43.ありつつも君をば待たむ




 屋根の上から俯瞰していた奥さん達が「斬った!」と沸き立つのが聞こえてきて、勝利を実感した。本当に、上弦の鬼を倒すことができたのだ。

 あんまりにも膝が笑うので思わず崩れ落ちれば、待ってましたとばかりに毒の痺れに全身が襲われる。胡蝶さんに一度毒の抗体を打たれていたから鎌鬼の毒は顕著には現れていなかった。
 しかし、相手の能力が以前のものより格上となると限度がある訳で、不自然に震える身体は明らかに拒絶反応を示していた。
 全身が心臓になったみたいに呼吸が苦しい。身体は完全に可動域の限界を超えて動いていた。俯いた顔からとめどなく血が滴っていくのを、まるで他人事のように眺める。

 霞んでいく視界の先で、ふと宇髄さんが何か叫んでいるのが見えた。此方に向かってくる。あれ、何でそんなに慌ててるの?

「逃げろぉおおおおッ!!」

 鎌鬼の身体から膨張した黒い渦が周囲を巻き込んで破壊尽くしていく。

 何あれ。血鬼術?自爆?脳に血が足りなくて適切な判断ができない。いや、例え正体が分かっていたとしても意味なんてなかったかもしれない。私の両足は、全身は、まるで地面に縫い付けられているかのように動かないのだ。

「薫!」

 誰かが私の名前を叫んだ気がした。それが炭治郎なのか、宇髄さんなのか、将又別の人だったのか。世界が黒一色に覆われて、確かめることもできなくなった。





 目が覚めれば、輝かしかった花街は崩壊していた。

 辺り一面が瓦礫に埋れて底すら見えない状態。やけに鮮明になった意識が、これが現実だと訴えてくる。痛む上半身に鞭を打って起き上がれば、何かがずるりと転がっていく感覚がした。

「いの、すけ…?」

 人形のように転がる猪頭から返事はなかった。私に覆い被さっていたのは伊之助。それだけで、爆発の衝撃から助けてくれたのが彼なのだと理解する。
 すぐに胸元に耳を寄せれば微弱な心音。胸部を一突きされたのに、心臓が無事なのは奇跡に等しかった。

「伊之助、起きて…目を覚まして…」

 徐々に弱くなっていく音に対して募っていく焦り。まだ何も伝えられていない。何もできていない。

 ―――― 私はまた、失うの?

「死なないって約束したでしょッ!伊之助!」

 いつだって私は間に合わなあった。お祖母様の時も、もっと早く走れていれば未来は変わっていたかもしれない。煉獄さんも、修行が足りていれば助けられたかもしれない。伊之助も、私がもっと踏ん張れば痛い思いをさせずにすんだのかもしれない。
 いつだって私は間に合わなかった。
 どうすればいい。止血しても根本は変わらない。胡蝶さんに連絡したって間に合わない。誰かに助けを求める?一体誰に。もうこの街は焦土と成り果ててしまったというのに。

「助ける方法が、ないの…?」

 被り物を脱がしてやれば、その下にはずっと安らかに眠っている伊之助の端正な素顔。絶望的な状況を前に涙すら滲んできて、自分が情けなくて仕方なかった。

「伊之助!」

「炭治郎…。どうしよう、伊之助が」

 禰豆子ちゃんに背負われて現れた炭治郎が顔を青ざめさせた。仲間が弱っていくのをただ黙って見ているしかないなんて、これ程悔しいことはない。
 泣いたってどうにもならないのに。堪えていた滴が遂に溢れそうになった時、炭治郎を下ろした禰豆子ちゃんが勇ましい顔付きで片手を伊之助に添えた。

 何を…そう問おうとした瞬間、伊之助の身体が勢いよく紅く燃え上がった。

「禰豆子ちゃん!?何で燃えて…」

「ただの火じゃない、爛れた皮膚が、治っていく…」

 不思議なことに、燃え盛る炎が毒で爛れた伊之助の皮膚を次々と癒していく。傷はそのままでも毒の効能は完全に失われているようだった。
 次はお前だと言わんばかりの禰豆子ちゃんが今度は私の肩に触れた。途端に燃え盛る身体に硬直したのも束の間、みるみる内に楽になっていく身体にあいた口が塞がらない。
 とてもあたたかい炎だ。日向に当たっているような、優しい心地。毒なんて最初からなかったみたいに全身が軽くなっていく。

「腹減った!何か食わせろ!」

 下から聞こえてきた声に思考が停止する。場にそぐわないそれに、心臓が鷲掴みにされたように痛む。隣で炭治郎が名前を叫んだ。
 
「良かった、本当に良かった!わぁあああッ」

「あ、おい離れろ紋次郎!見てないで助けろ薫!」

 何だそれ。何でそんな元気なんだ。こっちは、今にも押しつぶされそうだったっていうのに。
 ぼろ雑巾になってもまだ水分が体内にあったらしい。堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出してきて止まらない。だばだばと出続けるそれに、伊之助がギョッと目を瞠った。

