【戻したい歪み】



「黒ちんー、上に何か乗っけたいだけど何が良いと思う?」


間延びした声で黒子の名を呼ぶ。呼ばれた黒子は本から目を上げて、呼んだ主である紫原の方を向いた。

紫原は今新しいケーキの製作中である。新商品作成のために材料をたくさん出して机が埋まってしまっていた。


「上……トッピングですか?」

「そう。なんか乗せたいけどどれがいいかなーって」


プロの作品に素人が口出しをしていいのか、分からなくて黒子の目が右往左往泳いでしまう。前の黒子ならビシッと言えていたかもしれないが、今の不安定な黒子では発言すら躊躇ってしまう節があった。

栞を挟んで本をパタンと閉じる。

椅子から立ち上がって黒子は紫原の隣に並んだ。改めて見ると凄い身長差だが、それを言うような第三者は今いない。

机に広げられたものをゆっくり見ていく。黒子なりにどんな食材が合うか吟味しているのだ。中には黒子が見たことないようなものが置いてあり、そちらには興味がそそられる。


「紫原くん」

「なぁに?」

「此処に無いんです、乗せたいもの」

「えー?色々揃えたのにな…。何を乗せたいの?」


合いそうなものをたくさん用意してくれた、というのは机の上のラインナップを見れば分かる。しかし黒子の思う食材はそこに無かった。


「僕……、バニラアイス乗せたいです」

本当はシェイクをかけたいですけど、そう呟いた声は本当に小さくて消えてしまいそうだった。しかしそんな大切な声を紫原が聞き逃す筈はない。

此処にバニラアイス、敢えて言うならバニラ系のものを用意しなかったのには下心があった。でもそれはそうなったらいい程度のもので、期待はほとんどしていなかったのだ。

ケーキを作る場に同伴させたのも、いつもと違う刺激があれば何か黒子に影響を与えてくれるかもしれないという憶測故だ。実際作っている最中は紫原も集中しているため、黒子に意識を割くことは出来ない。いつもと違う環境を提供する、それだけ出来れば結果なんて二の次だった。


「黒ちん、ちょっと待っててね。バニラアイス作るから」

「え、いいですよ。今から作っていたら時間も掛かりますし、他の食材を選びますから」

「ダメなの。俺がバニラアイス以外乗せたくないって今思ったから」


紫原の言葉の真意に気づかぬまま、黒子は生返事を返す。黒子には今のやり取りの意味があまり伝わっていないのだろう。この意味が分かるのは、黒子の回復をただ願うしかない紫原達だけだ。

黒子を一度座らせて紫原は早速バニラアイスを作るために準備から始める。バニラアイスはケーキやその他の菓子で頻繁に使用するため、もはや手慣れた作業で作ることが出来る。

しかしまるで初めて作るかのように紫原は丁寧に材料を加えていった。ある意味では、このバニラアイスは初めてのバニラアイスになる。特別な想いを込めて、紫原はボウルを片手に作業を続けた。









「桃っち、あれから黒子っちどうスか?」

「落ち着いてるよ。私がずっと傍にいなきゃダメかと思っていたんだけど、そんなことなかったみたい。今はむっくんのところでケーキ作りの同伴してるの」

「家にいるよりも外に出た方がいいかもしれないっスね」


心配そうな声の中にはどこか嬉しそうな気持ちが込められている、それが黄瀬の声を聞いた桃井の感想だ。黒子がこうなってしまってから一番手がつけられなかったのが黄瀬だった。

仕事にも影響が出てしまっていた。あまりカットを出さない黄瀬が珍しくカットで一日休むように上から言われてしまったのだ。幸い共演者が優しい人達で、ゆっくり休むようにとだけ言われて、他に嫌味や陰口など言われることはなかった。それでも多忙な彼らのスケジュールを潰してしまったことには変わりない。

気を落ち着けるために、桃井と会い落ち着けようと今日の予定を立てたのだ。黒子と会うと箍が外れる可能性があったため、紫原の元に行ってくれていたことは吉となったかもしれない。


「赤司っちは、どうッスか?」

「………ごめん、私赤司くんのこと分かってないの。ただあの日言い残してからは家に帰って来ていないと思う」

「一週間、か……。本当に守れると思う?」


黄瀬の疑問に桃井は答えない。答えられない、ということが桃井の答えなのだろう。

黄瀬も赤司の言葉について半信半疑だった。今まで黒子を顧みなかった赤司が、今更黒子に気を配れるなんて思えない。


「私ね……赤司くんと結婚するって知った時に、この二人は誰よりも幸せになるって思ってたんだ。赤司くん、ベタ惚れだったし浮気するような人でもないし。だから今回の件が起きて、私の中の赤司くんが崩れちゃった」

