「あ、えっと……葉月君でしたっけ」

「こんにちは似鳥君、こんな夜遅くにどうしたの?」

「の、飲み物を買いに来たんです。ポカリが売り切れてて……」

鮫塚が泊まっている宿泊所から100mくらいのところに奇跡的に自動販売機があることを、似鳥はロードワーク中に知っていた。宿泊所にも自動販売機はあるのだから必要ないと思っていたのだが、男子高校生が一斉に群がった結果人気商品はみんな売り切れである。別にポカリでなくとも良かったのだがポカリが飲みたい気分だったことと、凛にも買っていこうと思っていたのでわざわざ此処まで来たのである。凛は悪夢に魘されたようで酷い顔色をしていた。起きるまでに買って行きたくて急いでいたのだが、予想外の先客がそこにはいたのだった。

「葉月君はどうして此処に?飲み物を買いに、ですか?」

「同い年なんだから敬語じゃなくていいのに。僕は風に当たりに来ただけなんだ」

「あ、じゃあ遠慮なく」

すぐに帰りたかったのだが、以前見たときとは雰囲気が違う渚の様子に何処か不思議な気分になった。鮫塚に合同練習で来た際はもっとはしゃいでいて騒がしい少年だった筈だ。静かな遥にお母さん体質な真琴、何だかんだで世話焼きな凛に賑やかな渚で何ともちぐはぐな幼馴染組だと思ったことは記憶に新しい。年下だけど物怖じしない性格は密かに似鳥が憧れるものである。けれど目の前にいる渚はとても落ち着いていて、あの騒がしい渚とは同一視できない。やはり関わる相手が自分だから抑えているのかとも思ったのだが、何というか、全体的に大人びていて澄んだ表情をしていた。

「それ、似鳥君の分だけじゃないよね。持って行ってあげなくていいの?」

渚の物言いは厄介払いするためのものでなく、本当に相手を案じたものだ。もう一つを手渡す相手が凛だと言ったわけではないが、恐らく渚は分かっているのだろう。「早く凛ちゃんのところへ行ってあげて」と言う渚に釣られて似鳥は頭をぺこりと下げる。上げた後もう一度渚を見てから、似鳥は宿泊所へ引き返すために足を急いだ。




「松岡先輩、大丈夫ですか」

「問題ねぇよ、まぁ飲み物はありがてぇけど」

かなり汗を掻いていたようで体は水分を欲していたようだ。凛は貰った缶のポカリを半分ほど飲み干すと、それをベッドサイドに置いた。

「あ、そういえば買いに行ったとき葉月君がいたんですよ」

「渚が?なんで渚が鮫塚の宿泊所にいんだよ」

「それが自動販売機でポカリ売り切れてて外まで行ってきたんです。すぐそこの高台みたいなところで、そこに葉月君が座ってて」

「こんな遅い時間に何やってんだアイツは……」

「風に当たりに来たみたいですけど、何かいつもと雰囲気が違って……。葉月君って思ってたより大人しいっていうか普通の人だったんですね」

似鳥の大人しいという言葉に凛の眉が少しだけ顰められる。何かを考え込む仕草を少しした後、おもむろに立ち上がった凛は上着のパーカーを羽織ってドアノブに手を掛けた。

「ちょ、松岡先輩何処行くんですか!?」

「……渚の様子を見てくる。お前はとっとと寝てろ」

ちらりと時計を見れば午前一時半を回っている。似鳥が会ったというのが午前一時頃らしいので、軽く三十分は経っている計算になる。あの場に残っている保証はないが、恐らく戻ってはいないと凛の勘が告げていた。徹夜まではきっとしないだろうが、もしかしたらもうしばらくはその高台にいるかもしれない。ならば年上の幼馴染としてきちんと帰さなければならない。寝てしまっていて渚の夜間外出に気づいていない遥と真琴の代わりに自分がやらなければと思ってしまうのは、体に染み付いてしまった一種の癖みたいなものなのだろう。四人でいた時も、渚のことを気にかけてあげるのは何故か真琴ではなくて凛の役目だった、気がする。




