11.嵐と偏光スペクトル


 第一部のハードなロックとは対照的に、第二部は盲目のピアニスト、”マキ・トバーユ”の美しいピアノの伴奏を基調としたバラードだった。
 甘い旋律と共にラミロアの深い歌声が響き渡る。牙琉さんのアコースティックギターの音色も混じれば、忽ちステージ中の観客がうっとりと身を委ねた。

 良かった。これならもう揉みくちゃにされることもないし、ゆっくりと曲を楽しむことができる。心に語りかけるような耳触りの良いメロディに聴き惚れていると、ふと肩にオドロキくんの腕が当たった。
 無意識だったのか、見上げれば目をぱちくりさせたオドロキくんと視線が合わさったので、代わりに微笑み返す。するとオドロキくんもぎこちなく微笑み返してくれた。

 同時にステージに向直れば、目の前ではラミロアが向かいのステージに瞬間移動するという演出が行われていた。タネも仕掛けも感じさせない見事なイリュージョンにわぁと拍手が沸き上がる。
 ”胸を焦がすFire,恋人も燃える”。ラミロアの声が響くのと同時に、牙琉さんのギターが勢いよく燃え上がった。

「あれも演出なのかな?」
「それにしては…やけに慌てているような…」

 それは一見、歌詞に合わせた派手な演出のようにも見えた。けれど、それにしては自らの上着で消火している姿はかなり焦りの色が見えている。周りを見渡して見るが誰も疑問にすら思っていないし、寧ろ盛り上がりを見せているのでそういうものだと自らを納得させた。

 そうして第二部は終わりを告げ、私は蟠りを胸に抱えたまま会場を出たのだった。


「凄かったですねー!みぬき、ちょっぴり泣いちゃいました!」
「あれだけ歌えたら気持ちいいんだろうねぇ」
「うーん…でも、まさか牙琉検事のギターが燃えるとは思わなかったよ」
「演出ってやつですよね!あれは良かったなぁ、魔術師のみぬきもびっくりでした!」
「演出ねぇ」

 本当にそうなのだろうか。一つの疑念に悶々としていると、みぬきちゃんが芸人根性論で片付けようとしたのでとにかく真相を確認しに行くことになった。
 先程と同じ楽屋に向かえば、ドアの向こうから言い争う声が聞こえてくる。何やら不穏な空気に恐る恐るドアを開ければ、中では牙琉さんが目尻を吊り上げてスタッフに怒鳴っているところだった。

「なんなんだよアレは!聞いてないぞ僕は!」
「す、すみません…今担当者に事実確認を…」
「危うく火だるまになるとこだったんだぞ!」

 何度も頭を下げるスタッフに捲し立てる牙琉さんからはいつもの余裕綽々な態度が消え失せている。みぬきちゃんがぼそりと「なんか、荒れてますね…」と呟けば、小声だったにも関わらず、目敏く拾い上げた牙琉さんがカっと目を血走らせて此方を見た。

「あ!キサマか、王泥喜法介!僕を燃やそうとしたのは!」
「何でオレなんだよ!?」
「…芸人根性は関係なかったみたい」

 何故か残念そうにしているみぬきちゃんに苦笑いを溢す。どうやら様子を見た限り事故で間違いないらしい。とはいえどんなミスがあればギターが火だるまになるというのか。
 牙琉さんに慰めの言葉をかけるべきか悩むが、そんな悩みすら吹き飛ばす程に牙琉さんの怒りはヒートアップしていく。先陣をきったみぬきちゃんが「演出じゃなかったんですか?」と単刀直入に突っ込んで行ったが、すぐに「そんなわけないだろ!」と一刀両断されてしまった。

「とにかく!あのギターはそこらへんの新車並みにゴキゲンなんだ!走りも音も値段もね。ライブの度に燃やしてたら僕は破産だよ!
「ケチなロックンローラーだな」
「本人に言ってください」

