12.見つめ合う




 屋敷に入ってからの善逸のビビリようといったらそれはもう凄まじかった。迷いなく突き進んでいく私達に何度も何度も自分を守ってくれるか確認するし、鼠やらの小動物の物音にすらビビって背後に隠れる始末だ。流石の炭治郎もこれにはすっかり困り果てていた。
 それにしても善逸は最終選別を乗り越えられる程の実力があるのに、どうしてこんなに自分に自信がないのか、私はずっと疑問だった。だって、何となくだけど善逸からは決して弱い人の気配はしないし、何より分厚くなった両手の皮が何より彼の努力を証明している。
 背後で鼻水を垂らしながら震える善逸に、ついに眉を八の字にした炭治郎が困ったように振り返った。

「申し訳ないが、前の戦いで俺は肋と脚が折れてる。まだ完治してない」

「ええぇええ!?何折ってんだよ骨!折るんじゃないよ骨!折れてる炭治郎じゃ俺を守りきれないぜ!!?あ、薫なら平気だろ?本当は女の子に頼りたくないとこだけど、薫なら俺を守ってくれるよな!?」

「ごめん…実は私も肋折っちゃってるんだよね…」

「何でだよ!何で二人仲良く骨折ってんの!?ヒャーーッ!!どうすんだどうすんだ死ぬよこれ死ぬ死ぬ死ぬあんまりだよ!」

「善逸、静かにするんだお前は大丈夫だ」

「気休めはよせよぉおお」

「善逸、本当だよ。炭治郎は嘘なんてつかないんだ」

 嘘だ嘘だと暴れ回る善逸。どうにか落ち着かせようと狼狽えるが、炭治郎が玄関を向いて焦ったように「駄目だ!」と叫んだので何事かと振り返る。そこには置いてきた筈の兄妹が慌てて入ってくる姿。どうやら箱からカリカリと奇妙な音がするので、怖くなって追いかけてきてしまったらしい。
 どう考えても禰豆子ちゃんが出してる音だろうが、兄妹には漠然としか箱を渡していないのでそんなこと知る由もない。

「だ、だからって置いてこられたら切ないぞ!あれは俺の命より大切なものなのに…」

 兄妹が申し訳なさそうに俯く。すると、天井から巨大な何かが踏みしめるような、軋むような物音が屋敷内に響いた。その不気味な音に善逸が悲鳴をあげると、頭を抱えた勢いで尻で炭治郎と妹のてる子を隣の部屋へ突き飛ばしてしまった。同時にポンッと鼓の音が鳴る。次の瞬間、部屋が変わった、さっきまで玄関口にいたのに、気付いたらそこは畳の部屋。見渡しても突き飛ばされた炭治郎とてる子の姿はない。

「部屋が変わった…?」

「死ぬ死ぬ死ぬこれは死んでしまうぞこれは死ぬ!二人と離れちゃったッ!」

「てる子!どこだてる子!」

「ダメダメダメ大声出したらダメ!」

「善逸!ちょっと静かにィ!!」

「真面目な顔してるけど自分も声でかいからねッ!?そこんとこ分かってる!!?ちょっと外に出よう外にッ…」

「何で外に?自分だけ助かろうとしているんですか?死ぬとかずっとそういうこと言っていて恥ずかしくないんですかあなたの腰の刀は一体何の為にあるんですか」

 兄、――― 正一くんの刃のように鋭い言葉達が容赦無く善逸の心を切り刻んでいく。自分よりも遥かに歳下の男の子の言葉はやはり刺さるのか、「ぐっはッ」と善逸はどこからともなく血を吹き出した。

