「結論は知っての通り、ナマエは味覚がないんだ」

もう一度事実を突きつけられる。
本人は気にしていないと言ったが、その繊細な問題に土足で踏み入ってしまった自分を、殴りたくなった。いや、あのままナマエが止めなければ確実に四宮に殴られていただろう。

「デモ、最初からなかったわけじゃないヨ」
「あぁ、SHINO'Sが出来た当初はシェフと技術を高めあうことができるすごい料理人だった…」
「と、思ってた人が少なかったのが原因よね」

どういうことっすか?とさらに質問すると、ウェイが困ったように笑った。

「貴方も朝、感じたでしょう?シェフとナマエの仲の良さを」
「はい…でも最近四宮先輩はみんなとも仲がいいって」
「昔はあの人は一匹狼だったヨ!がおー!」
「一匹狼というか…他人を一切寄せ付けなかった。俺でさえ意見を聞いてもらえるようになったのは本当に最近なんだ」

でもナマエは違った、とアベルが厨房に立つナマエを見つめた。相変わらずものすごい精錬された動きだ。でも答えを知ってからその動きを見ると、先ほど感じた違和感にすぐたどり着いた。四宮がやっていて、ナマエがやっていない動き。その動きのせいでわずかに、本当にわずかだが四宮の方の作業が遅れていっていたのだ。

(味見、やっぱりしてない…)

「誰も寄せ付けなかった四宮シェフが、唯一近づく事を許されたのがナマエだった。意見を聞いてもらうことができ、シェフ本人から技術を伝授してもらえて、自分も何か与えられるやつ。もちろん店ができる前から居たらしいから、俺たちを含めて何人かは仕方ないと割り切っていた。兄妹みたいなものだからな、ってな」
「でも納得してない人たちもいたのよ。あの女、もしかしてシェフの女か。取り入ったのか。抱いてもらったんじゃないの?っていう風にね」
「タダの嫉妬…でも少しでも噂が上がればさらに噂は大きくなっタ。そして、ついにシェフの横暴と贔屓に怒ったスタッフたちが…」

リュシの口が止まる。ウェイも下を向いたままこれ以上は言いにくい、という顔をしている。その二人を見たアベルが、意を決して口を開いた。





「夜出歩いていたナマエの後頭部を鈍器で殴りつけてしばらく気を失わせた後、路地裏に連れ込んで…性的暴行に及んだ、ってわけだ」





男たちが寄ってたかって、一人の女性に対して性的な暴力を加える。その字面だけでも、怒りがこみ上げてくる。知らぬ間に血が出るんじゃないかと思うほど握り込んでいた手を、つんつんとリュシに突かれた。

「ユキヒラ、リラックス〜」
「うっす…その時から、ナマエさんは…」
「味覚がなくなったのは、どちらかと言うと後頭部を殴られた時に舌に関する機能の一部がダメージを受けてしまったから、らしい。もちろん、精神的なダメージはあるだろうけどな。その舌に関する機能でもう一つ、舌の動きが鈍くなったせいで、流暢にしゃべることができなくなったが」

じゃあ、あの独特の発音は日本語が話せないのではなく、舌の動きが原因だったのか。

「もともとナマエは頭がイイからネェ。どうしたらよりスムーズに話せるのか、すぐに分かるようになったみたいダヨ」
「とまぁ、話すとこんな感じだ。あまり人にペラペラ話す内容じゃなかったから今まで黙っていたが…だから、なんだ、その…知らなかったのは仕方ないから、これから気をつけてくれ」
「うっす」

そんな話をしている間に、ナマエが戻ってきた。相変わらずニコニコ笑っており、少なからずこちらもホッとした。

「そーま、これ、たべて」
「あれ、これって…」

コック・オーヴァン。フランス、ブルゴーニュ地方の郷土料理だ。鶏肉と野菜の出汁が効いた赤ワインソースが、食欲を刺激する。

「ほんとは、そーすに、ひとばん、とりにく、つけこむ。でも、じかんない、だから、かんたんばーじょん」

簡単バージョンでこの香り。本来の煮込み時間を思うとさらによだれが出そうになる。我慢するのも惜しくなり、さっと手を合わせた。

「い、いただきます!」
「あー!私もー!」

さっきまで黙っていた乾がまたここぞとばかりにナマエの料理に飛びつく。が、四宮に止められた。

鶏肉を一口、ぱくりと食べた。

(これは…!)





おそらく、まだ味覚があったころの、ナマエの幼少期に見てきたブルゴーニュのぶどう畑が目の前に広がっていく。
緑の畑に紫色のぶどう、遠くにはオレンジ色の屋根があり、空は真っ青だ。ぽつんと教会らしき建物が他の屋根よりも高く飛び出している。
彼女の世界が、ぐんぐんと広がっていく。

知らないうちに、涙が流れていた。





「あれ…おいしく、ない?」
「ちがっ、逆です!めちゃくちゃ美味しくて、優しい味で…!」
「ふふ…merci」

手を握られた。その手は、暖かくて、思い描いた彼女そのままで、なぜこんな綺麗な人が、なぜこんな綺麗な料理人が、味覚を失ってしまったのか、悔しくて仕方がなかった。

「そーま、わたし、あじ、わからない。でも、わたしの、なかに、りょうり、ある。いまも、むかしも。だから、わたしは、まだ、りょうりにん、つづけてる」

料理が大好きだから。
そう言ってまたニコリと笑いかけて貰えば、料理に入っている優しさがこの人から来たものだとはっきり分かった。

「ナマエさんは…すげーっすね!俺も、こんなに優しい味が出るように、ナマエさん目指して頑張ります!」
「そーま、いいこ。たのしみ。まってるね」

また優しく頭を撫でられる。気恥ずかしくなって頬をかくと、痺れを切らした四宮が、『おい、さっさと教えてやるから早く厨房に入れ!』と怒鳴られた。

一度だけちらりと振り返れば、笑顔のナマエが手を振ってくれた。









「四宮先輩」
「無駄口を叩くな」
「先輩とナマエさんって、付き合ってないんですか?」
「もう一度言う、無駄口を叩くな」
「片思いなんすか?」
「…うるさい、口より手を動かせ」

フライパンから眼を離していないが、四宮の語気が弱くなったのが分かった。カマをかけてみたのだが、どうやら図星らしい。

「へー」
「何が言いたい」
「いや、大変っすね」

お互いに、という言葉はお互いのために言わないことにした。

(だって、あの料理…)

スタジエールに来て最初に食べたキッシュ。
スタジエールの最後に食べたコック・オーヴァン。
本人たちは気づいていないかも知れないが、両方とも食べた自分には分かる。

日本とフランスを、四宮とナマエを繋ぐ料理であるキッシュ。
四宮とナマエが過ごした時間を描いたコック・オーヴァン。

(なんつーんだっけ。両片思い?だよなぁ、どう考えても)

相手の顔が見える料理。相手の思いが見える料理。はっきりと見えるわけじゃなく、まだ伝えられないからぼんやりとしているが、それは必殺料理になれる可能性を秘めた料理だと、うずらの肉が美しく焼きあがる様子を見ながら、二人の行く末を想った。
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