く沈んでいった。


******


 後方の部隊が強襲されたとの報が入ったのは、前線が膠着状態に陥った最中のことだった。その報を耳にしたときの自分の顔はどんな顔をしていたのだろう。気づけば手から剣を取り落とし、副官として側に控えていたフェルディナントに「大丈夫か」と問われる程度には取り乱していたらしい。
 後方の部隊には負傷兵の治療にあたるべく、リュンヌがいる。リュンヌはベレトが士官学校で受け持った赤鷲の学級の生徒ではなく、青獅子の学級の生徒だ。家も捨て、祖国も捨てて、彼女はこの赤鷲遊撃隊に所属している。自分のせいで。

『……先生、生きているって、信じていました。お願いです……先生のお側にいさせてください…』

 赤鷲遊撃隊の拠点となった大修道院に現れたリュンヌは、ベレトの姿を見るなりそう告げた。聞けば、ベレトが眠り続けていた五年間、リュンヌは祖国を出奔しフォドラを放浪していたのだという――ベレトを探し続けて。家も国も捨て、帰る場所はない、側にいさせてほしいと懇願するリュンヌを、ベレトは突き放すことはできなかった。士官学校時代はいつも綺麗に整えられていた身なりはぼろぼろで、髪の艶はなく、血色も悪い。いたるところ傷だらけで、まともに食事をしていなかったのたか、生地の薄い衣服の下に隠れている体は痩せ衰えている。女一人で、戦乱の最中の五年の放浪の厳しさを物語るその体をそっと抱きしめ、「側にいろ」と言葉を返した。
 ……リュンヌに全てを捨てさせたのは自分だった。かつての級友、知己と友人と殺し合う戦場へと導いたのも。今日の戦はファーガス神聖王国の王となり、嵐の王と呼ばれるディミトリも出陣しており、青獅子の学級の生徒も多く出撃している。それを慮ってリュンヌを後方に下げたのが、裏目に出てしまったのは皮肉だ。リュンヌを思ってのベレトの行動は全て裏目にでてしまった。
 気づけばベレトは取り落とした剣を手に、走り出していた。行く先は決まっている。リュンヌのいる後方だ。制止する声が聞こえた。おやめ下さい、あなたがいなければ戦線を維持できませんと。ベレトは足を止めた。戦線を維持できない。それは即ち敗北を示している。セイロス教団と手を組んだファーガス神聖王国軍の攻撃は苛烈で、今は膠着状態とはなっているが、隙を見せれば確実に喉元を喰らいにくるだろう。そうなれば、今までの戦いの全てが無駄になる。戦場で散った数多の命も。
 ベレトは唇を噛みしめた。ベレス個人の感情はリュンヌの元へ急げと叫ぶ。しかし、将としての自分は、戦線を維持することこそ最優先なのだと冷たく告げる。

「行って、師」

 迷うベレトの背を押すような言葉を投げかけたのは、エーデルガルトだった。真紅の衣装を赤黒く染めた彼女は静かに続ける。

「後方の部隊には負傷兵だけではなく、予備の兵もいる。それに糧食を積んだ荷馬車だってある。……失う訳にはいかないわ」
「だが、」
「戦線なら大丈夫。少しの間なら師がいなくても、持ちこたえられる」
「エーデルガルト……」
「二度は言わないわ。行って、師」

 すまない。
エーデルガルトに短く告げ、ベレトは繋がれていた馬の中から一番の駿馬を選ぶと、その背に跨がった。向かうは後方。リュンヌのいる場所だ。

(どうか、無事でいてくれ)

 ……しかし、ベレトの願いは届かなかった。
戦線の後方ヘとたどり着いたベレトが見たものは、物言わぬ骸となった帝国兵。そして白い装束を赤黒く染め、ぴくりとも動かぬリュンヌを腕に抱き、血の気の失せた白い頬を愛おしげに愛撫している男の姿だった。

「……あぁ、久しぶりですね、先生」

 ベレトの視線に気づいたのだろう。男が顔をこちらに向ける。見知った顔だった。青獅子学級のシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ。かつてリュンヌの級友だった男だ。よりにもよって、リュンヌの元に現れたのがシルヴァンとは。……本当に、自分の行いは全て裏目に出てしまっている。

「リュンヌを返してもらう」
「返す? 馬鹿を言わないで下さいよ、先生。俺からリュンヌを盗ったのはあんたでしょう。その台詞は本来なら俺が言うべきものだ」

 ベレトの声が聞こえたのか、リュンヌの指先が微かに動いた。服に染み込んでいる血の量から最悪の事態を予想したが、リュンヌはまだ生きている。――ならば、やるべきことは一つ。ベレトは抜き身のまま手に下げていた剣を構えなおす。

「戦ってでも取り返す、ってとこですか。いいですよ。その勝負、受けましょう」

 リュンヌを片腕に抱いたまま、シルヴァンが地面に突き立てていた槍を手に取り構える。リュンヌを抱いたままでは不利だろうに、シルヴァンはリュンヌを手放す気はないらしい。自分で傷つけたであろう女を腕に抱き、シルヴァンは今、何を思い槍を手にしているのだろう。傷つけてでも奪い返したいほどに執着を見せるなら、五年前、リュンヌを大事にすればよかったのだ。そうすれば、彼女はきっと。

「――リュンヌは、俺のものだ」

 独占欲を滲ませた声に応じることなく、ベレトは一足で距離を詰め無言で剣を振りかぶった。


******


 ――剣戟の音が、沈んでいた意識を引き戻した。
 重たい目蓋を開ければ、視界に入るのは若草色の髪の青年の姿。……もう二度と、逢えないと思っていた人の姿を目の当たりし、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

(どうして、)

 この人はこんなところにいていい人ではない。もっと大局を動かす人だ。一人の女のために動いていい人ではない。――だというのに、彼はこの場で剣を振るっている。その理由は自分だった。彼に縋って家も故国も捨てた愚かな女。たくさんのものを与えてもらったというのに、結局自分は、彼に何ひとつ返せなかった。死の淵に立つ今ですら、彼の剣筋を鈍らせる枷になりさがっている。

「――――!!」

 彼が名を呼ぶ。自分の名を呼んでいる。必死の形相で。霞みかける意識をなんとかつなぎ止め、やっとの思いで口を動かせば、こふりと喉元から血がせりあってきた。口の中いっぱいに広がる鉄錆の味と痛みに顔を顰めながら、やっとの思いで彼の名を呼んだ――瞬間に。

 自分を腕に抱く男の槍が、彼の胸に沈み込む。
 彼の唇がゆっくりと動く。

 最後の言葉は聞き取れなかった。
 かわりに聞いたのは、自分の絶叫だった。



2019/10/27

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