「もしかして、成歩堂くん?」

 面会室のガラス越しにいた女性が目を丸くしながら呟いて、僕は思わず言葉を失った。

 ―――― 遡ること数時間前。いつも通り事務所に出勤した頃、珍しく御剣から電話がかかってきた。
 再会してからというもの、この男とはもう随分長い間法廷で検事と弁護士として言葉の刃を交わしてきた。時には助け、時には助けられ、今ではよき友人として付き合っている。けれど、そんな関係になっても彼方から連絡など殆ど経験がなかったものだから、僕は何事かと慌てて携帯を取り出した。

「お前からかけてくるなんて珍しいじゃないか。どうしたんだ?」
『…率直に言うが、成歩堂。貴様に弁護士として頼みたいことがある』
「どういうことだ?」

 僕に弁護の依頼?検事の御剣が?意味が分からず言葉の意味を反芻していると、やけに落ち着きのない声色の御剣が続ける。

『すまないが、時間がなくて詳しい話ができそうにない。とにかく今から留置所に向かってくれ。既に話は通してある』

 「それでは」と切られそうな言葉に慌てて電話越しに引き止めるが、よっぽど急いでいるのか御剣は無情にも僕の言葉を無視するとそのままぶつりと通話を切ってしまった。
 ツーツーと繰り返される無機質な音を聞いて、大きな溜息を吐き出しながら携帯をしまう。既に話は通してあるって、断られるかもしれないと言う考えはなかったのか。まぁ、滅多に断ることはないという僕の性格を知ってのことなのだろうが、相変わらず要領がいい男だ。

「(よく分からないけど、とりあえず行ってみるか)」

 生憎と弁護の依頼は入っていないし、他ならぬ御剣の頼みだ。早速支度をすませると、僕はタクシーを捕まえて件の留置所に向かった。
 流れる景色を目で追いながらふと考える。いつもなら真宵ちゃんが隣に座っていたから、なんだか道中はやけに静かに感じた。彼女は霊媒の修行の為に地元に帰っていて、しばらくは戻ってきそうにない。家元になる為に、今日も滝に打たれているのだろう。
 そんなことを考えながら思い出し笑いをしていると、気付けば目的地に到着していた。タクシーを降りて、建物の中に入る。すると留置所の受付担当が待ってましたと言わんばかりに面会室に案内してくれて、尚の事この先に何が待っているのか疑問が募るばかりだ。

「時間になったらお呼びしますので」
「はい。お願いします」

 扉が閉まるのを確認し、一息おいてから前を見据えた。ガラスのせいで顔はよく見えなかったけど、女性らしき人物が向かい側に座っているのが見える。
 一歩一歩前に進んで、僕はハッと息を呑んだ。

「…もしかして、成歩堂くん?」

 この女性は僕を知っている。そして、恐らく僕もこの女性を知っている。この瞬間、僕は何故御剣が弁護の依頼をしてきたのか全てを悟った。
 ―――― 目の前の女性が、嘗ての同級生であるみょうじなまえだったからなのだ。

「あ、あの」

 突っ立ったままの僕に、ガラス越しの女性は戸惑ったように見上げてきた。慌てて我に返り、「すみません」と席に座る。より近くなった距離で目が合うと、喉に石でも詰められたかのような息苦しさに襲われた。
 
「…弁護士の成歩堂龍一です」
「やっぱり、成歩堂くんなんだ!うわぁ、髪型もそのまんまだ。懐かしいなぁ」

 僕のぎこちない反応など御構い無しに、ニコニコと屈託なく笑う彼女はあの頃の面影が残っていた。けれど、僕が知らない空白の時間があったわけで、昔の男の子みたいだった髪もすっかり伸びているし、落ち着いた化粧も施されていて、当たり前だけど小学生のあの子とは別人の大人の女性がそこにいた。
 女の子は化けるってよく言うけど、正にこれがそうなのだろう。何となく目を合わせることができなくて意味もなく宙を彷徨っていると、苦笑いを浮かべた彼女が「感情が目に出るのは変わらないね」と笑った。

「ごめん。まさかみょうじさんがいるとは思ってもみなくて」
「…何十年ぶりの再会が留置所ってあんまりだよ。しかも、御剣くんが出てきたかと思いきや今度は弁護士になった成歩堂くんまで出てきてもう何が何だか」
「ははは。驚いたかい?」
「当たり前だよ!まさか成歩堂くんが弁護士なんて夢にも思わなかったなぁ」
「まぁ、色々あってね」

