20.懺悔




 お館様は目が見えない筈なのに、しっかりと私に顔を向け、まるで遠い昔を懐かしむように微笑んだ。宇髄さんに押さえられていた上半身を起こす。「どうして」と困惑する私に、お館様はそこにはいない誰かを思い浮かべるように視線をずらした。

「私は君が産まれた時の頃から知っているよ。”元氷柱”の桜木がよく屋敷に赤子の君を連れて来ては子守をしていたのを、まるで昨日のことのように思い出す」

 知らない。そんな話は聞いたことがない。私は産まれてからずっと山でお祖母様と暮らしていた筈だ。お祖母様は本部に出入りできるような、元柱なんて身分じゃなかった…筈だ。

「桜木は鱗滝と同期だったからね、彼の手紙に君のことも書かれていた。竈門炭治郎と共に鬼殺隊に入ったのだと。桜木がそれを許すなんて、少し驚きだったよ」

 やめて、聞かないで。それ以上何も言わないで。恐らく次、投げかけられる言葉が容易に頭に浮かんで、無意識に視線が下を向く。視界いっぱいに広がる白い砂利。このまま、溶けて一部になってしまえればいいのに。

――― 桜木は今、元気にしているのかな?』

 親方様の声は不思議と安心して、心が穏やかになるのに、どうしてか今だけは鋭い棘のように心臓に突き刺さった。唇が震える。何か言わないといけないのに、痙攣した筋肉がそれを許してはくれない。何となく、視界の端で炭治郎が心配そうに此方を見ているのが分かった。
 
 私は強くなんてなかった。本当は弱虫で、怖がりで、今すぐにでも走って逃げ出したかった。鬼なんて、一目見た時から大嫌いだったんだ。
 でも、鱗滝さんや炭治郎、禰豆子ちゃんに出会って、それじゃ駄目なんだって気付いた。誰かが立ち向かわないと、因果は断ち切れない。憎んでだけいたって、悲しんでだけいたって私は前には進めない。人は違う道にも進めるって、炭治郎と禰豆子ちゃんが教えてくれた。

「元氷柱の桜木は…お祖母様は鬼舞辻無惨により鬼にされた後、私が頸を斬って殺しました」

 柱達の視線が一斉に突き刺さる。お館様が、静かに目を閉じた。自分でも分かっている。馬鹿げた話だ。自身の家族を斬っても尚、他人である鬼をこうして庇っているのだから、気でも狂っているのかと思われて仕方ないと思う。中立な人間のふりをしていて、蓋を開ければ何一つ彼らと変わらない、鬼を滅殺する人間なのだ。
 恰好の餌食を見付けたかのように不死川が声を高らかに笑った。嘲笑うように、失笑するように。鼓膜を揺らす声色を聞く度に心が黒く塗りつぶされていくようだった。

「こりゃおもしれぇ!血の繋がった家族は容赦無く殺すくせに、赤の他人の妹は守るのか!これ程皮肉じみた話はねぇなぁ!」

 また、高らかに笑う。泣くな、泣くな、それは過去の自分を否定する行為だ。自分が行ったことを、無かったことにしてはいけない。そこにあっていいのは事実だけなんだから。
 唇に歯を立てる。掌に爪を食い込ませて、痛みで誤魔化そうとした。じわりと血が滲んで、地面に滑り落ちていった所で胡蝶さんが手首を優しく掴んだ。「また怪我を増やすつもりですか」と、そう言って指を一本一本離していく。

「やめろ!何も知らないくせに、知ったような言葉で人の心を踏みにじるな!」

「アァ!?」

 炭治郎が地に伏しながらも叫んだ。私のこの感情は同情なのだろうか。それとも己が成し遂げられなかった姿を彼に重ねているのだろうか。目に溜まって堰き止めていた滴が重力に従って一つ、二つ、意図せず石畳に水玉模様をつくっていく。
 違う。二人を守りたいと思う気持ちは、大事に思う気持ちは、二人に出会ってちゃんと私からうまれた感情だ。同情でも何でもない、その気持ちに嘘はない。私の心は、何事にも囚われないのだから。

