洛山での厳しい練習を終えて赤司は帰路についていた。しかし本来ならば洛山は寮制のため家に帰るということは無い。みんな与えられた部屋に戻り日々の疲れを癒すのである。だが赤司の場合週に一回黒子の家を訪れるために、事前に外泊届けを毎週出していた。わざわざ届けを出してまで黒子の家に赴く理由はただ一つ、自身の愛しい婚約者であるテツナに会いに行くためだ。本当なら毎日でも会って存在を愛おしく思いたいが、寮という制度を一人私情で破るわけにもいかない。赤司の子息とはいえ何でもかんでも好き放題出来るわけではないのだ。

迎えの車に乗って黒子の家を目指す赤司。前回会ったときは部活の関係であまり話すことが出来なかった。それに最近赤司の祖父が病気で伏し気味になったため、家族親族が総出で万が一に備えて走り回っている。中枢に赤司はいないのでその影響をダイレクトに受けてはいないが、それでも忙しい家を片目に見ながら婚約者と共にいれるほど赤司の家は甘くは無かった。

黒子の家に着いた赤司は正門ではなく外れにある裏門へ向かう。黒子の家の中でテツナの地位はあまり高くなく、与えられている部屋は母屋ではなく離れなのだ。正門から入って離れに行くこともできるが、それだとテツナの両親や使用人に絡まれる恐れがある。ならば離れに直接通じている裏門から入った方が効率がいい。もちろん裏門にも守衛はいて侵入者を見張っている。しかし毎週来る赤司は最早顔パス状態であり、守衛も特に何も言うことなく扉を開けてくれた。





「お帰りなさいませ征十郎様!!」

裏門を開けて庭を歩き、離れの扉を開ける。すると待ち構えていたと言わんばかりに張り切ったテツナが玄関に立っていた。テツナの後ろで老齢の使用人がくすくすと笑っている。その笑みは嘲笑するものではなく可愛い孫を見守るかのようなものだ。この使用人はテツナに対する当たりが悪いこの家で珍しくテツナを可愛がってくれている使用人で、赤司からの信頼も厚い人物なのである。

「テツナが出迎えなんて珍しいね。何かあったのかい?」

「え、えっと。ご飯にしますか?お風呂にしますか?それとも……えっと………」

「……テツナ?」

いきなりの発言に赤司の思考が一瞬真っ白になる。しかしいつまでも硬直しているわけにもいかないのですぐに調子を取り戻すが、それでも混乱は引き摺っている。こんな知識をテツナが自分で入手することはないので、誰かからの入れ知恵だろう。使用人達がテツナにこんなことを教えようとしたならば即座に首が飛ぶので除外。黒子の家の人間は必要以上にテツナに関わりたがらないのでこれも除外。となるとテツナの兄だが、辰哉はテツナにそんなことを教える人ではないと赤司は思っていた。そうしたら残るはただ一人、黒子家直系第二子黒子真のみである。

(真さん何を教えているんだ………)

次男である真は現在東京にいる、別名花宮真だ。東京で暮らす際危険が及ばないようにと本名で暮らすことを許されていない特殊な存在である。真が京都ではなく東京にいるのは、東京のなかで家のために知識をつけるためと言われているが、実際は嫌いな本家にいるのが嫌で高校入学と共に一人暮らしをしたかったからだ。東京の名門に通うことを条件に真は東京での暮らしが許されている。もちろん黒子家の人間が一人で暮らすことは危険すぎるので、近くに黒子家のSPがいて安全を確保しているのだが。

真はバスケットボール部に所属しておりポジションは赤司と同じPGだ。能力の高さから無冠の五将に数えられており悪童なんて異名ももっている。学業を疎かにしないことを条件にバスケをしていて、どちらも器用にこなしていると言えるだろう。距離がありすぎるため試合をしたことがなく、今度手合わせしていとも赤司は思っていた。ちなみに赤司のチームメイトも無冠の五将であり真と面識がある。まさか真がテツナの兄で名家の出身だとは露ほども知らないとは思うが。

さて真とテツナとの仲だが、何故だかテツナがものすごく真に懐いている。プレースタイルや性格から良い人間ではないのだが、テツナにとっては良いお兄さんらしい。テツナの前では猫を被っているということはない。悪そのままの姿で、テツナは真に懐いていた。真もテツナのことを溺愛という形ではないが可愛がっている。

「部活で疲れたからお風呂に先に入ろうかな」

「じゃあお荷物お持ちしますね」

赤司が肩に掛けていたスポーツバッグを持とうとするテツナだが、当然中には教科書や部活用具が入っているわけで。毎日持っている赤司からすれば慣れてしまった重みではあるのだが、まだ少女のテツナには重いどころの話ではない。テツナに運べるようなものではないので断った赤司だが、そのあとテツナにうるっとされて狼狽してしまい。結局二人で持つことになった。もちろん赤司が一人で持ったほうが効率がいいのだが、それは言わない約束である。

