「火神くんも謹慎ですか」
「……謹慎?」
「部活に行ってはいけないという意味です」
「あーまぁな、足ボロボロだし」
秀徳戦でガッツリ足を痛めてしまった火神は当然の如くリコから休みを言われていた。けれど火神一人ではどうも信用ならない。きっとリコの言いつけを無視してバスケをしてしまうに違いない。そのためのお目付け役として黒子もリコから休みを貰っていた。実際黒子も目の消耗が激しかったために休む必要があったのだ、まさに丁度いいと言えるだろう。
「バスケしてぇ……」
「ちゃんと休まないと一生バスケ出来なくなりますよ」
「さらっと怖いこと言うなよ」
二人は暑い中ベンチに座ってだらだらと話している。照り付ける日差しは黒子からどんどん体力を奪っていくのだが、普段の練習と比べれば良いほうである。火神は首にかけていたタオルで汗を拭うと、おもむろに立ち上がった。
「……ドリブルとシュートだけならいいんじゃねぇか?」
「怒られても知りませんよ」
止めないということは、黒子も少しなら良いと思っているのだろう。黒子は本当に危なかったら殴ってでも止めるような人間である。お目付け役の黒子から一応の許可が出た火神は嬉々として近くにあったバスケコートへ流れ込んだ。その際走り歩きだったのは言うまでもない。火神の後を追うように腰を上げた黒子は、くらりとする頭を押さえながらバスケコートへ向かった。もとより体の弱い黒子にはこの日差しは厳しい。まだまだ夏本番には程遠いが、病院で過ごしてきた分体が日差しに対して過敏になっていた。
「すみません火神くん、ちょっと飲み物と日除け買ってきます。無茶しないで待ってて下さいね」
「おー、気を付けて行けよ」
どうせ火神のことだ、待てずにシュート練習などしてしまうのだろう。けれど自分の体を分からない程馬鹿ではない筈だ。そこら辺の見極めはきちんと出来る男である。だから黒子はその場を離れてコンビニかスーパーを目指した。土地勘のない身で探すのは苦だがコンビニなど何処にでもあるご時世である。軽い気持ちで歩き始めたのだが、それが中々に見つからない。困ったなと滴る汗を拭った時、何かが自身に影を落とした。
「黒子の奴遅いな、何してんだか」
最初は大人しく待てをしていたが、結局疼きが止まらずにボールを放っていた。しかし思い通りには飛ばず、いつも以上にコントロールの悪いシュートになってしまう。流石にダンクをするのはマズいので遠くから打っているのだが、火神のロングシュートのセンスの無さは折り紙つきだった。緑間のようにロングで強ければ試合で重宝するのだが、火神の得意分野は所謂ダンクシュートだ。器用とはお世辞にも言えないので勢いでカバーするしかない。黄瀬にもどこか近いプレイスタイルを、火神はきちんとモノにしたかった。
「なってねーよ、全く。遊びでバスケしてんじゃねぇ」
火神のではないボールが火神の後ろから放られる。それはまるで無造作に投げたといったループを描く。しかしそのボールはまるで吸い込まれるかのようにネットをくぐった。シュッと鋭い音を立てて入ったシュートは綺麗な角度で入ったことを示す。荒々しい物言いとは対照的なそれは、まさに美しいシュートだった。
「……すげぇ」
「あぁ?」
「今のシュートすげぇ!アンタバスケ上手いな!」
純粋な尊敬の目で振り返った火神は、目に映った体躯に思わず息を飲んだ。部活柄同級生や先輩の体つきを直で見たことは何度かある。火神が見たことのある人で火神以上の体躯の人は見たことがない。けれど目の前にいる男は火神以上の体つきをしていた。白いタンクトップを着用しているのでそれがよく分かる。浅黒い肌は日の下でどれ程動いているかをよく示しており、見て一瞬でバスケを本格的にやっている人だと分かった。
「アンタ高校生か?もしかして実業団とか?」
「……お前、火神大我であってるよな」
「俺の名前知ってんのか?」
「あぁ、黄瀬や緑間から聞いた。キセキの世代倒すって言ってんだってな」
「アンタ………キセキの世代か」
