頼まれた仕事を全て終えた白澤はもう溶けてしまうんじゃないかと思う位に疲れていた。薬を作る作業というのはそう簡単に出来ることではなく、精密な感覚と忍耐力を要求される。薬の材料の配分や効力の相性を間違えればその薬はただのゴミになってしまう。また煮込む時間や乾燥させる時間も図り間違えたりしてしまうと即効アウト。ちゃらちゃらした白澤には向かなそうに思われる過程の数々である。しかし知識の神、薬の達人の白澤といったらこの世界で知らないものはいない。神獣としての知識量を活かして白澤は名を馳せていた。

「白澤様ギリギリ完成したんですね」

「………まぁね」

机にある大量の完成した薬たち。これらは急遽作ってくれと頼まれた依頼の薬たちである。頼まれたのは三日前、普通の薬屋ならまずこの量を三日で作りきるなど不可能だ。ただ白澤は普通の薬剤師ではない。不眠不休で作った結果、薬たちは質を落とすことなく完成した。普段ならこんな無理な依頼は絶対受けないのだが、閻魔大王がわざわざ白澤に頭を下げお願いしたのだから、受けないわけにはいかなかったのだ。どうやら地獄で深刻なウイルスが蔓延してしまったらしく、その対処に獄卒たちは皆駆り出されている。さらなる感染を防ぐことは努力でなんとか出来たのだが、さすがに感染者の治療までは獄卒たちではできない。そこで閻魔大王が頭を下げ白澤に薬を依頼したわけである。地獄の惨状を見て長に頭を下げられては白澤としても作らないわけにはいかない。閻魔大王とは敵対関係でもないのだから特に断る理由もなく、白澤はその依頼を受けた。予想外だったのは納期と量。地獄第一補佐官である鬼灯が提示した納期と量は白澤が思っていた以上の量だった。抗議もしたのだが鬼灯の切れる頭脳で考えた必要最低量と言われてしまえば、それを跳ね除けることはできない。こんな状況で鬼灯が嫌がらせのために多く注文するということはないので、白澤は渋々しながら受けたのである。

「ごめんください、薬出来てますか?」

扉が開かれると同時に少し控えめに声が掛けられる。いつも扉なんて吹き飛ばされるのだが状況が状況なだけにそんな粗雑で暴力的なことなどしない。それで中にある薬に問題が出てしまったら一大事であるからだ。それに今回は無理を言って頼んでいるので鬼灯も控えるところは弁えている。トレードマークである金棒の代わりに大量の書類を持っている鬼灯は机の上にある薬を見て安堵の息をついた。

「どうやら出来ているようですね」

「なに、信用してなかったわけ?こっちは寝る間も惜しんでやったっていうのに」

「普段の行いから考えれば疑われるのも当然でしょう。まぁ偶蹄類でも事の緊急性は理解できたということですか」

後から思い返せば、鬼灯の言葉にしては毒が足りない。寝る間も惜しんで仕事をしているのは鬼灯も同じで、白澤と同じように数夜徹夜している。それでもやるべきことが終わらないと言うことは持っている書類が証明してくれていた。白澤の元へ薬を貰いに行く間にも仕事をしなければ混乱に見舞われた地獄を上手く回すことができないのである。白澤が薬作りで疲弊しているように鬼灯の体も限界に近かった。

「…むかつく、黙れよ」

「…………」

「こっちは無理難題押し付けられて寝る暇もなく薬作って女の子と会う時間も無くて、やっとギリギリで作ってやったっていうのにその言い草?お前僕のことを便利な薬屋程度にしか思ってないんじゃないの?お前に馬鹿にされるのはいつものことだけど、今日って今日はなんか腹立つ」

