32.緋色が走る




 もう何体目か分からない鬼の頸を斬り落として、任務を終えた。

 伊之助に叱責されてからは遅れた分を、月日を取り戻すかのように私はがむしゃらに日輪刀を振るう日々だった。基礎の基礎から己を省みて只管に強くなることを目指した。
 「骨が砕けるまで走り込みだ!」と意気込む伊之助に続いて四人で山を上り下りし、お互いを背に乗せて腕立て伏せをする筋力訓練まで。一から十までの鍛錬に掌から血が滴ることもざらだった。予防の為に予め手袋をしていたけど、布越しでもズタボロなそれは最早意味がなかったかもしれない。

 さらしを巻いて、露わになった自身の上半身を見下ろしてみる。随分と鍛えられて筋肉質だった。男である三人のものとは程遠いが、女性らしさからもかけ離れたそれに、何とも微妙な気持ちになった。

「わぁ!薫ちゃんって良い体しているのね、かっこいいわぁ」

「え!?」

 耳元で聞こえてきた女性の声に思わず振り向くと、ボフンと顔に柔らかいものが当たった。続けて「きゃッ!私ったら…ごめんね!」と焦った声。もしかしなくても、それが胸だと瞬時に理解した私は慌てて後ずさるようにして頭を下げた。

「ごごごめんなさい!!」

「ううん、私こそ驚かせちゃったみたいでごめんね?」

「あれ、貴方は…」

 顔を上げた先には桃と緑の不思議な髪色。可愛らしい容姿に、惜しげも無く晒された谷間が何とも眩しい女性。柱合会議で見掛けた、恋柱の甘露寺さんがそこにいた。

「うふふ、甘露寺蜜璃よ。しのぶちゃんに用があって来たんだけど、あまりにも薫ちゃんが頑張ってるのが見えたから、話しかけちゃったの。鍛錬頑張ってるのね?偉いわぁ」

「そんな…私なんてまだまだで…」

 こんなの、頑張った内に入らない。上下の動きはてんでバラバラだし、各箇所に意識を集中させることも数分しか持たない。呼吸は手足の著しい増強が鍵となるのに、こんなでは型すらいつまで経っても使いこなせないのだ。
 俯いた私の顔を、きょとんとした甘露寺さんが覗き込んだ。大きな瞳が間近に会ってビクリと肩が跳ね上がる。どうにも不思議な人だ。

「自分ではそう思うかもしれないけど、私から見た貴方は充分立派だよ?ほら、もっと肩の力抜いてみて」

 とん、と人差し指で肩を突かれて、初めて私は自分がガチガチになっていたことに気付いた。これじゃあ無駄な動きもできる訳だ。やっぱり柱にまで上り詰めた人は凄いなぁなんて頭の片隅で思いながらゆっくりと息を吐いて深呼吸すれば、思いの外体が軽くなって思わず苦笑いを零してしまう。
 「うんうん!笑顔が一番!」なんて満足そうしている甘露寺さんが可笑しくて、思わず笑ってしまえば、釣られるように甘露寺さんが花を咲かせるように笑った。そこでふと、私はある考えを思いついたのだった。

「甘露寺さん!お願いです、私に稽古をつけてください!」

「え?えええ??」

 あたふたし始める甘露寺さんに詰め寄って、もう一度「お願いします!」と力説する。というのも、女性である彼女にしかできないお願いだった。
 自分自身で鍛えるにはどうしても限界がある。他者の目から見た指摘があるからこそ、そこを磨くことができる。贅沢を言えば、氷の呼吸を扱う剣士がいてくれたらどんなに良かったか。だけど、何処を探したっていないものは己で築くしかない。それならばせめて、呼吸以外を指導してもらえるならばこれ以上のことはないだろう。
 例えば女性ならではの身体の撓った動きや関節の柔らかさ。男性に比べ身軽だからこそできる動きというものがある。ならばそれを学ぶにあたって、甘露寺さんは非常に参考になる。

 ただ、罷りなりにも相手は”柱”。多忙な身である彼女達に、これがとんでもないお願いだというのも重々承知している。それでも、どうしてもお願いしたかった。

「で、でも私が教えられることなんて…」

「お時間がある時に見てくれるだけでもいいんです!」

「うーん、困ったわぁ…」

「任務に同行させてくれるだけでもいいんです!絶対に邪魔はしないし、足手纏いにもならないようにしますから!どうかお願いします!」

 頭を下げる私に、困り果てる甘露寺さんの気配がする。一向に顔を上げない私に、遂に押し切られたといった様子の甘露寺さんは控えめに「じゃあ、ちょっとだけよ?」と言ったのが聞こえて、思わず勢いよく顔を上げた。

「その代わり、私とお友達になってくれる?」

「…へ?」

 そう続けられた言葉に、素っ頓狂な声をあげてしまった。甘露寺さんは照れ臭そうに口元に手を当てている。

「ほら、女の子の隊員って少ないでしょ?しのぶちゃんしか仲良くしてくれる子がいなくて寂しかったの。だから、訓練と言わず仲良くしてくれたら嬉しいなぁ、なんて」

「も、勿論です!私も女の子の友達が禰豆子ちゃんしかいなくて、今まで山で育ってきたから…。だから、そう言ってもらえるととても嬉しいです!」

 食い気味に答える私に甘露寺さんは嬉しそうに笑ってくれた。なんだか予想外の展開だが、事実女性の友達はほぼ皆無だった私にとってこの上なく嬉しい言葉だった。
 甘露寺さんは「そろそろしのぶちゃんの所に行かなきゃ」と慌てだした。去り際に「明日の任務、特別に同行を許可するね!」と大きく手を振りながら走り去っていく背中に、もう一度大きく頭を下げた。