「心臓刺されて死にかけて、それなのに私庇ってボロボロで、もうぐちゃぐちゃでどうしたらいいかッ分からなかったの」

「…」

「伊之助が死んじゃうって思ったら頭の中真っ白で、本当に怖かったの馬鹿ぁあああうわぁあああ」

 子供みたいに、寧ろもっと酷い有様で泣き喚く私に炭治郎が間で狼狽える。目の前の男は先程まで死にかけていたというのにやたら真面目な顔で私を見つめていて、それが余計に涙を煽った。
 頬に痛みを感じて目を開ければ鼻先に翡翠の両眼。相変わらず容赦無く頬を引っ張られるので思わず口を閉じれば、見計らったように自身の額を合わせてきた。

 伊之助の癖。何かを伝えたいけど上手く言葉にできない時、直接届けるようにこうして私と額を合わせてくる。私だけじゃないと、訴えてくるようだった。

「俺は約束は破らねぇ!死にもしねぇ!伊之助様だからな!」

 「子分なら心配しないでついてきやがれ!」なんて言い出した伊之助。
 ――――やっぱりめちゃくちゃだ。だけど、それが私が好きになった相手なのだ。



 その後、禰豆子ちゃんの奇妙な血鬼術のおかげで、三途の川を渡りかけていた宇髄さんは無事命を繋ぐことができた。しかし、片腕と片目の損傷は大きく、柱として戦い続けることは不可能という判断が降った。
 善逸も両足を除けば無事だった。鬼との戦いの最中は意識はなかったみたいで、目が醒めるなり号泣した。良かった、生きてて良かった。そう繰り返し泣く善逸の姿は、この場にいる皆の心情を表してくれているようだった。
 
 それ程までにこの戦いは凄惨なものだったのだ。例え、迎えに来た蛇柱が”たかが上弦との戦い”と言おうとも。


***



 
「意識戻ってんじゃねーか!もっと騒げやぁぁああ!」

 鼓膜を揺らす喧騒で私は目が覚めた。寧ろ、半ば無理矢理叩き起こされたという表現の方が近いかもしれない。

「オメーは本っ当にボーッとしてんな!?人を呼べっつーの!意識戻りましたってよ馬鹿野郎が!」

 般若のような形相の隠が続けてお馴染み三人組の名前を叫んだ。何だか懐かしくすら感じるそれに、まるで長い夢でも見ていたような気分に陥る。全身が鉛のように重くて腕が上がらない。意識も朦朧としていて、狼狽えるカナヲに尚も叫び散らかす男の人の声が子守唄に聞こえてくるようだ。
 そういえば、那谷蜘蛛山の後も同じ状況だったなぁ。何だかんだ毎回入院している気がする。
 あと何回アオイちゃん達にお世話になれば気がすむのだろうか。いくら激戦だったとはいえ、そろそろ怒られてしまいそうだ。

「二人共目が覚めて本当に良かったですぅ!一時期はどうなるかと思いましたぁ〜!」

 大慌ててでやってきたなほちゃん、すみちゃん、きよちゃんは寝台に縋り付くなりわんわん泣き出した。二人?そう思って視線だけで隣を見れば、包帯ぐるぐる巻きの窶れた炭治郎が横たわっているのが目に入った。同じことを思ったのか、同様に此方を向いていた炭治郎と視線が交わり、お互いの重症具合に思わず苦笑する。
 何やら慌てたような足音が近付いてくるなり勢いよく開けられた扉。真っ白いシーツが飛び出してきたので何事かと思えば、洗濯物が絡まったアオイちゃんが涙目で走り寄ってきた。

「意識が戻って良かったぁあ!あたしの代わりに行ってくれたから…みんな…うぉおおん!」

 その場に泣き崩れるアオイちゃんを、静かに見守っていたカナヲが優しく背中を撫でてやる。
 成り行きで完全に忘れていたけど、私達はアオイちゃんを連行しようとする宇髄さんに盛大に啖呵をきって任務に同行したのだった。それどころじゃなかったから気に留めてなかったけど、アオイちゃんはずっと責任を感じていたのだ。どんな思いで帰りを待っていたのかと思うと、申し訳なさで胸が痛む。

「ごめん、なさい。泣かせるつもりじゃなかったんだけど…また、大怪我しちゃった…」

「本当ですよもぉおお!薫さんが代わりに行くって言い出した時は、自分が情けなくてどうにかなってしまいそうでした…!」

「でも、こんな怪我して欲しくなかったし…それに蝶屋敷にアオイちゃんは必須でしょ?」

 気にしないでと言ったってきっとこの人は余計に気に病んでしまうから。その言葉だけは言わない。結果的にこれで良かったのだと私自身も思っているのだ。
 私の言葉にアオイちゃんは更に顔を歪ませると、「こうなったらとことんお世話しますから!」と溢れる涙を拭った。

