カヅサが命名した『クラサメ君ファーストキス強奪事件』が起こってから一週間、ナマエを院内で見ることはなくなった。まさか自分からキスしておいて気にしているという訳でもないだろうし、というかあれは自分の動揺を誘う彼女の作戦で、むしろ気にされているとしたらこちらも逆に気にしてしまうわけで……。
そんなことを考えていると、目の前からカヅサとエミナが歩いてきているのが見えた。エントランスにいる以上人が通るのは当たり前で、だからこそ自分はここにいるのだが。

「珍しいネ、クラサメ君。人ごみが嫌いな君がここにいるなんて」
「はっ!もしかして具合でも悪いのかい?!それなら医務室で休憩するといいよ!その間に僕が……」
「カヅサ、黙れ」

一睨みすれば簡単に黙るカヅサはニヤニヤしていた。まだ何かあるのかと顔をしかめる。するとエミナまでくすくすと笑い出すから、もしかして自分が何かおかしいことをしているのかとついに不安になった。

「クラサメ君、顔に心配って書いてあるよ」
「寮に行けば?私と一緒に行ったら女子寮入るぐらいなら大丈夫だヨ」

最初何の話か分からなかった。が、エミナの『女子寮』と言う単語に、繋がった。

「心配とか、じゃ……ない」
「友達、なんでしょ?」

だったら心配して当然だよね、と笑うカヅサ。自信がなくて足元に視線を落とした。
友人、とはどのようにしてなるものだったのか。自分はどうやって目の前の二人と友人になったのか。あの事件の直前、自分と彼女は友人なのだと信じていたが、実際そう言われた訳ではない。目の前の二人のように何度も喋ったこともない。あの時の自信はただの強い感情で、錯覚でしかなく、今その勢いがないのだ。女々しい、と言われても言い返せない。それぐらい今の自分の思考回路が情けなかった。

「俺と、ナマエは、友人じゃ、ない」

何とか絞り出した言葉は弱くて。氷剣の死神が聞いてあきれる、と自嘲した。

「心配じゃない友人じゃないって、否定ばっかりじゃないか。友人じゃなかったら心配しちゃダメって?じゃあ言えばいいよ。『友達になってください』って」
「そのためにも、ネ。行こうよ!善は急げ!」

エミナに手を取られて、走り出す。カヅサは何故か着いてこようとはしなかった(今思えば牽制を掛けに行っていたんだろう)。

背中を押してくれる手に、自分を導いてくれる手。
間違いなく、彼らは友人だった。










「ここか…」
「そ。私は他の人が来ないか見張っとくネ」

女子寮に入るのは、エミナのお陰で難なくできた。が、ナマエの部屋に入るのは自分の足を使って、自分の意思で入らなくてはいけない。それを支えてくれる友人は今はいない。
ドアノブを握る手が震えた。

「ノックしないの?」
「あ、そうか」
「まぁ、開ければいいけどさ」

でないと私が入れないし、と言う声と共に、自分の手に彼女の手が添えられる。
扉は、開いた。

「………ナマエ?」
「や。一週間ぶりかな?」

いらっしゃい、と普通に招き入れられ入った部屋は、自分のそれよりも生活感が無かった。女の部屋を知っているわけではないが、人を招き入れる予定もなかったのだから少しぐらい散らかっていて当然だと思う。かつてエミナやカヅサが自室に押し入ってきた時、散々『本当にここにすんでる?』と言われたが、それぐらい整っている自分の部屋よりも彼女の部屋の方が閑散としていた。

「どうしたの?」
「え、あ、いや……その」

歯切れが悪い自分に、心の中で舌打ちをする。だがそんなことをしているうちに彼女はまた理解してくれたようだ。

「ん、心配して来てくれたんだね。ありがと」

お茶でもいれるから座って、とソファを勧められる。座ってしばらくすれば彼女はコーヒーを持ってやって来た。ソファは一つしかないので(独り暮らしなのだから当然だ)彼女は自分の隣に座る。