 聞こえなかったから良かったものの、今のやり取りを拾われていたら間違いなくオドロキくんは火だるまにされていただろう。幸いなことに牙琉さんは次から次へと愚痴が飛び出てきて口が止まらない状態だ。

「まったく!どうも今日は朝からツイてないんだよな!」
「何かあったんですか?」
「何かどころじゃないさ!バイクは動かないわ、ギターケースはぶっ壊れるわ、散々だよ!」
「それは…大変でしたね」

 もしかして、普段のキャラは作り物でこちらの感情を露わにさせた牙琉さんが素なんじゃないかとすら思えてくる。ブツブツと文句を垂れて拗ねている様はより一層彼を若く見せていた。勿論、良い意味ではなくだ。
 確かに、高級なギターが燃え上がれば怒りたくなる気持ちも理解できるのでこの状況をどう打破するべきかオドロキくんと目配せをしていれば、機転をきかせたみぬきちゃんが牙琉さんとラミロアさんを褒めちぎることにより多少落ち着きを取り戻したようだった。
 終いには曲の創作秘話なんかで盛り上がり始めて、聞き上手なみぬきちゃんにより牙琉さんもすっかり機嫌を治してしまった。蚊帳の外の私達は事務所の陰の所長に頭が上がらない。
 
「おっと、そろそろ第三部が始まるから僕は行くよ」
「私達も行きましょう!」
「そのことなんだけど…ちょっと体調が良くなくて私は入り口で休んでてもいいかな?」
「え?大丈夫?」

 ド派手なロックはもうお腹が一杯ですなんて死んでも牙琉さんには言えない。好意で誘って貰っているし、尚更だ。それに強ち体調が悪いというのも嘘ではなかった。
 三人に心配されて申し訳なく感じていると、みぬきちゃんが考えるような素振りを見せた後「そうだ!」と笑顔を浮かべた。

「そういうことならオドロキさんがなまえさんの介護してあげてください!」
「え?」
「うん。オレもそれが良いと思う。それに第二部みたいなのは好きだけど、派手なロックはちょっと…」
「やれやれ。おデコくんはとんだおじさんだったみたいだ」
「おじさん!?」
「なまえちゃんがいないのは残念だけど、君の体調の方が大事だからね。ゆっくり休んでおいで」
「あ、ありがとうございます」

 オドロキくんがおじさんなら間違いなく私もおばさんってことだ。自分だけ逃げてしまった罪悪感に胸を痛めつつ、楽屋前の廊下で二人を見送った。
 姿が見えなくなった所で振っていた手を下ろす。ふと視線を感じて隣を見れば、オドロキくんが私の右手をガン見していることに気付いた。

「その、牙琉検事とはそういう仲だったりするんですか?」
「そういう仲?」

 もしかして、恋人とかそういう類のことを言っているのだろうか。確かに不可抗力とはいえ手の甲にキスは側から見たら友達以上の関係に見えなくもないかもしれない。
 すぐに誤解だと言おうと思った。けれど、あんまりにもオドロキくんの顔が”めちゃめちゃ気になります”と言っているようにしか見えなくて、次第に私の嗜虐心が擽られていく。

「…付き合ってるかもよ?」
「えッ!!??」
「…」
「ま、まじですか?」

 そんな鵜呑みにするとは思っていなかったのに、予想以上に動揺しているオドロキくんに私まで変な汗が出てくる。私的には「そんなまさかー!」と笑い飛ばしてくれることを期待していたんだけど、ここまで斜め上の反応をされると流石に良心の呵責に耐えかねる。

「なーーんて嘘だよ。交際のこの字もない」
「な…な……何でそんな意地悪なこと言うんですか!」
「ごめん…そんな真に受けると思わなくて…」

 キーッと怒ったかと思いきや、今度は胸を撫で下しているオドロキくんに頭の中がはてなで埋め尽くされる。その反応はある条件にそぐわないと、そもそもうまれない筈だ。
 私だって良い歳した大人だ。それがどういう反応なのか、知らない程馬鹿じゃない。けれどその仮説も憶測に過ぎないから、私は気付かなかった振りをして笑って誤魔化した。

