ふしぎなくすり 2
あの珍事件からしばらく日が経った、ある昼下がり。
木洩れ日の中を、ヒナタは気分転換に散策していた。
ちょうど休日で、晴れて空が青く澄みきっていた。
心地よい風が肌に当たり、木々を揺らし、葉が音を奏でた。
人通りが少ない、この道は、ヒナタのお気に入りの散歩コースだった。
緑が覆い茂り、しかし、真っ暗ではなく、葉と葉の隙間から太陽の光を漏らしているその林は、とても静かだった。
小鳥たちが楽しそうに歌い、そして枝から枝へと踊り渡る。
人間の音がしない、自然そのままの音が、そこにはあった。
「ニィニィ」
普段、この並木で聞きなれない鳴声が、草むらから聞こえてきた。
ガサゴソと音を立て、それは飛び出してきた。
真っ白い毛並みの子猫だった。
その後に続いて、まさかの彼も飛び出してきた。
「ナ、ナルトくん!?」
「ヒ、ヒナタ!?」
まさか、こんなところで出会うとは予想していなかった。
しかも、お互い会うのはあの事件以来だった。
あのあと、ナルトはサクラの実験に付き合わされて、試作品の栄養剤を飲まされ続けていたそうだ。
中には、中る物もあったらしく、2、3日寝込んでいたという噂も聞いていた。
彼が猫化した理由は、未だにヒナタは分からなかった。
思い当たる節が全くないのだ。
彼女の中には、ある考えが一つ思い浮かんだが、それは間違えだと自分で否定してしまった。
あのとき、サクラはこう言ったのだ。
―――ちなみに、あの薬には媚薬や惚れ薬とか入っていないわよ?
彼女は、薬の所為で、自分に抱きついてきていない、と言いたかったのではないか。
なら、ナルトがヒナタに寄って来た時、それは正気な状態だったと考えられないか。
正気ということは、ナルトが自分の意志でヒナタに触れたかったから・・・。
(…まさか、それはないよ…だって)
彼が好きなのは、ヒナタではなく、サクラなのだから。
久しぶりの再会だというのに、お互いなかなか言葉が出てこず、取敢えず、大きな木の根元に並んで座り、猫と戯れた。
ナルトが追いかけていた子猫は、綺麗な毛並みをしていた。
これで野良だと言うのだ。
「最近、気に入られちまったみたいでさ。この辺りを通ると、いつも“ニィニィ”ってじゃれて来るんだ。まぁ、今日はヒナタに取られちまったけれど」
「ふふふ。ごめんね」
子猫がヒナタばかり甘えるものだから、ナルトは拗ねてしまった。
口を尖らせ、ツンツンと猫を突くが、ナルトの手が邪魔だと言うように、叩き飛ばされた。
ますます面白くないと、ナルトは顔をしかめた。
その様子が可笑しく、ヒナタは肩を震わせた。
「そんなに、笑うなってばよ」
「クッ…ふふふ…ご、ごめん…ね」
目尻に涙を溜め、ヒナタはナルトの頭を撫でた。
ビクッとナルトが驚き固まった。
どうしたのだろうと、首を傾げたが、ヒナタは自分が無意識に起こした行動に気が付き、真っ赤になった。
「ご、ごめんなさ!わ、私ったら、なにをやって……」
「い、いいてばよ…!気にしてないから!」
ズキッと心が痛んだ。
ナルトの髪の毛は柔らかくて、暖かかった。
そのぬくもりが心まで暖かくして、ずっとこうしていたいと感じた。
幸せだ、と思った。
しかし、ナルトはヒナタと同じようには思っていなかったようだ。
それが残念だった。
―――彼の考えていることが知りたい。
あの猫を装ったことも、なぜ自分に近寄って来たのかという理由も。
「ほれ、これサクラちゃんからのお土産」
そう言って、ナルトはビニール袋からベージュ色のコルクで栓をした小瓶を取り出した。
透明な瓶に、透明無色な液体が入っていた。
ほんのり、甘い匂いが漂った。気のせいか、頭がボーッとした。
「それは?」
「安心しろってばよ。今度こそ、ちゃんとした栄養剤だってば。オレが保証する」
ナルトは、にこりと笑い、ヒナタに瓶を渡し、別の瓶を取り出した。
こげ茶色のコルクの栓を抜き、同じ色の液体を目の前で飲み干して見せた。
しばらくたっても、ナルトに異変が見られなかった。
「な、大丈夫だろ?」
「うん、そうだね。じゃ、いただきます」
甘く香るそれを、ヒナタはちょこっと口づけた。
「……美味しい」
身体の疲れが一瞬にして取れたような感覚だった。
軽い。まるで浮いているようだ。
そのまま、グイッと一気に飲み干した。
「だろ?とても栄養剤だとは思わねぇだろ?味付けは、シズネの姉ちゃんや他の医療チームのスタッフがしたらしいんだ。サクラちゃんじゃないから、美味しいってばよ」
さりげなく、サクラに対して酷いことを言っているのではないか。
そう感じながら、ヒナタはふわふわした感覚を心地よく感じていた。
「…あのさ、ヒナタ、この前はごめんな…」