「……風邪引くぞ、早くテント戻れ」

「こんにちは凛ちゃん、眠れなかったの?」

「こっちは寝たいが似鳥から聞いちまった以上寝れないんだよ」

「そっか、似鳥君ならスルーすると思ったんだけど」

渚の座るベンチには男がもう一人くらいなら座る余裕がある。渚に座っていいか許可をとらないまま、凛はその隣に腰を下ろした。こうやって無理なく押し通すところが凛の良いところだと、渚は心の中で密かに思った。真琴は気を遣いすぎて一歩引いてしまうし、遥はそういう人の心に疎い一面がある。お兄さんにするなら絶対に凛が良いと言い張れる自信がある。

「………寝ないのか」

「僕がその気になれば三日くらい寝なくても大丈夫なの凛ちゃん知ってるじゃない。まぁ練習に響くから今はそんなことできないけど」

「お前は溜め込むとそういうところに影響出るからな」

渚はストレスが溜まると睡眠に影響が出てくるタイプだ。ご飯はちゃんと食べるし人ともきちんと話せる。ただ夜になると来るはずの睡魔が全く訪れなくて、寝る行為がひたすら目を瞑り続けるだけの作業になる。当然睡眠ではないので徹夜しているのと同じ状況になり、体が悲鳴を上げた瞬間気絶して昏睡状態に陥る。そうしてようやく無理矢理で強制的な睡眠を体がとることができるのだ。凛達三人はそれを数度見たことがあり、その度に渚に対して何処か脅えを感じていた。

「で、眠れない原因ってのは何なんだ。……ストレス、なんだろ?」

「なんか自分の体のことなのに分からないんだ。ストレスなのかなぁ……。岩鳶高校入って水泳部作ってみんなで練習して、僕は何が不満なのか自分でも分からない」

年下の幼馴染はいつもお調子者で所謂ムードメーカーだ。それは幼い頃もそうだったし今も変わらない、と凛は思っている。学校が違ったため普段の渚を凛は知らないが、遥や真琴に見せているあの姿は恐らく通常運転なのだろう。

「あー、でもね。最近なんだかもやもやすることはあるんだ」

「もやもや?」

「うん、言ってしまえば………嫉妬?」

嫉妬という言葉は主に恋愛事で使われる。渚が誰かに想いを寄せていてそれを相手は気付いていないのか。もしくはその相手には既に想い人がいるのか。とにかく渚の想いが届かない位置に相手はいて、そのことに渚は嫉妬しているのかもしれない。

「ストレスっていうと病的だが嫉妬だと可愛く見えるな、恋愛事で不眠症かよ」

渚のことを考慮してわざと軽い調子で言ったのだが、渚は何故かくすりと笑って凛を見た。

「違うよ凛ちゃん、僕は女の子に対して嫉妬してるんじゃない」

その言葉を聞いた瞬間渚が何処か異世界の住人のように見えた凛だったが、その懸念はすぐに渚によって払拭されることになった。

「言っておくけど僕はホモじゃないから」

「え、あ……そうか」

「けど嫉妬している相手は男の子なんだよね」

その発言に後ずさりしたくなった凛だがそれは止めた。渚の声色が急に落とされたものになったからだ。もちろんそれは自身が実はホモだったということをカミングアウトするからではない。多分渚の眠れない要因である嫉妬・ストレスを話そうとしているのだろう。

「やっぱり僕は違うんだよね」

「違う?」

「うん、ハルちゃんやマコちゃんと一緒にいると分かるんだ。あぁ、僕の居場所はここじゃないなぁって。二人は僕を幼馴染だと思って優しく接してくれるんだけど、あの二人はあの二人だけの世界を持っていて、僕はそこに足を踏み入れることは出来ない。たとえかつて一緒にいたっていう過去があったとしても、もう僕は二人と同じ場所には立っていない。凛ちゃんはハルちゃんのライバルでマコちゃんとも定期的に連絡を取っているから僕よりも二人には近いよね。人との距離ってやっぱり物理的なものじゃなくて精神的なもので――」

