間接キスですよね
いつも以上に忙しそうにしている父親にどうかしたのかと聞けばため息をつきつつ椅子に座る。せっせと書類を分類しながら忙しなくペンを走らせた。
「カインが風邪をひいてね。本人は大したことないと言い張ったんだけどどうみても辛そうだから休みにさせたんだよ」
カインがいないだけでここまで忙しいとは思わなかったけどねと苦笑する父親はいつもカインに頼りきってるつけかなとどこか遠い目をする。魂が抜けそうなその顔に同情しつつ何か自分に手伝えることはないかと問えばいつも通りの柔和な顔でニコッと笑った。
「気を使わないでいいんだよ。普段カインが助けてくれるからつい甘えてしまってね。いつもこんなに仕事をしていると思うとカインに申し訳ないね」
今日くらいはゆっくり休んでもらわないとと笑う父親は、カインの部屋に薪を足しに行ってくれるかいと部屋の隅の暖炉を指差した。
「体調が悪いのに寒くしてはいけないからね。」
「そうですね。父さんも頑張って」
ありがとうとひとつ頭を撫でられて父親の部屋を後にする。途中で母親にも呼び止められて小さな小鍋を預けられた。匂いから母の手製のミルク粥だろう。風邪の時や食欲がない時に母親が作ってくれるこれはとても優しい味がする。
両手に薪と小鍋を抱えて彼の部屋をノックすれば数秒の間の後に静かに扉が開いた。
「…どうした」
「セオドアです。暖炉の薪とご飯を届けに来ました。…体調が悪いと聞いて」
少し開いた扉からいつも以上に静かな声が聞こえた。部屋着なのかラフな服装にいつもは高い位置で括られている髪はそのまま背中に流れている。
「わざわざお前が?…入るか」
カインさんの部屋に来たのは初めてだった。来るなとは言われてないけども気軽に尋ねられる空気ではなくたまにカインさんの部屋でお酒を飲んでいる父親を羨ましく思っていた。だから彼がどういう部屋で過ごしているのか全く知らなかった。
勧められるまま椅子に座って軽くあたりを見渡せば想像していたものよりも質素なさっぱりとした部屋をしている。綺麗に整頓された室内は取り付けられている暖炉で暖かく保たれているが物が少ない部屋はどこか寂しさを感じた。
「あまり長居をすると風邪がうつるぞ。大した事はないが」
彼は寝ていたらしいベッドには戻らずテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰掛ける。預けられた薪と小鍋を手渡せば短く礼を言ったけどテーブルの隅に寄せてしまう。
「食欲ありませんか?」
「今はな。ローザとセシルには後で礼を言っておく」
「父さんがカインさんがいないとこんなに忙しいのかって魂が抜けそうな顔をしていました」
「あいつは俺に甘えすぎだ。たまには仕事を自力で片付けるのも悪くなかろう。」
軽口を叩けばくつくつと彼は笑った。けどどこか無理をしていそうな顔に部屋に居座っているのが申し訳なくなる。物珍しいのと初めて見る彼のプライベートな空間が嬉しくてつい招かれるまま入ってしまったが彼の迷惑になっているかもしれない。
「おやすみのところ押しかけてすみませんでした。帰ります」
椅子をきちんと仕舞ってから彼に言えば菫色の瞳がただ静かに僕を見つめた。
「…カインさん?」
思いがけずまっすぐな瞳に見つめられてその今まで見たことがない表情にドギマギしてしまう。それが表に出ないよう精一杯の平静を装って問えば微かに目が細められた。
「もう少しいたらどうだ。今まで寝ていたから目が冴えてしまってな。…お前が嫌でなければ。」
茶でも入れるぞと立ち上がった彼は茶器を手に取る。背を向けられてしまったから彼がどんな顔でどういう意図で言ったのかまるで読めなかった。言葉通りの意味だろうか。…違う気持ちが込められていたりしないだろうか。
「じゃあ…もう少し。カインさんが嫌じゃなければ。」
言って彼の背に少し歩み寄れば座っていろと言葉だけがかけられた。おとなしく椅子に戻る途中彼の顔を見たけれどいつもの静かな表情があるだけだった。
「話ついでにこの粥を少し食べてくれると助かるんだがな」
まったく手をつけないとローザが怒ると少し困ったような呆れたような顔をした彼に笑って小鍋を引き寄せる。
彼が許してくれたのだからもう少しこの甘い匂いのする部屋で彼と話をしていたい。
「でもカインさんも少しは食べてくださいね。まったく食べないのは体に良くないです」
母さんじゃなくても怒りますと茶化せば静かに彼の手が伸びた。僕の咥えていたスプーンを奪うと一口お粥を掬う。甘いなとの言葉と共に奪われたスプーンが手に戻された。食べたぞと微かに笑う彼にしばらく言葉が返せなかった。