「あれ?あんた達何してるのこんなとこで?」
「茜!?」

 聞き慣れた声がして振り返れば、そこにはいつもの白衣を纏った茜が立っていた。勿論、ストレス発散用のかりんとうをサクサク食べながらだ。

「オレ達は牙琉検事のライブに来たんですけど、茜さんこそなにやってるんですか?」
「見りゃ分かるでしょ。お菓子食べてんの」
「お菓子食べてるってなぁ…」
「てかあんた達付き合ってるの?」
「へ?」

 唐突の発言に二人して間抜けな声が漏れた。何だかさっきもこんなこと聞かれたぞ。
 お互いに顔を見合わせ、すぐさま「違います!」と手を振って否定の意を表す。打ち合わせもしてないのに言動がオドロキくんと息ぴったりで、茜の片眉は更に吊り上がった。あの表情は絶対信じてないな。

「…まぁいいけど、私はあのジャラジャラした検事さんに頼まれてここを警備してるの」
「警備ですか?」
「なんか大事なものが盗まれたって大騒ぎして、コンサートの間ここを警備しろって」

 「何様のつもりかしらね、ホント」そう言って高速でかりんとうをサクサクしていく。ジャラジャラの検事さんは間違いなく牙琉さんのことだろう。
 それにしても、あれだけ朝からツイてなかったのに今度は大事なものまで盗まれるなんて、見掛けによらず大した悪運の持ち主だと思う。無事に見つかると良いけど。

「気になってたんですけど、その隣の部屋は?」
「ああ。ラミロアさんの楽屋よ。勝手に入ったらかりんとう投げつけるからね」

 勝手に入るつもりだったのか、オドロキくんがぐっと押し黙る。その様子に茜がかりんとうを振り上げようとした瞬間、
 
 ―――― パァンッ

 腹に響くような銃声音が廊下に響き渡った。
 続けてもう一発、ラミロアの楽屋内から鳴った。何が起こったのか理解が追いつく前に、オドロキくんが庇うように私の前に立ちはだかって、視界に真っ赤なスーツが広がる。

「(誰かが…撃たれた…?)」

 辛うじて導き出された答えに血の気が引いていく。すかさず飛び出した茜がラミロアの名を叫ぶが、返事がないと分かるとドアを叩き付けるように開けた。

「なまえさんはここにいてください!」

 私の両肩に手を置いて釘を刺すなり、二人はラミロアの部屋に駆け込んでいく。呆然とその後ろ姿を見送っていると、中から悲鳴が聞こえてきた。
 ここにいろと、たった今そう言われたのに。気付けば私の足はゆっくりと部屋の中に向かっていた。次第にツンとした刺激臭が強くなって嫌な汗が頬を伝っていく。

「あ、」

 地面に横たわる血塗れの死体が見えた瞬間、口の端から息が漏れた。顔を上げたオドロキくんがしまったと言わんばかりの表情で私を見る。そしてこちらに走ってきたかと思うと、すぐに私の目元を掌で塞いでしまった。

 死体なんて見ることはないだろうと思っていた。不思議なことに、殺人事件のニュースはいつだって流れていたのに、自分には縁のないものだと決め付けていたのだ。だからこそ、半信半疑で部屋に入ってしまったのだと思う。
 いざ本物を目にすれば、私の体はみっともなく震えてどうしようもなかった。ただ恐怖の感情だけが頭の中で一杯になる。

「応援を呼んでくるから!あんた達はここにいて、絶対に何も触らないで!」
「わ、分かりました!」
「なまえ、気をしっかり持って」

 それだけ言って、茜は部屋を飛び出して行った。

「おど、ろきくん」
「…大丈夫です。息を吸ってください」

 大丈夫です。オドロキくんが言い聞かせるように何度も繰り返す。

 指の間から一瞬見えた人間の体は、不気味なくらいに真っ白だった。


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