「やめろ渚、それ以上言ったら二人が悲しむぞ」

何処か遠い目をしていた渚の視線が凛へ向かう。こうやって渚が後ろ向きな内容で饒舌になるときは、意識が遠い彼方へ飛んでいる証拠だった。渚本人には何を話していたか明確な記憶は残っていない。心が無意識に内心を吐露しているのだと、凛は勝手に思っている。

「ったく、溜め込む前に誰かに言えって言われてただろうが」

「んー、でも高校に入るまではあんまりなかったし」

つまり二人を見て急激に何かが溜まっていったのだろう。三年間で何もなかったものがたった四か月程で溜まるのは正直尋常ではない。仲睦まじい二人を間近で見て、かつては同じ距離でいたのに今は遠いことを実感して、でもその寂しさを誰にも言うことができなくて。新しく入った怜に言ったところで困らせてしまうのは目に見えている。だからもやもやした気持ちを溜めて溜めて溜めて、この島での合宿で何かが弾けたのだろう。耐えることに慣れていて溜め込みがちだと分かっていたのに気をかけてやれなかったことに、凛は自分に対して舌打ちをした。他校で離れた凛に渚を気遣う義務などないが、やはり幼馴染である以上放ってはおけない。かと言ってこのことを二人に話すのはお門違いである。

「………ごめん凛ちゃん、もう帰っていいよ。僕なら大丈夫だから」

「あんな様子見せられて帰れると思ってんのかお前は」

「凛ちゃん優しいもんね。……本当にごめん、面倒掛けて」

しばらく無言の時間が続く。時計を持っているわけではないが、恐らく午前の三時くらいだろう。凛も渚も翌日ハードな練習が控えているためそろそろ寝ないと正直危ない。けれど渚に関しては何かしてやらないと睡魔を呼び戻すことはできないだろう。下手をするとこの高台で渚は朝を迎える羽目になる。睡眠不足で事故など起こされたら罪悪感で凛の睡眠が削がれる気がする。

「……渚、携帯持ってるか」

「え?うん、持ってるけど」

「ちょっと貸せ」

ポケットから取り出した渚の携帯を奪いカメラ機能を起動する。辺りは真っ暗なので夜モードにしてついでにインカメラに切り替える。?マークを頭上に浮かべる渚の様子など気にせずに5秒タイマーを掛けると、凛は渚の肩を抱き寄せて顔を寄せた。

「凛ちゃん!?」

「動くな、ぶれる」

きっちり5秒カウントした後にカシャリと着られるシャッター。夜だから焚かれるフラッシュに少し目を細めてしまったが画面に映るは渚と凛の二人、所謂ツーショットというやつである。まさか凛と二人で写真を撮るなんて滅多にないイベントに、渚の目がキラキラと輝いた。

「え、これ凄くレアじゃない!」

「江とも写真なんて撮らないからな、大事にしろよ」

「するに決まってるじゃない!うわー」

先程までの鬱蒼とした顔つきがき綺麗さっぱり晴れていていつもの渚に戻っている。遥と真琴に何か働きかけをして仲を取り持つのはお門違いであるが、凛が渚と仲良くするのは可笑しい話ではないし一番手っ取り早い。嫉妬の三分の一が解消されれば、あとは渚の中で何とか処理してくれるだろう。もしまたキャパシティオーバーしたら、その時はまた凛がひと肌脱いであげればいい。自分でも甘すぎる自覚はあるが仕方がない。

「ほら、とっとと戻れ。明日だって練習あるんだろ」

「うん!凛ちゃんもおやすみー」

「おぉ、おやすみ」

大切そうに携帯を握りしめる渚を見ると、慕ってくれる存在の可愛さを少し感じる。とりあえず“お兄さん”としての役割を果たせた凛は襲ってきた睡魔に早く身を委ねたくて、帰路を急いだ。

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