お風呂に入り食事の席についたあとでもテツナは妻として赤司に甲斐甲斐しく尽くそうとした。とはいっても年齢の問題やそもそもの立場の問題で、普通の妻のようにはなかなかいかない。冷遇されていたとしても黒子の令嬢、当然火なんて扱える筈はなく料理はできない。運ぼうとするのも咎められたくらいである。赤司が裏で頼み込むことによって運ぶことだけは何とか許してもらえたが、とにかく制約が多かった。また食事の作法なども厳しく言われており、テツナは「あーん」をやりたかったのだが却下せざるをえない。テツナからの「あーん」なんてむしろして欲しいくらいなのだが、如何せんしきたりというのは面倒なものなのである。

「真さんに何か言われた?」

「………ふぇ?」

「テツナがいきなり珍しいことをするものだから。真さんから何か言われたのかなって思ったんだけど、違うかい?」

「……まこにぃが、馬鹿にするから」

まこにぃというのはもちろん真のことである。

「馬鹿に?真さんがテツナに何か言ったの?」

「僕が全然征十郎様の妻に見えないって。妻ならもっと征十郎様に尽くすべきだって」




事の発端はテツナと真が定期的にやりとりをしている電話だった。真が東京に行く際テツナが愚図ってしまい、その解決策として週に数回テツナは真と電話で連絡を取るようになったのだ。だいたいはテツナが真に聞いてほしいことを述べて真がそれに相槌などを打っている。真が普段から聞き上手になることはほとんどない、あくまでテツナの前限定だ。その日はテツナがいつもどおりに自分のことを真に聞いてもらっていた。話の内容はだいたいが赤司のことで、それを受け止めるかのように真はうまく聞いていた。

「征十郎様は本当に優しい人なんです。まこにぃも征十郎様と仲良くしてくれればいいのに……」

赤司が優しく見えるのはあくまでテツナ視点でだ。普段の言動や試合のときの行動からして、赤司は優しいの対極にいるような人間だと真は思っている。だからこそ、家族ぐるみでの付き合いは仕方ないにしろ個人的な付き合いは避けたいと思っていた。嫌っているまではいかないが好いていないのは確実である。

そんな相手を妹が良いように言うものだから、少し悪戯心が湧いたというのが本心だ。ついからかってあげたくて、真はテツナに妻が何たるかということをふざけて教えた。もちろん年齢的に制限がかかるようなことは教えていないが、それでもドラマとかであるようなことを軽くふざけて伝えた。真の言うことはたいてい信じてしまうテツナなのでケロッと信じてしまい、今に至るわけである。おそらく赤司を困らせるための作戦なのだろう。テツナに変な自覚がない分、真の思惑通り、赤司を動揺させた良い手だと思う。

(けれどやられっぱなしは性に合わないね)

どうせなら逆手にとって真をぎゃふんと言わせたい。先にやってきたのは真なのだから変な言いがかりはつけられない筈である。多分テツナは今日のことを真に報告するに違いない。そこでテツナの口から伝わればダメージは増すであろう。軽々しく焚きつけると恐ろしいということを真に思い知らせてやろうと、赤司は何も知らないテツナの表情を見てくすりと微笑んだ。





「征十郎様?眠いんですか?」

テツナの就寝時刻はかなり早い。そのため泊りに来たときだけ赤司の就寝時刻も早めていた。テツナの寝顔を見て楽しむのもアリなのだが、一緒に布団に入って共に寝たいと赤司は思っている。ただ今日はいつもの時刻の30分くらい前に布団を用意させ、赤司はテツナを抱きしめながら布団に潜り込んだ。

「征十郎様?」

「ねぇ、テツナ。真さんから夜について何か教わった?」

「……夜?」

「そう、夜に夫婦がどんなことをするのか。テツナは俺の妻なんだから、知っててもおかしくはないよね」

抱きしめた体を反転させて向き合うような形にする。至近距離からの眼差しに照れたテツナの表情が赤面していくのが赤司にとって心地良かった。Sな気質ではあるので自分の行動に翻弄している姿を見るのは愛しいの他はない。鼻先がくっつくのではないかと思うぐらいに顔を寄せた赤司はそのまま頬に唇を寄せ、わざとリップ音をたててうっすらと痕を残した。

「ねぇテツナ、テツナは知りたい?愛し合った男女が何をするのか」

「征十郎様、僕は……その………」

テツナの年齢を考えて一線を越える気は赤司にはない。ただ愛し合う方法は何も一線を越えるだけではないのだ。それ以外にも、それ以前にも愛を確かめ合う方法はいくらでも存在する。キスだって愛を示す行動のひとつであることは変わらないのだから。

