戯れる午後





「カインさん、今日は何を入れますか」



勝手知ったるものでカインさんの部屋に備え付けられた小さな水場で湯を沸かし茶器を用意する。いつものお揃いのコップと僕専用の砂糖とミルクを机に並べて、さて今日はなんの茶葉にするのだろうか。



「ディンブラを」
「アイスティーにしますか?」
「そうしてくれ」



背中越しに聞こえる声にわかりましたと返事をしてたくさんのお茶が並ぶ戸棚を開ける。ディンブラ、ディンブラ…お茶が好きらしい彼は色々な種類を日によって気分によって選ぶ。その知識の深さは母も唸るほど、僕に至ってはちんぷんかんぷんだが匂いの違い味の違いを知るのは楽しい。




「用意出来ました。区切りつきますか?」



彼の背中越しに机を覗き込めばこれまたたくさんの書類が机を埋めている。僕にはまだ難しいそれだがカインさんは黙々とペンを走らせる。



「これだけ終わらせたい。少し待ってくれ」



真剣な顔におとなしく待つ。手持ち無沙汰で暇なので彼の背中にぴったりくっつけばふよふよと金の髪が顔をくすぐる。なんとなくそれを手にとってふと思い出す。そうだ、試してみたいことがあったのだった。



「カインさん、ちょっと髪を弄ってもいいですか?」
「…髪?邪魔しなければいいが」



許可を得て一旦背から離れる。櫛や鏡が収められた棚を素通りして台所に戻る。茶器の横に置かれた琥珀色の瓶を手に取った。いつだかポロムに聞いた髪の美容法、試したいと思ってすっかり忘れていた。



「じゃあ失礼します」



ずいぶん前にあげた水色の髪留めを取れば癖のない髪はバサリと彼の肩口に落ちる。それを丁寧に梳いて琥珀色の瓶を手に取る。蓋を開ければ甘いいい匂い。



「…セオドア?」



怪訝そうに振り返った彼にひとつ笑って瓶の中に手を突っ込む。蜜がたっぷりとまとわりついたその手で髪の毛先を握りこんだ。



「…一応聞くが何してる」
「前にポロムに聞いたんです、蜂蜜パック」



ベタベタと毛に琥珀色の蜂蜜を塗り込めば部屋いっぱいに甘い匂いが立ち込める。少し潔癖な気のあるカインさんは自分の髪に何が塗られたかを見るなり固まってしまったが構わず甘い蜜を塗りこめる。



「最近毛先が絡まるようですしちょうどいいかなって。ツヤが増すそうですよ。」



几帳面な彼は毎晩、寝る前に髪に櫛を入れるのだがこのところ毛先あたりで櫛が引っかかるのだ。見た目には艶やかで癖のない綺麗な髪だが遠征や外交の多い彼のこと、知らず知らずに潮風で毛先が傷んでしまうようだ。

仏頂面の彼にずいっと蜂蜜を差し出せばカインさんは何か言いたげにそれを一瞥したが結局諦めたように椅子に背を深く沈める。どこか投げやりに食べ物を粗末にするなと呟いた。



「あはは。ありがとうございます。怒られるかと思った」
「怒ったところでどうにもなるまい。部屋を汚さなければいい」
「書類、続けて大丈夫ですよ?」
「集中が切れた。休憩だ」



軽くため息をつく彼に笑って蜂蜜を塗りたくった髪を頭の上に結い上げる。少し時間を置くとなおいいとのポロムの言葉に従って高い位置に結いあげた金の髪は塗られた蜂蜜によって髪そのものが輝いているように見える。



「物凄く阿呆な事をしている気がするな」
「カインさんの寛大な心に感謝します」
「まったくだな。…茶をくれ」



恭しく礼をすれば彼も大仰に頷く。お互いひとしきり笑って入れたまま放置していた紅茶を手に取った。
彼はストレートで、僕は少しの砂糖とミルクを。



「やはり親子だな」
「なにがです?」



彼の目線は僕の紅茶で、甘党は父譲りだとかそういう話だろうかと問いかければ彼は首を振る。可笑しそうにフッと口元を緩めた。



「同じことを随分昔にされたと思ってな。あの時は卵だったが」
「父さんですか?初耳です」
「だからやはり親子だと思ってな」



くつくつと笑う彼に父さんも同じことをしたのかと少しバツが悪くなる。なんとなく面白くなくてむっつりと紅茶を飲んでいるとカインさんはちらりと視線を寄越した。



「いい事を教えてやろうか」



珍しく悪戯に口の端を上げる彼に首を傾げればあの時はなとカインさんは笑う。



「あの時は未遂だがな」
「未遂?」
「卵を抱えたセシルに卵パックがどうとか言われたが拒否した」



たとえセシルでも気安く触らせないんだとカインさんは笑ってまた紅茶を飲む。意味がわかるかと軽く口の端が上がって、僕はただ頷く。好きだとか愛しているとかストレートな言葉は彼は言わない。けど僕の捉え方は間違っていないはず。



「どうしよう、顔が緩んじゃう」
「俺は何も言っていないぞ。おかしな奴だな」



思わず抱きつこうと立ち上がりかけた僕の頭を細い手が軽く抑える。抱きつく前にこの頭をどうにかしろと相変わらずテラテラと輝く髪を摘んだ。




「風呂に入らんと落ちんなこれは」
「お風呂から戻ったら抱きついていいですか?」
「風呂から出たら書類の続きだ」



急ぎなんでなとさっさと茶器を片付けて風呂に向かう彼の腰に手を回して抱きつけばそこはさすがに部隊長である彼のこと、あっと言う間にひとつに手をまとめられてしまう。



「…参りました」
「俺を襲うには10年は早いな」



間近にある顔に謝れば彼は軽く笑うとおとなしく待っていろと今度こそ風呂へと歩いていく。髪の美容のことなどどうでもよくなってしまった自分に笑いつつ素敵な言葉が聞けたと緩む顔は抑えられなかった。














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