「ん?」
「どうしたの?」
「生活感が無いとは思っていたが……この部屋には何故ベッドがない?」
「答えは簡単だよ。私はここでいつも寝ているのさ」

トントン、と彼女の人差し指がソファを指す。驚いた顔をすれば彼女は笑ってくれた。

「こんな……候補生たる者、こんなことではダメだ。身体管理もできずに何がアギ、」

そこまで言ってはっと口許を塞ぐ。彼女を見ればまだニコニコしてこちらを見ていた。

「気にしなくていーよ」

彼女が距離を詰め手を伸ばす。自分の頭をくしゃくしゃと撫でた。それが非常に心地よくて何故かそのままにしていたが、自分だって年頃の男だ、いつまでも頭を撫でられていては恥ずかしい。やり返してやろうと彼女の頭に触れようとして体重をそちら側に掛けると、意図も簡単に彼女を押し倒してしまった。

「あ、すまな」

謝罪の途中、ふとあることに気付いた。倒れたことによって普段はわずかに内巻きぎみだったナマエの髪の毛が広がりソファに落ちた。そこに見えた、首の傷。以前会った時は、こんなもの見たことが無い(そこまで彼女を凝視していたわけではないから見えていなくても不思議ではないのだが)。既にかさぶた状態になっていてもう終わったことのようにそこにあるが、何故か直感でこれを無視してはいけない気がした。

「これは、どうした?」

首筋へと無意識に手を伸ばす。指先が彼女の首に触れた瞬間、彼女が反応した。

「っ」

手を払いのけようと彼女が手を上げたが、それを掴んで止める。起き上がろうとするのも力で押さえつけた。

「最近魔導院へは来ていないはずだったが、実習でつけられた傷ではないだろう。どうした?」
「それ、は………」

親指で彼女の傷を撫でる。びくっと彼女の肩が震えた。
嘘をつかれても見破れる自信はあった。そしてこの沈黙が自分に答えを教えてくれた。

「あの事件の報復、か……」

こういった報復は何も初めてではない。かつてエミナと自分が仲良くなったとき、一部の女子からエミナが嫌がらせを受けたことはあった。そういったこともあったから、自分は他の人間より容姿が優れていると自覚されられたし、女子生徒相手に何かを話したりするときは気をつけるようになった。カヅサにこの顔のせいで面倒なことになったと自分にしては珍しく愚痴をこぼせば、贅沢な悩みだとバカにされたのは覚えている。

「違うよー」
「言い訳も考えていないのに否定をするな。目を見れば分かる」

誰にやられた?と強い口調で問い詰めれば、今度は恐怖のせいか彼女の肩が震える。

「そんなの、一々覚えてないし…」

これは嘘じゃない。本当だ。

「誰にもこのこと言ってないのに、どうして………」
「エミナの『女の勘』というやつだろうな。やたらお前の部屋に行けといっていたが、こういうことだったのか」

ゆっくりと腰を上げて、彼女に覆い被さるように片手を彼女の顔の横に、彼女が逃げられないようについた。空いている方の手で彼女の傷口を被う。暖かかった。

「クラサメくん。手、冷たい」
「ナマエは暖かいな」

目を閉じて、溜息をついた。

「頼ってくれても、いいだろう…?」

それともそんなに自分は頼りないのか。
そういえば、彼女が首を振ったのは手にかかる髪の動きで分かった。

「でも、女のごたごたに男が首突っ込むのは、ねぇ」
「俺は関係者だろう?」
「被害者だよ」

私が勝手にやっちゃったことでさ、とナマエは笑った。苦笑いだったが。

「じゃあ、」
「?」
「友人として心配するぐらいは、許してくれるか?」

初めて口に出した、『友人』という言葉。
重いと思われただろうかと恐る恐る目を開ければ、予想外の顔が見れた。
ナマエの顔は真っ赤になっていて、呆気にとられた顔をしている。

「友人…?私が、友達…?」
「あ、その…それは」

やはりダメだったのかと顔をしかめると、ナマエは慌てて否定してくれた。

「そうじゃなくて、その…友達、いなかったから、さ」


すごく嬉しい。

そう真っ赤な顔で照れたようにはにかんだ彼女を見て、自分の顔が熱くなるのを感じた。お前もそんな顔するんだな、と自分の顔の赤さを誤魔化すように言えばナマエはムッと唇を尖らせた。

「失礼だね、クラサメくんは。あーもー、熱い!いつまで触ってるの!ほら退いて!」


『冷たい』と言われていた自分の手は、自分の熱か、彼女の熱か、分け与えられていて、暖かくなっていた。




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