「ねぇ、テツナ。僕とこれから――」

ピリリリリ――

耳元で愛を囁こうとしたその瞬間に携帯の発信音が木霊する。赤司の携帯はスポーツバッグの中にあるので違う、となればテツナの携帯である。朝に弱いテツナは携帯を目覚まし時計代わりにしているので、枕元にいつも携帯を置いてあるのだ。まるで二人の甘い空気を切り裂くかのように鳴り響く着信音に赤司は内心舌打ちしつつも、テツナの携帯を手に取って発信者の名前を見た。

(……タイミングが良いんだか悪いんだか、最悪だ)

思った通りの発信者に赤司は思わず舌打ちをしてしまった。しかし甘い空気に当てられて放心中のテツナには聞こえなかったようだ。テツナの中の赤司は舌打ちなんてしない人間なので、聞かれていたら幻滅されていたかもしれない。テツナの意識がどこかへ行っていることを良いことに、赤司は応答ボタンをスライドして通話中にした。

「どうもお義兄さん、用件は何ですか?」

「義兄なんて呼ぶんじゃねぇ、気持ち悪い。つーかテツナに電話してんのになんでお前が出てんだ」

「その答えが分からない貴方じゃないでしょう。狙ってました?」

「勘だよ、勘。そっちにいねぇのに分かるわけねぇだろ」

「上手いタイミングで鳴らしてくれましたね。わざと焚きつけましたか」

「どうだかなぁ。まぁまだロリコンの犯罪者にならなくて良かったんじゃねぇの」

「……この悪童が」

「聞こえてんぞ洛山主将さんよ」

「隠す気ないですから。テツナの兄じゃなければ敬語なんて使わないのに…」

「そりゃどうも、随分と嫌われたものだ」

千里眼でもあるんじゃないかと思いたくなってしまう的確さは悪童故なのか妹愛故なのか。少なくとも赤司は真の手の平で踊らされたということだ。しかしタイミングが合わなければテツナがセクハラという名の被害を受けていたかもしれないというのに、なんという兄である。赤司に嫌がらせか牽制をするためとはいえ、こんな風に妹を売るような人間ではないと思っていただけに、少し意外に赤司は感じた。

「いっておくが俺の着信がずれていても中断せざるをえなかったと思うぜ」

「……どうして?」

「忘れんな、そこは黒子の家でお前のテリトリーじゃねぇってことをな」






真と赤司が携帯で話していた同時刻、テツナの部屋と廊下を仕切る襖の奥で辰哉はノックしようとしていた手を静止していた。襖なのにノックというのも変な話かもしれないが、襖と襖が合わさる部分に手を打ち付ければそれなりの音を出すことが出来る。素人だと難しいのだが日本家屋で生きてきた辰哉にとっては雑作もない動きである。

辰哉に真のような勘の良さはない、ただ物理的にこの部屋の状態を把握していただけだ。テツナはまだ幼くそれ故に危うい、だから一定の年齢になり自身で身をある程度守れると判断されるまでは、テツナの部屋に監視カメラが設置されることになっているのだ。侵入者対策の一環だったのだが、まさかこんな使い方も出来るとは、辰哉も辰哉で驚いている。管理は使用人や管理者の役目なのだが、辰哉が一言つければ主導権を握ることは容易い。テツナがウキウキとした気分でお嫁さんごっこをすると言った時点でまさかの展開を予想して念のためにと管理室を乗っ取っていたのだが、功を成したようである。もっとも真の介入があったために辰哉が直接割って入ることはなかったのだが。

(焚きつけた真も悪いけど、この家で事に及ぼうとする赤司君も凄いよね)

このことを赤司の家に伝える気は辰哉にない。恐らく真もこのことを告げる気はないだろう。ちょっとした弱みを握っておこう程度のものである。それを赤司も分かっている、だからこそ真の電話があった際もそこまで取り乱すことはなかった。嫁入り前の幼い娘に手を出したとあっては、下手をすると二人の婚約が取り消される恐れもある。(黒子の家としては赤司との婚姻を破棄したくはないので、もし破棄されるとしたら赤司側からの申し出になるのだが)そんな状況になることを誰一人望んではいないので、何も問題はないだろう。




「テツナ」

硬直してパクパクしているテツナの肩を少し揺すれば、意識がはっきりしたのかぱっちり目を開けて赤司の方を見てくる。そんな姿も可愛いなと思いながら、赤司はテツナの柔らかな髪をそっと撫でた。そういう知識が無いテツナには何をするつもりだったのかということは分からないだろうが、しかし恥ずかしいことをしようとしていたということは分かっただろう。赤司相手だから嫌悪感などはなかったであろうが、いきなりすぎて気が動転していても不思議ではない。

「テツナごめんね、もう寝ようか」
「い、いいんですか?」

「うん。もうちょっと大人になってからでいいかなって」

感情の波が一度収まってしまえば後は大人しい凪いだ状態になる。今の赤司も同様で、先程までの高揚感から一転して穏やかな心情になっていた。兄達のことを気にかけすぎて、テツナの気持ちが見えていなかったと少し反省すらしているくらいだ。そんな気分だからこそ、目の前のテツナがいつも以上に愛おしく感じた。
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