 本当に、色々あった。僕の表情で察してくれたのか、みょうじさんは深く追求してくることもなく「そうなんだ」と軽く受け流してくれた。流石に、面会時間内に話し終わる自信なんてないからね。

「さて。本題に入るけど、僕が来た理由は分かってるよね?」

 昔話に花を咲かせたいところだが、御剣に仕事を頼まれている以上そう悠長に長話もできない。すぐに仕事モードに切り替えると、今まで笑みを浮かべていたみょうじさんは気まずそうに俯いた。
 忘れてはいけないのが、ここが留置所って事実だ。彼女がここに収容されているのは何かしらの容疑がかけられているから。そして恐らく、御剣の頼みとは彼女の無実を証明しろということなのだろう。

「御剣に頼まれて来たんだけど、詳細は教えられていないんだ。…話を聞かせてくれる?」
「う、うん」

 それから、みょうじさんはゆっくりと事件について話してくれた。
 カフェでコーヒーを飲んでいた時に事件が起こったこと。目の前に座っていた男性が突然突っ伏してしまい、ゆすり起こそうとしたら既に死んでいたこと。被害者のカップからは猛毒が検出され、自分の指紋がついていたことが理由で気付いたら逮捕されていたこと。
 あまりにあっという間のことだったらしい。話している最中の彼女の顔色は悪く、酷く動揺しているようだった。話してくれたことに対して礼を言うと、みょうじさんはおずおずと僕を見上げてきた。

「信じてくれないよね、こんな話」

 じわりと目の端に涙が浮かぶ。ふと、脳裏にあの頃の僕の姿が浮かんで、気付いたら彼女の言葉を遮るように僕は声をあげていた。

「僕はみょうじさんを信じるよ」
「え?」

 みょうじさんの目が心底驚いたように丸くなる。まるで「何で?」と今にも問いただしてきそうだ。

「僕が学級裁判にかけられた時、君は誰よりも真っ先に僕を信じてくれただろう?」
「…」
「だから、僕も同じように君を信じたいと思った。それだけだよ」
「成歩堂くん…ありがとう」
「僕の目を見て、本当のことを言って欲しい」

 そう言うと、みょうじさんは真剣な顔つきで僕を見つめ返してくる。自然と手がポケットに伸びて、力強く勾玉を握った。

「私は、何もやってない」

 サイコ・ロックが出てこない。本当のことを言っていると分かって安心したのと同時に、何とも言い難い罪悪感が僕の胸に渦巻く。
 彼女を白だと信じているのは本当だ。その言葉に偽りはない。けれど、確かに僕の知らないあの子が今目の前にいることがどうしても僕に自信を与えてくれなかった。人は変わる。僕は身を以てそれを知っているからだ。

 強張っていた肩の力を抜いてみょうじさんに頷くと、彼女はほっとしたように表情を緩めた。すると、隣のドアが開いて警察官が終了の時間を告げてくる。

「明日の裁判は僕が君の弁護をするけど、問題ないね」
「うん。信じてくれてありがとう…よろしくお願いします」
「それじゃあそろそろ行くよ」
「あの、ちょっと待って!」
「ん?」

 振り返ると、みょうじさんは慌てて立ち上がってぐっと両手を握り込んだ。何やら真剣な面持ちに首を傾げる。

「ずっと思ってたんだけど」
「うん?」
「その、みょうじさんてのやめてくれない!?」

 一体何を言い出すのかと思いきや。予想外の発言に面食らっていると、もう一度念を押すように「今更だけど!」と叫ばれる。その必死具合があまりにも可笑しくて思わず吹き出すと、今度は何故かみょうじさんの方がぽかんと放心した。

「プ…本当に今更だね。なまえちゃん」
「……」
「どうかした?呼び捨ての方がいい?」
「い、いや…呼びやすい方でいいけど…なんか成歩堂くん変わったね?」
 
 そりゃそうだ。これでも随分落ち着いた方だし、寧ろ二六歳にもなって変わっていない方がショックだ。
 未だに不思議そうにしているなまえちゃんにフッと笑いかける。

「裁判が終わったら、またゆっくり話そう」

 そう告げて、僕は留置所を後にした。



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