「………桃っち、それ分かるよ。俺も黒子っちが赤司っちと結婚するって聞いて、この人には勝てないから身を引こうって思った。それくらいに、俺の中で赤司っちは最強だった。黒子っちのこと嫌って程幸せにするって、でも現実は違ってて……。分からないなぁ、先のことって」


赤司と黒子の仲が拗れるということは、誰も想像していなかった。それほどまでに、赤司の黒子に対する想いは絶対だったのだ。

敢えて不仲になると言えば、赤司が黒子を束縛しすぎて黒子の方が嫌になるという可能性だけだった。その場合、黒子の一喝で赤司は正常になるだろうと、そんな楽観的なことすら思っていた。

それが蓋を開けてみればこうなっていた。明るみになるまで気づけなかった。会っていなかったとはいえ、二人の仲に疑問すら抱かなかった。


今回の件は、今後を考える良い機会になったと言えよう。みんな赤司を盲信しすぎていた。みんな黒子の強さを過信しすぎていた。全部押し付けて勝手に思っていて、違っていたことに腹を立ててしまっていたのだ。同じ人間で絶対などないことを、そんな当たり前のことを忘れてしまっていた。


「赤司っちのこと、許せないッス。でも、あの日赤司っちに怒りをぶつけた日よりもちゃんと冷静に物は見えるようになった」

「複雑に絡まり合いすぎて分からなくなっちゃったよね。もう一回、チャンスが欲しいよ」


桃井の言葉に黄瀬は頷くしかなかった。










部屋に電気がポツリ、最低限の灯りを灯している。ソファに行儀よく座った黒子は外を眺めていた。

今日は約束の日、赤司が帰ってくると宣言した日だ。本当に帰ってくるのか、胸が不安でいっぱいになり苦しくなる。けれど大きく息を吸って、黒子は服の袖をぎゅっと掴んだ。

今日を迎えるにあたって、一日誰にも会いたくないと他の人には伝えてある。だから今日は黒子の元を訪れる来訪者はいない。朝起きてから今まで黒子の時計は一人で回り続けている。

赤司が帰ってくるのは日付を超える頃、何時になるかは分からないがずっと待っているつもりだ。待っているという理由がなければ、今このソファに座っている気力が保てない

。もし赤司から連絡が来て、約束を反故する旨が伝えられたら、黒子は意識を失ってもう目を覚まさないだろう。それくらいに切羽詰まった精神でこの場に座っている。

時計の秒針の音がうるさく感じる。時を如実に感じさせるそのリズムが今はとても耳障りだった。時の感覚が無くなれば永遠を待てるのではないか、そんな考えが脳を巡る。


ガチャリ、音が鳴った。

どんなに小さくても、その音だけは聞き逃さない自身があった。

扉がある、だから玄関の扉を此処から見ることは出来ない。

それでも、黒子にはドアノブが回る光景が見えていた。

駆け出したい衝動を堪えて必死にソファへ自分の身体を縫い付ける。

まだ、まだ、まだ、まだ………。

玄関からリビングまで、十秒も掛からない筈なのに永遠に感じるこの間。

扉が開いて、大好きな赤が見えて、心がきゅうっとなって、声を出したくなって、腰が浮いた瞬間、黒子の身体はソファに沈んでいた。


「…………ただ、いま」

「………………おかえり、なさい」


温かい、嬉しい、泣きたい、様々な気持ちが黒子の仲を駆け巡る。けれどその駆け巡った想いを全て奪いたいと言わんばかりに黒子は抱きしめられていた。

とめどなく溢れる想いがみんな目の前の彼に流れていく。自分の想いが全て伝わればいいのにと思う反面、彼の想いも自分の元へ流れ込んでくればいいのにと願った。

どうすれば想いを貰えるだろうか、行き場を失った手が虚空を掴む。


「返して」

「?」

「抱きしめ返して、そうしたら僕の気持ちがテツナに渡せるから」


赤司がそう言うから、言われるがままに黒子は抱きしめた。身長はあまり変わらない筈なのに一回り以上大きな背中。自分とは違う、広い広い背中。

腕から伝わる赤司の体温が、黒子の中にすうっと溶けていく。温かいなぁと思っていると、頬を何か温かいものが流れ落ちていった。


「テツナ」

「はい」

「俺の気持ち、伝わった?」


黒子の耳元でささやく赤司。その声はいつもの自信に満ちた声ではなく、どこか震えていて脅えたような声だった。


「赤司くん」

「なんだ」

「僕の気持ち、伝わっていますか?」


赤司を抱きしめている腕に力がこもる。黒子がぎゅうっと抱きしめても、赤司にとっては少し苦しい程度だ。

黒子の問いに、今度は自信に満ちた声で赤司は返した。










「聞いてもいいですか」

「なにをだ?」

「………一週間、何をしていたのか」


不安そうに聞く黒子を見て、改めて自分がどれだけ不自由な思いをさせていたのかを悟る。仕事のことに口を出すことを憚る程の距離だったと今更ながらに感じると、少し前の自分を殺してしまいたいくらいに自分に嫌気がさす。


「まぁ細かいところを省いてしまうとね」

「はい」

「会社を二つ三つ買収してたんだ」


なんでもないことのように赤司はあっけらかんと言う。言われた単語が頭に入ってこなくて、黒子は首を傾げた。単語が分からなかった訳ではない、ただ理解を頭が拒否しているのだ。


「テツナには恥ずかしくて言いたくなかったけど、僕の会社は結構危なくてね。内輪でできた問題を処理しながら外の敵を排除しなければいけなかった。でも両側対処していると時間も手間も掛かるだろう。だからいっそ敵を無くそうと思ってね。結果買収してしまえばいいかなって」

「はぁ………」

「まぁ近々ニュースにもなるから観てみてよ」


普通のことのように言うから、黒子も抜けた返事を返してしまう。買収ってそんな簡単に出来たか、という問題は赤司の堂々とした態度に掻き消されていた。


「一週間で買収の手続きを済ませるのが厄介でね。更に失敗したら一大事件だ。流石の僕でも少し梃子摺った」

「赤司くんが何言っているのかあんまり理解できないです」

「テツナはそれでいいんだよ。まぁ世間的には大きな変化もないし、会社がちょっと減ったなくらいに捉えてくれ」


後々ことの重大さを思い知るのだが、常軌を逸した今の状況ではまともに考えることすら出来なくなっていた。

そんなこんなで赤司の方はなんとか収束したと言える。これからやることがいっぱいあるが、ここまで仕事を詰めれば流石に休みが出てくる。この休みを取るために仕事を詰めたのだから、休みが取れないと問題なのだが。


「あの、赤司くん。これ………」


恐る恐ると言わんばかりに、黒子が箱を差し出す。見慣れた店名に、赤司は素直に受け取った。


「紫原くんから、送られてきたんです今日。僕は頼んでないんですけど、赤司くん頼みました?」

「いや、僕も――」


言いかけて赤司は言葉を止めた。

赤司の素早い思考が一抹の引っ掛かりを感じて、その違和感を引っ張り出してくる。

紫原からメールを貰った時、なんて書いてあった。あのメールにはなんて記してあった。

『黒ちんにあげるケーキ、二人で食べて感想を聞かせてね』そう書いてなかったか。黒子にあげたケーキ、ではなくてあげるケーキと時制が現在未来になっていた筈だ。

つまりあの時の紫原のメールの『ケーキ』は、以前紫原が贈ったケーキではなくてこのケーキを指しているのか。理由を添えなくても、あのメールの文面で赤司が気づくと踏んでいた。だから今日この日に黒子宛てにケーキを送ってきた。

目的はただ一つ、二人で食べて感想を聞くために。


「お茶を淹れよう。紅茶でいいかい?」

「僕が淹れましょうか」

「いや、いい。今日は僕に淹れさせてくれ」


開けていないが、どんなケーキなのだろうか。紫原のことだ、きっと力作を送ってきてくれたのだろう。何事にもやる気をあまり出さない彼だが、大事な時に向けるひたむきな思いを赤司はいつも評価している。

丁寧に味が引き立つように淹れていく。良い香りが部屋を満たしていった。香り豊かな紅茶は二人の仲を取り持ってくれるだろう。


「あ、このケーキ……」


黒子が取り出したケーキ、黒子には見覚えがあった。

黒子が紫原の元を訪れた際に作っていたケーキだ。製作途中だからと完成品ではなかったが、面影は十分にある。

なにより黒子のリクエストでバニラアイスが大きく上に乗っている。何故溶けていないのか、そこはプロの腕なのかもしれない。

黒子が紫原の元を訪れていたことを赤司は知っている。だから黒子の反応で、なんとなく察することは出来ただろう。赤司も嬉しそうな笑みを浮かべて、淹れた紅茶と共に席に着いた。


「これ、まだ商品として売ってないんですよ」

「そうなのか、じゃあ僕たちで感想を言ってあげないとね」


さくっとケーキにフォークを差す。質の良いスポンジやクリームなのだろう。形が崩れることなくフォークは綺麗にケーキを割いた。

一つの机を囲んで食事をするのはいつぶりだろうか。そう考えて、赤司は思考を止めた。これ以上は目の前の黒子をまた蔑ろにしてしまう、そう思ったからだ。

反省ならいくらでも出来る。しかし今という時間を楽しむのは今しか出来ない。紫原からの土産もあるのだから。

図らずとも二人同時にケーキを口に運んでいた。

そして同時に漏らした感嘆の声に、思わず笑ってしまったのであった。







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