「………やけに今日は感情的ですね。いつもはもっと偶蹄類らしく軟弱なのに」

「………無性に殺したいくらい腹立ってるんだけど、殺されたいの?」

珍しく本気で怒っている上司に桃太郎の背が凍っていく。普段が女たらしでヘラヘラしている分スイッチが入った白澤というのはとてつもなく怖い。今まで鬼灯に無碍に扱われてもここまで怒ったところを見たことが無い分桃太郎は白澤の纏っている空気に恐怖を感じた。もしかしたら本当にここで戦い合ってしまうのか、そんな一触即発がぴんと空気を張り詰めさせてる。桃太郎程度の存在ではこの場をどうすることもできない。せめて上司が何か起こす前に諫めてくれと目で懇願を鬼灯に送ったのだが、鬼灯の視線が桃太郎に向けられることはなかった。それどころか鬼灯は白澤を見据えたまま動かない。なんでメンチを切り合っているんだと内心やけくそになりかけた桃太郎は、ふと鬼灯の手が震えていることに気づく。寒くて震えているというわけではなさそうだ、言葉で言うと痙攣に近いもののように見える。鬼灯さんと声を掻き出すように言おうとした瞬間、鬼灯の口から盛大に血が溢れかえり床に流れ落ちた。

「ひっ――、鬼灯さん!?」

薬を学ぼうとしている身の性なのか、咄嗟に鬼灯に駆け出す桃太郎。吐血量が尋常じゃないため止血をしようと試みるが、原因がまったく分からないため吐血を止めようにもどうすればいいのか分からない。状況にどう対処すればいいのか分からない桃太郎は、知識の神である神獣白澤を頼るべく上司に助けを求めた。しかし知識と経験だけが取り柄の白澤は顔を真っ青にして鬼灯を見つめているだけだ。いや、見つめているというよりも身が竦んでしまっていた。そんな状態に白澤がなっている間に鬼灯の体からは温かみが少しずつ消えていき肌の色が悪化していく。

「は、白澤様!!いったいどうすれば――」

「大丈……夫…で……。とりあ………い…を………」

放心状態の白澤の代わりにひゅーひゅーと透き出るように鬼灯が何かを言う。はっきりと言葉にならないそれを聞き取るべく桃太郎は鬼灯の口元に耳を寄せた。聞き落さないように言葉の破片を拾っていけば、少しずつ形を成しひとつの意志になる。鬼灯から言われた欠片が一つの意味をもつようになった時、桃太郎は心の中で上司に謝罪しつつ拳を握った。

「あとで文句は受け付けますから!!」

鬼灯程の腕力があれば吹き飛ばせただろうが、所詮は人の子桃太郎。軟弱な振り回しでは大きなダメージなど与えることは出来ない。が、白澤をよろめかせ意識をこちら側に持ってくるぐらいのことはできる。放心している白澤の頬に見事に嵌まった拳は白澤の体を少し浮かせ後ろに転ばせた。その衝撃で白澤の意識が戻りようやく現実に目を向けた。

「あ、鬼灯………」

「……………ぼうっと、します。頭が」

「待ってて、今血を…止めるから」

鬼灯に近づき白澤の手が鬼灯の心臓の上に置かれる。次の瞬間白澤にあるすべての目が開眼された。姿は人のまま、神獣白澤としての性質を表に出している。開かれた目すべてが鬼灯を視て、白澤は呼吸をひとつ置いた後静かに言葉を紡いだ。

「鬼灯を、あるべき姿に」

白澤がそう告げた後に鬼灯が大きく咳き込みまた血を吐く。その血は白澤の服に大きくかかったが、そんなこと気にせずに白澤は鬼灯を視ていた。その大きな吐血のあとは何事もなく、鬼灯の呼吸と脈が安定していく。それを視て感じ終えた白澤は大きく息を吐いて、鬼灯に土下座をした。

「本当に、済まない」

「………そうですね、危うくというかほとんど死にかけました」

「え………、どういうことなんですかいったい」

事態を飲み込めない桃太郎が大きく首を傾げる。先程まで死ぬ間際のようだった鬼灯が、何故いきなり普通の状態に戻ったのか。白澤が鬼灯に何をしたのか。そもそもどうして鬼灯があんな大事に見舞われたのか。全て分からないことだらけである。