突然、ナルトからあの日の事を切り出された。
なぜ、謝る必要があるのだろうか。
ナルトの顔が赤いように見えた。
目はヒナタから逸らし、口は金魚のようにパクパクとさせていた。
明らかに、動揺している。
しかし、なぜ彼がそのような状態なのか、ヒナタには考えることができなかった。
軽くなった身体が、異様に火照るのだ。
思考もあやふやになって来て、ナルトが口にしている言葉も、整理することができない。
耳が何かに覆われているようで、ナルトの声がぼうぼうと雑音交じりで聞こえなかった。
意識が、遠のいた。
「サ、サクラさーーーーーん!?」
最近、サクラの所属する医療チームに配属された新米が、慌てた様子でサクラの元へ走ってきた。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「け、研究室に置いていあったベージュのコルク栓の瓶、ご存じありませんか!?」
「嗚呼、あの新作の栄養剤の事ね。あれなら、ナルトに実験に付き合ってくれたお礼に渡しちゃったわよ」
その新米は、この終わりかのような顔をした。
「そ、そんな…あれは…」
サクラは、彼の様子があまりにも変だと感づき、慌てている理由を聞き出した。
それを聞いて、サクラも顔をサーッと青ざめさせた。
「―――あの後さ、サクラちゃんにこってり絞られて、誤魔化していちゃだめなんだ、って思ったんだ。だからさ、ハッキリおまえに伝える、いや、伝えたい―――」
ナルトは膝元にずっと向けていた目線を上げ、隣に座るヒナタに向けた。
彼の目に飛び込んできた映像は、ヒナタが顔を赤くしてフラフラになっているところだった。
「ヒ、ヒナタ!?どうした!?顔真っ赤だぞ、それに……?」
彼女の頬に手を当てると、とても熱かった。
首元に触れても、同じだった。
目がトロンとしていて、焦点が定まっていない状態だ。
「熱!?今まで、元気だったのに…!?」
子猫が体を震わせて、ヒナタから距離を取った。
離れた木の根元に身体を丸め、ぶるぶる震えているようだ。
「お、おい、チビもどうした!?……んがっ」
ヒナタを自分の身体に引き寄せ、楽な姿勢をさせようと、彼女の肩を掴んだ瞬間である。
ヒナタが突然、ナルトの胸倉を掴んだのだ。
ナルトの方が力強く引き寄せられ、そして、愕然とした。
「……おい。さっきから、何言っているんだ」
一瞬、誰の言葉か理解できなかったが、今、ここにいるのは自分とヒナタだけであり、自分が発していないということは、彼女だけしか声の主はいなくて―――。
「大体なぁ、私か、猫か、どっちかハッキリしろ。…ったく、あのチビが羨ましい…」
「ヒ、ヒナタ…さん…?」
思わず、普段呼び捨てにしている彼女に、「さん付け」をしてしまった。
目が据わっていて、しかも睨めつけてくる様子が、大人しいヒナタのイメージからかけ離れていた。
柔らかい口調はどこにもなく、まるで不良のようだった。
「……ナ〜ルト、ずっと気になっていたんだよ。あの日、お前が猫の振りをした理由がよぉ…!!」
ガクガクと揺す振られ、しかしナルトは驚き固まったままで、混乱する頭の中で必死に状況を理解しようと努めた。
ふわぁ…
微かに、ヒナタから甘い匂いが漂ってきた。
その香りの中に、少しだけ、あの飲み物独特の匂いが混ざっていた。
「………酒?」
「ああ?!酒なんて、今は、どうでもいいんだよ…!さっさと、吐けっ!ナルトぉ!」
「ひぃっ…!ヒ、ヒナタ、お、落ち着けってばよぉ!」
ナルトの悲鳴が、誰もいない林に響き渡った。
どうやら、ヒナタが飲んだ物は、医療チームの新米が新薬開発の為取り寄せた、度のきついアルコールだった。
・・・ということをナルトが知ったのは、それから数日後。
あの後、暴れるヒナタを力付くで押さえていたが、逆に押さえつけられてしまい、身動きが取れなくなってしまった。
関節技を決められ、しかも逃げ出さないように、身体を麻痺させる点穴まで突いてきて…。
解放されたのは、十数分後。
気を失ったヒナタを、全身の痛みに耐えて起こし上げ、木にもたれかけさせた。
感情の激しい酔っ払いは嘘のように、静かな寝息を立てていた。
まさに、嵐が去った後だ。
結局、ナルトはヒナタに想いを伝えそびれてしまった。
こんなことになるなら、あのとき、恥ずかしさを紛らわすために、あんなことをせず、あの場で思い切って言えばよかったと、後悔した。
そして、二十歳になっても、ヒナタには決して酒を飲ましてはいけないと、心に誓ったナルトであった。
end♪
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