「あらいらっしゃい、また大きくなった?」
「そう思います?それなら嬉しいんすけど」
慣れた手つきでスリッパを取り出す黄瀬、それを温かく見守るは黒子の母親である。
「あの子今シャワーだから、先に部屋に行っててもらえるかしら」
「でも女の子って部屋に入られるの嫌がるんじゃ……」
「今更じゃない。それに涼太君なら問題ないわ」
母親公認という関係だからこそなのだが、ここまで心を許してもらっていいのかと少し不安になる。確かに黄瀬と黒子の関係は所謂幼馴染というもので、幼い頃からずっと一緒でお風呂も一緒だった時もあった。しかし今の二人は中学二年生という多感な年頃である。幼馴染として仲良くするのは変じゃないが、こうやって無断で部屋に入ったりしていいのだろうか。ということを毎回考えるのだが、結局黒子の部屋で待ってしまう黄瀬なのであった。
「すみません、来ていたんですね」
「うん、また夜勤みたいだから」
ぐしゃぐしゃと乱雑に髪を拭く黒子からタオルを奪い代わりに拭いてやる黄瀬。小さい頃から黒子はそういうところが雑なのである。だから代わりにやってあげるのが黄瀬の中での役目だった。黒子は黒子で黄瀬にやってもらうことが常習化していて、何も言わずされるがままである。こんな中学二年生は自分たちしかいないと、黄瀬は内心溜息を吐きつつも、そんな状況を楽しんでいた。
「にしても黒子っちはホント不用心っていうか……。男が部屋に入ってて嫌だとか思わないの?」
「黄瀬くん相手に今更って感じですね」
母親とまったく同じ台詞を言う黒子。その姿に黄瀬は嬉しいような悲しいような気持ちになっていた。
前述のとおり黒子と黄瀬は世間一般の言う幼馴染という関係にある。黄瀬の両親がなんとも多忙なキャリア組であったため自宅にいることが少なく、黄瀬はよく黒子の家で日々を過ごしていた。黒子の母親が黄瀬を躊躇いなく家に上げるのは昔からの名残なのである。黒子の家で食事をするのもお風呂を借りるのも寝るのも、黄瀬にとっては普通のことだった。
しかしそれが普通ではないと気付いたのが小学四年生の時、周りの話を聞いた時だ。自分達がおかしいのだと気づいてしまった黄瀬であったのだが、黄瀬にはその環境を変えることは出来なかった。なにせ黄瀬は料理や家事ができない。それに小学生を一人家に残して日をまたぐというのは教育上道徳上良くないだろう。そういった事情があるため黄瀬は黒子の家で過ごさないという選択肢はないのだ。
しかし黄瀬は心の中で、ちょっと嬉しい気分になっていたりもする。なにせ幼馴染という特権で黒子の一番傍にいれるのだ。女友達はともかく、黒子の中で一番近い男という存在は間違いなく黄瀬である。その立場が欲しくて黄瀬は自身の考えを抑えつけて今の状況にいるのだ。この説明で分かってしまうであろうと思うが、黄瀬は小さい頃から黒子に他とは違う感情を抱いている。もちろんそれは幼馴染としての感情ではない。それを自覚していたからこそ、黄瀬は離れたい離れたくないの間でもやもやする結果になるのだった。
「え、黒子っち生徒会入ったの?」
「入ったというより入らされたというべきですね。勝手に推薦されまして、特に対抗馬もいなかったのでそのまま決まってしまったんです」
「無理矢理って、黒子っちの意思は無くてもいいわけ」
「ホント酷い話なんですけど、まぁ副会長って仕事無いってよく聞きますし。ほら、うちの生徒会長赤司くんでしょう。彼なら仕事何でもこなしそうで、僕には仕事無いんじゃないかって」
「赤司クンねぇ……。どっかの御曹司って聞いたことあるっス」
ちゅーっとストローを啜ってオレンジジュースを飲み干す黄瀬。マジバのLサイズを頼んだのだが、男には少なすぎたようだ。これから勉強会だというのにもう底を尽きてしまっている。黒子のバニラシェイクはまだ残りがあるので、黄瀬は財布を持って自身の分を買うべく席を立つ。ついでにポテトも頼んでしまおうと、黄瀬は財布の中身を確認した。
「………、あ」
レジの列の二つ前に噂の彼が並んでいる。あまりにもその場に似合わなすぎて黄瀬は少し笑ってしまった。どうやら御曹司様は庶民的なものを好むようである。黄瀬も外見が外見だけにファストフード系はあまり似合わないのだが、赤司の似合わないとは何かが違う。赤司の場合、その場にいてはいけないという神聖さがあるのだ。事実、周りの人も赤司のことを少し不思議な目で見ていた。