「…好きなだけ言ってもらって構いません。貴方にはさぞ私が無様に見えていることでしょうけど、それでも禰豆子ちゃんを大事に思い、守りたい気持ちは、例え彼女が鬼だとしても決して変わることはありません」

 だから、そう続けて、冷たい砂利の上に額を付ける。突然地面にひれ伏した私の行動に、炭治郎が息を呑んで硬直する。

「お願いです禰豆子ちゃんをこれ以上傷付けないでください。彼女は鬼だけど、私の友達でもあるんです。斬られると、痛いのです。だから、どうか」

 ―――お願いします。
 身体が勝手に震える。怖くて悲しくて、あれだけ流すまいとしていた涙が蓋を切って溢れた。違う、私は泣きたいんじゃない。誰よりも泣きたいのは炭治郎であって、私じゃないのに、いくら止まれと心で叫んでも、唇が切れても止まってはくれない。
 不死川さんが怒りに震えて、私の行動に一瞬怯んだように見えた。噛み締めた唇から血が溢れている。鬼を庇う私が、その人間の存在が、心から理解できないといった様子だった。ああ、と気付く。きっとあの人も、大事な人を奪われたんだと、冷える頭の片隅で思った。

「…ふざッけんじゃねぇッ!!そんなくだらねぇ理屈で、納得すると思ってんのか!この鬼が人を襲うことを証明しろってんなら、この俺が見せてやるよ!鬼という物の醜さをな!」

「実弥…」

「おい鬼!飯の時間だぞ、喰らいつけ!」

 お館様の諭すような声を無視すると、不死川は突然、自らの腕を切ったかと思えば溢れる血液を禰豆子ちゃんの箱に垂らした。その行動に木の上にいた男が「日向ではダメだ、日陰に行かねば鬼は出てこない」と更に助言をする。
 困惑する一同を他所に、この男の魂胆を理解すると、頭に血が上って怒りで歯がカチカチ鳴った。願いを聞いてもらえるとは思っていなかった。でも、こんな仕打ちはあんまりじゃないだろうか。「失礼仕る」と地を蹴って畳の上に飛んだ不死川に、炭治郎が禰豆子ちゃんの名を叫んだ。「やめろ!」と動く身体を、木の上の男が肘で肺を潰す。

「やめて、やめてください!二人を離して!」

「いけませんよ。貴方はこれ以上動いたら、死にます」

 突進しようとした私の身体を胡蝶さんが後ろから押さえる。鎮痛剤が薄れて来たのか、頭が、身体が、内臓が、千切れるように痛んで地面に崩れ落ちた。
 不死川が箱に二、三回日輪刀を突き刺した。戸を破壊し、行き場を失った禰豆子ちゃんが姿を現す。目の前に突き出された血塗れの腕に口枷から涎が溢れた。荒い呼吸を繰り返し、必死に喰らいつくのを我慢している。

「禰豆子!」

「伊黒さん強く抑えすぎです。少し弛めてください」

「動こうとするから押さえているだけだが?」

「…竈門君。肺を圧迫されている状態で呼吸を使うと血管が破裂しますよ」

 胡蝶さんの言葉を無視した炭治郎が自力で縄を千切った。弾き飛ばされた伊黒と呼ばれた男の腕を、冨岡さんが掴む。這いずるように禰豆子ちゃんの元に駆け寄り、「禰豆子!」ともう一度その名を叫んだ。桃色の綺麗な瞳と目が合う。
 揺れる視界の端で、禰豆子ちゃんがそっぽを向いたように見えた。―――ざまぁみろ。そう不死川に心の中で呟いて、世界が黒くなっていくのを受け入れる。ダメだ、もう起きていられない。最後まで、見届けないといけないのに。
 
 耳元で胡蝶さんがため息をついたのと、首元にチクリと針の感覚がしたのは同時だった。




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