お好み焼き屋で黄瀬・緑間と遭遇した際にもう一人の東京組のことは聞いていた。だが聞いたのは名前とポジションだけで、その他のことは何も聞いていなかった。黒子に聞こうとも思ったのだが、何となく機会を逃してしまっている。その残った東京組にまさか此処で会えるなんて、火神は何だか不思議な気分だった。
「お前本気でキセキの世代に勝てるとか思ってんのかよ」
「当たり前だろ。もっと強くなって必ずキセキの連中倒してやるよ」
「……そういうところにテツは惹かれたのか」
テツといきなり出てきた言葉に一瞬疑問符が生まれたがすぐに黒子のことだと分かった。それにしても黒子っちに黒子にテツ、黒子は様々な名前で呼ばれていたようだ。中学時代のことに関してはあまり触れられたくなさそうなので触れてはいないが、かなり仲が良かったのではないか。今はどこかギスギスした空気が漂っているが、あれはきっと何処か歯車がズレてしまったから故なのだろう。仲が良かった筈なのに道を違えてしまった、それが無性に悲しく思えた。
「で、何の用だよ。偶然……な訳ないよな」
「………止めないと」
「あぁ?」
「俺達を倒すなんて言ってテツが無茶してんだ。だったら俺が、俺が止めないと」
明瞭な声ではない、でも青峰が言った言葉はきちんと火神に届いた。キセキの世代の思考回路はどうしてこんなに同じなんだと、火神はため息をつきたくなる。けれど青峰の前でそんな態度を見せてはいけないと、本能がそう告げていた。見ていて思う、青峰はどこか不安定で危なげだと。海常との練習試合で黄瀬が発狂したような空気が青峰の周りにはある。屈強で強靭そうな青峰がどうしてそんな存在をしているのか、火神には見当がつかなかった。
「止めるってどうすんだよ。黒子は説得で止まる奴じゃねぇぞ」
「そんなのお前以上に分かってる。でもテツが俺達を倒すって言ったのはお前の存在があるからだろ、火神」
「まぁ俺が打倒キセキって言ったからな……」
「そうじゃねぇ、戦力的な意味でだ。テツはお前にキセキと同格の潜在能力があると判断した。だからキセキを倒すなんて豪語したんだろ。なら話は簡単だ」
じりっと、青峰が距離を詰めてくる。火神はそこで自分が如何に危険な状況に置かれているかを理解した。バスケコートの入り口は青峰がいるから突破できない。そもそも膝を負傷しているのだからキセキの世代相手に逃げ出すことも出来ない。あきらかに青峰が有利なこの状況は、火神の圧倒的不利を示していた。
「やろうぜバスケ、徹底的に潰してやるよ」
「え、……あぁそっちか」
物理的に、選手生命を絶たれると危惧していた火神は自身の勘違いに一瞬安堵した。けれどそれが大きな間違いだということにすぐ気づくことになる。
「はい、ポカリで良かったかな?」
「ありがとうございます。女性に買いに行かせるなんて申し訳ないです」
「いいよいいよ、テツくんが無茶する方が嫌だもん」
土地勘のない黒子を救ってくれたのは通りがかった桃井だった。日傘を持っていた桃井はそれを黒子に貸してくれ、飲み物まで買ってきてくれた。情報のスペシャリストである桃井はこの辺の地形を割と知っているようで、黒子は今後困らないように店の位置など聞いておいた。
「それにしても、テツくん顔色ちょっと悪いよ。やっぱり具合悪いの?」
「元から貧血だったりするので大丈夫ですよ。あとは連日の試合でちょっと疲れてましたし」
「そっか、大丈夫ならいいんだ」
桃井は黒子の右側に腰を下ろす。無意識だったらそれで良いのだが桃井はそういうことに気づいてしまう人だ、きっと意識的。黒子の目の具合が良くないと分かっているから敢えて右側に座ったのだろう。
「次の試合、桐皇とだから当たっちゃうね」
「……そうですね」
次の試合で桐皇と当たることは事前にリコから聞いている。黄瀬、緑間と来たら次は青峰だと分かっていたのだがやはり心は辛い。青峰に対しては人一倍思い入れがあるので、正直言えば会いたくなかった。正確には変わってしまった青峰に会いたくないと言うべきか。桃井と会うことにも後ろめたさを感じていたのだが、桃井は中学時代の同朋で誰よりも“変わって”いなかった、会ってしまえば楽というやつだ。
「すみません桃井さん、桃井さんともっと話したいんですけど――」
