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▼ 次の仕事は永久就職

 オスティアに戻るなりヘクトルの部屋に呼び出されたナマエは、気が気ではなかった。
 ナマエはオスティアに仕える密偵だ。
 しかし、ナマエは密偵に向いていないと、常日頃から同僚のマシューやレイラによく言われていた。同僚からにとどまらず、オスティアの領主であるウーゼルや、さらに侯弟であるヘクトルにも。特にヘクトルからは顔を合わせる度に「お前に密偵は向いてねぇ。とっとと辞めるんだな」と言われ続けている。
 今回の任務中、危うくナマエがオスティアの密偵だとバレそうになった件は、ウーゼルだけではなく、ヘクトルにも報告がいったのだろう。帰還するなりの呼び出しはきっとそれが原因だ。ナマエの胃がキリキリと痛みだす。これで何度目の失態だろう。大きなミスは冒してないといえど、凡ミスの数は片手では足りない。その度に叱責され、呆れられ、同僚に迷惑をかけ続けてきた。

(……もう、だめだ)

 ナマエはため息ひとつこぼす。自分なりに精一杯やってきたつもりだったけれど、人には向き不向きというものがあって、自分には密偵という職は向いていなかった。今回のミスを機に、密偵を辞めよう。取り返しのない失敗をする前に。密偵を辞めて、自分に向いている職に就くのだ。
 ――まずはヘクトル様に謝罪して、それからウーゼル様に謝罪して、辞職の旨を伝えよう。
 そう決めてしまえば、幾分か心も軽くなった。
 ナマエはヘクトルの部屋の前にたどり着くと、深呼吸ひとつして部屋のドアをノックした。ほどなくして、部屋に中から入室を許すヘクトルの声が帰ってくる。ナマエはもう一度大きく深呼吸して、ドアを開け部屋の中へと足を踏み入れた。

「失礼いたします」

 窓を背に立つヘクトルは、別段怒っている様子はなかった。けれども、眉根は少し寄っていて、眼差しには呆れともとれる色が混ざっている。

「呼び出された理由は分かっているな」
「……はい。今回は、本当に申し訳ございませんでした」
「今回も、の間違いだろ?」

 正論を突きつけられ、ぐぅの音も出ない。
 ナマエはぐっと両の拳を握りしめると、ヘクトルの顔を真っ直ぐに見上げた。

「今回の一件で、自分は密偵に向いていないと痛感しました」
「ほぅ、……やっと理解したか」
「はい、ですので……今回の任務を最後に、密偵を辞めさせていただこうと思います」
ヘクトルの顔に、わずかに驚きの色が浮かぶ。向いてないと、さんざんナマエに口にしてきたヘクトルだったが、唐突な辞職の申し出は予想の範疇外だったらしい。

「……それで、密偵を辞めてどうするんだ?」
「え、え、? そう……ですね、特技を活かした職に就こうと思います」
「特技? ナマエ、お前に特技なんてあるのか?」

 隠密行動は向いてない。
 武芸には長けていない。
 巧みな話術もない。
 密偵の素質がないないづくしのナマエではあるが、特技とよべるものがひとつだけ、ある。それは……

「……ジャガイモの皮むきです……」

 お城の調理場のおばちゃんにも「早くてきれいだねぇ」と絶賛された、おいもの皮むき。唯一といっていいい、ナマエの特技だ。イモ剥き大会があれば、上位入賞は確実だと、自分でも思っている。けして誇れるものではないのだけれど。
 床とにらめっこしながらぽそっと呟いたナマエは、おそるおそる顔を上げた。ヘクトルはやはりというか、予想通りの呆れ顔。わざとらしいヘクトルのため息にナマエは身を竦ませる。

「――で、その特技を活かした再就職先ってのはどこなんだ?」
「……今から探すところです。食堂とか、酒場の厨房を探そうかと……」

 ヘクトルは無言のまま、じっとナマエを見つめてくる。
 ナマエの体に緊張がはしった。鋭い眼差しに体が射貫かれるよう。

「――就職先、俺が斡旋してやろうか?」

 沈黙を破ったのはヘクトルの唐突の発言だった。ナマエは目を瞬かせる。今までのダメだし、密偵は向いてねぇ発言からは想像もつかない優しい声音に。

「あ、ありがとうございます。……まさかヘクトル様からそんなお優しい言葉を頂けるだなんて……! 」
「……お前、今まで俺をなんだと思って……まぁ、いいか」

 ぼりぼりと乱暴な仕草で頭を掻くヘクトルはまたしても呆れ顔だった。

「就職先だけどな、」
「はい!」
「……俺の嫁、ってのはどうだ?」

 ――永久就職だ、悪い話じゃないだろ?

 そう言い放つヘクトルの顔はうっすら赤みを帯びていて。
 ナマエの頬も瞬時に熱をもち真っ赤に染まる。

「か、考えさせてください……」

 そう答えるのが精一杯。
 上司からの永久就職の誘いを即決即断できる豪胆さは、ナマエにはなかった。



2019/08/18




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