「違うんだよ俺じゃ役に立たないから人を…大人を呼ぼうとしてるんだよ!な?な?俺は正しいよな!?」

「離してくださいッ」

「善逸、正一くんが嫌がってるでしょ」

「子供だけでどうにかできる問題じゃないんだよこれはッ!」

 同意を求めるように此方を見てくるが、どんよりした表情に善逸はまた悲鳴をあげると、嫌がる私と正一くんの腕を引っ掴んでぐんぐん進んで行った。確かに私達は子供だけど、そしたら鬼を倒すのが仕事の鬼殺隊の称号はどうなってしまうんだ…。
 この様子じゃ何を言っても納得しないだろうしその言葉は心の中にしまっておく。されるがままに来た道へ戻されると、善逸は勢いよく玄関の戸を開けた。筈なのに、そこには来た時とは全く違う空間に入れ替わっていた。さっきの鼓の音が聞こえてからだ。もしかして、屋敷内の部屋という部屋が入れ替わっている…?そんなことができるのは鬼の血鬼術だけた。

「嘘だろ…ここが玄関だったのに…」

「…私が先に中を調べるから二人は私の後ろにいて」

 外への通路を失った今、いつどこで鬼と鉢会うかは分からない。二人を後ろにやって先に中の様子を調べようと部屋に足を踏み入れる。善逸が後ろで何か叫んだ。――― 同時にポンと鼓が鳴る。咄嗟に振り返るも、既にそこには善逸と正一くんの姿はなく、ただ長い廊下に繋がっているだけだった。

 また部屋が入れ替わってしまった。てる子ちゃんと正一くんが一人にならなくてよかったと心底安堵する。私達が一人になるのと二人が一人になるのとでは大分話が変わってくる。きっと、炭治郎と善逸が守ってくれるだろう。そう信じて私は早く皆と合流すべく長い廊下を走った。
 流石に広い屋敷なだけあって廊下は長い。走っている間もポン、ポンと何度も鼓が音を響かせ、その度に周りの景色が変わって酔いそうになった。何だか妙な気配も強くなってきていて、私は足を止める。この気配は鬼ではない。それでも人間というには余りにも野蛮すぎるその気配に自然と眉間に皺が寄った。段々と左の襖の奥から大きな足音が近付いてくる。日輪刀を構えた。

「猪突猛進ッ!」

 襖を突き破って飛び出してきた存在の姿に、目を見開く。猪の頭に筋肉質な男の裸体。両手にあるのは均等に欠けた鬼殺隊の刀、――― 日輪刀。妙な気配の正体はこいつだ。
 そのあまりにも特異な姿に判断が遅れてしまう。猪男は視界に私を捉えると、着地することなくそのままの勢いで私を下敷きにした。ダァンと背中を床に打ち付けた音が廊下に響く。器用に両手両足で私を逃げられないように押さえ込んで、顔を近付けてくる。猪の鼻から蒸気が吹き出てきてハッと我に帰った。

「いきなり何すんのよッ!君その格好は鬼殺隊の剣士だよね?相手、間違えてるから!」

「うるせェ雌が喚くな!」

「め、め…雌!?」
 
 雌。かつて今まで自分をそう呼んだ人が存在しただろうか。いや、いない。そりゃ性別という概念で捉えるならば強ち間違ってはいないだろうけども、基本的に私達人間はその呼び方を主に動物に向けている。
 え、この人本当に人間だよね?頭は猪の皮の被り物をしているが、首から下は人間と何ら変わらない。言語も日本語だ。背中は骨折と今の衝撃で痛むし、こんな押さえ付けてまで一体全体何だっていうだ。
 猪男を睨み付ける。何やら人の顔を見てほわほわ?しながら固まっているが、どちらかというと今その行動を取りたいのは私の方じゃないだろうか。
  まだ自由の利く片足を猪男の足に引っ掛ける。そのまま関節にグッと力を入れれば両手を押さえていた拘束が緩まった。その隙をみてするりと身体を滑らせて、床についた手を軸にして猪男に横腹目掛けて蹴りを入れる。しかし猪男は柔軟に身体を仰け反らせて避けたかと思うと、俊敏な動きで間合いをとった。