***



 甘露寺さんが去った後私は一人で鍛錬を続けた。随分と集中していたせいか、途中雨が降っていたことに気付くのが遅れてずぶ濡れになってしまう。生憎とさらし一枚の格好は寒く、これでは風邪を引くと慌てて踵を返した。

「きゃ!?」

 間抜けなことにつるりと足の裏が滑って盛大に転けた私は、受け身を取ったものの運悪く傍にあった岩に頭をぶつけてしまった。ジンジンと痛む頭を抑えて蹲っていると、羽織を傘がわりにして走ってきた炭治郎がギョッとした顔で此方に駆け寄ってきたのが見えた。多分、任務帰りなのだろう。

「薫!?何してるんだそんな格好で!」

「気付いたら雨降ってて…転んじゃった。へへへ」

「笑ってる場合か!ほら、立って」

 グイッと腕を引いて炭治郎は屋敷の濡れ縁に私を座らせると、自分の羽織を私の肩にかけて手拭いで顔を拭いてきた。任務帰りで疲れているだろうに。いつでも相手を気遣う姿はまるでお兄ちゃんだ。
 それでもされるがままに頭を拭かれていく。これが他の人だったら止めるよう言っていた所だが、どうにも炭治郎が相手となると大人しくなってしまう。それもきっと、一番付き合いが長い安心感からくるものだろう。

―――― お互いに、随分遠くまできたことを実感させられる。出合い頭よりも幾分と逞しくなった掌が手拭い越しに伝わってきて、ぽっかりと空いたままの胸の穴に生暖かい風が吹き抜けた。もう取り返しがつかない程遠くに、来てしまったんだ。

「炭治郎」

「ん?」

「炭治郎は、変わらず一緒にいてくれる?」

「どうしたんだ急に。そんなの、今更だ」

 苦笑を零す炭治郎。いつまでも兄弟子、妹弟子で居続けたいなんて思うのは傲慢だろうか。大切な人が明日、隣にいるかも確証がないこの世界でそう願わずにはいられない。
 いつか、血は繋がっていなくても同じ師で繋がる私達は家族みたいなものだと炭治郎は言ってくれた。その言葉がどんなに嬉しかったか。どんなに孤独な私を救ってくれたか。どうにか恩返しがしたい一心で、私は今日も剣を振るう。

「時に薫」

 しとしとと雨音が響く中、やけに真面目な顔で切り出した炭治郎に首を傾げる。相変わらず髪を拭く手を止まらない。

「実際、伊之助とはどうなんだ?」

「……」

 キリッとした顔で問うてくるこの男。まるで「お兄ちゃんはそこんところはっきりさせたいぞ」と空耳が聞こえてきそうだ。どう。どうとは、どういうことだろう。
 隠し事など無用といった仲ではあるが、いざ聞かれると返答に困ってしまう。それもその筈、伊之助の頭の中がさっぱり分からなくて困っているのは私とて同じだからだ。

「どうと言われても…相変わらず行動は謎だし。特に何も?」

「そうか…そうなんだな…」

「どうしたの?さっきから」

 何だか様子が変だ。まるで、水面下で行われている結託のようなものを感じる。それも私だけが知らない、何かだ。

「何か隠してるでしょ?」

「い、いや。俺は何もッ知らないぞ」

 不気味なくらいに歪められた表情が嘘だと物語っている。ここまで嘘が下手くそな人間を私は今まで見たことがない。最早不細工ですらあるその表情に白い目を向ければ、焦った様子の炭治郎が「とにかく!自分に素直になるのも大事だぞ!」と無意味に手を彷徨わせた。
 さっきから何の話をしているのか理解できない私は益々顔を顰めてしまう。その様子に、今度は逆に首を傾げた炭治郎が次の瞬間、爆弾を投下した。

「?…慕ってるんじゃないのか?」 

 ドッキンと煩いくらいに跳ね上がった心臓。次第にばくばくと早まる鼓動に、勝手に顔が熱くなるのを止められない。見られないようにすぐさま羽織を頭から被った私に、炭治郎の心配そうな声が降ってくる。

―――― 好き?誰が?私が、伊之助を?

「たたたたたたたたんじろう」

「落ち着いてくれ、噛みすぎだ」

 これが落ち着いていられるものか。何で?いつからそんな思考になった?もしかして炭治郎じゃなくて皆そう思ってるの?ガタガタと震える体を抱きしめる。緊張か恥ずかしさからか、歯が可笑しなくらいに鳴った。そんな私の心情を察したのか、炭治郎が控えめに「多分、俺だけがそう思ってると思う」と呟いた。
 それもそれだが一先ずマシかと安堵すると、漸く落ち着いた私に炭治郎がほっと胸を撫で下ろしたのが被った羽織の隙間から見えた。

「……にして」

「ん?」

 雨音に掻き消される程のか細い声に自分でも驚いた。自分のこんな感情に、恥ずかしくて何故か涙すら浮かんでくる。わざわざしゃがんで隙間から覗き込んできた炭治郎が、ただでさえ大きい目を更に丸くさせた。

「内緒に、してね…」

 苦し紛れの精一杯の言葉に、炭治郎は暫し驚いた顔をした。そして、いつもみたいにふっと優しく微笑んで「分かった」と呟いた。

 その微笑みが少し寂しそうに見えたのは、気のせいだったかもしれない。




戻る
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -