10.ギグはまだまだ続く


 お気に入りのディオールのルージュを塗って、鏡に向かって笑顔を作る。

「よし。良い色だ」

 今日はガリューウェーブのコンサートだから化粧はいつもより丁寧に仕込んだ。服装には迷ったけれど、ジャンルはロックだと聞いていたし、ライブの雰囲気を考慮していつも通りのスキニージーンズにした。可愛らしい格好はどうにも柄じゃない。
 最後に揺れるピアスを付けて完成だ。ふと携帯が振動したので開いて見れば、オドロキくんから「外で待ってます」とメールが入っていて、私はハンドバッグを掴むなり慌てて一階に降りる。

 オドロキくんとは連絡先を交換し合ってから稀にメールのやり取りをしていた。内容は本当に些細なもので、「今日の日替わりメニューは何ですか」とか、「おすすめのお茶は何ですか」とか、まるで私に合わせるような質問が多かったように思う。私としても自分に興味を持ってもらえるのは嬉しかったし、実のない会話でも携帯を前に密かに返信を待っていたのも事実だ。
 一度だけオドロキくんが一人でお店に来た時があったけど、彼は終始緊張した面持ちで、まるで麦茶を飲むように紅茶を流し込んだ後颯爽と去って行ってしまったのでちゃんと会うのは実質、相合傘をした日以来だった。

「遅いよーなまえさん!」
「ごめん!お待たせしました」
「ふっふっふ特別に許しましょう!」

 外に出ればみぬきちゃんとオドロキくんが立っていた。みぬきちゃんは余程ライブが楽しみなのか、腰に手を当てて表面上怒ってはいるけどテンション高いのが丸分かりだ。ガリューウェーブに嵌ってからはお小遣いを前借りしてアルバムを全制覇したらしい。やはり強者だ。
 オドロキくんにも「遅れてごめんなさい」と眉を下げれば、「大丈夫です!今きたところなので!」と大音量で返事が返ってきた。今日もしっかり発声練習したみたいだ。くすくす笑っていると、間でみぬきちゃんが不思議そうに私達を見上げ、それから不敵な笑みを浮かべた。

「あれ、何だかなまえさん今日は一段と輝いてますね?リップの色がお似合いです!」
「本当?そう言ってもらえると嬉しいな」
「本当ですよ!ね?オドロキさん」
「え、オレ!?……えっと、その、よく似合ってます。綺麗です…」
「ふふふ。ありがとうございます」

 必死に言葉を探すオドロキくんが可愛く見えて目を細めれば、彼はより一層目を泳がせた。言わせた感が否めないけど、綺麗と言ってもらえたので良しとする。けれどみぬきちゃんは満足しなかったようで、「もう!そんなんじゃモテませんよ!もっとシャキッと!」と説教を始めていた。
 何だかみぬきちゃんに妙な勘違いをされている気がするけど、そういうお年頃なのだろう。ナルホドさんはドラマと映画の見過ぎて困っているなんて言ってたっけ。微笑ましい二人の会話を尻目に、私はタクシーを拾って三人で乗り込んだ。

「それにしてもまさか牙琉検事がなまえさんのお店に行ってたなんて偶然ですよね」
「二人は裁判でいつも一緒なんでしょ?昨日の敵は今日の友ってやつだねー」
「全然友になった覚えないですけどね」

 助手席に私が座り、後ろにみぬきちゃんとオドロキくんが並んで座る。会場であるヒノマルコロシアムに到着してタクシーを降りれば、会場は既に大勢の観客でごった返していた。
 広場ではガリューウェーブのグッズなんかを販売する露店が沢山並んでいて、折角だからと入場時間までに物色することになった。メンバー一人一人の顔写真が貼られた団扇やらリストバンド、Tシャツはファンには堪らないのだろう。恍惚とした表情でグッズを抱えるファンの女の子達をオドロキくんは怪訝そうに見ている。女性陣にはとんでもなく人気みたいだが検事の顔を知っているオドロキくん的には面白くないらしい。
 ふと、はしゃぎながら先頭を歩いていたみぬきちゃんが足を止めた。何かを食い入るように見ていたので視線の先を辿れば、そこにはガリューウェーブのロゴが描かれたバンドタオルが売られている。
 ははぁ、なるほどね。いくら大人びていようとやっぱり年相応だなぁなんて思いながら、理由を察した私は露店へと足を進めた。突然グッズを購入しだした私に、みぬきちゃんは面白いくらい目を丸くしている。

「はい。いつもご贔屓にしてもらってるみぬきちゃんにプレゼント」
「え、」
「もしかしていらなかった?じゃあ自分で使っちゃおうかな」
「い、いらなくないです!」
「素直でよろしい」

 おずおずとタオルを受け取ったみぬきちゃんは「なまえさん、ありがとう!」と言って凄く嬉しそうに顔を埋めている。期待以上に喜ぶ姿に私までほんわかしていると、オドロキくんが耳元で「ありがとうございます」と囁いた。答えるように顔を向ければ、相槌が返ってきた。

「オドロキくんもいる?」
「いや、大丈夫です…」

 暫く露店を堪能(主にみぬきちゃんが)した後、時間になったのでファンの波と共に私達も入場する。
 牙琉さんの計らいで席はステージ付近だ。ライブはスタンディングスタイルなので、なるべく身長の低いみぬきちゃんが見えるように前に立ってもらって、その後ろを私とオドロキくんが並んで立った。側から見たら保護者のような佇まいである。
 
 人生初のライブにドキドキしながらステージを見据える。すると、照明が落ちて真っ暗になった。

「Let's rock guys!」

 シャウトと共に煌き出したステージ。カラフルなライトに照らされ浮かび上がった牙琉さんの影に、観客が一斉に湧き上がった。熱気で体が一気に熱くなる。左右に聳え立つスピーカーから流れる爆音のベースとギターに内臓がひっくり返るような感覚に陥った。
 思わず身を引けば、後ろから迫り来る観客に押されてしまった。かと思えば今度は前方の観客に挟まり、あまりの密度に押し潰されてしまう。四方八方で織り為す攻防戦に最早成す術がない。他の二人は平気かと見渡せば、視界に入ったみぬきちゃんは意にも介さず飛び跳ねてノリノリだった。

「(うぅ…これが歳の差ってやつなの…)」

 迫り来る波など物ともせず満面の笑顔だ。その姿も揉みくちゃにされたせいで見えなくなってしまう。少し離れたところでオドロキくんの姿が見えたが、同じように押し潰されて大変なことになっていた。

「Thank you!ありがとう皆、ギグはまだまだ続くぜ!」

 第一部の終了を告げる声色に、ステージ中が拍手喝采に包まれた。アンコールを強請る声まで上がっている。
 流石に限界だ。私は内心牙琉さんに謝罪しながら、茹る体を引き摺って会場のホールへと逃げ出した。

「はぁ……」

 入り口付近の長椅子に座り込んで熱気を払うように息を吐き出す。どうやら私はライブというものを甘く見ていたらしい。爆音を間近に浴びていたせいで頭痛までしてきた。堪らず額を覆うように手を添えれば、俯いた視界に影が落ちるのが見えて私は再び顔を上げた。

「良かった、ここにいたんですね」

 まさか追いかけてきたのか。息を切らしたオドロキくんがお茶のペットボトルを片手に私を見下ろしていた。
 そういえば何も言わずに出てきてしまった。一言くらい告げれば良かったけど、あの状況じゃそれも無理かと内心で結論づける。

「もしかして体調崩しました?」
「大丈夫、ちょっと疲れただけなの。ライブって初めて来たけど結構戦争なんだね」
「かなり激しかったですからね。オレも慣れなくてしんどいです。お茶買って来たんで飲んでください」
「ありがとう。助かる」

 ありがたく冷たいお茶を流し込めば火照った体も幾分か楽になった。それでも人混みに酔ってしまったみたいで背中を丸めたままでいれば、眉を八の字にしたオドロキくんが目線を合わせるように屈んで顔を覗き込んで来た。
 突然の距離感に驚いて目を丸くする。けれどオドロキくんは気にした素振りもなくハンカチで私の汗を拭こうとし始めたので、慌てて口を開こうとすればそれよりも先にオドロキくんの電話が鳴った。…この人の羞恥の基準が謎だ。

「もしもし。みぬきちゃん、ごめん置いていって。え?楽屋に?」

 どうやら着信はみぬきちゃんかららしい。オドロキくんは立ち上がって電話を耳に何度か相槌を打つと、電話を切って私に向き直った。

「みぬきちゃんが牙琉検事の楽屋に挨拶に行こうって。なまえさんはどうしますか?辛かったらここで休んでても…」
「ううん、もう平気だから私も行くよ」
「それじゃあ向かいましょうか」

 みぬきちゃんは既に楽屋内にいるらしい。末恐ろしい行動力である。
 オドロキくんと廊下を通って楽屋前に向かう。"牙琉響也"とかかれたドアを数回ノックして「失礼します」と入室すれば、みぬきちゃんと牙琉さんが同時にこちらを振り返った。

「なまえちゃん!来てくれたんだね!」
「お久しぶりです牙琉さん。ライブ凄い迫力でした」
「いるって分かったら俄然二部もやる気になってきたなぁ」
「あはは…楽しみにしてますね…」
 
 一部は私には音が苦でした…という言葉は無理矢理胸に仕舞い込み、違和感を感じる挨拶にちらりと隣を盗み見れば、案の定オドロキくんはわなわなと震えて牙琉さんに噛み付かんばかりの覇気を見せていた。 

「ちょっとさり気なくオレを無視しないでもらえますか!」
「あれ、おデコくんじゃないか。どうして君が彼女と一緒にいるのかな?」
「なまえさんとは知り合いだったので一緒に行くことになったんですよ!」

 すかさずみぬきちゃんが回答すると、牙琉さんは顎に手を当てて「ふーん?」と呟きながらまじまじとオドロキくんを見た。その訝しげな視線を受けてオドロキくんはたじろぐが、すぐに「文句ありますか」と反抗している。
 まるで二人の間に火花でも散っているような勢いだ。気まずい空気にみぬきちゃんに視線を投げれば、彼女は慣れた様子で苦笑を溢すだけだった。

「そういえば、第二部は世界的に有名な歌手とのコラボなんでしたっけ?」

 一触即発の空気を裂くように話題を出せば、牙琉さんはころりと表情を切り替えて「そうさ!」と白い歯を見せて笑った。その切り替えの早さもいつものことなのか、オドロキくんは呆れている。

「バラードの女神、”ラミロア”との共演は僕も凄く楽しみにしてたんだ。海外出張の際に偶然彼女の歌声を耳にしたけど、あれは正しく女神の歌声だったよ」
「確かに、パンフレットに態々海外から招待したって書いてあったな」

 失礼だと思いながらも、私は牙琉さんのことをジャラジャラしたチャラい検事という認識でいたから彼の新たな一面は意外だった。爛々と目を輝かせ、ラミロアのことを語る表情は偽りなく彼の音楽への愛情と情熱が伝わってくる。きっと今日のステージを誰よりも心待ちにしていたのだろう。

「今回は、僕が書いた詩に曲をつけてもらったんだ。…”恋するギターのセレナード”。聞いてくれたまえ」

 そう言って牙琉さんは徐に私の右手を掴むと、―――― そっと手の甲に口付けた。「あっ!!」と二人が隣で上擦った叫び声をあげる。
 わけが分からずぽかんと呆けていると、牙琉さんは私達にウィンクをしてから「さぁ、そろそろ時間だね」と言って意気揚々と楽屋を出て行ったのだった。


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