パターンA



「征十郎です、失礼します」

作法に気をつけて中に入れば、座っている律華の姿と横になっているお婆様の姿がある。律華の手を借りて起き上がったお婆様は赤司を一瞥した後、少しだけ顔を歪ませた。

「律華、動物を中に入れたのかい」

「え?」

「征十郎から動物の匂いがする」

ピンポイントで突かれたその言葉に赤司は顔が青くなるのを感じた。動物嫌いと聞いていたが、匂いにすら敏感とは。テツヤの匂いなんてこの広い空間では無に等しい筈なのに、お婆様は正確に見抜いてきた。

「征十郎、どういうこと?あなたまさか……」

「言い訳をさせてもらえば僕がつれてきたんじゃない。テツヤがカバンに入ってた」
「…ほう、面白いことを言うね。自ら進んでついてくるだなんて大したもんだ」

薄く笑みを浮かべて言ってはいるが、お婆様の目は笑っていない。律華に至ってはお婆様の言葉を恐れて身を縮こまらせている。赤司はお婆様のことをよく知らないから平然としてられるが、律華はその恐ろしさを身に染みて体感してきている。その差故のことなのだろう。

「……征十郎、どうして私が動物を嫌っているか分かるかい」

「え?」

いきなりの質問に赤司は面食らってしまった。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。律華も突然の展開に頭が追いついていないようだった。

「私はね、人より何倍も嗅覚が優れているんだとさ。先天的なもので治すことも緩和することもできない。そんな状況の中で動物の匂いっていうのはすごく堪えるものなんだよ」

「……下等な存在だから嫌いなのではないと」

「当時嗅覚が優れているからなんて言っても信じられなかったのさ。あの頃は医学的知識に乏しかったからね」

それならテツヤの匂いに反応したことにも納得がいく。しかしこの歳になってもそれだけ分かるということは、若い頃はものすごく苦労をしたのだろう。赤司の眼と違ってお婆様のは日常生活でオン/オフができないものだ。それ故にずっと苦しんできたのだろう。それが原因でお婆様は動物が嫌いになり、もっともらしい理由をつけるために動物を下等な存在とみなして生きてきたのだ。律華にその異常性は受け継がれることはなかったが、生まれ育った環境のせいでお婆様の動物嫌いの影響だけ強く受けることになった。

「征十郎、分かったなら早くその犬を外に出してきな」

「……犬?お婆様、テツヤは猫です」

「………なんだって?確かに征十郎からは犬の匂いがするが」

「お婆様、もしかしたら道中で征十郎にぶつかった犬の匂いかと」

「じゃあこの私が匂いを間違えたとでも?」

そんなことは今まで一度もなかった。細かい種までは分からなくても、部類を嗅ぎ間違えたことは一度もないのだ。赤司が猫を連れ込んだとすれば必ずお婆様に分かるはず。

「……驚いた、こんなことがこの歳になってあるとは。いいだろう、その子を此処へ連れておいで」

使用人を呼びつけてテツヤをこの場所へ連れてくるように指示をする。赤司が連れてきたかったのだが、それは叶わなかった。静寂に包まれた苦しい時間の中、赤司は何故お婆様が間違えたのかという理由を考えた。高齢故というのがありえそうな答えだが、お婆様には今まで培ってきた経験というものがある。それを踏まえるとお婆様が間違えるとは考えにくい。それに犬と猫の匂いが似ているとも考えにくいのだ。赤司自身が嗅ぎ分けたことがないため断言できないが、それでも二種はやはり別物のような気がする。

「連れてまいりました」

使用人から赤司に渡されたのはテツヤが入っているあのカバンだ。口を開けておいたので苦しくはないだろうが、狭苦しいというのはあるかもしれない。とんとんとカバンの縁を叩けば口からにゅるりとテツヤが顔を出した。

「にゃあ」

「……本当についてきたのね、その子」

律華も驚きを隠せないのか口を手で覆っている。お婆様もテツヤを驚いた表情で見ていた。

「お婆様、どうでしょうか」

「こりゃ本当に驚いた、その子―――無臭だ」

「無臭?」

「匂いがしないんだよ」

匂いがない動物に初めて出会ったお婆様は布団から這い出て、ゆっくりとテツヤの元へ歩いていく。こんなに近くに実物がいるのに、目の前の猫は何も感じさせない。まるでそこに存在がないかのように存在している。言い換えれば空気のように溶け込んでいた。

「……猫に触れるのは初めてですか?」

「猫どころが動物に触るのが初めてだよ」

テツヤの前に座りおずおずと手を伸ばせばテツヤはにゃあと鳴いた。間近で聞いた鳴き声にびくりと体を震わせたお婆様だが、伸ばした手をテツヤに触れさせる。さらさらとした手触りは毛という存在をはっきりと表しているのだが、そこに不快感はない。あるのはもっと触ってみたいという子供のような欲求だ。

「……お婆様、テツヤを本邸に置いて構いませんか?」

「…好きにしな。ただ周りは甘くないよ」

今回お婆様はテツヤ限定で本邸に置くことを許してくれたが、周りがお婆様と同じように許してくれるとは限らない。お婆様から直々に許可を貰ったことで追い出されることはないが、これから赤司が認識を変えていかないとテツヤにとって良い環境にならないのは間違いないのだ。

「まぁ簡単な話、征十郎が赤司の頂点に立てばいいのさ。私ももう引退だからね」

「お婆様!」

「律華だって分かっていたろう?私はもう働けないよ」

お婆様の言葉を聞いて律華が悔しそうな顔をする。きっと歯痒い思いなのだろう。お婆様という絶対権力者を欠いて赤司の家がどうなるかは分からない。けれどその渦中に赤司が巻き込まれるのは絶対の事実である。先を思い浮かべながら、赤司はテツヤと歩く未来を考え頬を緩ませた。

「お婆様が作り上げた繁栄は僕が必ず引き継ぎます」
そう言いきった赤司の眼には揺るぎない闘志が宿っていた。



パターンB



赤司が部屋を去った後、テツヤはするりとカバンから抜け出した。テツヤには分かっていた、しばらくの間赤司が戻ってこないことを。だから抜け出しても赤司が戻ってくる前に帰ることができると思い、テツヤは障子を開けて外へ出た。

純和風の庭は流石と言わんばかりに雰囲気を作り上げている。その厳かな空気に身が浄化されていくようだ。テツヤはふるりと体を震わせて整った庭園を見て、そのまま庭に飛び込んだ。綺麗にされている砂利を踏みつけて進むは一本の木へ。庭の中で一際異彩を放つ木の根元を、まるで何かを掘り出すかのようにテツヤはかりかりと掘った。

目当てのものを口に咥えてテツヤはとてとてと邸内を歩く。外へ出たので足が汚れているのだが、そんなことは気にしていないのかずんずんと進んでいく。ぺたぺたとついていく足跡が何とも可愛いのだが、この家では当然御法度である。

ちりんと綺麗な音が邸内に響いた。



テツヤと赤司の関係は先代まで遡る。テツヤの父親は赤司家の所謂飼い猫だったのだ。動物嫌いである赤司の飼い猫に何故なれたのかは、テツヤの父親に隠された秘密がキーになてくる。テツヤの父親の系列はほとんど絶滅した化猫の家系で人の言葉を理解することができた。妖怪と言ってしまえば恐ろしい存在になるがそんなことはなく、むしろ智の存在として人間に貢献してきた一族だ。また妖と人を結ぶ役割も果たしていて、赤司家の繁栄は化猫故だという人もいるほどである。

そのような力を持った存在は当然悪い人間に狙われた。赤司の家の中にも化猫を上手く利用しようという者たちがいて、テツヤの父親は何度命を狙われたことか。それに心を痛ませていたのが赤司家の当主であるお婆様だ。化猫と共存していきたいと考えていたお婆様はなんとかテツヤの父親を守ろうとしたのだが、結局魔の手を完全に排除することができなかった。

「本当に……、済まないことをした」

ぐったりと横たわるテツヤの父親にはもう生気がない。長い時を生きる化猫だがそれは寿命の話であって不死というわけではないのだ。鳴く気力もないのか、テツヤの父親は目をくるりとお婆様に向けた。

「あんたの墓は、あの木の根元にしよう。あそこはこの家の中の特等席なんだよ」

血で汚れることも厭わずにテツヤの父親を抱き上げて庭まで運んでいく。スコップなんてものを使わずに土を掘るのは大変至難の技だが、テツヤの父親に対する想いの前ではなんてことはない。ただいつもテツヤの父親がしていた首輪が無いことが最後まで気掛かりだった。

「……もう、こんな思いはしたくない」

愛しい存在を失ったという事実はお婆様の心に大きな傷を作った。そして同時に自分を大きく責めるようになった。テツヤの父親が死んだのは赤司の家に関わってしまったからだと、自分がテツヤの父親を頼らなければこんなことにはならなかったのだと。そしてお婆様は自分に戒めとして枷をつけるようになったのだ。大好きな動物を嫌いだといって、自分から遠ざけていった。子まで引き継ぐことはなかったのだが、犯した罪を忘れないように赤司家の家訓として存在させていったのである。

それが赤司家に伝わる動物嫌いの真相である。



そして子孫であるテツヤは父親の想いを伝えるべく今此処にいる。テツヤの父親は赤司家の人間に内緒で妻と子を作っていた。そして子であるテツヤは当然化猫としての性質を継いでいる。赤司家に内緒にしたのはテツヤが赤司家の元で過ごすことを防ぐためだ。テツヤの父親はテツヤを化猫として赤司家と共にさせたくなかった。それは赤司家が嫌いだからではなく、テツヤには一匹の猫として生きて欲しかったからだ。だがテツヤの父親は、自分がいつか赤司家の者に殺されることを予期してしまった。賢いテツヤの父親は、テツヤに自分のことを全て話すことにしたのだ。それを聞いてテツヤがどうするか、それを全てテツヤに任せることにした。

結果としてテツヤは赤司と共に生きることを決心した。いつか赤司がテツヤをテツヤとしてではなく化猫として扱うかもしれない。それでも、一緒にいたいとテツヤは思った。まるで人間のような感情だが、テツヤの中に芽生えたこの気持ちは紛れもない本物である。



テツヤの父親から赤司家についてのことはだいたい聞いていた。どこに何があるのか、どんな家の構造をしているのか。数年もすれば家なんて変わってしまうものだが、古いしきたりなどを重んじる家は変化を嫌うものだ。故に大きな変化なんて無くて、テツヤは教わった知識通りに進むことができた。そして父親から託された大切な役目も忘れない。テツヤの父親は死ぬ前に自身の大切な首輪を一本の木の元に埋めた。そしてテツヤが自らの意志で赤司の家に戻るとき、それを回収して欲しいと願ったのだ。そうすればお婆様にテツヤのことを認識してもらえるし、形見であるものをテツヤに引き取ってもらえる。もしテツヤが一匹の猫として生きるのならば、赤司の家に忠誠を誓ったその首輪は永遠に葬り去ろうと考えていた。

気付けばもうお婆様の部屋の前。どうやら人払いをさせていたようで、部屋の前には誰もいなかった。きっとこれからについての大切な話をしているのだろう。けれどそこにテツヤはいなければならない。託された想いを果たさなければならない。

「そのお話に、僕も混ぜてもらえますか」

静かな声で存在を主張しゆっくりと扉を開ける。いきなり扉が開いたことに驚いたのだろう、そしてそこに人はいない。目線を下げればテツヤがいるのだが、テツヤに気づくまで時間が少々掛かった。

「……テツヤ、なんで喋って――」

「それは僕が特殊な家系だからですよ、赤司くん」

すらっとした足取りでテツヤは赤司を素通りしてお婆様の元へ向かう。お婆様はテツヤのなかに感じられる面影が信じられないのか、目をぱちぱちとさせていた。

「初めまして御当主、亡き父に代わりまして息子である僕にご挨拶させて下さい」

「あんた………、アオの息子なのかい」

「はい、間違いなく」

「……そうか、アオは外で子供を作っていたのか」

ははっと乾いた声でお婆様は笑う。状況を理解していない赤司と律華はどうすればいいのか分からなかった。けれどいつまでも混乱していては話は進まない。赤司は混乱している頭を押さえながらテツヤに問うた。

「テツヤ、状況を説明してくれ」

「……僕の家系は化猫――正確には猫又といいますが――の家系で智を司る役目を果たしています。赤司家が今までの繁栄を治めてきたのは僕の先祖の力添えあってのことだと言われているほどです。しかし父は僕ら一族を疎ましく思う輩に殺され、猫又の力を引き継いでいる存在は今や僕だけとなりました。赤司の家と共に生きるかどうかは自分で決めろと僕は父に言われ、どうしたいかずっと考えて、結果今此処にいます」

「けどあんたの父親は赤司に関わったせいで殺された。それで何故此処に戻ってきた?」

「……僕が力を貸したいのは赤司の家にではなく、赤司くんにだからですよ」

「僕に?」

「いくら猫又とはいえ僕はただの猫です。父が死んだあと母も追うように亡くなったので、僕はその時点でもう死の縁を彷徨っていました。けれど赤司くんはそんな僕に手を差し伸べてくれた。もちろんその時僕は赤司くんの家のことなんて分かっていませんでした。一緒に過ごしていって赤司くんのことを知っていって、僕はそこで父の言葉を思い出した。僕の出した答えはたった一つで、それはもう変わらない」

これから先お互いの関係がどうなるかは分からない。それでもテツヤは赤司と共に生きたいと思った。あの時救ってもらった恩は一生掛かっても返せるものではないのだ。

「ということですので、これからもよろしくお願いしますね、赤司くん」

「あぁ、こちらこそ……なんだが」

お婆様と律華抜きで話を進めるわけにはいかないので、ちらりと二人のほうを伺い見る。律華とお婆様は顔を見合わせた後、お互い呆れたような穏やかなようなため息を吐いた。



「その首輪、つけてあげようか?」

話しているときは床に置いていたのだが、今は首輪を咥えている。形見というのなら肌身離さず持っているのが良いだろう。しかし当然だが猫は自力で首輪などすることができない。手伝おうか?という意味で尋ねたのだが、テツヤは少し考えたあと首を横に振った。

「これは父の忠誠の証ですから、僕のではありません。僕がつけてしまうのは筋違いでしょうね」

「なら僕からテツヤにプレゼントしよう。どんなものがいい?」

うーんと悩むんでいるのか、前足で自分の頭をぺちぺちと叩いている。賢い故にいろいろ考えてしまうのだろう。

「赤司くんとお揃いが良いです」

さらりと言ってのけた一言に、赤司は頬が引き攣るのを感じた。








「良かった、お揃いってこういうことか」

赤司の手の上には、特注した革張りの『赤い首輪』が置かれていた。

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