「まぁざっくり言うと、白澤さんが私を殺しかけたということです、徹底的にね」

「否定はできないけど、言い方っていうもんが……」

「事実は事実でしょう?冗談じゃなく本気で死にかけたんですが私は」

「あぁもう!本当に申し訳なかったって!!」




古来より、言葉には力があると言われてきている。何かを伝えたり、何かを願ったり、何かを呪ったり。用途は様々あるが、人の意志が詰まった言葉というのはそれだけで少なからず力を帯び周囲に影響を及ぼす。それが人のような存在の言葉なら、世界の調和力で中和されていき大きな波紋を起こすことはそうそうないのだが、神様となれば話は変わる。存在自体が特別で覇級の神が不用意に言葉に意味と力を込めれば、言葉は意思をもち刃を帯びる。神様が創り出した言葉ならば触れずとも壊すこと殺すことなど容易い。神獣白澤が意思をもって創り出した『殺したい』という言葉は主に忠実に従い、鬼灯の心臓を見えない刃で突き刺した。普段なら言葉に意思を込めるなど愚行を絶対にしない白澤も極度の疲れと苛立ちで意識が緩くなってしまい、感情を不用意に揺らしてしまったのだ。見えない刃で突かれた鬼灯に対抗する術などない。

「あれ、でも『殺したい』っていう言霊が鬼灯さんを刺したなら、その…即死ではないんですか?」

「私は一応鬼神ですから、神獣白澤の言霊に対して足掻くくらいのことは出来るんですよ。鬼神という称号は神様の一種ではありませんが、神の名を拝借している以上、末端の存在には在籍出来ますから」

もし鬼灯が鬼神の名を頂いていないただの鬼の第一補佐官ならばすぐに命を奪われていた。神という文字を貰っているかいないか、それだけで構成が同じでも存在が変わってくる。由緒正しい功績と歴史をもつ神様という種族にはなれないが、神としての性質ならば少しばかり得られるのだ。もっとも神獣白澤と比べてしまえば、性質は蚊の鳴く程度のものなのだが。少しばかりの神の抵抗力と鬼としての抵抗力で、なんとか即死は避けることが出来た。

「私相手ではなかったら当然相手は即死です。神獣が正当な理由なく相手を言霊で殺したなんて事実が広まったら神としての権威駄々落ちですよ、分かってるんですか偶蹄類」

「はい、本当に分かっています」

白澤が本当に反省しているということはさっきの態度で丸分かりなので、鬼灯としてもあまり責めるつもりはないようだ。血を吐いて苦しみながら倒れた鬼灯を見て白澤はすぐに自分の言霊のせいだと感付いた。なにせ知識と経験だけは豊富にある神獣である。すぐに動けなかったのは、自分が犯してしまった行為の重さを知っている故だろう。どうしようという罪の意識で白澤の体は錆びついたかのように動かなくなってしまった。そしてそれに掠れゆく意識の中鬼灯は気付いた。だから正気を取り戻すよう桃太郎に殴らせたのである。

「まったく、あなたのせいで無駄な時間を取られました。責任取ってもらえるんでしょうね」

「せ、責任?」

「今日一日、休んだら明日から地獄に来てください。薬湯を煎れるくらい出来るでしょう」

「別に……それくらいならいいけど」

「そうですか、ではお願いします。獄卒全員分ですから大変でしょうけど頑張ってください」

「はぁ!?獄卒全員って何人いると思ってんの!?」

「出来ると言ったでしょう今」

「お前一人にだと思ったからだよ!!」

「ごたごた五月蝿いですよ。いいから黙って煎れろ」

書類を丸めて手の平で打つ姿は金棒を持っているかのように錯覚させて怖い。鬼灯の後ろに召喚されている般若に恐れをなした白澤は降参したようで頷くしかなかった。一日休みを貰えるとはいえ獄卒全員に茶を届けるという途方もない作業に頭が痛くなる白澤だったが、今の鬼灯にはいろんな意味で頭が上がらない。花街に行けるのはそうとう後になりそうだ。

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