花よりもミルクよりも



「駄目ね。今日は学校はおやすみね。カインにも朝稽古はおやすみと伝えておくわ」


体温計を仕舞いつつ母親は心配そうに僕を見た。額に置かれた手がとても冷たく心地いい。いつも母親の手は柔らかく暖かいから自分の体温が高すぎるのだろうけど。


「明日は?」
「それはまだわからないわ。でも体調が戻るまで稽古は無しよ」


ゆっくり休むこと。と僕の頭を撫でて母親は部屋を出て行く。風邪を引くなど久しぶりだった。頭が痛いし体の節々も痛む。猛烈な寒気を感じるけれどじわりじわりと汗が止まらない。

思わず、ふう…とため息が漏れた。


カインさんはもういつもの場所にいるだろうか


窓の外には登ったばかりの太陽が見える。常ならばこの時間には中庭で剣の教えを請うているのに。忙しい彼のこと、朝早くくらいしか教えてもらえる時間はないのだ。朝には二人きりで剣を振るうが日中彼に会うことはほとんどなかった。隊を率いる隊長として、父の右腕の聖竜騎士として自分とは比べ物にならないほど忙しい時間を彼は過ごしている。


カインさんと過ごせる貴重な時間なのに


無駄にしたくないのにとため息と一緒に閉じた瞼は知らず知らずに重くなる。少しの抵抗を試みたが結局素直に意識を手放した。





「ん…」


覚醒したのはふんわりと甘い匂いを感じたからだ。頭痛のためにぼんやりと戻ってくる視界と意識に思わず呻く。

窓の外はもう暗い。一体自分はどれだけ寝てしまったのか。未だ痛む頭と体に鞭打って水を飲もうと部屋の中央に体をねじった瞬間ぎょっとする。

扉のすぐ隣、使い慣れた木製の椅子に人の姿。


「具合はどうだ?」


僕が目覚めた事に気づいたのかその人は書き物の手を休めてこちらを見る。少し傾げた首筋から一筋の金の髪が滑り落ちた。


「カインさん…」
「まだ熱があるようだな。もう少し寝ていろ」


ほら、と水の入ったグラスを渡してくれる。ありがたく受け取って痛む喉を潤した。


「どうしてここに?」


忙しいはずなのに。というか今さっき書いていた書類も仕事のものなのに。遠目からでも難しそうな文章がみっちりと書いてあるのが見て取れる。


「可愛い弟子のお見舞いにな」


茶化すように微笑い彼は先ほどの椅子に戻る。ゆったりと椅子に背を預けて長い足を組んだ。


「…ありがとうございます。でもお忙しいのに」
「昼間やるべきことは済ませたし書類仕事などどこでやろうと一緒だ」
「いつからここに?」


さてな、と淡々と言う彼は書類のすぐそばにある小さな鍋を手に取る。ふわりと暖かそうな湯気が立った。


「さっきローザが持ってきた。ミルク粥だそうだが」


食べれるか?と聞く声に首を振る。食欲はないし痛む喉で食べるのが億劫だった。
そうか。としつこく進めることはせずに彼は蓋を閉める。ミルク粥の甘い匂いがかすかに届いた。


「あれ?」
「…どうした?」


ミルクの匂いではない。覚醒する時に胸に広がった匂いはもっと甘く馨しい匂いだったのだ。
腑に落ちなくて声をあげれば彼は不思議そうに問いかけてくる。どこか痛むか?と近づいてくる彼の甲冑ではない姿が目についた。


「ずっと寝ていたから背中が痛むだろう。起こしてやろう」


ベッド脇まで来た彼は自分に覆いかぶさるようにかがむ。ほとんど初めての近すぎる距離に戸惑う自分には構わず彼は腕を差し入れる。そのまま抱きしめるようにして上体を起こしてくれた。


「あ…」


ふわっと香るあの馨しい匂い。一瞬の出来事だったが起こされる時に触れた首筋からは嗅いだことのないとても甘い匂いがした。


「まだ熱いな。薬は飲めるか?」


頷く自分に待っていろと言い残して彼は部屋を出て行く。
普段の彼は甲冑を身にまとい一分の隙もなく強く美しい聖竜騎士として国を守っている。だから気づかなかった。彼の体の甘く馨しい匂いに。


先ほどの接触を思い出して思わず額に手を置く。熱が数度上がった気がした。











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