「火神くん待たせてるから戻らないと、かな」
桃井の口から火神の名前が出てきて黒子は目を丸くした。黒子が火神といた時桃井は近くにいなかった筈だ、いたら確実に声をかけてくる。では何故桃井が火神と共にいたことを知っているのか、その答えはきっと簡単だ。
「調べて、たんですか」
「ごめんね。テツくんが火神くんとバスケコートで練習してるの知ってた。二人ともこっそりやってるから練習じゃないかもしれないけど」
「どうして調べたんです?桃井さんの興味を引くものではないでしょう」
「………多分テツくんから見たら私は敵なんだろうね。私は、キセキの世代の誰よりも敵かもしれない」
「桃井さん?」
「ごめんねテツくん、けど私は――」
「もうテツくんにバスケをして欲しくないんだ」
分かってしまった、一瞬で。桃井が何のために二人の情報を調べて黒子に接触してきたのか。どうして黒子が一人の時を狙ったのか。今一人でいる火神のところへ誰が向かっているのか。
急いで戻ろうと立ち上がるが服を桃井に掴まれる。女性を無碍には扱えない黒子は動きを止めて桃井を見た。
「桃井さん離してください、早く戻らないと」
「言ったよね、私は一番敵かもしれないって。でも私はね、キセキの誰よりも、もしかしたらテツくん以上に……未来が見えてるよ」
強い、青峰は強い。黄瀬の身体能力の高さと模倣は対象外である黒子との連携で突破した。緑間の超ロングシュートは火神の才能である跳躍力で叩き落とした。けれど目の前にいる青峰大輝には追い付くことすらできなかった。もちろん膝を負傷している身でキセキとやりあえるとは思っていない。けれど自分の体のことは誰よりも自分が分かる。たとえ火神が完全な状態だとしても青峰には絶対勝てないだろう。まず青峰の動きに目がついていけない、目ですら追えないものを体で追うのはとてつもなく難しいことだ。黄瀬や緑間から火神の超攻撃型同じタイプだとは聞いていたが、青峰の攻撃はとにかくレベルが違った。
「もういいわ、無駄だし」
「は…、てめぇ――」
「つーかお前どんなにやっても諦めないだろ」
青峰がどんなに圧倒的な実力を見せても火神の心の中にある灯が完全に消えることはなかった。それを本人よりも対峙した青峰の方がよく分かっている。これ以上やっても火神の膝の具合が悪くなるだけだ。腐っても青峰の元は純粋な少年、体を直接的に負傷させて試合に出させないようにするという考えはなかった。
「初戦、衆人環視の前で潰してやるよ。そしたら、テツもバスケ続けたいなんて言わないだろ」
とんでもない発言ではあるが全てが黒子に対する想いで出来ている。その盲目さに火神はどこか薄ら寒かった。かつてのチームメイト相手にここまで想いを馳せるものなのだろうか。
「お前ら、ホント黒子のこと大切なんだな」
「……罪、だからな」
「罪だなんて僕は思っていませんよ、青峰くん」
青峰のちょうど真後ろ、凛とした声の持ち主がやんわりとした笑みを浮かべている。黒子の隣には非常に女性らしい体つきの可憐な女性が立っていた。黒子の左手は桃井の右手に繋がっており桃井はとても幸せそうな顔をしている。鈍い火神でも分かった、桃井が黒子に惚れていることを。
「さつき、引き留めてんじゃなかったのか」
「青峰くんが長すぎるの!」
「やっぱり共闘でしたか。幼馴染というのは便利ですね」
黒子のちょっとした嫌味に桃井の顔がしゅんとなる。さっきまでのラスボス感はどこへいったのだと、黒子は少しだけ思った。
「お久しぶりです青峰くん、随分と可愛がってくれたようで」
「弱い奴相手に弱いって言って何が悪い」
「怪我人相手に無茶を押し付けるのが君のやり方ですか」
「本気なんか出しちゃいねぇよ。膝壊したら大変だろうが」
「……そういうところに僕は弱いんですよ」
こういうところがあるから黒子は青峰を憎むことが出来ない。暴君なのに純粋、それが青峰大輝の成長スタイルだ。誰のせいでこうなったかは分からないが、黒子が青峰を見捨てられない理由の一つである。
急に取り残された火神はどうすればいいか分からなかったが、とりあえず青峰が最悪な奴じゃないことだけ分かった、気がした。