「…アハハハッ!いいねぇいいねぇ、雌のくせにいい動きだ!」

「隊士同士のやり合いはご法度だから!こんなことしてる場合じゃないでしょ!」

「うるせェ!さっさと刀を抜け!」

 猪男が両手の日輪刀を突き出して突進してきた。鬼殺隊員同士で日輪刀を使った戦いは規則違反となる。だからと言って素手なら大丈夫という訳ではないが、この男はそんなことすらどうでもいいといった感じだ。どうしてこんなことに、私は鬼を探していた筈なんだけど…。とにかく私も一隊員。どうにか刀を使うのは避けたいところだ。
 二本の斬撃が止むことなく襲いかかってくる。目を凝らして、屈んで避けて飛んで避けては身体を捻らせた。身体が柔らかくて良かったなと今日程思ったことはない。だがこの男はその上をいく柔軟具合を見せた。体術で抑えようにもあらぬ方向に身体を捻らせる。更には刀の重さを感じさせない撓った動き、まるで本物の四足獣のような低い体勢。刀を抜かずして勝てる相手ではなかった。

 猪男が刀を交差させる。疾い。ついに避けることができないと判断した私は素早く日輪刀を抜いた。金属と金属がぶつかる鈍い音が部屋に響き渡る。

「やっと抜きやがったなァ!」

「あの!私本当にこんなことしてる場合じゃないんだよね!規則破っちゃってるし!仲間を助けに行かなきゃいけない訳!」

「俺には関係ねぇな!俺を強くする為の踏み台となりやがれ!」

「だーから相手が違うんだっての!!」

 二刀流を弾き返して、私はくるりと体の向きを変えた。後ろから猪男が「はぁ!?」と怒鳴る。こんなことでは埒が明かないと判断した私は、騒ぎ立てる猪男を置いて全力で走った。断じて逃げた訳ではない。この人はどっちかが負けるまで止まらなさそうだし、私は一刻も早く他の皆と合流したいのだ。
 全速力で廊下を駆けていく。野蛮な気配が全然遠ざかんないんだけど。ちらりと顔だけ後ろを覗くと、案の定猪男が鼻から蒸気を吹き出しながら鬼の形相で追いかけてきていた。正しくは怒った猪の形相何だけども、そう見えるのだから仕方ない。強く地を蹴って走った。地獄の鬼ごっこの始まりだ。

「ホホッ美味そうな子供が二匹、自ら喰べられにきたな」

「バカかてめぇこいつらは全員俺が喰らうに決まってんだろ!」

 角を曲がった先で巨体の鬼が二体立っていた。喧嘩しているようだが私には関係ない。お互いを掴み合いながら伸びてきた手をするりと躱す。背後から猪男が近付いてくる。

「水の呼吸、壱ノ型―― 水面斬り!」

「獣の呼吸、参ノ牙―― 喰い裂き!」

 二体の鬼の頸が転がった。それでも足を緩めることはない。追いついてきていた猪男が隣で傾いた鬼の巨体を踏みつけて土台にしたのが見える。ぐらりと此方に向かってくるもう一体の鬼を避け、滑るようにして再び角を曲がった。折れた肋のせいで肺が痛い。「まちやがれぇ!」と叫ぶ猪一体どこまで追いかけてくる気なんだ。
 何度目かの部屋を潜り抜け時、私は視界の先に目立つ黄色い頭と小さい子供を見付けた。善逸と正一くんだ。

「善逸!正一くん!良かった、無事だったのね!」

「猪突猛進!猪突猛進!」

「待って待って何それ何なの!お前その後ろにいるの一体何!?何連れてきてんの!?」

 二人は何者かに追いかけられて必死に走る私をギョッとした顔で見ると、善逸が悲鳴をあげて正一くんの手を引っ張った。私が走っている方向に向かって走り出すので、実質善逸を追いかける私と私を追いかける猪男の構図が出来上がった。もう滅茶苦茶だと頭を抱えたくなるのを我慢していると、ポンと鼓がなった。部屋が入れ替わる。

「え、」

「危ない!」

 ぐるりと視界が回った。部屋が変わった勢いで窓から投げ出される三人の身体。呆然と仰向けに落ちていく目の前の善逸と正一くんに、必死に手を伸ばして強く抱きしめる。腕の中で善逸がくぐもった声で止めにかかったように聞こえた。

 屋敷の中はあんなに暗かったのに。久々に見た空は晴れやかな水色に染まっていた。




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