「他の皆は…大丈夫、ですか?」

「黄色い頭の奴は一昨日だっけ?」

「はい。善逸さん翌日には目を覚ましたんですよ」

「復帰してるぜ。もう任務に出てるらしい嫌がりながら」

 何だかんだ弱音を吐きながらもしっかりと実力があるから驚きだ。本人は全く持って記憶がないらしいから原理が謎だけど、恐らく身体が覚えているのだろう。
 宇髄さんはあれだけの怪我をしていたにも関わらず奥さんの肩を借りてしっかり歩いていたらしい。あまりの頑丈さに隠達はドン引きだったとか。

「あの、伊之助は大丈夫なんですか…?」

「伊之助さんも一時期危なかったんです」

「伊之助さん凄く状態が悪かったの。毒が回ったせいで呼吸による止血が遅れてしまって…」

 あれ、じゃあ私の目の前にいる猪は幻覚なのだろうか。会いたすぎて幻を見てしまうなんてそろそろ末期だ。

「そうか…じゃあ、天井に張り付いている伊之助は俺の幻覚なんだな…」

「…うん?炭治郎にも見えてるの…?」 

 のそのそと天井裏を這いずってくる伊之助が炭治郎にも見えているというのか。不思議そうにする私達に吊られ、一同は恐る恐る視線を天井に向けると、部屋中に息のあった悲鳴が響き渡った。

「ぐわははは!よくぞ気付いた!」

「俺達、仰向けだから…」

 震え上がる女子達など御構い無しに、まふっと炭治郎の寝台の上に降り立った伊之助。「俺はお前達よりも七日前に目覚めた男!」などとビシビシ患者を指差しながら説教を始めたが、心成しかそわそわしているし、嬉しそうだ。

「良かった…伊之助は凄いな…」

「へへっうふふっもっと褒めろ!そしてお前は軟弱だ!特にお前!」

 今度は私に向けられた指先。本当に効果音でも聞こえてきそうな勢いだ。

「いつまで寝てんだ!もう起きないかと思っただろーが!心配させんじゃねぇ!」

「伊之助さんが普通じゃないんですよ!しのぶ様も言ってたでしょ!」

 すかさずきよちゃんが答えると、続けるようにすみちゃんが私達に図鑑の一面を見せてくれた。まるで狸のような動物が描かれているそれは”ミツアナグマ”という外国のイタチらしく、毒どころか獅子に噛まれても平気なのだとか。胡蝶さん曰く伊之助はこれと同じらしい。

「適当だな胡蝶さんも」

「彼について考えるのが面倒臭くなったのでは?」

 医学に精通している胡蝶さんでも伊之助の生体は解明不可能なのか。確かに、山で育った伊之助は度々人間離れした行動が多かった。関節外したりとか…。
 すみちゃんの説明に伊之助は案の定ふんぞり返ったが、真っ向から否定されるなり隠とアオイちゃんに襲いかかった。ギャーギャーと騒がしくなった病室。「し、静かに…」となほちゃんが慌てるが、喧嘩を始めた伊之助とアオイちゃんの声にかき消されてしまう。

「か、身体に響くから静かにして!」

 珍しく声を荒げたカナヲによって場は無事収まり、まだ安静にしてないといけないからということで皆は部屋を出ていってしまった。

 途端にしんと静まり返った病室。私と、炭治郎の息遣いだけが聞こえる。皆とまだ話していたかったけど、二ヶ月も眠っていたというのに身体はまだ眠りたがっていた。しんどいし、回復してからでも遅くないかと思い直して瞼を閉じる。
 そういえば、一つ気になることがあったのを思い出した。目を開けて、顔を炭治郎の方へと向ける。

「あの時、私が起きてるって気付いてたの?」

 私の言うあの時とは妓夫太郎の脚にクナイを刺した時のことだ。
 たった一人になった時、私は死んでいても可笑しくない状況だった。踏ん張りも虚しく兄妹に圧倒されてしまったけど、妓夫太郎の気まぐれか、将又御情けだったのか。今となっては定かではないが、決定的な一撃を私に与えなかったことで身を滅ぼす結果となってしまった。
 あの時目が覚めたのは奇跡に近かった。クナイ一本分の毒だけでは動きを鈍らせるには足りなかったかもしれない。あの時の行動が命運を左右していたかと思うと、時が過ぎた今でも震えるような思いだ。

 私の問いに、炭治郎は少し上を向いて過去を振り返るような仕草をすると、悪戯っ子のように笑った。

「まさか…一か八かだったよ。でも、薫なら絶対に期待に応えてくれるって俺の鼻が言ってた」

「……ははーん、さては嫌味だな?」

「どうだか」

 何時ぞやの手鬼を討った時の私の言葉だった。

 お馴染みの根拠のない私の勘。期待される方はたまったものではないが、まさかお返しをされてしまうなんて。何だかんだ、私達は似た者同士なのかもしれない。前向きな所は似ても似つかないけど。

 二人で、窶れた顔のまんま笑みを溢す。窓から射すあたたかな日差しがいつまでも私達を見守っているようだった。




戻る
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -