02.忘れ得ぬ色彩
チリンと軽やかにベルが鳴って顔を上げる。来客を知らせる音色に自然と入り口の方を向けば、そこには何時ぞやのみぬきちゃんが気怠げな男の人と一緒に立っていた。
「あら、いらっしゃいみぬきちゃん」 「なまえさんこんにちは!約束通り、今日はパパを連れてきました!」
パ、パパ…? そこにはピンクでPaPaと刺繍されたニット帽を被った男性。その下には見事な無精髭とダル着とサンダル。失礼だと分かっていても、想像していたみぬきちゃんのパパ像と実物はあまりにもかけ離れ過ぎていて、私は一瞬面食らってしまった。 流石にお客様に反応を悟られるわけにはいかないのですぐに営業スマイルに切り替えて「こちらにどうぞ」と二人をカウンターに通す。
「ご注文はどうなさいますか?」 「パパ、みぬきオムライス食べたい」 「じゃあそれと、僕はコーヒーで」 「かしこまりました」
うちのお店にはアルバイトが一人もいない。故に、調理も提供も私一人でこなさなければならない。不幸中の幸いと言っていいのか、最近はお客様も少なくて然程苦ではなかった。しかし、待たせる時間は短いに越したことはないので手早くオムライスの準備を始める。
「なまえさん…でしたっけ。この前の雨の日はみぬきがお世話になったみたいでお礼を言いにきたんですよ。僕も家を空けてることが多いので迎えにも行けなくて」 「お礼だなんてそんな。お恥ずかしいことにうちの店内も寂れてるのでみぬきちゃんがお話相手になってくれて助かりましたよ」 「なまえさんのお料理凄く美味しいんだよ。いつもご馳走してくれるの」 「みぬき。パパを除け者にするのはよくないぞ」 「パパはみぬきのヒモだからお零れもらえるかもね」
何て会話だ。少なくとも私が知っている親子の会話ではない。 ツッコミたくなるのを必死に抑えてチキンライスを炒めていく。コーヒーのドリップが終わったので先にみぬきパパに提供すれば、「これ、僕の名前ね」と代わりに白い紙を差し出されて思わず受け取ってしまった。恐らく名刺だろうか。視線を落とせば、そこには”成歩堂芸能事務所 成歩堂 龍一”と書かれていた。
「芸能事務所、ですか」 「みぬきね、実は腕利きのマジシャンなんだよ!うちの事務所の所長なの」 「え?みぬきちゃんが所長なの?パパは?」 「パパはピアニスト」 「色々とツッコミが間に合わないんだけど」
確かにみぬきちゃんはマジシャンらしい不思議な格好をしている。そういうファッションなのかと思っていたがどうやら違うらしい。それに話を聞いている限り父と娘の立場が真逆だ。しかも詳しく聞いてみれば、彼はピアノの弾けないピアニストなのだとか。矛盾が過ぎる。それでいいのかパパ。
「何かあったらそこの番号にかけてほしいな。今月の電気代苦しくてね」 「…私今営業をふっかけられてるんですかね?」 「やだなぁジョークだよジョーク」
かつてこんなに苦しいジョークがあっただろうか。気が付いたら初対面の親子のペースに飲まれてしまっている。 気を取り直して出来上がったオムライスをみぬきちゃんの前に置けば、目を輝かせて喜んでくれた。一口頬張るなり「美味しい!」と連呼し、こっちまで嬉しくなってしまう。成歩堂さんも気になったのか、みぬきちゃんから一口貰うと、少し咀嚼した後に「こりゃ美味しいね」と言ってくれた。この瞬間が私の幸せだったりする。 そういえば、成歩堂龍一と言う名前を私はどこかで聞いたことがあるような気がした。こんなに珍しい名前なら覚えていそうなんだけど。はてどこだったか。
「どうかしたのかな」 「あ、いえ少し考え事を…」 「当ててあげようか」 「え?」
気怠げだった両目が一瞬鋭くなった気がして、私は息を呑む。見透かされているような不思議な感覚。先程までの飄々とした人物とは別人のような表情がそこにあった。
「僕の名前が引っかかる。そうだね?」 「……そうです。よく分かりましたね」 「パパね、元弁護士なんだよ」
果たして弁護士がこんなメンタリストな職業だったかは疑問だが、その言葉に私はピンとくるものがあった。 いつもの癖でつけるテレビ。朝のニュースでは、決まって”成歩堂龍一”という名前が流れていた。確か無敗の弁護士だったが、証拠品の捏造により法曹界を追放されたのだったか。まさか今目の前にいる人物が本人だなんて誰が思ったか。
「じゃああの有名な成歩堂…ナルホドさんだったんですね」 「言い換えなくても前者であってたんだけど。……吃驚したかな。犯罪者が目の前にいて」 「うーん。確かに本物が現れて驚いたけど、経緯に関しては私は真相も何も知らないのでなんとも思わないかなぁ」 「へぇ。こりゃ一本取られちゃったな。随分と肝が座ってるんだね」 「私は自分が見たものしか信じないってだけですよ。それに、そんな堂々と自己紹介する犯罪者なんていますかね」 「だってよパパ。やられたね」 「ああ、やられたね」
みぬきちゃんが「新しいママになってもらおうよ」だなんて言い出し、ナルホドさんも悪びれず乗っかり出したので慌ててそれを止めた。どうやらこの親子はかなりドライらしい。 次々と飛び出す吹っ切れ過ぎた発言に、私は頭を抱えたくなるのを必死で堪えるのだった。
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