「ご注文は何にしますか?」
「……バニラシェイクのSで」
バニラシェイクという単語にぴくりと黄瀬は反応する。その注文がまるで赤司のためでは無いような気がして、黄瀬は赤司を凝視した。別に赤司がバニラシェイクを好むのを否定するのではない。ただ、何となく赤司の注文には違和感があった。
「お待たせしました、ありがとうございました」
「どうも。………、甘い。よくこんなの飲めるな」
受け取ってその場で飲む赤司、そして一口含んだだけで赤司の眉が少し細められる。その態度だけで赤司の好物ではないことが伺い知れた。では何故そんなものを頼んだのか。
「黒子の味覚はよく分からん」
その一言を聞いて、黄瀬はようやく全貌を理解した。どうやら赤司は黒子の好物の影響を受けていたようだ。黒子のバニラシェイクは知り合いのうちでは定評があり、時にネタにされるほどである。それにあの赤司も乗るとは、本当に意外だ。赤司は他人の影響など受けない、孤高の人物だと思っていた。けれどそのことが逆に頭に違和感として残る。何故赤司が黒子なんかの影響を受けたのか。会長と副会長だなんてそこまで関係が深いわけでもないのに。
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
「えっ、…あ、はい。えっと………」
赤司のことに気を取られすぎて注文のことをすっかり忘れていた。黄瀬は当初の目的であった飲み物とポテトを注文する。その姿を赤司が横目でじっと見ていたことを、黄瀬は全く気づかなかった。
「ねぇ、あのモデルくんと黒子って知り合いなんだね」
とんとんと書類を整理しながら、ふと赤司が口にした。この部屋には赤司と黒子しかいないため、必然的に黒子への質問ということになる。書類を確認していた黒子は顔を上げ、赤司の質問を脳内で反芻させて「えぇ」と声を漏らした。
「知り合いというか幼馴染ですね、家が近いので」
「だからマジバで勉強会してたの?」
「見てたんですか?」
「君がバニラシェイクバニラシェイク五月蝿いから飲んでみようかなって思って行っただけだよ。そしたらたまたま君と黄瀬を見てね」
「黄瀬くん頭が良ろしくないのでテスト前は補習しないとダメなんです」
「付き合ってあげるなんて偉いな。さすがは幼馴染」
「言い方が嫌味っぽいです。あと書類不備です」
「え、ホント?」
黒子が手にしていた書類を赤司へ突きつける。単純な計算ミスだったのだが、物が物だけに真剣なものだった。天才と称される赤司にふさわしくないミスだが、赤司は少し困ったような顔をしてそれを受け取った。
「赤司くんが完璧だから仕事しなくても良いと思ってたのに、予想以上に出来ない人で正直驚いてます」
「それを本人に言うあたりが僕は驚きだよ」
黒子の言うとおり、赤司は予想外に出来ない人間だった。計算ミスはよくあるし不備だってかなりある。それが大きな問題に発展しないのは確認役である黒子が指摘しているからだ。おかげで黒子は仕事をサボることは出来なくて、こうやって遅くまで残る羽目になっている。部活をしていないのに何という仕打ち、解せぬ。
「あ、そろそろ失礼しますね」
「確か外せない用事があるから時間厳守なんだっけ」
「今日は遅くまで残れないのでここで。残りは明日でいいですかね」
「とりあえず今日締切のだけはやっておくよ」
机に乗せられた書類の量は二人でやっても一時間は掛かりそうだ。赤司一人に任せるのは心苦しいが、事情が事情なだけに黒子は手伝えない。幸い赤司は遅くまで残れるそうなので赤司に全てやってもらうしかなかった。ミスが出ないか気掛かりではあるが、そこは赤司を信じるしかない。
「ではお疲れ様でした」
「お疲れ」
バタンと閉じられる扉。足音が消え去ると赤司は急に不機嫌そうな表情になった。なにせ面倒な書類を前に残るは赤司一人である。心底面倒だと言わんばかりの表情で赤司はその一枚を手に取った。おそらくこの量なら二十分で終わらせられるだろう、当然ミスなんてするはずがない。なにせ赤司は普通ではない―――特別なのだから。
赤司が生徒会長になったのは或る意味で当然の結果だ。なぜなら帝光中で生徒会長の座になることは赤司の人間にとって必ずのことなのだ。歴代赤司の名を継ぐ者は生徒会長の座をきちんとまっとうしてきている。
教師が決める前から赤司をちらちらと見ていて、正直うっとうしいとしか言いようがない。周りの人間も赤司がやるんだろうとあからさまな目を向けてくる。こうした目線には慣れているのだが、不愉快ということには変わりなかった。
(中学生活も退屈になりそうだな………)
気を紛らわすために外を見たが、外は曇天で今にも雨が降りそうな予感がした。
「生徒会副会長の黒子です。よろしくお願いします」
最低限のことだけを言って黒子は席に座る。他の人達が部活や趣味などの詳しい話をしていたのと比べて、黒子の紹介は実に簡潔なものだ。まるで早く終わらせたいといったもので、赤司はどこか親近感を覚えた。恐らく彼女が此処にいるのは本意ではない、そこが赤司と同じだ。
「黒子さん、副会長になるの嫌だった?」
「嫌っていうか………」
「正直に言ってくれて良いよ。僕も好きでなったわけじゃないし」
「あ、そうなんですか。嫌というか、無理矢理押しつけられたみたいなものなので」
「そうか、お互い大変だな」
副会長とはいえ赤司にとって黒子はただの女子生徒だ。お互いが好きでこの座にいるわけではないという共通点があるとはいえ、前の事実は変わらない筈なのである。けれど黒子に対して赤司は何か心が緩みかけていた。黒子も黒子で予想以上に赤司が話しやすいタイプだと思ったようで、口が思った以上に動くことに驚いていた。人見知りまではいかないが得意とも言えない黒子なのに、初対面の赤司相手に友人のように接することができている。
「次の集まりは来週か、その時またよろしく」
「はい、僕この後予定があるので先に帰りますね」
「部活……はやってないんだよね」
「マジバに行くんです。赤司くんはマジバとか行きます?」
「いや行かない。ジャンクフードは基本食べないな」
「マジバのバニラシェイクはおススメです!是非飲んでみて下さい!」
何事にも無関心そうに見えたのにぐっと食いついてくる黒子。バニラシェイクという音だけに熱が入りこんでいる。余程好きなのだと思うと、なんだか笑ってしまいたい気分になった。悲しいことに赤司には好きなものというものがない。今やっているバスケだって必要だからやっているだけで、赤司が好きだから始めたものではないのだ。しいて言えば湯豆腐が好きなのだが、黒子のような好物ではないような気がする。
「じゃあ今日辺りにでも飲んでみようかな」
そう赤司が言えば黒子の表情がぱぁっと華やぐ。好きなものを肯定してもらえるのが嬉しかったようだ。話を聞くと、黒子の周りには理解はしても納得してくれる人はなかなかいないらしい。赤司が同志になるわけではないのだが、嬉しそうな表情の黒子を前に赤司は何も言えなかった。
「あ、黄瀬君。ちょっといいかな」
昼休みが終わり教室に戻ろうとする黄瀬を赤司が呼び止める。思わぬ人からの声掛けに黄瀬は驚きもしたものの、持ち前の社交性で難なくカバーした。
「何スか赤司くん」
「いや、今日生徒会の会議で黒子さんの帰りが遅れるから伝えておこうかと思って」
「………なんで赤司くんが言うんスか?」
「黄瀬君と黒子さんは仲が良いんだろう。だから言っておいたほうが良いかと思ったんだ」
「……へぇ」
赤司の言い方が挑発的に聞こえて黄瀬の機嫌は少し落ちる。赤司もそれを分かっているのにニコニコと笑みを絶やさない。―――黄瀬はその時気づいてしまった、赤司は自分に喧嘩を吹っ掛けているのだと。見えない宣戦布告に黄瀬は不機嫌さを隠すことなく舌打ちをした。
「何で面倒な奴が加わるんスかねぇ」
「モデルと生徒会長だなんて黒子も凄いよね。惚れた弱みかもしれないけど、黒子は本当キラーだよ」
「黒子っちの無自覚な可愛さに気付くのは俺だけで十分だっての。ってか黒子っちのこと呼び捨てにしないでよ、マジ不愉快」
「裏の顔が出てるよモデル君」
バチバチと見えない火花が二人の間に散る。周りの人はそんなことに気づかずに、もうすぐ始まる授業にしか関心がなかった。
紅葉サンドで終えたい方は此処まで。
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「お待たせしました。これ借りてたものです」
「そんなに早くなくてもいいのだよ」
「いいんです。僕が緑間くんの世界をたくさん共有したいだけですから」
頬を赤らめて俯いてしまう黒子。その姿を見て緑間は、無自覚タラシだと本気で思った。